第二十七話 誘
「よっし……。じゃあ、行くか」
「はい」
やや抑え気味に言った佐々波の言葉に、後ろに控えていた陽炎と草音が揃って返事をした。三人は視線を上げて高く聳える黒い塔を見上げる。その洋館には大きな赤錆に包まれた鉄製の門があった。入り口の扉までに伸びる道には名前の分からない雑草が膝の辺りまでに伸びている。扉までも漆黒に塗られており、荘厳なその様子は威圧感を放っている。扉から放たれる禍々しい空気がこの場を満たしていた。その扉の様子はまるで、地獄の門番が口を開けて佐々波たちを誘っているようだった。
「目的は魔導衆のメンバーを一人生け捕りにすることだ。そのためなら多少の犠牲は構わない。……が、ヤバい状況になってきたらすぐに退避する。まだ多くの団員を失うわけにはいかないからな。その都度、俺が指示を出すから、第三師団と第八師団の団員たちは頼んだ!」
「心得ております、佐々波殿」
「がっ、頑張ります!」
淡々と言う佐々波に、陽炎と草音は勢いよく頷く。三人の後ろに控える約百名の団員たちも固唾を飲んでいた。緊張感が漂っている。良いことだ。佐々波は満足げに部下達を眺める。緊張感が無いとこの任務は達成できない。
程よい緊張感を携えたまま、一行が入り口に向かい進軍する。雲が出てきて黒の国全体に影を落とす。まだ昼だというのに辺りは薄暗く不気味な雰囲気が漂っていた。吹く風も嵐の予兆の如きもので、風に舞う枯葉がガサガサとさざめく音すら耳障りとなる。入り口の扉まで数十メートルの距離になったとき、佐々波の後ろを歩く陽炎が声を発した。
「――佐々波殿。あちらに人の姿が見えまする」
「え?」
<第二十七話:誘>
陽炎の声は囁く程度のものだったので佐々波以外の団員には聞こえていないようだった。陽炎が指したのは館の周りに広がる荒れ果てた庭の一角だった。入り口の扉とは反対の方角。手入れの様子が微塵も見られない朽ち果てた庭にある、蔦に覆われた聖母の像。その像の上に小柄な人物が腰掛けている。やや距離が離れているので人物の詳細は把握出来ないが、銀色もしくは白色の服を着ている小柄な少女だという事は分かる。佐々波たち一行に気付いていることは確かだろう。
「誰だあいつは? ここにいるって事は魔導衆のメンバーか?」
「佐々波殿。あのおなごは魔導衆のメンバーの一人で、猫の耳と尾を持つ幻獣の少女でございます。以前、市川殿とここへ偵察に来た際に会いました」
そう言うと陽炎は一行の隊列から抜ける。草音や他の団員たちが訝しむ視線を陽炎に送った。
「佐々波殿、そちらはお任せ致します。草音、わたしの代わりに第三師団の指揮も頼む」
「あ、姐さんっ?」
困惑の声を上げる草音。陽炎は無表情のまま横目で草音を見つめた。
「わたしはあそこに居る幻獣の少女のもとへ行く。あの少女はおそらく魔術を心得ていない。容易に捕まえる事が出来る――魔導衆の他のメンバーの情報を聞けるでしょう」
「でも姐さん一人で……? いくら魔術を使えない女の子だからって……仮にも魔導衆の一人なのに……!」
「案ずる必要は無い。あの少女は魔導衆で“飼われている”だけだ。では――佐々波殿、後で必ず追いかけます」
そう告げるが早く陽炎は風の様な速さで一行の隊列から離れていく。まだ何か言いたげにした草音だったが既に遅く、陽炎の姿はもう遠かった。戦闘時には教団一の速さを誇る彼女だ。慌てて追いかけようとした草音が間に合うはずも無い。
「姐さん……だ、大丈夫でしょうか……」
眉を寄せて苦しげに呟く草音。ずり落ちてきた眼鏡を直す余裕も無いようだった。そんな彼女とは対照的に佐々波は先ほどから表情を変えずにいる。
「陽炎さんならダイジョーブだって草音ちゃん! あの陽炎さんだぜ、幻獣の女の子に負けるわけないって。それに神器の『朱槍・紅偲び』も持ってるんだし」
