10 初陣の野戦
大きな雲が天空をゆっくりと流れていく。
小鳥が草の合間から飛び立ち、声を上げながら、空を突っ切っていった。
戦場は平坦な草原である。
我軍の右手には幅二十メートル程度の川があり、左手には森林が広がっている。
敵軍は、双頭のワシを描いた神聖帝国旗を掲げている。
その陣容はまず歩兵の横列陣である。報告によれば、前列に軽装歩兵が千程度。
その左右には、騎兵五百と弓兵三百を添えている。
宰相によれば、伯爵の常備兵は騎兵のみであり、他は金で雇われた雑兵にすぎない。つまり、注意すべきは騎兵だそうだ。
対する堂々たる我軍の陣容。
長槍を備えた重装歩兵二千を厚く横に並べる。
左右には弓兵と下馬弓兵計千を配置し、その前面には杭を打ち、簡易バリケードとしている。陣の後方には移動型投石機カタパルトと大型弩バリスタを配置。
さらに、左手の森林の中には、ペーター王率いる軽騎兵五百を隠している。
俺は、横列陣の後ろに立っている。
近くには、アウグスタと近衛兵、他に音楽隊や旗手がいる。
歩兵の指揮は公爵ルイジ、騎兵の指揮はペーター王が執り、俺が総指揮として、近衛兵を通じ彼らに指示を伝達する手はずだ。
ちなみに、カエサルは最前線に紛れて意気揚々としている。本人の希望だ。
彼我の直線距離は既に五百メートル程度。妙に距離感が明瞭である。
ところで、バリケードを作った以上、これを捨て置いてこちらから攻撃をかけることはできない。
とはいえ、相手がこちらを警戒し、攻めて来なかった場合は睨み合いで終わってしまう。
宰相によれば、敵軍は騎兵の突破力に重きを置いている。であれば、敵軍が守勢に回ることはないとのことである。
とはいっても、はたして実地でもそううまくいくのだろうか。
どこからともなく一人の司祭が進み出る。
我軍の前で祈祷を捧げ、大声で宣言する。
「我々ゼノン教は、この戦が、聖伝にのっとった、伝統と格式ある、正式な戦であることを、認める! 名誉と誇りを示せ! 主よ、あなたの子らに祝福を!」
これを合図として、敵歩兵と敵弓兵が前進を開始する。地響きがするレベルである。
左右に展開していた敵重騎兵も敵歩兵の後ろに続く。
後詰には僅かな手勢を残している。おそらくそこに将軍がいるのだろう。大胆な攻勢である。
ふと、ここに至って根本的な疑問を抱く。
何をどうすればこちらの勝ちといえるのだろうか。
敵軍を殲滅しなくてはいけないのか、それとも敵軍を追い払いさえすればいいのか。
わからない。
しかし、将棋ならば、王将を討ち取るだけで勝ちになる。
その要領で行くならば、後詰を落として、敵将を討ち取れば、こちらの勝利である。
しかも、あの後詰は手薄である。足の速い部隊を、敵軍の戦列を迂回して刺客として送り込めば、あるいは……。
待て待て。
こちらは動かない。動いてはいけない。そういう作戦だ。宰相がそう言っていた。だったら、俺はそれに従う。そうすれば、失敗したとしても、俺の責任にはならない。
とはいえ、心が躍っている。
心を鎮めるためには、何か単純な作業が必要だ。
近くにアザミがとうを立てている。
俺はアザミを一本引っこ抜き、葉っぱをむしり取る。簡易な指揮棒の出来上がりである。
落ち着いたところで、戦場の展開を黙考する。
まずは遠距離攻撃の応酬である。弓兵の数に優る我軍が有利である。
次に歩兵と歩兵がぶつかり合う。歩兵の数に優る我軍が有利である。
だとすれば、あとは敵騎兵の処理をいかにするかである。
では、敵騎兵はどう動くか。
我軍の右翼は川に守られ、我軍の左翼は林に守られている。ならば、敵騎兵の動きは一つしかない。
