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第十九話  夜



 リリスは窓の淵に手を掛けた。屋敷を囲む荒野の向こう、明かり一つ灯されていない黒の国の街が遠くに広がっている。

 いつもと同じ殺伐としたこの風景なのだが、今日は何かが違う気がした――耳を澄ます――馬蹄の音が聞こえる――馬車の音だ。“悪魔”は五感が一般人より発達している。遠くの馬の蹄の音を聞き取るくらい容易だ。


(馬車なんて使うのは他の国の連中だわ。まさか……)


 リリスは窓辺から離れると、足早に自室を出て行く。誰もいない暗い廊下に出る。迷わず真っ直ぐ進む。やがて現れた螺旋階段を駆け足で上った。屋敷は塔のように階が多くある。最上階まで上るのは毎回大変だ。

 階段の踊り場に上がったとき、ちょうど上から階段を降りてきた人影とぶつかった。リリスとぶつかった人物は、小柄な少女――銀髪の髪と猫耳を持つ、幻獣の少女だった。

 聞く者誰もが“可愛いらしい”と形容するだろう声で、少女は言った。


「わっ、なんだリリスか〜。びっくりしたあ。この館の廊下、ランプ少ないから気付かなかったよお。サタン様にランプ増やしてもらうように頼もうかなあ? ねえリリスもそう思わないっ?」


 すぐさまカッとなってリリスが叫ぶ。


「あのね! アタシはローズなんかと喋ってる暇なんかないのよ! 話しかけないでくれる!? いちいちウザいんだから!」

「サタン様のところに行くのお?」

「アンタに関係ないでしょっ!?」


 悪気を微塵も見せず無邪気に近寄ってくるローズを追い払うように無視したリリスは、そのままローズが降りてきた階段をあがっていく。

 後ろ姿からもリリスの憤慨の様子は分かる。その様子をきょとんとした様子で眺めるローズ。臀部から伸びる銀色の猫の尻尾が頼りなさげに揺れていた。ローズはぽつりと言った。


「リリスってローズのこと嫌いなのかなあ……?」



  <第十九話:夜>



 ローズを追い払った後、屋敷の最上階に到着したリリスは落ち着きを取り戻して、薄暗く、月光が注ぐ廊下を歩いていた。最上階に部屋は一室しかない――我が主の部屋だ。その部屋の扉は荘厳な漆塗りになっていて、重厚さを漂わせている。リリスはその扉を控えめに叩いた。


「入れ」


 扉の向こうからの返事はやや低く、穏やかなものだった。安心するその声。リリスはすぐに扉を開けた。


「サタン様、リリスです。」


 言いながら扉を後ろ手で閉める。扉が閉まると同時に明かり一つ灯っていなかった室内にランプの光が灯る。椅子に鎮座する人物の姿が浮かび上がった。

 人物の背後の巨大な窓からは月明かりが差し、室内には赤いランプが灯り、幻想的な室内を演出している。その美しい光景こそ我が主にふさわしい――リリスは思いながら言葉を続けた。


「馬車がこの屋敷のほうへ向かっています。馬車を使うという事は――ここより北の国――青の国か、翠の国か……」

「“白の国”か」


 椅子に座る男が言葉を代わる。


「はい、サタン様。白の国の者かと。先日、アタシが師団長に傷を負わせたのが、あいつらを動かしたみたいです」


 月光が男の顔を照らし出した。若く、端正で上品そうな青年の顔が浮かび上がる。とても“黒”という言葉などとは無縁に思える――そんな好青年だった。黒檀色の長髪がすっきりとした輪郭の周りを流れ、ヒスイ色の瞳が美しい顔に彩りを添えている。

 関わった者すべてが陶酔するのも頷ける。そんな美しい男は、“サタン”という悪魔の名だった。


「あいつらもただ視察に来ただけだろう。放っておけ」

「でもっ、あいつらは師団長のみのたった数人で来ています。絶好のチャンスじゃないですか! アタシが全員殺してやりますよ! ねぇサタン様!」


 サタンはそれをきっぱりと咎める。抑揚のある、歌っているような声色だった。


「駄目だ。そんなことをしたら今夜中に白の国からの総攻撃を受けるぞ。……私の計画を壊す気か?」


 鋭い眼光で睨まれて、リリスは口を閉ざした。サタンの瞳は美しい――だが、美しいこそ、怒りを露にしたときに恐ろしいのだ。

 リリスは深く頭を下げた。


「かしこまりましたご主人様(ウィ・ムスィ)。」





  < 2 >



 夜は更けていった。


「ノワール 魔導衆(まどうしゅう)?」


 市川が頷く。フタバたち三人は未だ馬車に揺られていた。


「ああ。俺たち“白の教団”の黒の国バージョンや。黒の国の『国家護衛団・ノワール魔導衆』。黒の国は宗教文化が根強いからな、魔導衆の奴らは魔術を使うねん。奴らは悪魔なんや。よう分からんけど、“(うつわ)”とする人間の皮を被っとるらしいで」

