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外伝・縹卓之介編  誓・4




※「誓・3」と同時投稿です。

外伝最終話になります。



  <外伝・縹卓之介編:(ちかい)・4>




 どのくらい時間が経ったのだろう。日はとうの昔に沈み、今では格子状の窓から月光が注いでいる。東條は捕らえられてから一口も食事を含んでいなかった。四肢を縛られたまま、壁に身を預けているだけ。団服は取り上げられたので今は着物を纏っているが、服装なんてどうでも良かった。自分の事など考えていられない。彼の思考を支配するのは異世界の事だけ。


 うなだれていた頭をハッとあげる。時々様子を見に来る神官しか訪れない牢の鉄格子の前には、いつの間にか人影があったのだ。教団の団服を翻しているその人物の顔は、暗がりと逆光によりよく見えなかった。

 牢の前の人物はしゃがみこみ、視線の位置を東條と合わせた。


「よお、ずいぶんと汚ねぇ格好だな」


 その声に東條は唇を戦慄(わなな)かせた。いくら位の高い人間にも少しの敬意を見せない、不遜な声色。この声をよく知っている。


「……縹くん…?」

「正解だ。――ちっ、この幽閉牢まで来るのずいぶんと苦労したぜ。まさか教団の地下に城と共有の牢があったとはな」


 東條は信じられない様子で目の前にしゃがみこむ人物、縹を見つめた。その視線に気がついたのか縹は口角をあげて笑う。彼にはニヤリとした笑みがよく似合った。


「化けモンでも見たような顔してんな」

「……どうやってここまで来た? 入り口には神官がいたはずだろう?」

「強行突破に決まってんだろ。鍛錬場から鍛練用の刀を持ってきたんだ、それでちょっとな」


 そんな事をして、団長にでも発覚すれば縹も罰を与えられるだろうに。東條の顔は優れないままだ。縹が何を思ったか、二人の間の鉄格子に顔を近づけると囁くように問う。


「なんで神器を私欲のために使った。アンタが三年前に話していたことを俺は覚えてるぜ。異世界と行き来できる属性能力がある神器なんだろ?」

「……ばれないと思ったんだ。私の使う『時鉾・邂逅(かいこう)』の地属性能力の事は、君にしか話していなかったからね」

「本当なのか。私欲のために異世界と行き来していたっつー話は」


 東條は沈黙することで肯定した。途端に縹は冷静だったさまを崩し、鉄格子を大きく揺らした。


「何してんだよ! あんたは私利私欲のために神器を使うタマじゃねぇだろ! このままじゃあのクソ団長に処刑されちまうぞ!」

「処刑は覚悟しているよ。私も師団長だからね、そのくらいの覚悟はできている。ただ、縹くん……君を入団試験まで面倒見てやれなかったことを悔いている。だからせめてもと、団長に頼んで君を団員に昇格してもらったんだ」


 ドン、と縹が床を思い切り殴る。


「んな事してもらってもちっとも嬉しくねぇんだよ! そんなこと悔いる暇あんなら、どうにかしてここから――」

「子供がいるんだ」


 しんとした静寂が薄暗い牢に落ちる。二人の息をする音だけが木霊していた。縹は詰まりそうになる言葉を、どうにかして絞り出す。


「こ、子供って――。異世界に、あんたの子供がいるのか?」

「ああ。一年ほど前に異世界で結婚して、家庭を持っている。だから頻繁にこちらの世界と行き来する必要があったんだ」

「…………。」


 言葉を失う縹を気の毒そうに東條は見下ろした。


「君にも言えなかった。誰にも言えなかった。それだけはバレないようにしていたんだ。しかし先日、実際に『邂逅』を使っているのを団員に目撃されてしまった。『邂逅』も取り上げられ、もう異世界には戻れない。かといってこの世界に残る意味もない。家族を……“あちらの世界”に残しているから。――私は処刑を待つ。神に背く行為はすべて処刑という、団長が決めた掟があるからね」


 おとなしく東條の言葉を聞きながら、縹は力なく床に置かれていた拳を握る。悔しかった。東條が自分に秘密を明かしてくれなかった事が悔しい。言ってくれれば、自分にも出来ることがあったのかもしれないのに。だが、このまま死なせはしない。あの卑劣な団長の手で東條を処刑させたくなかった。


