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第十三話  黒

長いです。6000文字あります。




「もうっ。ようやく出番が来たと思ったら買出しって何ですか! しかも佐々波さんとなんて! 縹卓之介もなに考えてんのかしら!」

「……そんなに俺が嫌〜? まどかさーん」

「頼りないからですっ!」


 プンプンと怒りを隠さずにまどかが言い放った。紅いカーペットに彩られたゆるやかな螺旋階段を降り、本部の一階を目指す。佐々波の自室からの帰り、足早に階段を降りていると、朝の冷たい空気が窓から流れ込んで肌を刺した。


――入団試験の日から数日後。

 まどかとフタバは(はなだ)に買出しを命じられたのだ。

 買出しと言っても、縹の個人的な生活用品を買って来い、という、ただの使い走りなのだが。白の国の街へ買い物に行くのはフタバとまどかにとっては初めてだ。そこで佐々波が二人と同行することになったのである。


「ねーねー、佐々波さん。街に買い物に行くんだろ? オレと姉ちゃんが最初にいた街?」


 フタバがコート状の上着を着ながら聞いた。半そではさすがに寒いだろうと、佐々波から借りたものだ。


「まさかあ。あの街は戦地だったろ? これから行くのは違う街さ」


 佐々波は買出しに行くというのに団服を着ていた。この国の一般人は着物だというから、目立つのではないか……とフタバは声には出さず思った。しかもフタバとまどかはこの国の洋服ではない。余計目立つことだろう。


「あ、陽炎さんだわ!」


 まどかが声を上げた。三人がいる螺旋階段の一番下――つまり玄関ホールに陽炎の姿があったのだ。一人だけ団服ではなく着物なのだからすぐ分かる。

 フタバは陽炎の姿を見下ろしながら顔をあからさまに歪めた。


(かげろうさんって、あの静かで美人な人かあ……なんかちょっとあの人怖いんだよなあ)


 そんなフタバの横で、まどかが急に階段を駆け下り始めたのだ。

 驚くフタバと佐々波。


「ねっ、姉ちゃん!?」

「私、陽炎さんにちょっと話しかけてくるわね!」

「ええー!?」


 動揺するフタバに、まどかはピースサインを送るとさっさと階段を降りていく。

 慰めるような鳥の鳴き声が外から聞こえる。フタバと佐々波は同時にため息を吐いたのだった。



  <第十三話 黒>



 元気良く玄関ホールに現れたまどかを、陽炎は表情を変えないまま見つめていた。――が、まさか自分のもとへ来るとは思わなかったのだろう。まどかに話しかけられると驚きに目を丸くしていた。


「おはようございます、陽炎さんっ」


 まどかはニッコリと笑った。シフォンスカートの裾を両手で持って、冗談めいたお辞儀までしてみせる。


「あなたは確か……国王様が呼んだ、異世界の?」

「井上まどかです。二十二歳の花も恥らう乙女です!」

「――わたしは第三師団長の陽炎と申します。」


 丁寧に挨拶する陽炎を、まどかは真正面からじっと見ていた。

 自分より年上なのだとすぐに分かった。近くで見ると、本当に美しい人だと思った。特に薔薇色に染まる唇は、見る者にゆっくりと浸透していく、清らかな泉の波紋のように美しかった。――ただ、常に憂うような表情が、その美しさに陰りを落としている。


