第五話 劔
「なんと! 井上まどかさん、井上フタバ君、はるばるよく来たのお! まさしく期待通りの可愛らしい姉弟じゃ!」
「よく言われます〜」
「…………。」
フタバは落ち着かないのを隠せないでいた。
今日、フタバとまどかは桜月に連れられ城に来ている。国王に謁見するためだ。教団の本部の真上に位置する城まで、長い坂道を登るのに苦労したものだった。
「ワシは白の国の国王じゃ! よろしく頼むよ!」
「はあ……。」
応接室だろうその部屋は、教団の本部と同じように白を基調とした装飾が施されていた。それに映える真っ赤な椅子に、人の良さそうな老翁の国王は埋もれるように身体を沈めていた。
「九十九くんもご苦労だったね。」
国王はフタバ達に付き添っていた桜月にも微笑みかけた。
「いえ……」
「ふむ。久しぶりに会ったが相変わらず綺麗だねえ九十九くんは! “女性だったら”王室で囲むのだがのお」
「王様……ご冗談を」
国王の言葉にフタバとまどかはひどく驚く事となった。
「あの、王様?」
「なんだねフタバ君」
「桜月さんって、もしかしなくても、男?」
途端に国王は大口を開けて笑い声をあげた。それを見て桜月が眉を寄せて少しきつい声で王を窘める。
国王の目がいたずらっぽく光った。
「ほほほ! フタバ君、やはり君も勘違いしとったかね。九十九くんは立派な男性だよ」
「ええー! そうだっだの、私ったら普通に勘違いしちゃってたのね」
まどかが驚きを隠せずに言った。フタバは苦笑している桜月を見上げてみるが、どう見ても見た目麗しい女性にしか見えない。不思議なこともあるものだ、と妙に感心してしまった。
「ところで」
国王が一息ついて言った。
「君たち姉弟をこの千年王国に呼んだ理由だがね、悪いが今は言えないのだよ」
は? と国王以外の三人が声を合わせた。相変わらず国王は大きな身体を揺らして笑っていた。外では雪がしんしんと降っているので、応接間の中にその笑い声はよく響くようだった。
「今は言えないとは?」
桜月が言った。髭を擦りながら国王は答えた。
「言うべき時ではないのだよ、九十九くん。今、そこの姉弟はまだこの世界の事を何も知らない。そんなときに呼んだ理由を言ってもね」
「でも……、いつ言って下さるのですか? 出来る限り、お二人を早くもとの世界に帰してあげるべきだと私は思いますが」
それには国王も頷いた。しかし考えを曲げることは無かった。
「九十九くんに言われようとも、今は言うことが出来んのだ。必ず、言うべき時は来よう。それまでフタバ君とまどかさんにはこの国に滞在してもらいたい。――そこで、団長の縹君にお願いして、白の教団にしばらく置いてもらうことにしたよ、九十九くん」
老翁は満足そうに三人の顔を見渡すと、話は終わったとばかりに口元を結び、より深く椅子に身体を沈めた。
「あの、私とフタバ君――教団ってとこで生活するんですか?」
まどかが聞いた。国王はいかにも、と小さく言った。
桜月が何か言おうと口を開けたが、息を飲むだけに終わった。
<第五話:劔>
まもなく謁見は終わった。
三人は帰りの坂道を下っていた。雪が積もって肌寒かった。フタバは昨日と同じくパーカーと半ズボンという服装なので、震えが止まらない。それをまどかがしきりに心配していた。
「大変なことになりましたね」
黙っていた桜月が出し抜けにそう言ったのでフタバは少し驚いて彼を見た。
城の応接間から退室して以来桜月は無言だったので、教団でフタバ達が世話になることに腹を立てているのではないかとフタバは内心、不安だったのだ。
「なんか……ごめんなさい迷惑かけて」
「とんでもないですよ、まどかさん。――私が心配なのは、お二人のことです」
ふと立ち止まって、桜月がフタバとまどかの方を振り返る。
その声はすこし鋭くなっていて、やはりフタバを少し不安にさせた。
「お二人がこれから生活をするのは王室護衛団『白の教団』。それがどういう事を意味するか分かりますか。非常に危険な場所なんです。――……昨日、見たでしょう。本部に来る途中、森で男に襲われたときの私を」
彼はどこか遠くを見ているようだった。
フタバは思い出していた。森で、桜月が敵国の男を殺した時のことを。
「怖かったでしょう、私」
「そ、そんなこと……」
「ふふ。いいんですよ。分かってますから」
歩きましょう、と桜月が言ってまた三人は歩を進めた。
坂道は雪のせいで些か滑った。いまだに雪は僅かだが降り続けている。白い団服の背中に流れる桜月の黒髪は何度見ても綺麗だった。この女性よりも綺麗なこの人が、虫も殺さないような顔のこの人が、平然と人を殺すのだ。
「あなた達がこれから身を置く教団は“そういう所”ですよ。王室を護るためなら、誰であろうと殺します。それがたとえ民間人でも。」
「民間人でも殺すって……?」
桜月は徹底して表情を変えなかった。これまでずっと微笑んでいたその口元は、今ではぎゅっと結ばれている。