佐々波に諭されるまま、草音はどうにか納得したようだった。彼女は人一倍心配性な上、敬愛する陽炎のことだとその不安の種は大きい。草音は陽炎が離れていく様子を何度も振り向いて確認しながら佐々波の後をついていった。列を離れた陽炎をそのままに一行は館の入り口を目指す。あと数十メートル。あの禍々しく荘厳な扉の向こうには何が待っているのだろうか。
<2>
隊列から離れた陽炎は荒野と成れ果てた庭に侵入し、少女が腰を下ろす聖母の像のもとへあっという間に辿り着いた。着物という動きづらい格好をしているにも関わらず風の如き速さで移動してきた陽炎。その様子を見下ろす幻獣の少女――ローズ。
「すご~い! 話に聞いたとーり、お姉さん凄く速いんだね~! ローズびっくりしちゃった!」
「“ローズ”……それがお前の名か?」
「わっ、そんなに怖い顔しないでよぉ。せっかくの美人さんなのに。ねぇ、お姉さんはなんていう名前?」
この少女は一体――? 陽炎は眉を寄せていぶかしんだ。以前会ったときにも妙な少女だと感じたが、こうして間近で見て言葉を交わすとローズへの不信感は余計に募る。黒の国のノワール魔導衆といえば魔術を自在に操る魔術師たちの集団。良い噂は聞かない。それは白の教団も同じ事だったが。そんな魔導衆の一員であるこの少女は敵である自分にすら、まるで友人に話しかけるようにして接する。罠か? 罠ではないとしても、こんな無垢な少女が魔導衆のメンバーなのは、なぜ……? 陽炎は表情には表さないものの、内心はひどく動揺していた。ローズへの接し方が分からないのだ。
そんな陽炎の心中を知ってか知らずか、ローズは聖母の像から飛び降りる。さすが獣と人間の両方を兼ね揃えた幻獣――像から飛び降りる身軽さは猫そのものだった。陽炎の目の前に降り立ったローズを陽炎は改めて観察する。十五歳前後といったところか。それにしてもとても小柄だ。珍しい銀色のセミロングが肩の辺りで揺れている。猫の耳と尾も白猫のものだった。肌の露出が多いショートパンツの衣装すらも白色。
「な~んて! えへへ、実はローズね、お姉さんの名前もう知ってるんだあ。サタン様が教えてくれたから!」
「……何?」
いたずらっぽく満面の笑みを浮かべるローズ。陽炎は記憶を巡らせて思い出していた。偵察に訪れこの少女と会った時も、ローズは『サタン様が言っていた』と陽炎たちに告げたのだった。そして今も。サタンとはノワール魔導衆のトップであり、黒の国の国王でもある男だ。そのサタンから逐一情報を得ているローズ。やはりただ者ではないのか? と陽炎は愛用の朱槍に手を掛けた。それにしてもサタンの言葉を敵にまで伝える彼女の行動は無意識なのか、意図的なのか。
「そのサタン様とやらは、わたしの事をなんと?」
「え~っとねぇ、う~んとねぇ。お姉さん、陽炎さんって名前でしょ。合ってるよね? 団員の中でたった一人だけ、任務の時にも着物を着てるんでしょう? だからすぐに分かったよ! サタン様が言っていたのは、槍使いで教団一すばやいって事と、あとはぁ~……」
ローズの言葉が中途半端に途切れた。陽炎が続きを促そうとした瞬間、風を切る音が聞こえたかと思うと――……。
「そうそう! お姉さん、教団の団長さんが好きなんでしょう! でもなかなか振り向いてもらえないんだよね?」
「――な、何っ!?」
一瞬にしてローズは陽炎の耳元に詰め寄った。陽炎はそれを避ける事が出来なかった。教団一の速さを誇る自分がまさかこんな少女の速さに負けるとは。そしてローズの告げた言葉。サタンは自分と縹の関係のことすら見抜いているというのか。陽炎は唇を噛んでローズを睨みつける。魔導衆には白の国の情勢どころか団員のプライベートまで知られている――その事実を認めるしかない陽炎はきつく拳を握って怒りを抑えていた。
(この娘、思った以上に情報を持っている。いっその事、この場でこの娘を生け捕りにすれば――)
