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第二十八話  巡

1万文字近くあります、実にすみません。

佐々波とリリス、陽炎と草音、早乙女とフタバ、三つの場面が出てきます。



 言いようのない困惑の影が佐々波の眉間に刻まれていった。彼は心の動揺を抑えようと必死だった。


(ちくしょ……あの男、ヤバイ雰囲気がする。上手く逃げられるか……?)


 玄関ホールに佇む佐々波を、螺旋階段の踊り場から見下ろしてくる男。佐々波の視線はローブを纏った男に捉えられたままで逸らせないでいる。以前対峙した魔導衆のメンバーであるリリスとは比べ物にならないほど、禍々しい空気が男から放たれていた。虫けらを見つめるように佐々波を見下ろしてくる冷酷な瞳。床にまで達しそうな長い黒髪が蝋燭の火と共に揺れている。

 男は一言も言葉を発しない。佐々波も唇を戦慄かせるだけで言葉にならなかった。そんな二人の奇妙な空気を断ち切ったのは高飛車な女の声。


「サタン様ぁ! そいつ! ツンツン金髪の師団長! アタシが殺し損ねた奴です!」

「っ!?」


 螺旋階段を駆け下りてくる足音。その女の声に佐々波は聞き覚えがあった。甲高く耳障りなその声をどこかで――。螺旋階段を下ってきて男の隣に現れたのはリリスだった。黒髪のウェーブの髪をツインテールにした少女。黒尽くめの衣装は胸元と腰周りしか隠していない大胆なものだ。白肌が蝋燭の明かりにボンヤリと浮かび上がっている。その姿を目に捉えた瞬間、佐々波は彼女との出会いを思い出した。井上姉弟と共に市場へ赴いた際、フタバを殺すために現れた少女がリリスと名乗っていた。そしてリリスの“魔女の麻薬”浴びて重体に陥ってしまった己の不覚さも思い出してしまい、佐々波は奥歯を噛んだ。


「アタシに任せてください!」


 リリスの顔は憎しみに歪んでいた。只でさえ釣り目気味のその瞳がさらに釣りあがっている。少女らしい可憐さは微塵も感じられなかった。



  <第二十八話:(めぐる)



 リリスは螺旋階段から飛び降りると同時に懐から短剣を取り出す。短剣片手に迫ってくるリリスを前にして、佐々波も慌てて腰の刀を抜く。抜いた刀は幸い短いものだったので、迫り来るリリスの刃をギリギリで受け止めることが出来た。交わった二人の刃が金属音を響かせる。視線だけで相手を射殺さんばかりの憎悪を剥き出しにするリリス。彼女は佐々波を見上げて言い放った。


「アンタがあの時邪魔しなければっ! 井上姉弟を殺せてサタン様に褒めてもらえたのよっ! 今度こそぜったいにアタシが殺す!」


 とても十代の少女とは思えないほどの剣幕。リリスの金色の目が憎しみに光っている。


「まあ落ち着けって! この状況で魔導士のあんたと剣士の俺じゃ、あんたが不利なこと分かってんだろー!? ――ってオイ!」

「うるっさい!」


 佐々波の言葉を遮る様にしてリリスが短刀を翻す。佐々波の団服の肩に切れ目が走った。話して分かる女じゃないな……佐々波はリリスから距離を取るように後ずさりながら冷静に考える。今はこの場から逃げることを優先しなければならない。リリスと戦っている場合ではないのだが――。


「かかって来なさい! 絶対殺す!」

「おっかねー。黙ってれば美人なのに台無しだぜ?」

「だ、黙んなさい!」


 佐々波の軽口が逆鱗に触れたのか、リリスは声を荒げる。リリスは右手に短刀を持ったまま左手を佐々波に見せ付けるように掲げた。するとその手の平から(もや)が立ち上ったかと思うと、黒い粉末がブワリと舞い上がる。蝶が燐粉を撒き散らすかのように、リリスが左手を動かすたびに粉末が宙を舞い、床に落ちていく。


(ちっ……“魔女の麻薬”か……!)