「駄目だ」

「――縹くん?」

「そんな簡単に死なせてたまるかよ。あんたは俺が助ける。三年前にあんたが俺を助けてくれた恩を返してやる」

「何を言っているんだ……?」


 戸惑う東條をよそに縹はユラリと立ち上がる。そして手にしていた鍛練用の刀を掲げた。月光を反射させて刀身が鋭く光る。


「何をする気だ縹くん!?」

「黙ってろ!」


 次の瞬間、ガシャンという派手な音が牢内に大きく響いた。あまりの轟音に東條は目を瞑る。音が止むと慌てて視線を動かした。東條の目の前で、厚い鉄格子が真ん中で切り裂かれていたのだ。

 縹が大きく息を吐きながら刀を床に落とす。鉄格子を斬ったせいで腕が痺れるのか、その腕は震えていた。


「なんて事を……」


 まさか刀で鉄格子を斬るなんて。縹のどこにこんな力があったのだろうか。


「おら、行くぞ」


 グイ、と縹が裂けた鉄格子の間から東條の腕を掴む。縹の表情は何かに憑かれたかのように恐ろしく必死だった。されるがままに立ち上がる東條の四肢に食い込む縄を、縹は素手で断ち切る。何が彼をこんなに動かしているのだろうか。


「待て縹くん、私は逃げるわけにはいかない。私にはもう居場所はない。子供を残してきた今――存命する意味さえないんだ。」

「ハッ。勝手に天寿を全うしようとしてんじゃねぇよ。これだから兵士ってのは嫌なんだ。掟に忠実に従い、美しく命を散らすことを美徳としてやがるからな」


 縹は足を止めなかった。地下の階段を荒々しく登っていく。東條はそのあとをついていく事しか出来ないでいた。地上に出ると、そこは『白の教団』本部だった。牢獄への入り口となる、狭く湿った部屋。その部屋は地獄へと通ずる関門を連想させた。向けた視線をも吸い込み、差し込む光さえその闇の力で押し包むように暗い、牢獄への入り口。

 部屋の中には監視の神官がふたり転がって気を失っている。縹の仕業だ。倒れている神官を横目で見ながら、縹に連れられるまま東條はその小部屋を出た。すると、身に馴染んだ本部の廊下が現れる。


「私を助けたりなんかして、これからどうするつもりなんだ」

「あんたを“俺の部屋”で匿う。」

「……なんだって?」


 二人は廊下で立ち止まった。月光が差し込む神秘的な雰囲気のなか、二人の間には恐ろしいほど冷たい空気が流れている。明日も雪が降るだろうか。吸い込む空気は乾燥しているように感じた。

 縹の眼光が暗がりのなか、いたずらっぽく光る。


「今、俺が使っている部屋は、幹部専用階にあるあんたの自室の隣だ。しかしそれが、今度は寄宿舎の方に俺の部屋が設けられることになる。このたび、俺は優しい優しい第九師団長サマのおかげで居候から団員に昇格したからな」


 ニヤリと笑う縹を東條は訝しげに見下ろす。数年間、側で生活して縹の性格は熟知していた。縹がこんな風に狂気じみた笑みを浮かべる時は大抵、その優れた思考を披露するという時だった。縹は唯我独尊なだけの青年に見えるが、その実、常人とはかけ離れた優秀な頭脳を持っている。


「ま、普通なら今俺が使っている部屋は片づけられるだろうな。隣のあんたの部屋もだ。あんたはもう解雇された人間だからな」

「――何を企んでいるんだい?」

「あの糞団長が軽率な考えであんたの懇願を受けてくれたから好都合だ。すべてはあんたのおかげだぜ」


 自分のおかげ、と言われて東條は困惑に肩を揺らした。


「まだ分かんねぇか? 入団試験をパスして入団した俺は、規定外――いわばルール違反で団員になったんだぜ。誰かさんの口添えのおかげでな。そんなこと、あの団長が公に明かすと思うか?」

「それは――……」

「あの胸糞悪い団長を見てりゃ分かるぜ。あいつは裏で汚いことしてるくせに、プライドだけは高い。俺の不法入団のことは黙っておくに違いねぇ。とくに師団長の連中には絶対言わないだろうな。違反行為を団長が公認していたなんてバレたら、奴の辞任は確定だろ。つまりあんたのおかげで、俺達は団長の弱みを握ってんだよ」