「国王を護るのに邪魔になるようなら、国民でも容赦なく斬り捨てる。教団は、あくまで王室を護るために存在するのです。――分かりますか。私達は国王のために刀を持ちますが、決して正義の軍隊ではないのです。そんな教団にあなた方が身を置くのが……私は心配なんです」
そう一気に言い切ったとき、三人は教団に到着していた。
フタバとまどかは黙っていた。民間人ではなく、王室“のみ”を護る軍隊。そんなものがあるのか、と他人事のようにボンヤリと思っただけだった。
「お、帰ってきたか」
門番に挨拶をし、門をくぐると佐々波が庭でシャベルを手に立っていた。
丁寧に整えられている庭の木々には雪が積もっていた。小さな噴水も雪に隠れている。佐々波はどうやら雪かきに精を出しているようだった。
「どうだった王様は?」
「相変わらずです。フタバ君とまどかさんをこの国に呼んだ理由は教えてくれませんでしたけどね」
「へえ?」
佐々波は横目でフタバとまどかを見た。ツンツンと立てている金髪が雪の白さのなか、やけに眩しい。フタバはじっと佐々波を見つめ返すと、彼は歯を見せて笑った。軽々しいが、妙に爽やかな笑みだった。
「こんちわ。井上フタバ君に、井上まどかさん。俺、佐々波。ゆっくり挨拶したいとこなんだけど、ちょっと桜月と二人で話がしたいんだ。中に入っててもらえるかな」
飄々とした口調で有無を言わさずにそう告げる。
佐々波は戸惑うフタバとまどかを半ば無理やり、本部の中に入れさせる。庭に残ったのは桜月と佐々波だけになった。
「佐々波さん? 私になにか?」
そう問う桜月の前で、佐々波は背を向けて雪かきを再開し始める。ザク、という雪の音が断続的に静かな庭に響いた。
「お前、井上姉弟をここに連れてくる途中、なんかしたか?」
「“何か”、ですか……」
迷っているように少し押し黙ると、桜月はゆっくりと森で敵国の兵に襲われたことを説明した。するとそれを予想していたのだろう、佐々波にたいして驚いた様子はない。
「それで『花宵待』を抜いちまったのか? 怒られるぜー団長に。あの人、お前が一人で刀を抜くのに厳しいもんな。」
佐々波が桜月の腰にさげている刀のひとつを指差す。淡い光を帯びたあの不思議な刀だ。
「――仕方なかったんです。黒の国の兵でした」
「黒の国か……」
集めた雪の山にグサリとシャベルを刺す。空を仰ぐと、灰色の雲から青白い雪が舞い始めていた。
ここもすぐ、戦場になる。真っ白なこの白の国も、すぐにどす黒い血に染まる。口をきつく噤んでいる二人は、確信に近くそう悟っていた。
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一方、本部の中に入るよう促されたフタバとまどかは、大人しく玄関ホールで桜月と佐々波の話が終わるのを待っていた。
「なんか私達って厄介者みたいになっちゃってる気がしない?」
手近の見事な細工の彫像を眺めながらまどかが言った。フタバも否定しなかった。
「勝手に呼んだのは王様なのにね〜」
「姉ちゃん、ほんとにこの教団ってとこで暮らすの? これから。」
まどかは黒目の大きな瞳をフタバに向ける。弟は不安そうな顔をしていた。それをほぐしてやるように、まどかはいつもの様に明るく笑った。
「いいじゃない。桜月さんたちもいい人だし」
む、とフタバは口を結んだ。そういうことが言いたいのでは無いのだ。
「でも、桜月さん言ってたじゃん。ここって結構、危ない場所なんだって。普通の国民でも殺しちゃうようなとこだよ?」
未だに納得できない節があるらしいフタバは小さな背で精一杯まどかに訴えている。
それがなんだか痛ましく見えて、まどかは悲しく思えた。
「だいじょーぶ、フタバ君!」
淀む空気をかき消すように、努めて明るい声を出した。
「私達、ひとりじゃないもん。フタバ君が危なくなっても、私が守ってあげるから。だって私は頼れるまどかお姉さんだもの!」
そう笑うまどかを、フタバはなぜか凄く頼もしく思えた。
いつもは能天気にニコニコしていて、危険を危険とも気づかず突っ込み、小学生の自分が心配するような姉なのに。
どんな状況でも前向きに笑っていられる。――それがまどかの最大の武器なのだろうか。フタバはそう気付き、つられて笑うのだった。
そのときだった。
「誰だ、お前ら?」
玄関ホールに現れたのは、桜月達と同じく白い団服に身を包んだ上背のある男。煙草の臭いがフタバ達の鼻を刺した。
男はフタバ達の近くに近寄ると、蛇のように鋭い目つきで二人を見下ろした。まさに蛇に睨まれた蛙の状態になってしまったフタバは、まどかの背に縋りつく。
そんなフタバとは対称に、まどかは勇ましく男に食いかかった。
「あ、あなたこそ誰です? 普通は自分から名乗るものですよ!」
「ほお。やけに強気な姉ちゃんじゃねえか」
男はニヤリと笑う。煙管を口元から離すと、低いがよく通る声で言った。
「俺は縹だ。縹 卓之介。白の教団の団長だ」
――団長?
ポカンと口を開けたフタバとまどかの顔はそっくりで、思わず男は小さく吹き出したのだった。
<第五話 「劔」・終>
「劔」とは「剣」と同じ意味です。