 ますますマズイ事になってきた、と佐々波は小さく舌打ちをする。リリスは人体に悪影響を及ぼす麻薬を自在に操ることが出来る。その麻薬の危険さは佐々波自身が身を以て知っていた。刀同士の戦いならどうにか切り抜けられると思ったが、リリスが魔術を使う気ならばこちらも甘んじてはいられない。

 佐々波はまだ腰に残したままのもう一つの短刀をすばやく抜いた。短い二つの刀。この二つが佐々波が神から与えられた武器。佐々波が二つの刀を手にしたのを見て、リリスがいたずらっぽく笑った。


「それがアンタの神器(じんき)ね。ふぅん、アンタ、二刀使いなんだ。でも相手が悪かったわね! その刀の切っ先がアタシに触れる前に――アンタは麻薬を吸い込むのよ!」


 苛烈な笑顔を浮かべるリリスに、佐々波も口角を上げて余裕を見せた。


「……へっ! どんなに効き目のある麻薬だって所詮は只の粉だろ? 風が吹けば粉は舞う。風を起こせばアンタの麻薬だってどっか飛んでっちまうぜ!」

「え?」


 きょとんと目を見開くリリス。そういう隙を見せるところはまだまだ少女だ。そんなリリスを横目で見ながら、佐々波は手に持つ二つの短刀を交差させるようにして床に突き立てる。佐々波の行動が理解出来ず佇むリリス。螺旋階段の踊り場にいるローブを纏った長髪の男も、ヒスイ色の瞳を光らせその様子を見下ろしている。


「吹け――『対刀(ついとう)鳳翼天翔(ほうよくてんしょう)』!」


 佐々波の声が塔の中に響く。その瞬間、天高く伸びる塔の中、なにかを貫こうとする勢いで風が吹いたのだ。それは佐々波が持つ二つの短刀が淡い緑色に光り、刀身が風を巻き起こしたものだった。佐々波が着ているロングコート状の団服の裾が舞い上がり、壁に掛けられた大量の蝋燭の光が一斉に揺れる。リリスが思わず風から身を守るようにして腕で顔を覆う。重い空気の波がリリスを襲い、彼女の左手の麻薬が一瞬にして風に吹かれて吹き飛んでいった。


「あ! アタシの麻薬が!」

「変な女の子に捕まってヤバイと思ってたけど……逆にアンタが麻薬使いで良かったかもな? 俺の刀との相性が良いみたいだ」


 佐々波がよいしょ、と呟きながら立ち上がる。両手に持つ短刀は風を纏い、刀身を美しい緑色に染めていた。


「俺の『対刀・鳳翼天翔』は風属性なんでね。相手が悪かったな。今回は前のようにはいかねーぜ? あんたの麻薬が俺の元へ届く前に――風が麻薬を吹き飛ばす」


 飄々と笑う佐々波。その余裕を露にした彼を前にして、リリスはこれまでにないほど眉間に皺を寄せて彼を睨み付けた。リリスは何も言いはしなかったが、その無言の殺気こそが彼女の憎悪の全てを表しているようでもあった。苛烈な瞳は燃え盛る火の様な力を持ち佐々波を刺す。それでも佐々波は余裕を装い笑んでいた。


「時間外労働は団長の雑用で充分だ。早く終わらせようぜ」


 風が吼える。その咆哮は天地をも震わせる程であった。


  < 2 >


 一方、館の外では百人余りの団員達が塔に侵入するための入り口を探し回っていた。たった一人で中に捕らえれた佐々波を救い出すためである。しかしこの魔導衆の館は塔になっているため、侵入口は固く閉ざされた正面の扉しか見当たらない。それ以外は煤汚れたレンガに覆われているだけで、窓は高い位置にか設置させていない。辺りには荒れ果てた庭が広がるばかり。もはや彼らは途方に暮れていた。


(あね)さん……やっぱり駄目です。他に侵入出来そうな場所は見当たりません……」


 草音が沈んだ声で告げる。対して陽炎は目の前の閉ざされた扉をじっと見つめていた。押しても引いてもびくともしない、汚れきった扉。侵入者を拒む『意思』の存在を感じ取れるくらいに固く閉ざされている。

 陽炎は何も口にしないまま、手に持っていた槍をおもむろに見下ろす。何か思うことがあるようだった。そんな陽炎を不安げに見つめる草音。しばらくの沈黙の後に、陽炎が行動を起こした。手に持つ槍の切っ先を閉ざされた扉に向けたのだった。驚きに声を上げる草音。


