第一話 始
夕方六時。
日課のアニメを見ていた。
姉ちゃんが夕飯を作る音を聞きながら見ていると、アニメは戦闘シーンに突入。
なんだか眠くなって目を閉じると、急に鼻がもげそうな臭いがした。
瞼を上げると、目の前に男の首が転がっていた。
<第一話:始>
「うっ、うわあ!」
どて、とフタバは後ろに尻餅をつく。痛む臀部を気にする余裕もなかった。 だって目の前には、真新しい死体が転がっているのだ。
「な、なんだよコレ……」
男の死体からは血がドクドクと流れ出てきて、フタバの嗅覚を刺す。ひどい臭いに、うぐ、と呻いて鼻を押さえた。
そしてひどく寒い。五月だったはずなのに、ここはまるで冬のよう。薄いパーカーと半ズボン、という格好のフタバはぶるりと震えた。
(オレさっきまで家でアニメ見てたのに! なんだよここ! なんだこれ!)
押し寄せてくる血の臭い。吐き気を飲み込むと、フタバはよろりと立ち上がる。周りは霧だらけだ。何も見えない。フタバの立つ道路の両端に建物が連なっていることくらいはどうにか分かった。人の気配はない。
「なんだボウズ? 逃げ遅れたのかぁ?」
フタバは背後からの声に勢いよく振り向いた。
軍服を着た強面の男が、死んでいる男を踏みつけて仁王立ちしていた。重そうな剣をかついでいる。剣には滴るほどの血液が付着していたが、霧の中、フタバの視界にとまることは無かった。
(よかった……、人がいた!)
と、フタバが素直に安心したのもつかの間、男はガン! と音を轟かせてフタバの目の前の地面に剣を突き刺したのだ。
「うぉっ! なっ、なんだよ危ないなー!」
衝撃に慌てふためくと、男は口元をにやりと歪めた。
「子供でも容赦しねぇ! 死ね!」
「な、何だよアンター!?」
またも剣を振りかざしてくる男から、フタバは転びそうになりながら逃げる。もつれる足をなんとか叱咤させ、霧の中、当ても無く逃げた。
辺りは霧に覆われていて、走っても走ってもどこにやって来たのかは分からない。しかしフタバは後ろを振り返ることなく走った。自分が追っているのか追われているのか自分でも分からない位に。
「はぁっ……ここまで来れば大丈夫……かなぁ…っ」
フタバは肩で息をしながら、地面に座り込んだ。
振り向くと、先ほどの男は追ってきていないようだった。安心して辺りを見回すと、霧の向こうにうっすらと家が立ち並んでいるのが分かった。街灯やベンチも見える。街中のようだった。しかしその外観は現代の日本とは思えない建物ばかりだったのだ。
(どこなんだろーここ……ドラ●エみてー)
と、最近フタバは呑気にハマッているゲームのことを思い出した。
霧が晴れてくると、やはり日本とは違う、レンガ造りの建物が並んでいたのがよく分かった。人の気配は恐ろしいほど皆無だった。
(とりあえず!)
ふんっ、とフタバはまだ小さな拳を握る。
「現地の人を探そう! 綾乃先生も初めての場所に行った時はそうしろって言ってたもんな!」
ちなみに綾乃先生とはフタバの小学校の担任である。
まだ幼いがゆえ、突然やって来た未知の場所でも動じないのがフタバという少年だった。
そのままフタバは一歩を踏み出したが、すぐに足元の“何か”につまづき、大げさに転んでしまう。
「あ゛ー! 痛ってえええ!」
地面に擦れた膝を抑える。さっきからツイてない。何につまづいたのだろう。
振り向くと、そこには民間人らしき女性が血だまりに倒れていた。剥き出しになっている眼球、あらぬ方向に向いている手足。さっき男の血だらけの首を見たばかりなのに。
「…………。」
いったい、何が起こってるんだ。
そのままフタバはパタリと倒れ、意識を手放したのだった……。
≪ 2 ≫
アンタってとんでもなく抜けてるよね、と会社の同僚によく言われるが、ついに瞬間移動まで出来るようになるなんて!