 もはや東條は頷くしかなかった。


「俺は団長にちょっとワガママ言って、今のまま幹部階の部屋を使わせてもらえるように頼む。ま、クソ団長に拒むことは出来ねぇよ。いざとなったら脅せるからな」


 脅す、という単語が発せられたことで、縹が本気なのだと東條は悟った。負けず嫌いで虚勢を張って吠えているだけだと、いつもなら思っていたのに。


「だが団長以外の幹部は、俺が幹部階の部屋を使い続けるとは知らない。だから通例どおり、団員になった俺の部屋が寄宿舎にも用意される。本部内に俺の部屋が二つできるって事だ」

「……そのうちの一つを、私が使えと?」

「正解。あんたが使うのは寄宿舎の方がいいだろうな。団員達が家畜同然にすし詰めにされてっから、いちいち幹部が監視もしねぇだろ。俺は幹部専用階で、うまい具合にやってみせる」


 確かに――、団員たちの寄宿舎での行動に幹部が干渉することはない。それは師団長である東條自身がよく知っていた。監視もなく、隣室が誰かも分からない寄宿舎なら、身を隠すことは容易だ。

 よくそんなところまで考えが及んだものだ。東條は縹に対して感心を通り越し、畏怖の念を感じた。


「君の心づかいには感謝したいが……私はもう本当に、生きている意味なんて」

「ったく、あんたも自分勝手なところがあるな。もう少し他人の事を考えてみろよ」


 “自分勝手”という言葉が縹の口から出てきて東條は面食らう。縹にそう言われると妙な気分だ。


「いいか、あんたはもう自分の命に用はないかもしれねぇけどな、俺はまだあんたに用があんだよ」

「――は?」

「俺にはまだあんたが必要だって言ってんだ」


 縹は東條に背を向けて、暗い廊下を歩き始めた。東條から縹の表情は見えなかったが、おそらくひどく思いつめた顔をしているのだろうと、その苦しげな声色から想像出来た。

 与えられたばかりの真新しい団服を翻しながら縹は続ける。


「居場所がないなら、俺があんたの居場所になってやる。三年前、あんたが俺の居場所になってくれたように」


 縹の背が曲がり角に消える。 東條は何も言えなくなってしまった。縹がそんなことを思って、自分を助けてくれたとは。縹はただ不遜なだけの青年ではなかったのだ。彼は東條が思っていた以上の人間だ。

 しかし東條は――素直に縹の好意をうけることに、まだためらいを感じているのだった。





  < 2 >



 それから四年の月日が流れた。

 粉雪が舞う穏やかな寒さのなか、縹は『白の国』の城にいた。教団の横にある長い坂道を登っていった先にあるその城。今日縹がその城を訪れた理由は、ある書類に国王の捺印を必要としたからだった。


「ふむ……こんなものかね」

「ありがとうございます」


 髭を擦りながら、国王が捺印し終えた書類を縹に手渡す。縹は無表情のまま書類を受け取った。何年経っても縹の無愛想は変わらない。

 城の王室間は、白色の調度品や装飾で統一されていた。そのなかで一層目立つ赤色のソファに、たっぷりとした髭を生やした好々爺は身体を沈めている。国王は笑いながら言った。


「いやあ、しかし驚いたよ! 白の教団のことは設立された当初から知っておるが――君のような若い青年が団長になるのは初めてだよ! たいした若者だ!」

「そりゃどうも。」


 踏ん反りかって背もたれに凭れ掛かる縹。その団服の胸では団長の証である鷲のエンブレムが荘厳と輝いている。予想以上に不遜な縹の態度。国王は対応に困っているようだった。


「しかしよくもまあ……あの頑固な屋隠(やがくれ)前団長を納得させたものだなあ。まあ、わしも屋隠くんは正直団長に向いていないと思っていたのだよ。何せ自分の都合ですべてを采配してしまうからのお……。しかし、どうやって団長の座を譲ってもらったんだい?」