「あ、姐さん? まさか槍で扉を突き破る気ですかっ……? さすがにそれは……」

「まさか。そんな無謀な事をするわけでは無い」


 制するその声に草音は口を結び、大人しく陽炎の動向を見守る。陽炎は槍の切っ先を包んでいた白い布を取り払う。鋭い槍先が現れた。槍先には赤色や燈色、金色の装飾が成されていて豪華な造りになっており、ただの槍ではないことを物語っている。切っ先を真っ直ぐ扉に向ける。もう一度槍の柄を握り直すと、陽炎は低く静かに呟いた。


「……燃え(おこ)れ。『朱槍(しゅやり)紅偲(べにしの)び』――」


 その声を合図とし、槍の切っ先に炎が現れる。赤々と燃える炎は陽炎と草音の胸元までの大きさになり、二人の顔を照らし出した。意を持つかのように蠢く炎が行き場を探してうねっている。草音はその炎をじっと見下ろした。


「姐さん? 神器まで使って、いったい何を?」

「扉を焼く。わたしの『紅偲び』の炎属性は魔術ほどの威力はないが、こんな朽ちかけた扉一つくらい焼き払う事が出来るでしょう」


 陽炎は炎を纏わせた槍を扉に近付け、引火を試みる。しかし炎が扉に触れた瞬間――槍の切っ先に黒い閃光が瞬いた。ボウッと炎が一度大きく燃え上がったかと思うと、勢いを失ったかのように鎮火してしまう。まるで扉が意思を形に表して炎を拒んだようだった。


「何!?」


 瞬いた黒い閃光。陽炎が慌てて槍を引き戻すと、槍の切っ先が僅かに溶けていた。焦げた臭いが鼻を刺す。顔を見合わせる陽炎と草音――二人の疑問を含んだ視線が交わった、その時だった。


「おっ、ラッキー。女の子二人じゃん」

「――っ!」


 いつの間に。陽炎が槍を構えて振り向くと背後に男の姿。陽炎と草音の視界にまず飛び込んできたのは男の深紅色の髪だった。赤色に闇の漆黒を混ぜた様な、くすんだ紅色。男は緩いウェーブの長髪で、髪の占める面積が広いためどうしても奇抜な色に目を惹かれる。こんな髪色の者は白の国にはいない。男はまだ若く、シニカルな笑みを浮かべる顔は整っている。さらに彼は上品な雰囲気を醸し出す黒いスーツを纏っているのだ。端正な顔と整えられた洋服――ただの紳士的な若い男にも見える。しかし奇抜な深紅色の長髪と人を喰ったような笑みが陽炎達に油断を許さない。


「お前は……!? 魔導衆のメンバーか?」


 槍の切っ先を男に向ける陽炎は苦虫を噛み潰したような顔だ。背後に現れた男の気配を感じることが出来なかった己を責める。刃を向けられた男は何が楽しいのか、笑みを絶やさない。その姿から殺気は感じられなかった。


「そんな怖い顔しなくても大丈夫だって。別にここであんたらを殺そうとしてるわけじゃないし」

「名を名乗れ! この扉に何の魔術を仕組んだ?」

「おっ、よく気付いたねー。そうそう、ちょっと扉に魔術をかけさせてもらったよ。え、俺の名前?」


 目を細めて笑う男。怪しげな光が宿るその瞳は髪色と同じ、濁った紅色だった。男が磨かれた革靴に包まれた足を踏み出す。咄嗟に武器を構えた陽炎と草音だったが男は二人のもとには近寄らず、地面を蹴り上げて空高く跳び上がった。陽炎と草音の頭上を数十メートルは軽く飛び越え、塔の窓に足を掛けて二人を見下ろし笑っている。人間では無いことを物語るその跳躍力。この男もやはり魔導士で“悪魔”なのだ。

 陽炎と草音を見下ろす男が口を開いた。距離が離れているので大声を放つ男。世間の女性が好むだろう甘いテノールで。


「逆ナンはありがたいんだけどー、名前は教えられないんだ。あの人に怒られるのヤだし。あっ、そうそう。あんたらこの館に侵入しようと入り口を探してるみたいだけど無理だぜ? この館は周囲とは別の空間になってるからね」

