表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/35

第二十二話  痕



 すべてを話し終えたとき、(はなだ)は喋らないのが必然のように黙りこんでしまった。その様子をフタバとまどかは微動だにせず見ている。さすがのまどかも横槍を入れるようなことは言わず、縹の語ることをじっと聞いていた。窓の外の曇り空から雪が落ちている。雪がすべての雑音を吸っていくようだった。それが室内に沈黙を招いている。


「……えーと、つまり」


 絞り出すような声を発したのはフタバだった。ソファに身体を沈めながら、遠慮がちにもぞもぞと足を動かしている。


「十年前に死んだって聞かされた父さんは、六年前まで隠れながら生きてたってこと……?」


 正面のソファに座る縹が頷く。彼は心の動きを少しも見せなかった。すると今まで大人しく話を聞いていたまどかが強い口調で言う。


「納得いかないわ。どうしてお父さんは自殺したの? 六年前まで生きていたなんて――そんなの、納得いかない。」


 まどかの膝で拳がきつく握られる。彼女は悲痛な表情をしていた。それでも縹は無表情を決め込み、淡々と言うのだった。


「東條さんが自殺した本当の理由はもう分かりようがない。あの人は優しくて包容力があった。それゆえに、自分の辛さや苦悩を誰にも話したりしなかった……」


 どうして自分があの人を助けてやれなかったのだろう。あの時の自分の行動、判断は間違っていたのか。結果、自分があの人を自害にまで追い込んでしまったのか。

 縹は今でも囚われ続けている。




<第二十二話:(あと)




「あの、縹さん!」


 団長室の扉の向こうから、可愛らしく明朗な声が届いた。それは井上 姉弟(きょうだい)が団長室を去ってすぐのことだった。

 声の主はすぐに分かる。男だらけの教団のなかでは滅多に聞くことのない、その可憐な声。幼さが滲み出ている声色だったが、その中には冷静さも垣間見える。少し早口の独特な少女の声だ。


「……春野か、入れ。」


 促すとすぐに扉が開いた。

遠慮がちに開いた扉の隙間から、ピョコンと少女の顔が覗く。アッシュのたっぷりとした髪をツインテールにして、小動物を連想させる大きく丸い瞳が特徴ある容姿。外見は幼く、せいぜい十一、一二歳程度にしか見えない少女だ。しかし彼女――春野ひよりは一七歳であり、れっきとした第六師団長なのである。


「あのー、フタバ君たちとの話、終わりました?」


 その問いに頷くと、ようやくひよりが室内に入ってきた。相変わらず小動物のような動きである。何もない床でつまづいたりしながら、縹の座るソファのもとまでやって来た。

 縹はこの少女を決して侮ってはいない。最年少で師団長になった小柄な少女は、よく周りの団員にからかわれている。しかしその可愛らしい外見からは想像もつかないような頭脳を持っていることを知っている。


「無事に終わったようなら良かったです。東條さんの子供がフタバ君たちってこと、ほんとにあたしの勘違いだったらどうしようかと思って!」


 ひよりが笑って肩を揺らす。すぐに退室するつもりなのだろうか、ソファに座ろうとしなかった。縹は煙管に火をつけながら言う。


「東條さんが息子の名前を喋ったことなんてよく覚えてたな。六年も前のことだろ。つーかあの人、子供の名前をよく口走ったな。」

「うんっ。東條さんが異世界に残してきた家族のことを話すときは、印象的だからよく覚えてるんです。」


 そうか、と縹は小さく呟いた。あの人は本当に気まぐれでしか、異世界の家族の話をしなかった。自分はそれを聞くことはなかった。ひよりが少しだけ羨ましい。

 ひよりはちょうど六年前、東條が自殺を図った年に入団してきた。年少ならぬ頭脳と刀の技術で最年少師団長にまで昇格した彼女と縹は、よく関わりがあった。それゆえにひよりは東條の存在も知っていて、ときどき交流していたのである。