すなわち、正面突破である。
敵騎兵が攻撃を仕掛けてきた時に、我軍の重装歩兵はその攻撃に耐えられるのか。
経験がないためわからない。結局、耐えてくれるものと信じるしかない。
そして、接敵までに少しでも敵騎兵を弓矢で討ち取ることに全力を注ぐべきである。敵騎兵の数を減らして、重装歩兵の負担を軽減させるのだ。
彼我の距離は四百メートルを切る。
さぁ、攻撃開始だ。
俺は、アザミを振るう。ふにゃふにゃしていて使いづらい。
「カタパルト、ファイア!」
ホルンのような楽器が低音を奏でる。
後方のカタパルト一台が、唸りを上げて巨石を打ち出す。巨石は、放物線を描きあらぬ方向へと落ちていく。
しかも、あの距離ではまだ敵軍には届かない。
とりあえず、近衛兵を通じて、投擲方向を修正するように指示する。
次に、バリスタ一台を数人がかりで起動させる。
やがて、大きな鉄槍が射出される。直線的な軌道を描いて敵軍へ向かうが、これも届く気配がない。射程範囲は両器械とも三百メートル程度だ。
敵軍は粛々と迫って来る。
十分に引き付け、彼我の距離はもはや三百メートル。
「ファイア!」
腰からの回転を手先に伝え、アザミの指揮棒を振る。
俺の指示に合わせて、ホルンがひときわ大きな重低音を轟かせる。
と同時に、カタパルト、バリスタはフル稼働状態に入り、次々に攻撃を放つ。
巨石が敵兵の密集地帯に炸裂し、鉄槍が何人もの敵兵を貫いている。
大惨事である。
加えて、弓兵が敵兵に向かって放物線状に矢を射掛ける。
当然、敵陣からも応酬がある。
両軍の前衛に矢が降り注ぐ。
彼我ともに大盾を掲げて矢を防ぐものの、防ぎきれなかった矢を受けて、少しずつ損耗していく。
それでも敵軍は前進を止めない。
それどころか、敵歩兵は遂に走り出したのである。
同時に、敵騎兵が、敵歩兵の左右から躍り出てくる。
敵騎兵はバケツのような兜を被っている。長大なランスを斜めに突き出したまま、一斉に助走を開始する。疾走しながら、器用に横一列に広がる。そのまま、我軍の中央へと最短距離を進んでくる。
彼我の距離二百メートル。
「ファイア!」
我軍の下馬騎兵が、一斉にクロスボウから矢を放つ。
矢は、装甲の薄い馬の側面を狙って放たれる。
敵騎兵は、矢を受けて驚くほどあっさりと倒れていく。
しかし、クロスボウの次弾装填に手間取り、後が続かない。
一方の敵騎兵は、死など恐れぬとでもいわんばかりに、平然として隊列を崩すことなくこちらに向かってくる。
彼我の距離は百メートルを切る。
敵騎兵は、一斉にランスを倒して地に水平に構え、同時に全力疾走に入る。
「槍衾形態!」
我軍の重装歩兵は密集し、一列目は膝をどっしりと地につけ前面に大盾を構える。二列目以降は腰を落として長槍を突き出す。
敵騎兵のランスよりも、我が重装歩兵の長槍の方が長い。必然的に、先制するのは我が重装歩兵である。
突撃してくる敵重騎兵に対し、槍衾で対抗するというのだ。
しかし、敵騎兵は、僅かに怯える騎馬をうまく操縦し、そのまま突貫を敢行する。
激突する。
我軍の重装歩兵が弾き飛ばされる。次から次にありえないほど遠くへと飛ばされていく。
しかし、前衛が弾かれても、後方の重装歩兵が前方へ進み、新たな槍衾を作る。
対して、敵騎兵は一点集中で、次々に突撃を仕掛けてくる。我軍の重装歩兵は、全力でこれを受け止め、その勢いを殺そうとする。
その時。
敵歩兵の後背から、さらに、敵騎兵百騎が躍り出る。そのまま、我軍の左翼へと向かう。
新手の敵騎兵は、中央突破を目指す敵騎兵とは異なり、軽装であり、尋常ではないスピードを持っている。