「別の空間だと?」


 陽炎がいぶかしむ。生温かい風が吹き、男の赤色の長髪を揺らしていた。男はスーツの胸ポケットから金色の鍵を取り出すと、陽炎たちに見せ付けるようにして言う。


「そ。二人共美人だから教えてあげる。俺の魔術は時空や空間を操ることが出来る。あんた達の侵入を防ぐために、この館全体に魔術をかけて空間の繋がりを切断させたんだ。今俺らがいるこの庭と館は別の空間に在る。物理的なダメージを与えても扉が壊れる事はないぜ?」


 鍵を振り回して口角を上げる男。陽炎が塔を見上げると、塔全体が黒い霧のようなもので包まれていた。これが男の言う“周囲との空間の繋がりを切断した”という事なのか。

 陽炎は小さく舌打ちをした。部下の団員達が持つただの刀では魔術に太刀打ち出来ない。それに対し、師団長が持つ神器(じんき)は神の力を分け与えられたものなので魔術の力に対抗できる。しかし――この男の魔術は時空と空間を操るものだという。神器はほとんど物理的な攻撃しか出来ない。空間を操作されたという事は、陽炎達には成す術も残されていないという事を示していた。


(わたしの『朱槍・紅偲び』では炎属性の僅かな炎しか扱えない……神の力といえどもこの男の魔術を解くことは出来ない……)


 陽炎は草音に視線を送る。情けなく眉を下げた表情の草音。眼鏡の奥では不安げに瞳が揺れていた。


(草音の神器、『薙刀(なぎなた)・雫の宿り』も同じこと……。この絶たれた空間を突破するにはとてもじゃないが無理がある)


 もはや自分達に佐々波を助け出す手だては残されていない事を悟る。悔しげに唇を噛む陽炎を草音が遠慮がちに見つめていた。陽炎は閉ざされた扉をきつく睨み付ける。魔導衆の魔術は想像以上のものだ。魔導衆のメンバーは悪魔だと言われている。所詮、ただの人間である自分達が敵う相手では無かったのか。館の中に一人で残された佐々波のことを思ってきつく拳を握った。

 そして陽炎と草音がもう一度顔を上げたとき、数メートル頭上の窓に居たはずの赤毛の男の姿は消えていた。



  < 3 >


「君がこの黒の國に来るのは二度目かね」


 早乙女の呟かれた言葉を聞き、フタバはゆっくりと早乙女を見上げる。そして無言のままに呟いた。

 なぜ自分は再びこの黒の国に訪れているのだろう? 一度目は団長の(はなだ)の命令だった。言われるがまま、第三師団長の陽炎と第四師団長の市川と共に『偵察』という目的でこの国に初めて訪れた。あれからひと月も経っていない。街は遥か遠くにしか見えず、荒野に佇むノワール魔導衆の屋敷。曇天の空の下、侵入者を拒んでいるかのような殺伐とした国――もう二度と訪れない土地だと思っていた。それなのに今回は自らの意思でこの地に足を踏み入れている。ふいに姉のまどかの顔が脳裏に浮かんだ。姉の制止を振り切ってここまで来てしまった。以前の自分とは変わってしまった。もう昔のように、ただ後ろを付いて行けばいいだけの弟ではいられないと思う。


 二人は先に本部を経った佐々波たち一行の後を追い、黒の国へと足を踏み入れていた。フタバの両手には時鉾(ときほこ)邂逅(かいこう)」が握られていた。背丈よりも大きな鉾を抱えるようにして持っている姿は少し滑稽だ。在りし日の父の神器であるこの時鉾をどのようにして早乙女が持ち出してきたのかは知らない尋ねても答えてはくれないだろう。


「早乙女さん、あれ! 団員の皆が」


 フタバが前方に(そび)える塔を指差す。ノワール魔導衆の屋敷だ。塔を囲むように団員たちが散らばり、慌ただしく走り回っている。魔導衆の姿は見当たらないので戦っているわけでは無さそうだ。彼らから見つからないように、早乙女とフタバは屋敷を囲む塀の影に隠れる。そして早乙女が顎を片手で摩りながらボンヤリと呟いた。