 ピクリと縹の眉が動く。怒りを買ってしまったかと、途端に国王は慌て始めた。


「いや、言いたくないならいいのだよ! いろいろ、事情も、あるだろうからの。」


 国王がたかが護衛団の団長に恐縮するのも変な話だが、縹という青年にはそれだけの威圧感が備わっているのだ。明らかに戸惑い始めた国王を見て、縹がようやく笑みをこぼす。


「屋隠のオッサンとの“約束”だったからな。」


 意味深なその笑みと言葉の意味を、国王は努めて考えないようにする。縹はいつまでも笑っていた。蛇のような眼光が光り、口元が狡猾な笑みで歪んでいる。史上最年少団長に就任した青年。油断していると自分すら喰われてしまいそうだ、と国王はこっそり舌を出した。




  < 3 >



 国王との謁見を終えた縹はすぐに教団の本部へ戻ってきた。本部内の団員たちが自分と擦れ違うたびに会釈をしてくる。これもこれで鬱陶しいな、と思う。しかもまだ団長の就任式を迎えていないので、正式に就任したわけではないのに、縹の扱いはすでに“団長”だった。


 縹は静かに廊下を歩いていた。国王の言葉を思い出す。

――『どうやって団長の座を譲ってもらったんだい?』

 グッと拳を握った。譲ってもらったなんて、そんな生ぬるいものじゃない。そう強く言いたい気分だった。


 前団長だった屋隠は先日死んだ。いや、殺されたのだ。

 屋隠を殺したのは縹の兄・アルベルトだった。屋隠とアルベルトはかつてより裏で繋がっていたようで、縁は深い。四年前に東條解雇の事件があった際も、アルベルトの手引きによって屋隠はお気に入りの妓楼を私物化していた。」


 しかしアルベルトは屋隠を殺した。白の教団の団長という、地位も権力もあった屋隠は兄にとって絶好の金づるであったはずなのに。それを問うたときに、兄はこう言って笑っていた。


『ヴィクドール、お前が団長として教団を興すのを僕は見てみたいんだ。あの屋隠からもう十分な金は頂いたし、次はお前に楽しませてもらうよ。団長の椅子に偉そうに座り、屋隠が荒らした秩序と規律を直してみるといい』


 屋隠の悪事によって、教団はすっかり兄の手のなかにあったのだ。縹はそのまま団長に就任することになった。たとえそれが兄の策の一つでも、縹は団長になることが絶対に必要だったのだ。


(……俺はまだ何も成していない)


 兄の手のひらから教団を解放すること、そして、東條の身を開放すること――。それらを成し遂げるには自分が団長になることが不可欠だったのだ。


 東條は四年前に捕まった際に軍儀にかけられ処刑が決定したが、その時すでに縹によって東條の身は隠されていた。頭が良く、口の達者な縹だ。団長の屋隠を欺くことは容易で、あれから四年間――東條は無事のまま寄宿舎の一室で生活している。

 縹の信頼している同僚や後輩の中には東條がまだ教団内にいることを知っている者もいたが、彼らは東條のことを前団長にバラすことはなかった。


(これであの人を教団から出してやれる……。あの人は拒絶し続けているが、異世界にいる家族のもとへ行くべきだ)


 東條の様子はここ最近、すっかり静かになってしまった。食事もしっかり摂っているし運動もしているはずなのに。元気がない、といった表現が正しいだろうか。聡い彼だ。己の身を蝕むような生活は送らないだろうに。

 やはり“隠れている”という生活ゆえに精神を病んでしまったのか。そうだとしたら原因は自分だ、と縹は眉を寄せた。死にたいと言っていた東條を半ば強引に生きさせ、隠れさせたのだから。しかしあの判断が間違っているとは思わない。屋隠の手で処刑などさせたくなかったし、東條には家族もいるのだから。

 東條は四年前に異世界との交流を絶つ際、自分は事故で死んだ、と家族に伝わるよう手配してきたらしい。それなら早く家族のもとへ戻り、生きている姿を見せるべきだと縹は思っている。


 縹は歩みを速めた。

 いま過去のことを悩んでも仕方が無い。

 もう自分は団長になったのだ。教団の最高権力者だ。今すぐに東條を解放してやろう。東條に助けられてから六年――ようやく団長の座を手に入れたと、一刻も早く報告して。次は自分が東條を助けてやる番なのだと誓った四年前の事件の日。あの日の誓いだけを糧に今日まできたのだから。


(あの人、どんな顔すっかな……)


