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メルヒェン世界に迷い込んだ暗黒皇帝  作者: げっそ
第一幕 戦いをもたらす者
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01 古代の像

 今年の異動は、クソ田舎にある支店への左遷だった。

 同期の栄転が次々決まる中、俺への辞令は容赦がなかった。

 

 俺のプロジェクトを評価してくれたんじゃなかったのか?

 何が悪かったんだ? もっと上司に媚を売るべきだったのか?


 後任は万年平社員を謳っていた俺の同期である。

 引き継ぎの際に、彼は、はにかんだ笑顔を見せてきた。


 どうしようもない焦りと苛立ち。

 別に出世がしたいわけじゃない。ただ、大きな仕事をしたい。


 何故だ?

 人から認められたいから?


 違う。

 

 自分の持ち味を発揮して活躍し、自分の本来あるべき姿に到達することが自己実現であるとして、豊かな社会において自己実現こそが人生の究極目的であり、最大の幸福だという。

 では、自分の本来あるべき姿とは何なのだろうか。


 それは例えばテレビやネットを通じて記憶に残ったスポーツ選手、歌手やアイドル、できる若手実業家や羽振りの良いお医者さんの姿なのかもしれない。


 しかし、彼らの最高潮の姿は残酷なほどに実に一瞬である。


 数年後には、虚ろな目をした彼ら元ヒーロー達を見出し、我々は幻滅すると同時に安心を得る。

 彼らだって我々と同じであり、特別ではなかったのだ、と。

 たとえ輝いたとしてもそれは偶然に過ぎず、僅かな瞬間に過ぎないものなのだ、と。

 だとすれば、そもそも大層な野心を抱くことも、その野心のために活動することも無意味なのだ、と。


 だが、そもそも彼ら元ヒーロー達にとって、自己実現とは、その一瞬にすぎない最高潮の姿だったのだろうか。

 周囲から押し付けられた自身のイメージを取り繕う、そんな姿のどこに自己実現があるのだろうか。彼らはもっと別のところ、奥深いところで大きな満足を得ていたのではないだろうか。


 一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ。






 ぼんやりと意識が覚醒してくる。

 とりとめもない思索がぷつりと途切れる。


 どうやら、相当乗り過ごしてしまったようだ。

 車内には、既に俺以外に誰もいない。


 ふと、自身の姿が対面の車窓に映る。

 疲れた顔をしている。


 さらに覚醒と睡眠を繰り返し、しばらくして電車が停まる。


「左側のドアが開きます。ご注意ください」


 送別会の帰り。

 アルコールが入り、思うように動かない体に鞭打ち、プラットホームへと降り立つ。

 少し冷たい、しかし、春めいた風を感じる。

 無機質な蛍光灯の光が、俺を改札へと誘う。


 知らない駅ではない。子供の頃に住んでいた小さな街だ。

 暗闇の中にぼんやりと踏切の赤が点滅し、既に日常に溶け込んだ踏切の警戒音が薄く響く。


「都会になったもんだ」


 何十年ぶりだろうか。とはいえ、改札口の向こうに広がる風景には、かつての面影はなく懐かしさを感じさせない。

 

 金曜日の夜だ。

 なんとはなしに、改札をでてテクテクと歩き始めた。




 駅前のさびれた商店街は、暗いネオンが印象的である。

 酒屋、クリーニング屋、パチンコ店。いずれも既に閉まっている。

 少し進むだけで商店街は終わり、もうそこには閑静な住宅街が広がっている。

 アスファルトが敷かれたきれいな道路は、かつての砂利道を思い出すのも困難である。


 このあたりは、かつては竹やぶに覆われていた。

 道の脇には農産物の無人販売所があり、棚の下の小さな空間を、秘密基地として利用していたのも懐かしい思い出だ。


 原付きが大きな音を立てて通り過ぎ、俺は、強制的に現実に引き戻される。

 そこには、竹やぶもなく、無人販売所もない。ただ、何の変哲もないアスファルトの道が延びており、街灯に冷たく照らされている。

 

