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第八話  恋



「卓之介さま!」


 女、陽炎(かげろう)は縹が入っていった団長室の扉にすがりつくようにすると叫んだ。

 しかし部屋の中にいる縹からの返事はなく、静寂が訪れる。


「なぜ……貴方はこのわたしを……」


 陽炎がつぶやく。悲しげなその声をまどかは壁に張り付きながらじっと聞いていた。涙を含んだ、湿った声だった。


「わたしは――貴方様に愛していただかなくては――……」


 扉の向こうから、返事はなかった。



  <第八話:(こい)



 まどかは思わず息を飲んだ。

 陽炎という女性の、切実なる懇願の声を聞いてしまったからである。まどかはこれまでのお気楽な人生で、女の内に秘めたような懇願の声を聞いたことなど無かったからだ。


(あの陽炎って人……縹卓之介が好きなのね……)


 それにしても、『貴方に愛していただかなくては』とはどういう意味だろう。そう疑問を抱いた瞬間、急にまどかは喉の奥で悲鳴をあげた――というのは、何者かがまどかの口元を後ろから手のひらで覆ったのである。


「むぐっ!?」

「静かに! 陽炎さんにバレるぜ」


 背後から顔を覗かせたのは佐々波乱歩だった。


「あ、あなたは……桜月さんと一緒にいた金髪ツンツンヘアー男さん」

「はあ? 俺は第一師団長および団長補佐の佐々波! よろしくって言ってる場合じゃねえな……あんた、団長と陽炎さんの会話を盗み聞きするなんて――なんて女だよホント」


 そう小声で言う佐々波のほうをまどかはすばやく振り向く。


「なんて女とはどーいう意味ですか! 失礼なっ!」

「ばっ……かっ、声がでかい!」


 佐々波が咎めるも遅く、曲がり角の先にいる陽炎が二人の気配に気付き、静かな、それでいて艶のある声で言った。


「そこに誰か?」


 顔を見合わせるまどかと佐々波。きょとんとするまどかを呆れ顔で見ると、佐々波は陽炎の前に姿を現した。


「こ、こんちわー……陽炎さん」

「佐々波殿?」

「はは……団長に呼ばれましてね……」


 へら、と笑う佐々波だったが、その顔には汗が浮いている。陽炎はそれに気付いたのか定かではないが、涼しい顔を崩さない。


「卓之介さまならお部屋に」

「あ、そうみたいっすね……はは…」

「――わたしはこれで。政務がございますので」


 軽く頭をさげると、佐々波の顔を見ることもせず陽炎は着物の裾をあげて急ぎ足で廊下を駆けた。

 するとL字の角を曲がったところでまどかにぶつかりそうになる。


「あっ……申し訳ありませぬ」

「えっ――い、いいえ。」


 まどかとも目を合わせずに、陽炎は玄関ホールへと消えていった。

 その後ろ姿を見送るまどかの元に、佐々波が歩み寄って頭を掻いた。


「はあ……。いつになっても陽炎さんとの会話は緊張するぜ」

「あの人はいったい?」


 佐々波はすこし早口に言う。


「第三師団長の陽炎さん。“師団長”ってのは後でフタバから聞いてねー。ま、とにかく女性で第三師団長まで出世したのは教団創立以来、陽炎さんだけらしい。つまり強いんだよ、あの人」

「へえ〜」

「んで、見ただろ、あの人色っぽいんだよねー。でもあんま人と喋らないからよく分かんない人なんだ。歳は何歳だっけ? 俺のひとつ下だから二十五歳かな? ――しかもあの人、我らが団長の婚約者」