「春野がそれを覚えていなければ、東條さんの子供があいつらだって事に結びつかなかっただろうからな。お手柄だぜ」

「あと、さっちゃんもね! さっちゃんが最初に言ったんですよ。東條さんは異世界に子供がいた。フタバ君達は異世界からやって来た。何か関係あるんじゃないかってね!」


 にこにこと笑うひより。“さっちゃん”とは第二師団長の桜月(さつき)の事である。そうか、と縹は繰り返した。

 ひよりの記憶と桜月の発言により、井上姉弟が東條の子供だと縹が確信したのはつい最近のことだ。


「あの姉弟がこの異世界に来たのは――おそらく――東條さんの死と関係がある。それを国王のオッサンは隠してやがるが――」


 煙管の柄を使いガリガリと頭を掻く縹。ひよりは何も言わなかった。頭のいい彼女だ。何も言うべきではないと分かっている。


「じゃあ、あたし帰りますね! お仕事溜まってるし!」

「あ? あ、ああ。ついでに医務室の佐々波くんの様子を見てきてくれ。第六師団の師団室と近いだろ?」

「はーい!」


 努めて明るい声を出し、足早にひよりは団長室を辞していく。

煙の臭いのする部屋を出て新鮮な空気をめいいっぱい吸った。

相変わらず日中でも凍えるような空気だ。さて、医務室に寄っていかなければ。そうひよりが足を進めたとき、廊下の角を曲がってこちらに向かって来る人物に気が付いた。ややだらしない印象を受ける歩き方に、(たてがみ)のような髪型と金色に輝く髪色、という特徴を持つ人物はこの教団にただ一人。


「乱歩くん!」

「お、ひよりちゃんじゃないのー。めっずらしー。団長室から出てくるなんて」


 やって来た人物、佐々波乱歩はすっかりいつもの調子に戻っていた。つい先日まで絶対安静を余儀なくされていたとは思えない。いつもと同じ団服を纏い、いつもと同じように飄々と笑っている。顔色も良い。先日医務室で見た時の衰弱した面影は消え失せていて、ひよりは安堵のため息をついた。


「うん、ちょっとね。例のフタバ君達と東條さんのことでお話してたの。それより乱歩くん、もう具合はいいの? 縹さんも心配してたよー!」

「へ? あの団長が俺のことを心配してたって? うそーマジで? 俺はもう平気だけどさ、ずいぶんみんなに迷惑かけちまったみたいだからな」


 それにはひよりも苦笑をこぼした。

 第一師団長および団長補佐という重要な仕事を担っていた佐々波が動けなかった事で、それなりの痛手を本部は負っていたのだった。特にひより達、師団長は相当の苦労を強いられた。

 たとえば、団長補佐(佐々波本人に言わせるとただの雑用・使い走りなのだそうだ)がいない状況下で、縹の機嫌は極限まで悪かった。普段佐々波に任せてる政務も自分で行わなければならないからである。


 “第一師団長”が欠けた影響はさらに大きかった。

 教団の階級上、第一師団には武に長けた先鋭たちが多い。彼らを指揮する師団長が欠けたままでいいはずもなく、第二師団長の桜月を始めとした上位の師団長たちでどうにか第一師団をまとめていたのである。


「なんだかんだで乱歩くんがいないと大変だよ。いつもは雪かきと縹さんの雑用しかしてないイメージだったもんっ」

「ひよりちゃん……サラッと身に痛いこと言うね……」


 ごめんごめん、とひよりが笑う。それを横目で見ながら佐々波は呆れ気味に呟いた。


「はー。しっかし東條さんの子供がフタバとまどかさんだったなんて――偶然とは思えないな」

「あれっ? 乱歩くんもそのこと知ってたの?」


 相変わらず微妙な表情のままの佐々波はお手上げ、とでも言いたげに両手を上げる。


「いや、ぜーんぜん。東條さんに子供がいた事すら知らなかった。てかあの人とあんま親しくなかったしー。八年前に俺が入団した時はすでに団員じゃなかったからなぁ。団長に連れられて一、二回なら会ったことあるけど。今回の事は桜月から聞いてやっと知ったんだ」


 そう言いつつも、佐々波は東條のことを良く“知っていた”。佐々波は団長補佐の任に就いてから常に縹の側にいたのだ。こっそり東條に会いに行く縹の姿を何度も見ていたし、縹は東條との出会いも話してくれた。