 右手に公園がある。

 昔と変わることなく、遊具らしき遊具はない。ただの空き地といった趣だ。

 そして、公園の奥には雑木林が広がっている。

 かつて、この雑木林には不審者が出没するため、近づかないようにと言われていた。


 何故だろうか。冒険をしない性格なのだが、このときは雑木林に足を踏み込んでしまった。




 雑木林の中には月明かりが差込み、思ったよりも明るい。

 木の根本には、アイリスの群青の花が顔を覗かせている。

 不審者の到来に驚いたトカゲが、迷惑そうにさわさわと逃げていく。


 もう春はそこまで来ている。


 ややあって、気付かないうちに俺の足は止まっている。

 雑木にもたれかかると、ぽつんと小学生時代の思い出が心の表面に浮かび上がってくる。

 それは、日常生活をやり過ごすために不可欠とは言えない情報である。そして、知らず知らずのうちにシャットアウトされているものである。

 しかしながら、一度表面に浮かび上がると、とめどなく記憶は溢れ続ける。


 そして、大体において、一つの疑問へと収束する。

 すなわち、あの時の仲間は、現在、どこで何をしているのだろうか、と。

 

「俺は左遷されたぞお」


 馬鹿をやってないで、家に帰って早く寝よう。

 来た道を引き返し、雑木林を抜ける。

 

 しかし、そこにあるはずの公園がない。

 それどころか、ありえない光景が広がっている。


 眼前に湖がある。

 湖の周囲には鬱蒼とした森が広がっている。その樹皮は月に照らされ、妙に白く輝いている。

 

 森の一画に神殿が建っている。

 古代遺跡と呼んでもおかしくないような荘厳な佇まいであり、こんな何でもない郊外都市に存在することが許される代物ではない。


 

 

 好奇心を抑えきれず、神殿に近づく。

 ところどころ石壁が崩れており、一面、蔦植物に覆われている。


 おっかなびっくり、石段をのぼり、石柱の間を通って神殿内部に侵入する。


 高いところにある天窓から月光が射し込んでおり、神殿の中は明るいものの、ひんやりとした空気が停滞している。

 どういう仕掛けなのか、石畳の表面も僅かに青白く発光している。

 そして、石畳の上には、アイリスの群青の花弁が散らばっている。

 

 静謐そのものだ。


 かすかな違和感を覚えて、神殿の奥に目をやる。

 そこには舞台があり、舞台の上にはアンティーク調の巨大な宝箱が置かれている。

 そして、宝箱を挟んで並び立つのは、2体の像。

 異物でありながら、しれっと、最初からここに居ましたという雰囲気をアピールしている。 


 まるで異世界に迷い込んだような気分だ。




 どれだけ時間が経ったのだろうか。酔いは冷めやらぬが、不思議と頭が冴えてくる。


 しかし、この場でもっとも違和感があるのは、奥の2体の像だ。

 遠くからまじまじと観察する。


 ニ体とも、鶏冠のついた兜をかぶっており、顔面は仮面で覆われている。

 その姿は、まるで古代ローマの兵士のようだ。

 ニ体同体というわけではないようで、左の像は、青いマントを羽織り、華やかである。

 対する右の像は、黒ずんだ甲冑を身に着けており、質実剛健という感じだ。


 非常に凝った造りであり、いかにも動き出しそうな雰囲気がある。

 なんなら、先ほどまでとは立ち位置が変わったようにも思われる。

 

 ゆっくりと天窓を仰ぐ。仰いだふりをして、像に目を向け戻す。


 ガシャッ!


 僅かな金属音が聞こえてきた。

 気づかないふりをしてもう一度天窓を仰ぐ。と、見せかけて素早く像を睨む。


 ピタッ!