「ふむ……。どうやら屋敷に魔術を施されているようだな。中に侵入出来ず困っているのだろう。魔導衆のメンバーの一人に、空間を操る魔術を扱う者がいるからな」


 その言葉にフタバは顔を上げた。なぜ早乙女が魔導衆のメンバーが扱う魔術のことまで知っているのだろう。フタバの中で増す早乙女への疑心。しかしそれを口に出来ない自分の弱さにフタバは唇を噛んだ。

 早乙女は続ける。


「心配することはない。このような時のために、君の持つ神器があるのだ。」

「え? 神器って……これ……?」

「さよう。君の父上である東條喜一がかつて所有していた神器の時鉾『邂逅』。それが持つ属性は地属性なのだ」

「地属性?」


 その問いに早乙女は答えなかった。無言のままフタバの手を引いて屋敷の裏側へと足を進める。フタバは引きずられるようにして早乙女について行った。屋敷の裏に団員の姿はなく、二人きりだった。風が冷たく感じる。白の国のほうが断然寒い気候のはずなのに、ここはひどく肌が冷える。

 屋敷を構成している古いレンガをなぞる早乙女。その奇妙な行動をいぶかしんで見上げるフタバ。しばらくして早乙女が口を開いた。相も変わらず地を這うような不気味な声である。


「地属性の属性効果を知っている者は少ない。なぜなら最も特殊で世界の(ことわり)すら覆してしまえる効果を持つのだ」

「……とりあえず凄い“ぞくせーこうか”があるってこと?」


 早乙女が蒼紫色の唇をニヤリと歪めた。


「さよう。しかし今は説明する間も惜しい。百問は一見にしかず。実際に属性効果を発動させれば分かることだ」

「はいっ!?」


 早乙女がフタバの持つ神器を指して「しっかりと握りたまえ」と指示する。背の高さほどあるその時鉾を胸元で強く抱えるフタバを一瞥すると、早乙女はフタバの肩に手を置いた。その手が凍て付くほど冷たかったものだから、まるで死人に触れられたような気がしてフタバは震える。そんなフタバの様子を気にする素振りも見せず早乙女は淡々と告げた。


「良いか井上フタバ君。今から私の教える言葉を繰り返して言うのだ。“巡れ――時鉾・邂逅”、と」

「え……ど、どういうこと」

「言葉の意味が分からなくても良い。君がこの言葉を発すること自体に意味があるのだから」


 さあ早く、と促されるフタバ。神器を胸元に握ったまま、恥らって小さく呟いた。


「えーと、め、“巡れ――時鉾『邂逅』”」


 ぶわ、と足元の雑草が大きく揺れて地面から風が吹いた。激しい風が渦を巻くようにフタバと早乙女を包み、竜巻のようだった。何が起こったか分からないフタバ。舞い上げられた草や土埃を避けるために強く目を瞑ったフタバに、早乙女が強く言った。


「さあ! 思い描くのだ。この壁を越えて行く我々の姿を。この厚い壁の向こうに行くイメージを描くのだ」


 それはもはや命令だった。そして言われるがままのフタバは脳裏にそのイメージを浮かべる。壁の向こうの暗闇に手を伸ばす――何も見えないがイメージする――分厚い壁を通り抜けて新しい場所へ――。そこまで思い描いたとき、竜巻の如く吹き荒れていた風が止んだ。同時にパチッと瞼を開けるとそこには見たこともない光景が広がっていた。


 薄暗い室内。塔のようになっていて、中心には最上階まで伸びる螺旋階段。各階には塔の壁に沿ってぐるりと部屋がひしめき並んでいる。照明はところどころに灯る蝋燭の火だけで心もとない。今自分がいるのは塔の一階らしく、ちょうど螺旋階段の影になっている所だった。階段に遮られた先には広いホールがあるようで人の気配も感じられた。一度見たことある場所のような気がするが……ここは一体どこだろう?