我軍の弓兵が、襲い掛かる敵騎兵に対して、矢の嵐を浴びせかける。しかし、敵騎兵のあまりのスピードに、狙いが定まらない。
結果、敵騎兵全騎が矢の防御壁をすり抜け、馬防柵をもすり抜け、我軍の左翼に食らいつく。
接近戦になってしまっては、もはや弓兵に勝ち目はない。
敵騎兵は、我軍の弓兵を威嚇してこれを蹴散らしていく。さらに、逃げ惑う弓兵を尻目に、本陣の俺の下に迫って来る。
「やられた……」
アザミの指揮棒を取り落とす。
宰相から、こんな事態になるとは事前に聞いていない。
つまり、敵騎兵による中央突破は、敵軍の陽動に過ぎなかった。本命は左翼の突破にあったのだ。そして、敵軍も我軍の本営を叩きさえすれば、勝利を得られるものと踏んでいる。だからこそ、多少無茶な攻勢を仕掛けてきたのである。
敵軍の意図に早くに気が付いていれば、対応もできたことだろう。しかし、いまさら気が付いても遅い。こうして、既に、俺の中では後悔が始まっている。
そして、その動揺が、さらなる致命的な判断の遅れにつながる。
ところで、アウグスタは、俺の動揺をとっくりと観察している。
意地汚い奴なのである。
と思いきや、アウグスタはひらりと騎乗する。そのまま、手元の長槍を片手にとって、敵騎兵に立ち向かっていく。
アウグスタが対峙するのは三騎。無謀としか言いようがない。
しかし、アウグスタは、繰り出された突きを巧みな捌きで馬ごと避け、一騎に馬ごと体当たりする。同時に長槍の穂先で、もう一騎の馬を傷つけ騎乗者を落馬させる。
三騎を相手に全くの互角なのである。超人である。
俺が安堵したのも束の間。
敵騎兵は、次々に前線を突破し、俺の下へと押し寄せてくる。
近衛兵が、いそいそと俺の周囲を固める。
「私こそがファウスト・コルビジェリ、コルビジェリ伯爵の長男である! 指揮官殿、私と一騎打ちせよ!」
敵将は、馬上にて兜を脱いで、その顔を周囲に晒す。
長い赤髪から覗く信念に燃えた瞳。自身の勇敢さに酔っているのだろうか、笑顔を見せてくる。
俺は少しばかり落ち着きを取り戻す。
このまま乱戦になっていたら、俺の命も流れていただろう。しかし、敵将は秩序ある決闘を所望している。有難い話である。
とはいえ、俺は指揮官として名乗りを上げることなどしない。決闘などという野蛮なものは、そもそも俺のビジネスの範疇にない。
餅は餅屋。我軍には、超人アウグスタがいる。彼女が何とかしてくれるはずだ。
俺はそそくさとその場を離れ、戦場を見渡す。
我軍の横列陣は、ところどころ崩されている。しかし、なんとか敵騎兵の勢いを削いだようである。敵騎兵はしかし、後続の敵歩兵も加えて、我軍と激しく白兵戦を繰り広げている。
戦場の中で特に目立っているのはカエサルである。敵騎兵の馬の足を掴んでは放り投げて、人馬もろともを戦線から離脱させている。
ふと間近に目を向け戻すと、近衛兵の声が聞こえてくる。
「あれはコルビジェリ卿。元王国随一との呼び声高き白薔薇騎士団の団長……」
「しかし、メルクリオ様はただの軍師ではない、その武力は強者が集う古代世界の中でも最強……」
そこで、近衛兵達が喜色に溢れて俺をはやし立てる。
「メルクリオ! メルクリオ! メルクリオ!」
お前達は、要人を守るためにいるのだろう?
だったら、俺の影武者ぐらい務めてくれよな?
はたして、ファウストは歓声を聞き付け、俺に目を向ける。
「貴方が、指揮官殿か?」
「……」
近衛兵がありもしない俺の意を汲んで、機敏に動いてくれる。結果、有難くないことに、速やかに一頭の馬が用意される。
これに乗って決闘してくれというのか?
