第二話 遇
フタバが目を覚ました時、そこは霧に覆われた街中では無かった。何度が瞬きをすると、見慣れない天井が目に入った。古い朽ち果てた天井。ここはどこだろう。オレ何してたっけ……。しばらくボンヤリとしていると、はっと今の状況を思い出した。
(そうだ、オレ変なところに来ちゃったんだ!)
寝転がっていた体勢から勢いよく上半身を起こした。
そこは教会だった。薄暗く、窓からも光は入ってきていない。フタバは自分が街中で気を失ったことを思い出した。誰かがここまで運んでくれたのだろう。
気絶したせいで痛む頭を抑えながら起き上がった時、教会の扉が開く音がした。
ビクッとフタバの身体が震える。自分を剣で刺そうとしたあの男が追いかけてきていたらどうしよう。フタバはゆっくり開く扉をじっと睨むように凝視した。
扉が開いた時、フタバの目に飛び込んできたのは思いもかけない人物の姿だった。
「……ね、姉ちゃんっ!?」
ポカンと口を開けるフタバの驚きの視線の先には、同じく口をあんぐりと開けているまどかの姿があったのだった。
<第二話:遇>
お二人は知り合いですか?と場違いなほど穏やかな声で質問したのは桜月だった。その言葉に互いに固まっていたフタバとまどかは我に帰る。
「どっ、どうしてフタバ君も“ここ”に?」
「しっ、知らないよ!」
まどかは桜月の脇を抜けて、弟のもとに駆け寄った。泥や血でずいぶん汚れたフタバの姿に驚愕する。対してフタバは家族に会えたことに感動していた。このまま訳の分からない土地で一人だったら、気が狂いそうだ。
「私は街中をさ迷っていたら、そこの綺麗なお姉さんに拾われたのよ。えーと……さつきさん、でしたっけ?」
桜月は少し驚いた仕草を見せ、苦笑混じりに答えた。
「えっ……? あ、はい。気を失っていた君をここに運ばせてもらいました。九十九 桜月といいます。よろしくお願いしますね、フタバ君。」
「さつきさん?」
「ええ。桜に月と書いてさつき、と読むんです」
桜月はまどかとフタバに座るように教会の椅子を勧めた。姉弟が座るのを確認すると、桜月は二人の前に立った。
「驚きましたよ。井上フタバ君、井上まどかさん。お二人は姉弟だったんですね。歳が離れているようですが」
そう言って話を切り出した。まどかが頷く。私はもう二十二歳だけど、フタバ君はまだ十一歳なの、と説明した。それを聞き、桜月が頷き返した。そして続けた。
「あなた方は“この世界”の人間じゃない。大丈夫、混乱していると思いますが、すぐに説明しますから。あなた方はある人、によってこの世界に呼ばれたんです」
大人しく座っていたフタバがすかさず口を挟んだ。
「この世界って? オレ達を呼んだある人って?」
桜月は穏やかな、それでいて反論を認めないような力強い視線でフタバを見た。フタバは口を噤んだ。それを確認すると桜月は上品な笑みを口元に浮かべて言った。
「ここは“千年王国”。神が支配する、神の大陸です」
開いた窓から小鳥の親子が中に入ってきた。囀りながら飛び回る。それをフタバは、どこか夢を見ているような気持ちで見つめていた。
桜月の言葉は、なぜか胸に自然と馴染み、広がっていった。
< 2 >
立ち上る煙を見つめていた。煙管から絶え間なく立ち上る煙が憎たらしい事この上ない。
「しかめっ面してどうした? 佐々波君。」
「はあ……。じゃあ言わせてもらいますけど、そろそろ禁煙してくれませんかねー?」
そろそろこっちも迷惑なんですけど。
佐々波乱歩はそう苦笑いして冗談めいて言ったが、内心冗談などではない。他人の迷惑も考えろ! そう目の前の椅子にふんぞり返って座る男に怒鳴りたかったが、所詮、己は部下。心の中で罵倒するだけに我慢した。
「禁煙? 考えたこともねーな……」
じゃあ今すぐ考えて下さい、今すぐ!
そう言いたいのを喉の中だけに留める。どうせ文句を言ってもこの天上天下唯我独尊の上司に己の要望が伝わるのは皆無なのだ。長年、補佐として仕えてきていればそれくらい分かる。
佐々波はハァ、と大げさにため息を吐いた。
「煙草も嗜む程度ならいいっすけど……団長は吸いすぎです。一応、軍隊の頭なんですから控えてもらわないと。戦闘時に差し支えますよー?」
男は答えなかった。気にせず佐々波は部屋の中を横切り、端から窓を開けにかかった。煙が充満した部屋内を換気するためだ。
上司は相変わらず、デスクに座り散らばった資料と睨みあいを続けている。佐々波は二度目のため息を吐いた。
「そーいえば団長」
なんだ、と上司の男が視線だけで佐々波に聞く。佐々波は軽々しい口調のまま続けた。
「今日、国王の命令で桜月が“国王様の呼んだ二人”を迎えに行きましたよね。いつ帰ってくるんすか? つーか国王サマが呼んだ二人って誰っすか?」
ぶわ、と窓から冷たい空気が部屋に流れ込む。昨晩もすこし雪が降ったからだろうか。
窓の向こう、広がる白の国の街々が見えた。あの中には戦火に巻き込まれた街もあるのだろう……それを思うと佐々波は室内に視線を戻した。
今まで椅子に座っていた男は腰をあげ、室内をうろついていた。
佐々波が聞いた。
「団長? どーかしたんですか?」
少し間をあけ、まもなく男が低く、掠れ気味の声で答えた。
「佐々波君。君は信じるか? “異世界から来た人間”を」
「……は?」
「国王のオッサンが呼んだらしい二人ってのは、異世界から来たらしい」
妙な沈黙。
どういう事ですか、と佐々波が問う前に男は椅子の背もたれに掛けておいた真っ白い団服を羽織ると、足早に部屋を出て行ってしまった。
「何ですってぇ? い、異世界?」
残された佐々波は、僅かに残る煙の臭いの中、どうすればいいか分からず立ちすくんでいたのだった。
<第二話 「遇」・終>