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第十六話  陰



 中庭に寒椿が咲いていた。この白の国は寒気しか訪れないので、鮮やかな紅色の花を眺める機会など滅多にない。城の庭師が、教団の中庭にも植えつけてくれたものだ。


「…………。」


 一枚、真っ赤な花びらを摘み取って、陽炎(かげろう)はきつく眉を寄せた。

 赤色は嫌いだ。燃えるような色になぜか自分を見ているようで、目を逸らしたくなる。赤色は嫌いなのに、己の唇は滴るほどの赤色を浮かばせ、心の中もいつだって燃えているのだ。


(卓之介さま……今日もわたしに会っては下さらぬのか……)


 中庭から団長室が見える。窓のカーテンは隙間なく閉められてた。吹雪はやんでいる。団長室の方角から目を離すと、寒椿に積もった雪を無意識に落としていた。


「あれ、陽炎はん?」


 ハッと背後を振り向くと、市川椿が微笑みながら噴水のところに立っていた。本部の入り口とは反対側なので、寄宿舎のほうからやって来たのだろう。


「い、市川殿……っ」


 動揺を隠せず、上ずった声になってしまったのが陽炎自身にも分かった。それに構わず、市川は雪を踏みしめて陽炎の前にまで近寄る。


「昨日すごい吹雪やったからなー。よう積もっとるわ。でも佐々波はんが仕事出来へんから雪かき、どないするんやろ?」

「――佐々波殿が、どうかしたのですか?」


 少し間を置いて市川が変わらぬ口調で答えた。


「昨日、井上姉弟と街まで買出しに行ったときに襲われたらしいで。黒の国の奴に」

「黒の国……っ!?」


 市川は肯定を口にする代わりにニヤリと笑った。陽炎の手のなかで寒椿の花びらが握り潰される。それを横目で目にした市川も、寒椿の花に指先で触れた。


「この国に唯一咲く花がこれだっけっちゅーのも嫌やな。俺と同じ名前の花なんて恥ずかしいやん?」


 陽炎は答えないでいた――が、うつむいている顔はそのまま、チラチラと瞳だけを動かして市川のほうを見上げて伺っている。その瞳の奥には、隠し切れない感情が燃えているようだった。


「じゃあ俺はこれで。団長はんなら部屋にいるで〜」

「……はい。」


 彼は中庭を横切ると、そのまま門から出て行ってしまった。

 市川の消える背を見つめながら、陽炎はグッと息を飲み込んだ。自分の中に芽生えている不思議な感情の炎を消すことが出来ないでいた。

 駄目だ――わたしが愛し、愛されるべき人は卓之介さまなのだ――婚約者である、あの人にしか愛されることしか出来ないのだから――。


 きつく瞼を合わせると、手のひらで潰れる椿の花びらを地面に落とした。


(……市川殿……)




  <第十六話:(かげり)



 リリスは甲高い声で荒々しく叫んだ。


「もおおーっ! もうちょっとで井上姉弟を殺せたのに! せっかくサタン様に褒めてもらえると思ったのにー!」


 荒い呼吸を繰り返し、歯をギリリと鳴らす。ツインテールに結んだ細かいウェーブの黒髪を掻き毟った。自室に入った途端、リリスはゴシック調のベッドに勢いよく飛び込んだ。


「あ〜あ……ツンツン金髪の師団長に邪魔されちゃった……」


 真っ暗な部屋だ。一人で生活するにはあまりにも広い部屋。それがリリスに与えられた部屋だった。黒で統一されている家具は、今は静かな暗闇に溶け込んでいる。ベッドサイドのランプに火を灯す。泣き出しそうなリリスのまだ幼い表情が暗闇に浮かび上がった。


(サタン様のところに報告しに行かなくちゃ……やだなー……)


 そう憂んでいると、扉の向こうから陰湿な空間を裂くように明るい少女の声が飛んできたのだった。


「リリス〜? いるのお〜? サタン様が呼んでるよお〜?」


 その声が聞こえた途端、リリスは思いっきり表情を歪める。“サタン様が呼んでいる”という内容にではない。部屋に訪れた少女に嫌悪を示したのだ。


(――何よ! 何でこんな時に“アイツ”が来んのよ!)


 リリスは乱れる髪を直すこともせず、ベッドから離れるとすぐに扉を開け放った。


「ローズ! アタシの部屋に来るなって言ったでしょ!」

「え……そうだっけ…?」


 怒りに震えるリリスを見上げているのは一人の少女だった。

 歳はリリスとさして変わらないだろうが、かなり小柄である。

 肌の露出の高い、くすんだ白色の衣装を纏っている。少女のセミロングの銀髪の間から二つの獣耳が控えめに動いて、白いショートパンツの臀部からは長い尾が伸びていた。首元や手首、尻尾には鈴がリボンで結ばれている。動くたびに鳴るその鈴の音が、リリスを余計に不快にさせるのだ。


「もうっ。猫のくせに媚の売り方も知らないの!?」

「ローズは猫じゃないもん! 幻獣(げんじゅう)だもん!」


 幼さを残した声でローズは言った。

 負けじとリリスも苛立ちを隠せずに叫ぶ。


「うっさい! サタン様の命令は分かったから! 早くどこか行きなさいよ!」


 ローズを無理やりに押し出して扉を閉める。扉の向こうでローズが何か言っているが聞こえない。リリスは小さくため息を吐いた。これだからローズのような猫と人間の混合幻獣は嫌いなのだ――猫の自分勝手さを残しながらも、人間と同じ振る舞いをする。


(むかつく……むかつく、ローズのやつ! 当たり前のようにサタン様の側にべったりくっついて……! サタン様の側近はアタシなのに!)