 まどかは目を丸くさせた。その驚きように佐々波が笑っている。


「ああああああの縹卓之介に婚約者がっ!?」

「そーそー。まあ団長は結婚する気なんてないけどな。だから陽炎さんが気の毒なんだよ。あの人、本気で団長が好きみたいだから」


 まどかは廊下の角から覗き見したときの、陽炎の様子を思い出していた。

 縹が去った後の団長室の扉を見つめる悲しげな瞳――縹の名を呼ぶ声――あれはまさしく本当に恋する女のものだった。


「縹卓之介は陽炎さんと結婚する気はないのね。それなのにずっと縹卓之介を好きでいるなんて……なんて一途なのかしら、陽炎さん」

「へ? あ、うん、そーね……」


 この人のテンポが掴めない。声には出さないが佐々波はそう思っていた。


「あっ! そうだ! 私、フタバ君の誘拐犯を捜していたんだわ!」


 急に声をあげたまどかを佐々波がいぶかしげに見る。


「フタバ? フタバなら庭で雪かきしてるぜ。俺が頼んだんだ」

「あなたが誘拐犯だったんですね!?」

「はああ?」


 勝手に佐々波を誘拐犯扱いすると、まどかは言うが早く廊下を走り出す。背後で佐々波がなにか呼び止めていたが、気にすることもなくまどかは教団の中庭を目指した。

 庭にはすぐたどり着いた。ここに来るまで、陽炎にも会うことはなく、他の団員にも会うことはなかった。


 庭では、灰色の空の下、小さな噴水の辺りでフタバが雪かきをしていた。

 佐々波から借りたのであろうか、白い上着を着ていた。フタバの半袖、半ズボンの格好ではさすがに雪かきは辛いだろう。


「フタバくーん! もー! お姉ちゃん心配したんだからあー!」


 言いながら駆け寄ると、フタバも驚いた顔をして振り向いた。


「ね、姉ちゃん?」


 昨晩以来なのに、なぜか長い間会っていなかったような気がする。

 そう思いながらフタバは雪かきの手をとめると、雪を踏みしめながらまどかに駆け寄った。



  < 2 >



「でねっ、団長室の前で縹卓之介と陽炎さんって女性に会ってね。佐々波さんが言うには二人は婚約者みたいなの。陽炎さんってすっごく美人な人でね。なんていうのかなあー、桜月(さつき)さんみたいな綺麗系じゃなくってー、飲み屋の若いママって感じの美人さん。第三師団長って佐々波さん言ってたわ。ところで第三師団長ってなに?」


 一気にそう言いきると、まどかは笑顔でフタバの返答を待っていた。

 二人は中庭のベンチに腰を落ち着けている。ベンチに積もった雪を除いたとはいえ、やはり臀部がすこし冷たい。


 フタバは“師団長”が団長に次ぐ階級のことだと説明してやった。


「佐々波さんが第一師団長で、桜月さんが第二師団長。そのかげろーさんって人が第三師団長なんだね。第十師団長までいるんだって」


 まどかは興味なさげに空を仰ぎながら相槌した。

 そしてしばらく何か考えている様子で、フタバは黙っていた。まもなく、まどかが口を開いた。


「あのねフタバくん、私、気付いたことがあるの」


 そして彼女にしては珍しく真剣な顔を見せた。


「この千年王国――ううん、白の国だけかもしれないけど、どうも変じゃない? “私たちの国”と似てる気がしない?」

「オレたちの国と似てるって?」


 まどかは辺りを見渡し、誰も人がいないのを確かめると神妙な面持ちで言った。


「“日本と似てる”って思わない? 最初から違和感を感じてたの……だって異世界なのに、みんな名前が漢字で、日本人の名前じゃない。すこし珍しい名前だけど。」

「でも建物はドラクエみたいじゃん」

「そうなの……建物だけは西洋風だよね」


 すこし間を置いて、まどかは落ち着きを取り戻すように深呼吸する。


「――で、さっき陽炎さんって女性の話をしたでしょ。彼女、驚くことに着物を着てたのよ! 団服じゃないのは彼女の好みかもしれないけど――おかしいよね! 着物なんて日本の文化よ? なんで異世界のこの国に“着物”なんて概念があるのかしら?」


 実を言うと、フタバはまどかの話の内容より、姉が一年に一度くらいしか見せない真面目な表情のほうに気をとられていた。

 それに、この国おかしくない? と聞かれたところで、フタバには曖昧に肯定しておくことしか出来ないのだ。


「私、思うのよ」


 膝のうえで拳を作ると、まどかは声を低くした。


「この千年王国と私たちの暮らしてた現実世界――なにか“繋がり”があるって。どこか繋がっているから、同じような文化が生まれてるのよ」


 フタバは答えなかった。



<第八話 「恋」・終>




 





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