「私って超能力者だったのね!」
井上まどかはそう言って笑顔を浮かべた。
が、冷静に考えるとやはり“この状況”はおかしい。瞬間移動なんてばかばかしい。さすがのまどかにもそれは分かる。
――で、ここはどこかしら?
辺りには霧が立ち込めていた。相まって酷い寒さだ。
まどかは困惑気味の足取りで歩を進める。大通りの真ん中に、自分ひとりしか人影は無かった。
まどかはつい先ほどまでの自らの行動を思い返してみる。
夕飯を作っていた。両親はいないから、家事は彼女の役目。そして、醤油を取ろうと振り返った。そしたら、なぜかこの殺伐とした街中にいたのである。
次にまどかは自分の格好を見てみる。何も変わっていない。お気に入りのアンサンブルカーディガンにシフォンスカート。“OLらしい”という理由でお気に入りのコーディネート。いつものままだった。
「何かが私の身に起こってるんだわ……どうしよう、映画みたいでドキドキしてきちゃった。昔見た『ドラ●もん・のび太のアニマル惑星』を思い出すわね……」
そうこう言っているうちに、霧は幾分晴れて街の様子が見えてきた。ヨーロッパの町並みと似ている。日本じゃない、とまどかが思った時、ふと前方に人影が見えた。
目を凝らすと、人影はまどかに向かって真っ直ぐ歩んできていた。ロングコートを着ている。髪が長い。女性だろうか。
「あなたが井上まどかさんですね?」
まどかの目の前にやってきて柔らかく微笑むその人は、目を疑うほどの麗人だった。腰までの黒髪が霧の中、神秘的に艶めいて揺れている。
上品に微笑む姿はさながら大和撫子のよう。
「あの、あなたは?」
戸惑いながらまどかが返すと、麗人はさらに目を細めて笑った。長い髪が揺れる。ロングコートの裾も揺れる。まどかがよく観察すると、麗人の着る白いロングコートは軍服なのだと気付いた。
「私は桜月。九十九桜月です。貴方をお迎えに参りました。国王様がお呼びです」
眉が山型になるほどまどかは目を丸くして驚いた。
ひとつは、桜月と名乗る麗人が日本名を名乗ったということ。ここは日本なのか? しかし街に並ぶ家はどう見てもヨーロッパのそれだ。
ふたつに、国王という人物が自分をこの見知らぬ場所に呼んだ、ということだ。
「私が、国王様に、呼ばれて、る?」
確かめるように桜月を上目遣いで見る。そこで桜月が意外と背が高いことに気がついた。
そしてまどかはフワフワとカールしている自分の髪をくるくると弄った。分からない事に対面するとそうするのは彼女の癖だ。
桜月がええ、とやはり微笑んで疑問に肯定した。
「質問したいんですけど」
高く、ハッキリとしたまどかの声が霧に紛れて消えていった。まどかは目の前の麗人を怪しむかのように一睨みすると、声を低くした。
「ここはどこなんです? 国王様って?」
桜月は相変わらずニコニコと笑っている。
「説明しますから、ついてきて下さい。」
二人は霧のなか、連れだって歩いた。まどかはしきりに辺りを見回す事に忙しかった。なぜ誰も街にいないのだろう。気になったが聞けなかった。
真っ直ぐ前を見て静かに歩いていた桜月がふいに立ち止まった。
それは教会の前だった。いつの間にか町外れまで来たのだろう。辺りに民家はなく、小さな教会だけが霧の中に浮かびあがっていた。
「ここに入りましょう。街中は“危険です”」
「危険?」
まどかがきちんと問う前に、桜月は教会の扉に手を掛けた。ギイ、と錆び付いた音。両開きの扉が開き、霧が吸い込まれていった……。
<第一話 「始」・終>