 だから嫌なのだ――自分よりより近く、“あの人”の側にいるものだから――。



  < 2 >



 フタバが目を覚ましたとき、隣ではまどかが謎の寝言を呟きながら眠りこけていた。毛布もまどかに奪われている。どうりで睡眠中、寒かったわけだ。


(姉ちゃん……昨日“あんな事”があったのにめっちゃ爆睡してる……)


 苦笑を溢しながらベッドから這い出る。今日の服は初日のまま、半袖と半ズボンだ。教団から支給された着物と交互で着回ししている。

 閉め切ったカーテンを開くと、寝ぼけた体を射抜く、輝く金色の矢のような朝の光が飛び込んできた。


(佐々波さん大丈夫かなあ)


 昨日、リリスの襲撃で重体となった佐々波はしばらく医務室での生活を強いられることになったらしい。リリスは自分と姉を狙っているようだった――理由は分からないが。それを庇ったせいで佐々波は――。


(うう……もう帰りたいよ〜……)


 自分達のせいで人が傷付くなんて。こんなのもう嫌だ。

 フタバは疲れを残したままの表情で真紅色のソファに崩れるように倒れこむ。


 ――その時だった。フタバの座るソファの背後から硬い音がしたのだ。何者かが窓のガラスを叩いているとすぐに気付いた。


「だ、誰?」


 フタバとまどかの部屋は寄宿舎の一階の端部屋であるので、他人が窓を叩くのは容易なのである。

 振り向いたフタバの視線の先には、雪が舞い散る中庭が見える窓――そこに移る人影があった。曇りがかった窓のせいで、人物の特定は出来ない。

 人影が言った。


「君が井上フタバ君か。この窓を開けたまえ」


 低く、地を這うような声。それでいて粘ついた独特の声色。この声を一度だけ聞いたことがある気がする。


「早くしたまえ。姉上が起きるぞ」

「はっ、はいい!」


 慌てて立ち上がると窓辺に近寄る。すると、くすんだ窓の向こうに浮かび上がった人物は――…。


「あ、あんたは……!」


 驚いた顔を隠さずにはいられなかった。窓を隔てた向こうに立っているのは、数日前、まどかと覗き見した入団試験に参加していた受験者だったのである。

 あの特徴的な男を忘れるはずもない。ぞんざいに肩まで伸ばした黒髪――病的にこけた頬――浮かび上がる目元の(くま)。幽霊のような不気味な男。陽炎を謎の術で瀕死の状態にした、あの男だったのだ。


(名前なんて言ってたっけ……)


 言われるがまま窓を開けると、不気味な男の風貌がはっきりと現れた。その異様さに思わず身体を凍らせる。俗世離れしている男だ。近くで見るとよく分かる。

 間近に対面し、男が紫色の唇を薄く開いた。


「久しいな、フタバ君。私は早乙女 (えん)だ。」

「ひ、久しいって……。オレ、あんたと喋った事なんか……」

「私は知っているぞ。君は入団試験の様子を、姉上と共に覗いていただろう?」


 ぐ、とフタバが息を飲む。気付かれていたのか。


「君に“いい情報”を教えてやろう。中庭へ来たまえ」


 若いのに妙に悟った喋り方をする男だと思った。そんな口調で言われれば、フタバに逆らう事など出来ないのだ。早乙女に言われるがままに、眠るまどかを残したまま自室を去るフタバだった。



  < 3 >



「いい情報って?」


 雪が積もる中庭に来るなりフタバが言った。

 早乙女は紺色の着物のうえに厚手の絹の上着を纏っていた。団服は着ていない。

 中庭は見慣れた銀世界だった。佐々波が動けないため、誰も雪かきをしていないのだろうか――歩くたびにフタバの背だと脛まで埋まってしまう。


「第一師団長殿が、他国の襲撃で痛手を負ったらしいな」


 早乙女の言葉にフタバは頷いた。


「私は知っているぞ。黒の国……だろう? あの国が動き出した。団長殿はそのことで早速、次にすべきことを考えているらしい」

「……次にすべきこと……?」


 訝しげに自分を見上げる幼い瞳に、早乙女は加虐的な薄ら笑いを浮かべた。


「どうやら団長殿は、数人の師団長に黒の国を偵察させることにしたようだ。どうだね? 興味が沸かないかね?」


 フタバは首を振った。早乙女は笑う。


「姉上と違い、慎重なのだな君は。よろしい――“父上”にそっくりだな」

「……へっ?」

「共に師団長殿たちの偵察に参加させてもらおうと思っていたのだがな。興味がないなら結構。また次の機会にするとしよう」


 言葉が見つからず唖然とするフタバを中庭に残したまま、早乙女は足音も立てずに本部の中へと消えていってしまう。

 フタバは地面を見つめながら呼吸すら忘れていた。


(あの人……オレのこと、父さんと似てるって言ってた……)


 両親はフタバが幼い頃に事故死したと聞かされている。それゆえ、フタバは両親の顔を写真でしか知らない。


「なんであの人、オレの父さんを知って…?」


 雪が舞う。明日にはさらに積もるだろう。

 小さな噴水の横に咲き乱れている寒椿の花が、じっとフタバを見ているようだった。白い雪のうえに散っている数枚の真っ赤な寒椿の花びらを見ながら――フタバはその場から動くことが出来ないでいた。



<第十六話「(かげり)」・終>







 



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