第十五話 神
重体の佐々波が教団の医務室に運ばれたとき、外では吹雪が始まった。
医務室の隣に設けられている談話室に集まった一同の間には重い空気が流れていた。
「……佐々波さんは、私のせいで麻薬を浴びたんです」
そう呟くまどかの様子は、普段の彼女とは遠くかけ離れている。見るも辛いほど心配げだった。深くうつむき、両手を揉み絞っている。
向かい合うように並ぶいくつもの長椅子に、彼らは四人で席を占めていた。
「まどかさんのせいではありませんよ。黒の国の者に襲われたんでしょう?」
桜月が諭すように言った。
「で、でも……私がトロいから……」
「――ちっ。こんな時だけ静かになる女だな。てめえがそんなんじゃ佐々波くんだっていい気分しねえだろーがよ」
縹にはっきりと言われたまどかは途端に眉を吊り上げる。が、何も言うことは無かった。
まどかの隣に座るフタバは、三人の会話に加わることはせず、佐々波から借りた上着の袖をじっと見ていた。手首の部分に佐々波の返り血が付いている。乾ききっていて黒ずんでいるが、拭いても取れることはなかった。
(“黒の国”ってなんだろう……)
あのリリスという女が黒の国の者だとすれば、あまり良い国ではないのだろうか。フタバは無意識に難しい顔をしていた。
四人に沈黙が訪れたとき、談話室の扉が威勢よく開いた。大きな音にフタバ達が扉のほうを振り向くと、両開きの扉のところに青年が立っていた。
「団長はん、呼んではるで! 佐々波はんが起きたんや!」
市川は現れるなりそう言うと、椅子に座る縹を無理やり立たせて扉に向かわせる。無言で神妙な表情をした縹が談話室から出て行く。それに桜月も続いた。
まどかとフタバも部屋を出て行こうとしたのだが、扉の前で市川に呼び止められる。
「ちょーっと待った。お二人さん、ずっと話したいと思っとったんや」
「……?」
フタバは背の高い市川を訝しげに見上げた。狐のような顔の若い男だ。佐々波とはまた違う、毒のある軽々しさが見受けられた。
(このお兄さん――森にまで助けに来てくれた人だ……)
戸惑うフタバを見て、市川はニッコリと笑う。
「俺、市川っていうねん。市川 椿。第四師団長や。二十五歳。あんたらは井上フタバと井上まどかやろ?」
<第十五話:神>
一瞬、沈黙が続いた。まどかが沈黙を破った。
「どうやって私達を助けに森まで来てくれたんです? 何も連絡してなかったのに……」
「ん? ああ、佐々波はんの刀や。“鳳翼天翔”が光ったのが見えたからなあ」
市川は言いながら長椅子に座った。白い団服が椅子に広がる。外見によらず団服をきちんと着ている男だ、とフタバ達は思っていた。
外ではゴウゴウと吹雪が轟音を鳴らし、雪が窓に叩きつけられている。そのせいか、室内は異様に静かだった。
「あのう、師団長の人たちって、それぞれ不思議な刀を持ってるんですか?」
まどかが低い声で言う。未だ彼女の気は晴れていない。
「なんで? 気になるん?」
意地悪そうに市川が口角を上げる。今度はフタバが答えた。
「……桜月さんも、桃色に光る不思議な刀を持っていたから…」
「ああ、“花宵待”やな。うーん、“神”に関わることやから、俺の口から言っていいんかなあ〜」
「――“神”?」
ハッと市川の息を飲む音が聞こえた。明らかに失言をしてしまった様子だった。
すかさずフタバが言う。
「市川さん、神って何? 桜月さんも言っていたんだ――千年王国は、神の支配する大陸だって。でもそれ以上は教えてくれなくって。教えてくれよ市川さん」
市川は難しい顔を作り口元に手をやって思考を巡らせている。しきりに指先が動いていた。この狡猾そうな男でも、困った顔をするのか。じっくり考えたあと、市川は言った。
「千年王国には六つの国があるのは聞いたやろ?」
姉弟は頷いた。
「それぞれの国には各国王がいる。この白の国にも髭のオッサンがいるやろ? 同じようなオッサンが千年王国には六人いるっちゅーわけや。――で、六人の国王達よりさらに上の存在がたった一人いる。それが“神”や。千年王国の支配者であり、千年王国のすべて。」