 佐々波自身は東條と接したことは少ないのだが、いつの間にかずいぶんと身近な人物になっていた気がする。


「今の師団長のメンバーだと、東條さんの事を知ってる人すら少ないんだもんね……。」


 ひよりが沈んだ様子で言った。少女は続ける。


「あたしは六年前に入団したから、ギリギリ東條さんの生きていた時期だよ。あの頃のあたし、最年少師団長とかって騒がれてたからいろいろ大変でさ、縹さんに東條さんのこと教えてもらったの。しょっちゅう東條さんのとこに行って話し相手になってもらってたんだ。」


 昔の光景を瞼の裏に描いているのだろうか、ひよりは瞳を伏せて穏やかな顔をしていた。そのまま少女は語るように話し始めた。東條が縹に匿われていた事実を知っていた人物を整理し始める。


「さっちゃんなんかは十二年も前から教団にいるから、東條さんとは凄く仲良かったみたい。陽炎さんも九年前に入団してるけど――縹さんとの関係が複雑だったから、東條さんのことは聞かされていないと思うんだ。椿くんは――」

「つ、“椿くん”?」


 ぎょっとして佐々波はひよりを見下ろした。そんな名前の団員聞いたことがない。佐々波の胸中を察したのか、ひよりが愛らしくクスクスと笑った。


「アハハッ! 自分の同僚の名前くらい覚えておきなよ、乱歩くん。第四師団長の市川椿くんだよ。椿くんは陽炎さんと同じくらいの時期に入団したらしいけど……う〜ん。縹さんが椿くんのことあんまり良く思ってないからなー。縹さん、椿くんに東條さんのことは絶対話していない気がするんだよね」

「んー、そうだよなー。団長と深く関わりがあった奴しか東條さんの事は知らないんだよな」


 東條が縹に(かくま)われていたことを知っているのは、六年前以前に入団した者、そして縹からその事実を聞かされるほど彼と親しかった者だけだ。

 ひっそりと教団から存在を消した東條。彼が異世界に残した子供たちが、数年の時を経て父の世界へと呼ばれてやって来た。それにはどんな理由があるのだろう?


 二人はそのまま別れた。政務があるため、二人とも慌ただしげな別れとなった。

 去り際にひよりは思い出していた。東條が異世界にいる子供の話をする時の穏やかな笑顔――寛容で優しい笑顔を見せる人だった。そんな表情をする人が、なぜ自殺などしてしまったのだろう。ひよりには未だに分からない。

 東條の事件によって教団は“こういう所”だと思い知らされたという事実だけが、ただ虚しく残っている。




  < 2 >



 団長室を辞してからというもの、フタバとまどかはひどい混乱に陥っていた。自室に戻ってきても会話を交わさない二人。フタバはベッドの上であぐらをかきながら背を丸めて縮こまり、室内を落ち着きなく歩き回る姉を心配そうに見つめている。まどかはというと――。


「本当にどうにかしてるわ、お父さんも、私たちをこの世界に呼んだ王様も! お父さんが自殺したなんて――そんなこと信じられない――縹卓之介を責める気はないわ。あの人はお父さんを助けるために匿ってくれたんだから。でも――それでもお父さんは自殺したのよ!? お父さんが事故で死んだって聞いて、お母さんも自殺したんじゃない! それなのに父さんは自殺だったなんて、お母さんが可哀想だわ。お父さんの事件の裏には、絶対――絶対――王室含め教団が関わってると思うの。」