「あの、私聞いたんですけど」


 まどかがそう言ったとき、ちょうどフタバと佐々波も一階に着いていた。陽炎と何を話すのかと興味深げに耳を傾けるフタバ。

 するとまどかは遠慮する様子もなく言い放った。


「陽炎さんってあの縹卓之介の婚約者だったんですね! 私、応援してますね! 縹卓之介は嫌いだけど、陽炎さんは同じ女性ですもの。結婚式には呼んでくださいねっ」


 そう豪語する姉に、フタバは穴があったら入りたい気持ちにさせられた。それは佐々波も同じだった。縹と陽炎の関係があまり良くないのはまどかにも言ったはずなのに。


 慌てるフタバと佐々波とは対照的に、陽炎といえば涼しい顔を崩さない。


「卓之介さまは……わたしと(つが)う気などありませぬ」

「――へっ?」

「婚約は、卓之介さまのお父様が決めたものなのです。わたしは……誰にも……愛されることなど、無いのですから」


 少し顔を伏せるようにして言った陽炎に、さすがのまどかも返答を出来なかった。この表情は見たことがある。陽炎と縹の会話を盗み聞きしたときも――陽炎はこんな憂いを含んだ悩ましげな顔をしていた。


「……大丈夫ですよ!」


 しかしまどかは笑った。


「陽炎さん、とっても美人だもの! もっとアタックすれば縹卓之介だってすぐ惚れちゃうわ。だから、誰にも愛されないなんて言っちゃだめですよ」

「――まどかさん……」


 そんな事と言われたのは初めてなのだろうか。陽炎はひどく驚いていたが、その表情には僅かだが嬉しさが見てとれた。そしてまどかにお礼を言った陽炎の顔は……


「かたじけのうございます、まどかさん……」


 笑っていた。彼女は一瞬にして豹変したのだ。悲しげにつっていた瞳がふと和み、引き締められていた唇がゆるりと解けた。この時、初めてまどかは彼女が本当の美人だと気がついたのだった。



 < 2 >



「いやー、まどかさん凄いっすね! あの陽炎さんと普通に会話しちゃう上に、笑顔にさせちゃうなんてさ!」



 教団の庭を抜けたところで、佐々波が言った。まどかも満足げに笑みを浮かべている。

――寒い朝だったが、空は晴れていた。僅かに曇る空に差す光の筋。今日は美しい日になりそうだ。


「なんかワクワクするなー! ねえねえ佐々波さんっ、市場って楽しーの!?」


 興奮を隠せずフタバが言う。それに佐々波は笑って頷いていた。

 何事もなく森を抜け、街に着いたのは昼を過ぎてまもなくだった。長い道のりだった。教団は街とはずいぶん離れているのだろう。


 市場は活気づいていた。

 フタバとまどかがこの世界に来た時に見た、死体が転がる街とは正反対だ。溢れ返るほどの人々で、大通りが埋め尽くされている。ゆるやかな坂道になっているその大通りの両端には、所狭しと店が並び商人たちの声が飛び交っていた。


「うわー、すげー! 人がいっぱいいるー!」


 フタバは感激の声をあげた。

 千年王国にやってきてから、こんなに大勢の中に来るのは初めてだった。


 フタバとまどかは辺りを見回すのに忙しく、何度も行き交う人々とぶつかりそうになる。市場に集まる人々はみんな着物を着ていた。やはりこの国の日常的な服装は着物なのだ。建物は洋風なのに、不思議なコントラストだ。


「ここは王室の連中も利用する市場なんだ。だから戦地にはなってないわけ」


 二人の前を先導する佐々波が言った。フタバとまどかはその背を必死で追っていく。人ごみを縫うように歩きながらまどかが声を絞り出す。


「何を買うんですかー?」

「んーと……団長のインクと羽ペン。」

「そ、それだけを買うために……しかも縹卓之介の私物なんて……」


 はは、と佐々波が笑っている。彼にとっては使い走りなど日常茶飯事なのだろう。

 雑貨店まで行く最中――フタバは果物を売る滑車を見つけた。そのなかに林檎を見つけ、瞳を輝かせる。


「姉ちゃん、林檎がある! 林檎!」


 その声に前を歩くまどかと佐々波が振り返る――その時だった。



「ボク、林檎が好きなの? アタシも大好き……ふふ、知ってる? 林檎ってね、禁断の果実なのよ」


 いつの間にだろう。フタバの隣に女性が立っていた。

 行き交う人々にぶつかる様子もなく、女は静かに立っている。いきなり話しかけられてフタバは固まった。それはまどかと佐々波も同じだった。


 何よりも三人が驚いたのは、女の服装だ。フタバ達もこの場では目立つ服を着ているが、女の服はもっと異常に見えたのだ。

 なぜなら、女は全身黒ずくめなのである。露出の高い真っ黒な衣装を身にまとっている。胸だけを隠す上着に、短いスカート。そして髪も漆黒で、細かいウエーブの長髪をツインテールにしている。年頃はまどかより少し若いくらいだろうか。