そこまで考えたとき、目の前のローズがニッコリと顔を綻ばせた。そして誰もが“可愛らしい”と形容するだろうその愛らしい声色でこう言ったのだった。
「そろそろお喋りを終わりにしてもいいかなあ? ねぇお姉さん、いいよね! ここまで出来たらローズ、サタン様に褒めてもらえると思うよねえ?」
「……何が言いたい?」
「お姉さんって教団一の速さを持つうえに、洞察力も優れてるんでしょ? だからなるべく本隊から引き離した方がいいってサタン様が言ってたんだあ。だからね、ローズがそのお仕事を引き受けたんだよ」
陽炎が呟くようにして復唱する。
「わたしを……なるべく本隊から引き離すだと……?」
満面の笑みを浮かべて肯定するローズ。少女の発した言葉の意味がすぐには理解出来ず、陽炎は言葉の内容を慎重に吟味する。魔導衆側にこちらの情報は筒抜けだ。自分が駿足を誇ることも洞察力が優れていることも知られている。そんな自分を“本隊から引き離す”とは――。
ハッとして陽炎は目を見開いた。
「――ッ! しまった!」
それだけ叫ぶと陽炎は駆け出す。去っていく陽炎の背中をローズは至極楽しそうに眺めていた。命じられた計画通りに事が運んだ。これで愛する主から褒めてもらえるだろう、とその事だけを考えてローズはこの上なくご機嫌だった。
陽炎は庭を横切り駆けて行く。奥歯を噛み眉を寄せ己の愚かさを呪った。なぜ気付かなかったのだろう。ローズがこの庭に一人で居たのは少女の気まぐれなんかでは無い――そう、ローズは囮だったのだ。自分を本隊から引き離すための囮。
(ただ“飼われている”だけだと思い油断した……! あのローズという娘は私を誘き寄せるための策だったという事か!)
こちらの性格までもが魔導衆のメンバーに知られているということは、自分が佐々波と草音に比べて好戦的だという情報も伝わっているのだろう。魔術を持たず油断しきっているローズがたった一人で現れれば、少女を捕らえようと真っ先に行動するのは佐々波や草音では無く、好戦的な自分――。そこまでサタンは予測しローズを配置したのだ。まんまとサタンの策に乗り本隊を離れてしまった自分を陽炎は責める。自分がローズなど放置しておいて本隊と共に行動していれば、師団長が一人欠けて戦力が削がれることも無かったというのに。
(狙われているのは佐々波殿たちだったか……!)
< 3 >
陽炎がローズを捕らえるために列から離脱した後、佐々波と草音は館の入り口に辿り着いていた。ところどころ剥がれ落ちているレンガや、埃のたまった窓。高く伸びる塔は不気味に佐々波たちを見下ろしていた。扉へと手をかけるべく一歩足を踏み出せば、長年刈られていないであろう雑草が纏わりつく。その伸び具合からも整備が施されていないという事実が分かった。
「草音ちゃん、俺は魔導衆のメンバーを一人生け捕りにする事に専念する。だがおそらく向こうも攻撃を仕掛けてくると思うから、草音ちゃんは団員達と一緒に俺が生け捕りに成功出来るよう、攻撃を防いでくれ」
「わっ、分かりました……!」
「よし、頼んだぞ! じゃあ俺が扉を開けて様子を見る。合図をしたら団員達にも伝えてくれ」
草音が無言で頷く。ついに突入するのだ。団員達も静まり返ってその瞬間を固唾を飲んで待っている。佐々波が扉に手を掛ける。両開きの巨大な扉。漆黒の重そうな扉には龍の彫刻が施されており立派な造りだが、整備されていないため煤汚れて朽ち果てた雰囲気を醸し出しているだけである。
佐々波がゆっくりと扉を開ける。成人男性の彼ですら両手に最大限の力を入れないと開かないほど重い。彼らの侵入を拒んでいるかのようだ。人一人分だけ隙間を作ると、佐々波は上半身を滑り込ませて中をうかがう。中は真っ暗の闇に包まれていた。開けた扉の隙間から外の光が差し込んでいるだけ。仮にも国家護衛団の屋敷だ――明かりの一つも灯されていないとは妙である。
(誰もいないなんて事はないはずだが……?)