 自分に『縹 卓之介』という名と居場所を与えてくれ、兄代わりだと言った東條。団長に就任したことを、我が身のように喜んでくれるに違いない。東條が破顔する様子が目に浮かび、縹はこっそり笑った。


 寄宿舎にやって来ると団員の姿はまばらになった。日中なので、本部で仕事や鍛錬をしている団員が多いのである。窓の外では穏やかな雪が舞っていた。それらは一点の曇りもなく庭に銀世界を形成する。

 縹は足早に東條の部屋へ向かった。気持ちがつい早まってしまう。自分としたことが。落ち着かなければ。すぐに東條の部屋の前へたどり着いた。一階の一番奥のその部屋。


 周りに団員がいないことを確認すると、縹は深呼吸しながらドアノブに手を掛ける。

 いつもこの扉を開けるときは少し緊張する。この部屋に閉じ込めているのは自分だ――こうした方が正しいと信じているが、死にたいと願う東條の意思を無視しているのだからやはり心は痛む。それに東條には生きていて欲しい、と願う自分の勝手な思いもあって無理やり閉じ込めているのだ。

 この扉を開けて、ソファに腰掛けながら読書をしている東條が微笑みながら自分を迎えてくれるたびに安心するのだ。


「――おい……?」


 扉を少し開いた瞬間、縹の身体を陰湿な空気が包んだ。部屋の中から湿ったような、息詰まるような空気が流れてくる。日中にも関わらず部屋のなかは真っ暗だった。締め切られたカーテンからかろうじて外の光が透けているだけ。その部屋はまるで、外で降り積もっていく雪の音が聞こえてきそうなほどに静かで、とても人がいるようには感じられなかった。


(珍しい……あの人、いないのか?)


 扉を半分だけ開けたまま、縹はその場に固まる。いつも自分を迎える微笑みがないことが、ひどく彼を動揺させた。

――妙だ。こんな日中に東條が一人で出歩くことはない。団員に見つかる可能性が高いからだ。身体を動かしたい、と散歩に行く時は決まって夜なのである。シャワーやトイレなどは部屋に完備してあるし、部屋から出るときなどないはずだ。


 きっと昼寝でもしているのだろう、と縹は扉を遠慮がちに大きく開く。


「――……!」


 途端に縹は全身を硬直させた。目が見開き、唇がわななく。身体に強い衝撃が走った。

 縹の視線の先には、東條が普段使っているベッドがある。暗い室内にボンヤリと浮かぶ白いベッドの足元に、東條が座っていた。正座したまま前に身体を折り、頭を床に伏せている。腹部の辺りに納められている両腕の間から、護身用の刀の柄が伸びている。そこからは血が溢れていた。行き場を見失った生命が零れているかのように。


「…………。」


 縹は後ろ手で扉を閉めると、フラリと足を進める。東條の前まで来て、その場に膝をつく。東條は身体を折り頭を床に伏せているためにその表情は見えない。ただ、東條の腹部辺りからとめどなく流れてくる真新しい血潮が、つい先ほどまで彼が生きていたことを物語っていた。


 誰に謝るわけでもないのに申し訳なさそうに背を丸めている東條の背中を、縹はボンヤリと見つめていた。その瞳にいつもの鋭い眼光はなく、まるで物を映すのを拒んでいるかのように 虚ろなだけだった。

 ああ、そういえばこの人の名前を呼んだこと無かったな。と頭の隅でまったく関係のないことを考える。


(勝手に、死ぬなって、言ったっつーのに……)



 自分が間違っていたのだろうか。

 四年前のあのとき――東條を助け、匿うと決意したのが間違いだったのだろうか。

 東條の願いどおり、処刑されるのを大人しく見ていれば良かったのだろうか。


 そうすれば彼は、自ら命を絶つという決断を下すことはなかったとでもいうのだろうか。




  <外伝・縹 卓之介編「(ちかい)・4」・終>




 同じ言葉ばかり誓い続けた


 失くさなければ気付かないから



 俺の誓いがなければ


 あんたは違う道を選べたのだろうか


 穏やかに笑える


 もう片方の道を












サブタイトルの「(ちかい)」、言うまでもなく縹の“自分が東條を守る”という誓いのことです。

普通こういうタイトルって前向きな話って雰囲気ありますけど、最終的に縹は自分の誓いが間違っていたのかと絶望してます。

なので皮肉気味なサブタイトルとなりました。

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