「成功したようだね」


 その低い囁き声に思わず叫び声を上げそうになった。見上げると早乙女が幽霊のように佇んでいた。毎度思うことだがこの男は存在全てが不気味だった。彼はフタバの動揺が手に取るように分かるのだろう。フタバが問わずとも話し始めた。


「どうかね。ここは今まで魔術によって閉鎖されていた塔の中だ。我々はあの分厚い壁を“通り抜けて”室内に侵入出来たというわけだ」

「ええっ、ま、魔法じゃん。俺ついに魔法が使えるよーになったんだ!」

「静かにしたまえ。今は説明する時間がないと言っただろう」


 そう咎められるとフタバは仕方なく口を噤んだ。塔の中ということは、ノワール魔導衆の屋敷内ということである。通りで見たことある場所だと思ったわけだ。フタバはここを偵察任務の際に一度訪れていたのである。

 そして思い出したように手元の神器に視線を下ろすと、それは何事も無かったかのようにフタバの両手に収まっている。先ほどの瞬間移動(?)はどう考えてもこの神器の力なのだが、その肝心な部分を今は知ることが出来ないのでフタバは複雑な気持ちだった。

 見たまえ、と早乙女が前を指した。螺旋階段の影から少し顔を出してみる。どちらにしろこの塔の中は蝋燭の明かりしか灯っていなかったので二人の姿はうまく紛れていた。


「あっ、佐々波さん!」


 見覚えのある広い玄関ホールには、闇に一層映える白い団服を纏った佐々波の後ろ姿があった。塔の入り口は魔術で閉ざされていたはずなのに、なぜ佐々波一人がここにいるのだろうか。

 目を凝らすと佐々波と対峙しているのは年若い女だった。いや、少女か。そしてその少女もフタバの記憶に深く刻まれていた人物だった。


(あの黒づくめの服と、黒髪のツインテール……。麻薬を使ってたノワール魔導衆の人だ!)


 リリスの姿を捉えたフタバは、佐々波が再びリリスと対峙し戦っていることを知る。離れたこの場所からも二人の殺気が伝わってくる。それは足元から首筋まで針で突き刺されたように鋭かった。このままあの二人は戦い続けるのか。屋敷に侵入出来たのは良いが、この場に隠れたままで自分はどうすればいいのだろう。答えを求めて早乙女を見上げたが、彼は相変わらず青紫色の唇を(いびつ)に曲げて冷笑しているだけだった。


(さ、佐々波さんを助けなきゃ……!)


 無性にそう思った。普段のフタバだったらこのまま物陰に隠れて戦いが終わるのを見つめていただろう。しかし今、フタバの手には鉾が握られている――立派な武器だ。これを使えば佐々波を助けることが出来るかもしれない。内密に本部を抜け出した身なので佐々波に姿を見られたら困る、という事実はすっかり忘れていた。


(オレが行かなきゃ!)


 胸の内に生まれた「何か」。その衝動を勇気に変え、無意識に震える足で大地を蹴った。時鉾を胸元に抱えたまま、らせん階段の影から飛び出す。途端に蝋燭の明かりがフタバの顔を照らし出した。佐々波とリリスの視線が同時にフタバを捉える。恐ろしかった。リリスの猫目がフタバの姿を映し出すと、彼女は驚きもせずニンマリと笑った。


「また会えて嬉しいわ、井上フタバ。アンタなら来ると思ってた。東條喜一の息子のアンタなら」


 その瞬間、フタバの脳裏に早乙女が発した言葉が蘇える――『黒の国へ向かった師団達の戦闘を見てしまえば後戻りが出来なくなる。戦争とはそういうものだ』――と。もう後戻りは出来ない。父の遺した神器を抱え、仲間を助けるために敵の前にこうして飛び出してきてしまった自分はただの傍観者ではいられなくなったのだ。


「ねぇ、サタン様。お会い出来て嬉しいでしょう?」


 リリスが見上げた螺旋階段の踊り場に佇む黒いローブ姿の男。まさか階段の上にもう一人いたなんて。男の存在にようやく気が付いたフタバは彼を見て凍りついたように動けなかった。ヒスイ色の冷酷な瞳が家畜を見る眼差しでフタバを見下ろしていた。睨みつけられているわけはないのに、澄んだ翠色からは想像出来ないくらいどす黒い感情が垣間見える。足首までの長い黒髪が風に揺れていて、薄い唇がゆっくりと弧を描く。優雅ともいえるその様子にフタバは瞬きすら出来なかった。


Enchante(アンシャンテ)、ようやく会えたね、井上フタバ君」


 男から発せられたのは柔らかいテノールだったが、言葉の奥にひどく残酷な響きをもってフタバの耳を打った。



<第二十八話「(めぐる)」・終>











 

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