第四話 血・2
「さ、桜月さん…?」
静寂が訪れていた。それを破ったのはフタバの間抜けな声。
桜月が淡い光を帯びた長刀を一太刀、男に振っただけで、巨体の男は倒れたのだ。草むらに埋もれるようにして倒れている男。胴体の斜めに走る刀傷からは絶え間なく血が溢れ出ている。
何が起こったのか分からない。
まるで桜月が魔法を使ったようだった。軽く太刀を浴びせただけで大男を絶滅させるなど。フタバは桜月の後ろ姿をじっと凝視した。
「桜月さん……?」
長い髪が揺れて、桜月はフタバとまどかの方を振り返った。手にしている長刀を鞘に戻すと、今までと同じようににっこりと笑った。
「邪魔が入りましたね。さあ、行きましょう」
今までと同じ柔らかな微笑みなのに、それがフタバにはどこか恐ろしく感じられた。桜月の白い頬に男の返り血が飛んでいる。それを桜月は、何事も無かったかのように拭いて歩き出した。
敵といえども、人を殺してもなお今までと同様に微笑んでいられる。
それが立派な事なのか、フタバには分からなかった。
<第四話:血(2)>
その後は何事もなく森を抜けることが出来た。森の先に広がっていたのは僅かな雪に彩られている長い長い坂道だった。坂道の果て、見上げる程の高さには城が聳えていた。城の周りは崖になっている。
「わあー! お城ね!」
歓喜の声をあげるまどかの横で、フタバも興味津々に辺りを見回していた。民家はひとつもなく、ただ坂道の先に城があるだけだ。
「あれが白の国の国王様がいる城です」
桜月はそう言うと、城へ続く坂道のほうへは向かわず、その脇を通って先を進んだ。フタバとまどかも後を追う。
坂道をぐるりと回ったところに巨大な建物が姿を現した。西洋風の外観だった。三階くらいあるだろうか。横に長い建物だった。全体的に白い。庭のようなものも見えた。フタバはぽかんと見ているが、まどかは中世ヨーロッパの貴族が住んでいそうね、という感想を抱いた。
「私達、白の教団の本部です」
桜月は言いながら庭を横切った。護衛部隊の兵たちが生活しているとは思えないほど、綺麗に整備された美しい庭園だった。
やがて大きな両開きの扉が三人の前に立ちはだかり、それを桜月が開けた。重そうな音をたてながら扉が開く。
扉の先に広がった光景に、まどかとフタバは感嘆の声を漏らした。
「きれーい。ベルサイユ宮殿みたいねっ、フタバ君!」
「すげー。本当にドラク●みたいだー」
そこは玄関ホールのようだった。広々とした空間に、所々銅像や彫刻が置かれているだけの場所だ。床は綺麗に磨かれていて、三人の姿を映している。
天井までは吹き抜けのようで、階上にはいくつも部屋が連なっていた。天窓からは夕日が注いでいて、ホールを淡いオレンジ色に染めている。
「おっ、桜月じゃねーか。帰ってきたのか。」
玄関ホールの右側にある廊下から青年の声がした。フタバ達は同時にそちらを向く。そこには桜月と同じ団服を着た金髪の青年がひとり、立っていた。金髪をツンツンと立てており、飄々とした雰囲気のその青年は、フタバとまどかに軽々しい印象を与えた。
「ああ、佐々波さん。」
「そっちの二人が例の“国王の呼び人”か? へえ、一人はまだチビじゃないの。ふんふん。なるほどね。あんたら、本当に異世界から来たのか?」
馴れ馴れしく尋ねてくる佐々波に、フタバは眉を寄せた。
「異世界から来たっていうか……知らないうちにここにいたんだ。」
「へえ。つーかお前ほんとにちっさいなー。何歳?」
「……十一歳。」
うそー、と佐々波は大げさに驚いていた。馬鹿にされた気持ちになったフタバは、ふん、と他所を向く。桜月がクスクスと笑って言った。
「佐々波さん、縹さんは?」