冗談じゃない。俺は馬になど乗ったことがない。
しかし、待っている。
周りが皆、俺を待っている。
理不尽な期待の眼差しで、ひたすら俺の活躍を待っているのである。
もはや、この場から逃れることなど出来そうにない。
ええい! どうなっても俺は知らないぞ!
破れかぶれのやけくそである。鐙に足をかけ、馬によじ登る。
視点がいきなり高くなった。思わずバランスを崩し、眼前にあった馬の首にしがみつく。
当然、馬はびっくりする。ウヒーーンなどと言いながら、急にあらぬ方向へ向かってとことこと歩き出す。
これは恐ろしい。
安定感がまるでないのだ。だが、それも当然である。そもそも馬は人間を乗せるために進化したわけではない。当たり前である。
それは当たり前でも構わないのだが、ところで、俺はいつ落馬してもおかしくない。落馬すると軽い怪我ではすまないだろう。落馬で死んだ人もいると聞く。
恐怖のあまり、俺は、手綱を強く引っ張ってしまった。
馬は高く前足を上げ、一気にスピードを上げて走り出す。
ファウストを残して、俺は意図せずしてその場から離脱する。
ファウストはというと呆気にとられている。その顔が一瞬だけ見える。
俺は、八つ当たり気味にざまぁ見ろと思う。
だが、馬よ。
お前はどこへ行く?
我軍の左翼を通って、さらにその先へ。最前線を迂回して、俺はただひたすら前に突き進む。
無論、俺の意思とは無関係である。
ふと、後ろから大声が聞こえてくる。
「双剣に遅れをとるな!」
振り返ると、森林の中から、ペーター王率いる軽騎兵部隊が姿を現す。
王国旗をはためかせながら、一斉に俺の後に続く。
何かの命令だと勘違いしたのだろうか、俺を先頭にした敵軍への特攻が始まる。
とはいえ、俺を先頭にするのはやめて欲しい。一番最初に接敵するなどありえない。そんなことをすれば、俺が危ない目にあってしまうのだ。
ペーター王が巧みな馬さばきで俺の横につける。
「軽騎兵で敵の本営を狙うのはわかっていましたが、これ以上ないぐらいのタイミングです! まさに天才的!」
王は、目を輝かして上気している。
ところで、俺がペーター王にお願いしたのは、この馬の止め方の教授である。
もっとも、俺は既に息も絶え絶えであり、応答する余裕もない。
「一番槍はお任せください、お先に失礼ッ! さぁ、一気に攻め落とすぞ!」
後続するのは我軍の軽騎兵五百騎。
敵軍の大多数は、我軍の重装歩兵に絡め取られており、簡単には反転できない。
それでも、後詰には行かせないぞと一部が追いすがってきているようだが、我軍の軽騎兵のスピードには及ばない。
敵の後詰は、迫りくる我軍の軽騎兵部隊を見て、戦況の不利を察し、慌てて逃走を開始する。
ペーター王はこれを追うことはなく、反転。追いすがってきた敵軍を撃破し、さらに、膠着状態の戦線に戻って、敵軍を包囲する。
俺の馬はというと、唐突に走りを止めて、ブヒーンとか言いながら、脈絡なく草を食べ始める。
俺はこぼれ落ちるような格好で、かろうじて地面に降り立つ。
そこで、ようやく一息をつく。
と同時に、不安が蘇って来る。
はたして、俺が放置した我軍の本営は無事なのだろうか……。
その時。
我軍の騎兵が、王国旗を掲げ、高らかに謳い上げる。
「アレッツォの野戦、アルデア王国が制したり! 英雄メルクリオの勝利だぁ!」
敵軍は、完全に士気を砕かれ、逃げ惑うものが五割、抵抗を諦め、降伏するものが五割といったところ。
一方、我軍の損耗は軽微であり、加えて、敵の後詰に放置された多くの兵糧輜重を奪取した。
我軍は、途中経過に想定外の要素を挟みつつも、大勝利を勝ち取ったのであった。