 早口で言いきったまどかは、どかりとソファに身体を沈めた。いつも能天気な彼女らしくない、切羽詰まった様子だ。フタバはそんな姉がなんだか怖くて沈黙を守っている。


「ねえフタバくんはどう思うっ? お父さんのこと。今までずっと隠されてたんだよ、自殺してたこと!」


 出しぬけに言われて、フタバはハッとして姉の方を見た。まどかはソファから身を乗り出すようにしてフタバに質問を投げかけていた。


「そりゃ……自殺で死んでたっていうのはショックだけど――」


 発した声は少し怖気づいていて、我ながら情けないと思う。しかしまどかはそれを気にもせず、先を促すように大きく頷いた。

 フタバは続ける。


「そ、それよりも、姉ちゃんと俺がこの世界に呼ばれた理由の方が問題だよ。父さんの自殺はただの自殺じゃなかってことだろ?」

「――フタバくん」

「今さら怒ったって仕方ないよ! だ、大事なのは、俺と姉ちゃんが早くもとの世界に戻るってことだと思う……けど……」


 最後の方は尻切れ蜻蛉になってしまった。まどかの様子を気にしながら自信なく言葉を紡いでいったせいだ。

 姉の機嫌を伺いながらの態度を示すフタバに対し、まどかは弟の発言に感銘を受けていた。まだ十一歳の弟の言葉はまどかの心に深く刻みついたのである。過去の事件にばかり捉われていた自分に対し、フタバは“これから”が大事なのだと言った。姉弟(きょうだい)二人で無事にもとの世界へ帰ることが今、なにより大事だと。

 まどかはヒステリックに陥っていた自分を咎める。同時に、十歳近く年下の弟がいつの間にか立派に成長していることに深い感慨を覚えた。


「そうよねフタバくん……。ごめんね、お姉ちゃん、馬鹿だったわ。お父さんの事も大事だけど、私が今一番大事なのはフタバくんだもの。」


 まどかは言いながらソファから腰をあげて、ベッドに座るフタバに近づいた。未だにフタバは情けなく眉を下げた顔をしている。その表情はまだまだ幼い。まどかがクスリと笑った。


「なんてったって、フタバくんと私はふたりっきりの姉弟(きょうだい)だもんね!」

「うわっ」


 フタバが声を上げる。ベッドの淵に腰を落ち着けたまどかが、突然フタバに抱き着いたからだ。重い、痛い、と抗議の声をあげたフタバだったが姉が聞くはずもなく、ぎゅっと抱き着かれたままだ。しばらくして諦めたフタバが身体の力を抜くと、ようやくまどかが腕の中からフタバを解放する。

 そしてフタバを真正面から見据えて、花が飛ぶような満面の笑みをこぼした。


「私ね、今はフタバくんがいてくれればいいよ。フタバくんはまどかお姉ちゃんが守るからね。無事に元の世界に戻れるように。」

「そうだよ姉ちゃん。今は二人で帰ることが一番大事だよ」


 そこで会話は止まってしまう。まどかは返事を返さず、窓のほうに視線を移していた。窓の外の雪は()む様子はない。儚いようで、しかしポトポトと無邪気な音を奏でて窓ぶちに積もっていく。千年王国に来てから数週間――今では見慣れてしまったこの景観。まどかとフタバは沈黙を保ったまま窓の外を見つめていた。


「よく降るなー。佐々波さん動けないのに、雪かき、どーすんだろ?」


 ぽつりとフタバが言う。純真無垢なその声。まどかは眉を寄せ、唇をぎゅっと結んだ。何かに耐えているような険しい表情だった。その様子にフタバは気付かない。まどかは思った。フタバは本当に、淀みを知らない子だ。“こんな”教団にいていいような少年ではない。


(フタバくんは――フタバくんは私が守る。出来ることなら、今すぐにでも無事に家へ帰したい――)


 淀みを知らないうちに。汚れを知らないうちに。フタバは絶対に元の世界へ戻らなくてはならない存在だとまどかは強く思っている。戦争に巻き込んで命を落とさせるわけにはいかない。自分が守っていかなくては、とまどかは胸元で拳を握る。


(必ず、もとの世界へ戻るのよ、フタバくん……)


 たとえその時に、自分はついて行けれなくとも。




<第二十二話「(あと)」・終>




サブタイトルの「(あと)」は、縹が東條の事件を語ったあとのお話なので、「東條の事件が残した傷痕」という意味で。

東條の死の責任に捉われ続けている縹、東條の死がひよりの心に残した“教団の非道さ”の事実。

そして父の自殺が与えた井上姉弟の混乱。

東條の事件が残したそれらの(あと)をサブタイトルに採用。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