「あ、悪魔……?」


 控えめに陽炎が口を挟んだ。


「国家護衛のための軍隊はどこの国にもあるのです。ただ、強さの面ではわたしども“白の教団”と黒の国の“ノワール魔導衆”が互角の争いをしているのです。――先日、佐々波殿を負傷させた『リリス』というおなごも、ノワール魔導衆の幹部なのです」


 フタバはその時のことを思い出した。市場に買出しへ出かけたときのこと。黒ずくめの女・リリスは確かに“魔女の麻薬”といった魔術を使っていた。あれが黒の国の国家護衛団の力なのか。


「じゃあ、これから行くのって――」


 フタバが言いかけた時、馬車が止まった。雇った従者の者が窓から顔を覗かせ、目的地に到着した事を知らせた。フタバは場所を把握するため窓の外を見たが、真っ暗で分からない。そうしているうちに市川と陽炎は馬車から降りていた。

 慌てて後を追いながらフタバが言う。


「着いたのっ? 市川さん……ここは?」


 ニヤリと狡猾な笑いを浮かべた市川が答えた。


「ノワール魔導衆の屋敷や」



  < 3 >


 三人は連れ立って歩き、魔導衆の屋敷に近付いていった。屋敷の周りは雑草ひとつ生えていない殺伐とした更地だった。街からはだいぶ離れているようで、森に囲まれた白の教団の本部と少し似ているとフタバは思った。

 屋敷に近付くと、その外観が鮮明に姿を現す。教団の本部とは違い、ただ塔のように縦長になっているだけの西洋風の屋敷だった。軍隊の施設にしてはこじんまりとしている――そんな印象を受けた。


「黒の国と戦争をしたことは大昔に一度しかないんや」


 屋敷までの道のりで市川が言う。フタバは視線だけで返事をした。


「でも、団長はんを始めとした教団全体は黒の国を一番の強敵やと思っとる。俺もそうや。黒の国と戦争をしたことはない――それはお互いに牽制し合い、探り合いを続けとるだけなんや。一度戦争をすると、それこそ大規模な戦争になる。なんてったって千年王国の二大大国の戦争やからな」


 市川は一度息をつくと、再び話始めた。


「せやから強敵とは分かっとっても、奴らの使う魔術や魔導衆のメンバーの情報を全然知らんのや。俺らが今回偵察を任されたのはそのためや。黒の国との戦争が近い――せやから、メンバーの数や魔術の詳細などを知っておく必要があるってわけや」


 そうなんだ、とフタバは曖昧な返事を返しておく。そんな事よりも、なぜ自分がこの任務に同行させられたかの方が気になるのである。

 やがて魔導衆の屋敷の前へとたどり着いた。見張りどころか人影が全く見当たらない。陽炎が呟くように言った。


「市川殿、屋敷の中にも人の気配はわずかしか感じられませぬ。――出払っているのでしょうか。」

「ん〜? いや……」


 中途半端に返事を濁すと、無言のまま市川は屋敷の壁沿いに歩く。足音を立てない歩き方だ。その様子からも偵察のための修練を重ねているのだと伺える。屋敷はだいぶ年季が入ったものらしく、蔦が這い、瓦礫と化しているところもある。フタバが足元に気を払いながら市川の後を追っていると、突然に市川が立ち止まった。


「本当に人の気配ないなあ。もう正面から進入してみたほうがええな」

「えっ!? 中に入るの!?」

「当たり前やろ。何のために俺ら師団長がこの任務に駆り出されたと思っとるんや? ただコッソリ偵察するだけなら適当な団員に任せるやろ。俺ら師団長が任されたっちゅーことは無茶で大胆なことをしてでも有益な情報を集めて来いってことやねん」


 戸惑うフタバを他所に、市川と陽炎はさも当然といった風に屋敷の正面扉に向かう。巨大な扉が姿を現した。どこか禍々しく感じられる黒い扉。悪魔の装飾がなされている。

 市川と陽炎が扉の両脇に待機し、フタバは市川の背に隠れた。市川は『妖刀・黒姫』、陽炎は『朱槍・紅偲び』と、それぞれの神器(じんき)を構えている。


「開けるで」


 市川が小声で言う。陽炎が頷いた。二人の間で錆び付いた音を立て、ゆっくりと扉が開く……。


「ここは――…」


 屋敷の玄関が三人の前に姿を現した。暗闇のなか、古びたシャンデリアの明かりだけがボンヤリと浮かび上がっている。どことなく教団の玄関ホールと似ている広く丸い形の部屋。玄関の左右に部屋はなく、ただ正面に螺旋階段が塔高くまで伸びているだけだった。簡素な造り――それゆえに誰もいないのが怪しい。