「団長なら部屋だぜ。全く、あいかわらず周囲の迷惑考えずに煙草ばっか! 俺もう嫌だぜホントあの上司。何? さっそく“そいつら”見せにいくのか?」
「うーん……どうしましょうか」
桜月と佐々波は同僚らしかった。団長のところへフタバとまどかを連れていくか相談している。しばらくそれを眺めていたフタバとまどかだったが、突然、まどかが口を挟んだのだ。
「あのう。団長ってここの一番偉い人ですよね? 私会ってみたいです!」
「ね、姉ちゃん!」
図々しいお願いをする姉を抑えるフタバ。小学生の弟が二十二歳の姉の言動を咎めるのもどうかと思ったが、今は仕方が無い。
まどかの懇願に桜月と佐々波は顔を見合わせ、二人して表情を歪めていた。
「会わせたいのは山々なんですけど……その、団長っていうのが……少し癖のある人でして」
続けて佐々波が言った。
「そーそー。高慢で自分勝手でやりたい放題の! 会わないほうがいいと思いますよー?」
まどかは大人しく頷いた。その様子にフタバは少なからず驚いた。まどかが自分の欲求を大人しく諦めるなど珍しいからだ。
「今日は部屋をお貸ししますから、そこで休んで下さい。団長に会うのは――明日、国王様に会ってからにしましょう」
桜月の提案をフタバとまどかは受け入れた。
団長に頼まれた仕事がある、と佐々波は嫌そうに元来た廊下を引き返していく。フタバとまどかは桜月に連れられ、佐々波が向かった反対の、玄関ホールの左側の廊下を進んでいく。
案内されたのは、建物から渡り廊下を通った先にある別館だった。
小さい建物で、入るとすぐに廊下になっており、部屋がズラリと並んでいるだけだった。
「ここは寄宿舎です」
桜月が廊下を歩きながら言った。
「きしゅくしゃ?」
「労働者とかが宿泊して起居寝食する施設よ、フタバ君。」
「へー。姉ちゃんよく知ってるね」
「ふふん、まどかお姉さんをナメちゃだめよ」
言っているうちに、三人は一階の最奥にたどり着いていた。扉の前に立つと、桜月が扉を開けて二人を中に入るように促した。
「ここが空き部屋ですから使って下さい。あとの部屋は団員たちがいますので」
「桜月さんは?」
「私の自室は寄宿舎ではなく本部の方ですので。何かあったら本部に来て下さい。――ではまた明日の朝、呼びに来ますね」
二人が簡単なお礼を言うと、桜月は微笑みながら扉を閉めて行ってしまった。
桜月が廊下を引き返していく音を聞きながら、まどかが言った。
「素敵な人ねー桜月さん。綺麗だし上品だし。清楚な大人の女性って感じで。私とそっくり」
「……そうだね」
突っ込む気にもなれず、フタバは部屋の中に視線を移した。団員達の生活する部屋にしては大きい部屋だと思った。ベッドやテーブルなど、簡易な家具もある。至って普通の、シンプルな部屋。しかし二人で一晩明かすには若干狭いか。
「なんか色々あって疲れちゃったね」
まどかがベッドに腰掛けて、そのまま横になった。ヒール靴はそのままだ。肩までの、ふわっとしたウェーブの茶髪がシーツに広がる。
「……姉ちゃん、森で男の人に襲われたとき――見た? 桜月さんの不思議な刀」
「ああ、ピンク色の綺麗な光の? あれ何かしらね。」
男の血が流れる有様を思い出して、フタバは身震いした。しかしそれよりも、桜月が頬に返り血を浴びてまでも微笑む姿のほうが恐ろしく思い出された。
(王様を護る部隊って言ってたし……やっぱよく人を殺してるのかな)
難しいことを考えたくなくなって、ベッドに座るまどかの横に腰をおろし、ゴロリと横になった。薄暗い天井が見えた。まもなく夜になるだろうか。
(無事に元の世界に帰れるのかなあ)
――神が支配している千年王国。戦争をしている、ここ、白の国。
何か大変な事態に巻き込まれそうな不安を、フタバは消すことが出来ないでいた。
<第四話 血(2)・終>