フタバは言い知れぬ畏怖の念を抱いて、ささやいた。
「……その神っていう人が、一番偉い人なの?」
「そういう事。国王と違って神は政治をするわけでも無いし、民衆の前に姿を現すこともない。千年王国の“象徴”ってわけ。その神の地位を巡って戦争があちこちで起きてんのや」
一度ニヤリと笑って市川は続ける。
「さっ、ここで問題や! 神になれるのはたった一人。さあ、誰がなる?」
人を喰ったような笑みに、フタバとまどかは確実に嫌悪感を抱いてきていた。こんな風に笑う男は始めてだ。二人が答えないでいると、市川は長椅子から立ち上がった。
「“誰が神聖なる神になるか”。重大な問題やね。じゃあ答えを言うで! たった一人の神は、神権戦争で勝った国から選抜されるってわけや」
まどかが聞きなれない単語を復唱する。
「神権戦争?」
「神権ってのは神を選抜する権利を与えられるっちゅー意味。物騒な話やけど、神権をどの国が持つかは戦争で決めるんや。戦争で勝った国の国民から神が選ばれるっちゅーわけ。大陸の象徴である神を君臨させることが出来た国は大陸のトップになれるから、どの国も神権を得るために戦争するわけなんや」
市川は一度区切ると、フタバとまどかの顔をゆっくり見回して間を置いた。
「質問は?」
フタバが重い口を開いた。
「いま神は、どの国にいるの?」
「ん? ここやで? 白の国。本部のすぐ裏にある国王のオッサンがいる城は行ったことがあるやろ? その最上階に神がいる。俺は見たことないんやけど。っちゅーか国王以外の国民は神の姿を見たことないやろなぁ。正直言うと王室と神を守ってる俺ら護衛団くらいには顔を見せてもいいと思うんやけど」
今度はフタバに代わりまどかが口を開いた。
「ということは白の国が神権戦争に勝ったっていう事です?」
勿体ぶるように、市川はまた少し間を置いて言う。
「神権戦争って言っても、それに終戦はないねん。神が存在する限り戦争が終わることはない。毎日どこかしらの国からは攻撃を受けとる。ま、この国は軍事国やから戦争には強いんやで。ここ数年は他国からの攻撃にも負けなしで、ずっと神権を保っとるんや。俺たち王室護衛団『白の教団』が組織されてるのもそのため。王室を護るために戦争に出る。神権を奪われないように組織された軍隊なんや」
市川は一度目を閉じて、爬虫類のような奇妙な笑みを浮かべる。
「俺らは『王室護衛団』なんて大層な名前ついとるけどな。護衛しとるのは王室っちゅーより“神”やな。国民を護るわけでも、王室を護るためでもない。たった一人の神を護るためだけに何百人の兵士で組織されとる護衛団や」
「そ、そうだったのね。桜月さんは“神”って人の事を決して教えてくれないから何かと思ってたけど……。たった一つの地位を奪い合って大陸全体で戦争をし続けていたなんて」
「桜月は正しいで。本来、神は下民がその名を口にするのも汚らわしいとまで言われとる神聖な存在らしいからな。無闇に神のことを口にしたらあかんのや。ま、俺はそんな暗黙の了解なんてどーでもええからこうしてアンタらに喋ってるわけやけど。他の奴らの前で神のことは口にしない方が身のためやで」
得意げにそう言う市川に、フタバは言った。
「その神っていうすごい人が、市川さん達に特別な刀をくれたの?」
パチン、と静寂を突き抜けるような音がした。市川が指を鳴らしたのだった。
「正解や弟クン! チビのくせに勘はええんやな! 俺たち『白の教団』は神が白の国に君臨してからずっと守り続けて、戦争にも勝ち続けてるからな。神から“ご褒美”を貰えたんや」
先ほどから室内を当てもなく歩き回っていた市川がふと立ち止まった。椅子に座るまどかとフタバは彼に視線を移す。二人に背を向けたいる状態の市川は、腰に差している二本の刀に手を掛けた。そのまま一本を鞘から抜く。
漆黒の刀身が光を反射し、姿を現した。
(真っ黒な刀?)