 睨んだ瞬間に青い像が止まった。確かに今止まった。片足が動いたのを俺は見た。

 俺は確信する。

 あれは、目を離した瞬間に襲いかかってくるタイプのやつだ。


 汗が噴出し血流が早くなる。

 慌てるな。注視している間は、青い像は動かないのだ。

 目を離さない。絶対に離さない。そうすれば、問題は起きない。


 ちなみに、もう一体の黒い像は完全に沈黙しているようだ。




 神殿内を艶めかしい風が吹き抜けていく。

 アイリスの花弁がくるくると宙を舞う。


 嫌な予感がする。


 俺は、像から目を離し、神殿の入り口付近に目をやる。

 そこには、壁面の陰として一際黒ずんだ暗闇が広がっている。

 その中から、影が立ち上がる。人型を形成する。

 

 硬い石畳に、コツコツと規則正しい足音が響く。

 何かが、こちらに向かっている。


 足音が唐突に消える。その瞬間。


 俺の鼻先で、光がきらめく。

 それは、俺に向かって、緑の半円状の軌跡となって放たれたものである。


 ギィィィィィン!


 途方もなく巨大な金属音が、神殿内にこだまする。


 俺の眼前には、青い像が立っている。

 こちらに背を向けてその場に踏ん張っている。


 その背中越しに向こうを覗く。


 全身黒尽くめの怪しい者がこちらに対峙している。

 フードを目深にかぶり、その人相は見えない。


 僅かな時間、青い像と黒尽くめは睨み合う。

 しかし、それは、一瞬でしかない。

 黒尽くめは、曲刀を振るって鋭く円弧を描き、青い像に切りかかる。

 しかし、その目的を遂げることはない。青い像の頑丈な手甲に弾かれ、激しい火花をきらめかせるにとどまる。


 黒尽くめの連撃が途絶えたところで、青い像の大ぶりなパンチが繰り出される。

 黒尽くめは柳のように上半身をしならせ、華麗にこれを避ける。次いで、大きく後退し、軽やかにステップを取り、陰影の中に戻る。

 そのままじっと動かず、こちらの様子を伺っている。




 乾いた空気を感じる。


 いつの間にか、俺のジャケットの袖端が、鋭く切り裂かれている。

 何の立ち合いなのかはわからないが、ひどく緊迫しているようにも思われる。


 ふと閃く。


 そうか。これは、お芝居の稽古だ。

 その一幕に、酔っぱらいの俺が紛れ込んでしまった。そういうことなのだ。

 

「これは、失礼……」


 俺が口を開いた瞬間。

 黒尽くめは俺に向けて何かを投擲する。


 青い像は手を伸ばして、投擲物に触れ、僅かにその軌道を変える。

 投擲物は、俺の直ぐ側に突き刺さる。

 

 それは、ナイフである。

 鋭利な刃先が、冷たく光っている。


 黒尽くめは、俺を殺すつもりだ。

 剥き出しの殺意を浴び、死の恐怖が現実的なものとして俺を襲う。

 しかし、俺は酔っ払っている。まともに戦うことも逃げることもできそうにない。

 

 警察は110番だ……。

 


 

 黒尽くめが、大きく足を踏み出すと同時。

 神殿外から、遠吠えが聞こえてくる。


 僅かな時間、黒尽くめはその場に立ち止まる。そして、バックステップの後、驚異的な跳躍を見せ、天窓へと飛び移る。

 そのまま、神殿の外へと姿を消した。



 

「ふぅー」

 

 すっかり、気が抜けた。ついでに腰も抜けた。

 

 それは青い像も同じだったようだ。

 ガシャンと音を立てて、青い像もその場にへたり込む。


 天窓から夜空が小さく見える。

 肉眼に映る星の数がやけに多い。

 

 これは殺人未遂事件であり、許されざる犯行である。

 とはいえ、危機を脱して、心はとめどなく緩んでいく。


「怪我はありませんか?」


 青い像の手甲を確認するが、傷一つない。


「助けてくれてありがとうございます」


 奴は夜空を見上げたまま、素知らぬ顔をしている。




 唐突に、神殿の外から人の声が聞こえてくる。


「アルフィオ様。危険です、お待ち下さい!」

 

 次の瞬間。

 神殿の入り口から、一人の少年が現れたのだった。

文中の、「一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ」は、セルバンテス(『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』の作者)の名言からの引用です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] まだ1話の途中を読んでいるところなのですが [気になる点] ついさっきから読ませていただいています。 あくまで感想ですが、「一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてし…
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