草音たちは扉の向こうで今か今かと佐々波の指示を待っている。後ろ手で扉の隙間を保ったまま佐々波は両足を館内に踏み入れた。するとその瞬間、扉の閉まる音と共に佐々波の視界は真の闇に包まれた。
「-―しまった!」
慌てて扉に手を掛けるがそれが開くことは無かった。罠か。ようやく悟った時には既に遅く、佐々波は背後に人の気配を感じて硬直した。
「はは……狙いは俺一人ってワケ? なあ、魔導師さんよ」
気丈を装いそう言ってみせるが、佐々波の背筋を冷たい風が抜けていく。非常にまずい状況だ。何か仕掛けてくるとは思っていたが、侵入早々狙いを定められるとは。これでは草音たちに退避の指示も出せない。ここはなんとかして館内から逃げ出すしかないな……と佐々波は覚悟を決める。
「こーんな真っ暗にしちゃって。魔導衆の皆さんはずいぶんとシャイなんだなオイ?」
その言葉が届いたのか、暗闇に光が差す。蝋燭の光が一斉に灯ったのだ。ようやく佐々波の視界に館内の様子が広がる。塔になっている館だけあり、入り口の玄関ホールは狭い。螺旋階段が遥か天井まで伸びるだけで、部屋の扉などは見当たらなかった。照明器具は無く大量の蝋燭が壁に設置されている。赤々と燃える蝋燭は風も無いのに揺れている。
佐々波が視線を巡らせると螺旋階段の踊り場に人影を見つけた。黒いローブに包まれた人物。その長身から男性だという事は分かったが……。
「あんたは――」
男がローブのフードを取り払う。距離が離れていたので、佐々波は目を凝らして男を見る。フードの中から現れたのは、床にまで達しそうな黒い長髪。そして佐々波は男の視線とぶつかる。端正な顔立ちの男だった――年齢は縹と同じくらいだろうか。あの世を眺めているかのような、冷たい眼光。ヒスイ色に光る瞳がその顔に彩りを添えていた。そして余裕があるのか、笑みさえ浮かべている口元。美しいその姿は魅了させられるが、その男の持つ加虐的な雰囲気が佐々波の動きを止めさせていた。
< 4 >
「草音!」
「あ……、姐さん……!」
陽炎が扉に辿り着いたとき、佐々波の姿は既になかった。遅かったか――陽炎は唇を噛む。
「姐さん、私達の行動は全て読まれていました……。おそらく最初から佐々波さんが狙いだったのだと思います……。今、佐々波さんだけが館内に閉じ込められて……! と、扉も開かないし……」
「分かっている。あの幻獣の娘は囮だった。わたしを本隊から引き離して、佐々波殿だけを狙うための」
駆けて来たため陽炎の息は荒かった。しかしそんな事に構っている場合ではない。困惑する団員達に向けて、陽炎は荒れた声色のまま叫んだ。
「任務変更だ、佐々波殿を救い出す! 総員協力し、この扉以外の侵入口を見つけろ! それでも活路が開けなかった場合は退避の指示を出す!」
陽炎の声が荒野に響いて消えていった。団員たちは陽炎の指示に従い、塔の周囲に散り散りになっていく。扉の前に残されたのは陽炎と草音だけとなった。任務早々、こんな事態になってしまうとは……。縹になんと言って報告すればいいのか。改めて己の失態を責める陽炎。陽炎の隣では草音が相も変わらずオロオロと動揺するばかり。
(佐々波殿は……この中に……!)
塔を見上げる。こちらの情報や行動を何でも知っている魔導衆。これが魔術師の集団たる強さか。魔法も何も持たない自分達のひ弱さを思い知らされる。この国と戦争どころか、宣戦布告すること事態が無謀なのではないか、と陽炎は畏怖の念を抱いたのだった。
<第二十七話「誘・終>