 忍び足で中に入る市川の後ろにフタバが続いた。足音を立てないように、慎重に。こんなに緊張したのは初めてかもしれない。陽炎が低く声を潜めて呟いた。


「市川殿、なぜ誰もいないのでしょうか? よもやわたくし共の偵察が知られているという事はありますまいな……?」

「んー、いやー、バレとるかもしれんな。誰もいないのも罠かもしれへんで」


 緊張に身を固くしていたフタバが、背後で閉まった玄関の扉に視線をとまらせる。そこには褐色で光沢のある、羊羹紙が貼り付けられてあった。


「市川さん、この紙は?」

「ん? なんか見つけたんか弟クン?」

「これ……なんか書いてある」


 フタバが差した紙に市川と陽炎が注目する。真新しい羊羹紙には文字が羅列してあった。


【magie du noir】

Satan

Lilith

Lucifer

Belphegor

Mammon

Belzebuth

Аsmodeus

Monstre

Rose

【sept grandes infractions】



「……なんて書いてあるの?」


 フタバの質問に市川はじっとして紙を凝視するばかりで答えなかった。


「市川殿、読めるのですか」

「んー」


 じっくりと時間を稼いだのち、市川がようやく口を開いた。


「どーやら魔導衆のメンバーの名前みたいやな。幹部だけの名前かもしれへんけど――この屋敷の人気(ひとけ)の無さから察するに、この九人だけが魔導衆のメンバーやと思うで」

「国家護衛団の軍隊のメンバーが九人だけとは考えられませぬが……」


 二人は同時に黙り込む。フタバは話についていけず、二人の顔を交互に見上げるだけだった。玄関にしんとした静寂が流れる。鉄格子と似ている窓が玄関をグルリと囲むように設置されており、そこから叢雲に隠された薄い月の光が差していた。


 さてどうしたものか……。そう三人が貼り紙から目を離そうとしたとき、


「わあ〜、お客さんだあ!」


 三人の背後から場違いな程に明るい声が玄関に響いた。


「――っ!?」


 同時に振り向くと、玄関の中央にそびえる巨大な螺旋階段の手すりに小柄な少女が座っていた。魔導衆のひとりのはずだが、殺気などはまるで感じない。

 フタバは市川の背に隠れながら少女を凝視する。歳は高校生くらいだと思うが、喋り方や雰囲気からして幼く感じた。何よりフタバを驚かせたのは少女の容姿だ。珍しい銀髪の髪から覗く“猫耳”と、少女の臀部から伸びた長い尻尾である。


(猫耳……あれ本物!?)


 市川と陽炎も同じことを思っているのか、じっと少女の方を見ている。

 少女・ローズは可愛らしい笑みを満面に浮かべて言った。尻尾にくくり付いている鈴が涼しい音を立てて鳴る。


「あのねえ、お屋敷にお客さんが来るのって久しぶりなんだよお。お兄さんとお姉さんとー……小さなボク! みんな白の国の人なんでしょ? ローズ知ってるよお。サタン様が言ってたもん!」

「サタン様やて?」


 いぶかしげに市川が呟く。ローズが声をあげて笑った。


「そうだよ! とっても素敵な、ローズのご主人様(ムスィ)なんだあ。羨ましいでしょ?」


 三人は答えないでいた。すると少女が軽い身のこなしで手すりから飛び降り、三人に背を向けて螺旋階段に足を掛けた。顔だけ振り向かせ、ニッコリと笑う。


「サタン様言ってたよお。“全部知ってる”って。君たちがここに来る事も、小さな男の子を連れてくることも。小さなボクが千年王国にやって来た理由も。だけどサタン様はまだ手を出さないんだって。どうしてだろうね?」


 鈴の音が玄関に響いた。ローズはそれだけ言い残し、足早に階段を上がっていってしまった。もとの静寂が戻る。市川が何事もなかったかのように口を開いた。


「偵察もお見通しやったってワケか」

「そのようですね。あの娘……獣の耳と尾を持っておりました。幻獣(げんじゅう)という生物だと思われます」


 陽炎も言いながらため息を吐く。市川は神器の黒姫を鞘に収めた。


「出鼻くじかれた感じやな。サタンっちゅーボスっぽい奴は俺らの偵察を知っとるみたいやし。これ以上探り入れられんわ。まあ魔導衆が九人しかいないっちゅう事は分かったし、もうええか」


 市川の言葉に陽炎が頷いていた。フタバは先ほどから何をするわけでも無く立ちすくんでいる。三人は屋敷を出て行った。外で待たしておいた馬車に再び乗車する。フタバはやはり市川の隣に座った。市川も陽炎も一言も言葉を発することはなく、来るときよりも更に居心地の悪い車内となった。


 馬車が揺れる。すでに夜中だ。屋敷の中にいるときよりも月光が強く感じられる。この黒の国は街にすら明かりひとつ無く――月の満ち欠けを嫌というほど感じることが出来る。白の国では曇り空が多いため、綺麗な月夜を見るのはフタバ自身久しぶりだった。


(あの猫耳の女の子……サタンって人はオレが千年王国に来た理由を知ってるって言ってた……)


 どうして黒の国の、敵である軍隊の主が知っているのだろう。

 答えは出るはずもない。ただただフタバは沈黙の車内のなか、馬車の揺らぎに身を任せていた。




<第十九話「夜」・終>






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