フタバの疑問を感じ取ったように、市川はニヤリと二人の方を振り向いた。
「白の教団の幹部、つまり団長と師団長にだけ与えられた特別な刀や。神の力を分け与えられた武器--神器って言うねん。師団長に昇格すると自分だけの神器を貰えるんやで。桜月はんの『長刀・花宵待』も――佐々波はんの『対刀・鳳翼天翔』もそれや。」
そこで彼は身体をくるりとフタバ達のほうへ向けて、手にした黒い刀を掲げた。
「これは俺の神器、『妖刀・黒姫』。この濡羽色の刀身が美人やろ? 自慢の姫さんやねん」
「ようとう……くろひめ……」
光という存在すら忘れてしまうほど、漆黒の刃。市川は“美人”だと言っていたが、フタバはその刀に禍々しさすら感じた。
「特別な刀って事は魔法とか使えるの?」
特に何の意図もなくフタバが聞くと市川は盛大に噴き出した。
「んな最強武器あるかいっ! 残念やけどただの刀や。白の国で魔術は基本的に禁止やからな。普通の刀に、“ちょ〜っと”属性が付くだけや」
「属性?」
フタバが身体を乗り出したとき、市川は妖刀・黒姫を鞘に収めていた。ふ、と笑うと彼は吹雪が轟く窓の外に視線をやった。
「戦争が始まるで。でっかい戦争が」
市川はそれだけ言うと、無言で扉のほうへ向かって歩いていく。足音はしなかった。彼の言い方がいかにも意味ありげな口調だったので、フタバは彼の後ろ姿を凝視する。市川が退室する瞬間、彼が口元だけで怪しく笑うのをフタバは垣間見た……。
市川 椿。あの男は一体……。
< 2 >
同じ頃、隣の医務室では一つのベッドに三人の人物が集まっていた。医務室には数十のベッドがあり、それぞれカーテンで仕切られている。医務室にいるのは彼ら三人だけだった。
縹は煙管を片手で弄くりながら言った。
「君がこんな失態を晒すなんて珍しいな佐々波くん」
縹の視線の下では、ベッドから上半身を起こした佐々波が青い顔をしてうつむいていた。
「すんません団長……井上姉弟は守れましたけど、俺がやられてちゃあ話になんないっすよね……」
佐々波の右側にいた桜月が言う。
「佐々波さんらしくありませんよ。無事なだけで良かったじゃないですか」
「そーだけどよ……まさか黒の国の奴にやられるなんて」
一同に沈黙が訪れた。重い沈黙だった。
最初に言葉を発したのは縹だった。
「襲ったのは女だったと言ったな。“サタン様”と口にしただと?」
「あ、はい」
「――ちっ。幹部か」
縹はすばやく煙管の灰を落とす。いつもより深く刻まれた眉間の皺が、彼が苛立っていることを物語っていた。自分を見つめてくる佐々波と桜月の視線に気付いたが、二人からの視線から逃れるようにして縹は足元に目線を落とす。眉間に皺を刻んだまま考えを巡らせる。
(黒の国が動き始めたか……。情報がいるな。魔術を使う早乙女なら黒の国の情勢を知っているか? いや、あいつに借りは作れねえ)
癖のようにしつこく煙管を落とす縹に、心情を悟ったかのような口調で桜月が言った。
「とにかく情報がいります。黒の国へ偵察に行きましょう。私に行かせて下さい」
真っ直ぐな瞳を縹に向ける桜月。強い意志を感じる視線だったが、どこかに焦っているかのような危うさが浮かんでいる。
もう一度、桜月は言った。
「私が行きます」
するとようやく縹が答えた。感情のない声だった。
「偵察はすぐに決行する。――だが桜月、お前には行かせねえ。分かってるだろ」
桜月はハッと顔を赤くさせた。明らかに憤りの感情を含んでいる顔だった。何か言いたげにしていたが、数秒おいて諦めたように動いた。何も言わないまま桜月は医務室を辞していく。佐々波のため息が残る。
「団長ー。いい加減かわいそうっすよ。桜月だって第二師団長なんだから」
縹の返事は無かった。やや静かになった吹雪の音が聞こえるだけで、室内はひっそりとしていた。ベッドの背もたれには血で汚れた佐々波の団服が掛かり、じっとしている。縹と佐々波はそれ以上話題も弾まず、二人して沈黙という衣装を全身に着込んだかのようになっていた。
室内を無言のままに辞した桜月も、廊下を早足で歩みながらきつく口元を結んでいたのだった。
<第十五話 「神」・終>
ここら辺で今後の参考程度に登場人物の年齢整理でも載せておきます。
以下年齢が低い順で。
11歳・井上フタバ(小6)
22歳・井上まどか(OL)
24歳・九十九 桜月(第二師団長)
25歳・陽炎(第三師団長)
市川 椿(第四師団長)
26歳・佐々波 乱歩(団長補佐、第一師団長)
早乙女 炎(受験者)
31歳・縹 卓之介(団長)