 いたずらっぽい目がフタバを見下ろしている。


「お、お姉さん誰……?」


 動揺を抑えられず、震える声でフタバが言う。

 女は甲高く、耳にいやに残る独特な声色だった。


「アタシ? リリスっていうの。あんたは“井上フタバ”ね? そっちの能天気そうな女は“井上まどか”かしら?」


 見知らぬ女に名前を呼ばれ、フタバは危険を感じた。が、逃げるわけにもいかず硬直していると、リリスという女は佐々波のほうを見て言う。


「お兄さん、『白の教団』の団員ね? 団服なんて着てるとすぐ分かっちゃうわよ。しかもその鷹の刺繍――あんた、師団長格の幹部ね?」


 リリスは妖艶に笑った。


「フフ……井上姉弟以外にも師団長をひとり殺したら、“あのお方”が褒めてくれるかしらあ……」


 ペロ、と舌を出して無邪気に笑うリリスの笑みに、フタバは背筋が冷たくなるのを感じた。


(今この人――“殺す”って言った……?)


 殺気を感じた。それは霧をも切り裂けるナイフのように鋭かった。

 助けを求めるために佐々波のほうを振り向こうとすると、勢いよくリリスに手首を掴まれた。


「痛っ!」

「あんたと姉さんを殺さないとサタン様に怒られちゃうの。だから大人しくしててね? ちっとも痛いことなんてないわ。アタシ特製の麻薬で殺してあげるから」


 ニヤリとリリスが笑うと、佐々波が動いた。掴まれていたフタバの腕を取ると、引き寄せてフタバを背に隠した。同時にまどかの身体も引き寄せると、まどかが声をあげた。


「な、何ですかいきなり! 私に好意があるなら先に言ってください! 順序ってものがあるでしょう! 私の操はまだ渡しませんよ!」

「はああ?」


 場違いにもほどがあるまどかの発言を聞かなかったことにして受け流すと、佐々波は目をきつく吊り上げてリリスを睨んだ。


「あんたさっき――“サタン様”って言ったか? まさかあんた、黒の国の…!?」

「アハハ! ご名答よ! アタシは黒の国の『黒の魔導衆』のひとり。さっすが白の教団の師団長サマね! サタン様の名を知っているなんてね!」


 佐々波が腰に下げる刀に手を掛けるのをフタバは見た。リリスは相変わらず耳を犯すような高飛車な声色で笑い続けている。


「もうおしゃべりは飽きたわ! ほら、まずはこの弟よ。たっぷりと味わって頂戴!」

「――うわあッ!」


 フタバは咄嗟に目を瞑る。リリスが手のひらを掲げると、フタバの真上に粉を撒き散らしたのだ。真っ黒い粉だ。しかしそれを腕で防ぐことが出来たフタバは何事も害を受けず、ただ人ごみに紛れて地面に尻餅をつくだけに終わった。


――助かった。


 が、そう思ったのも束の間だった。辺りを見回すと、市場の人々はリリスの存在に気付いていないのだろうか、ただ尻餅をついたままのフタバの姿だけを怪しげに見つめるだけで通り過ぎていく。


(ね、姉ちゃんと佐々波さんはっ!?)


 人ごみで尻餅をついてしまったフタバは、姉達の姿を見失ってしまう。リリスの姿も見えない。痛む臀部を庇いながらヨロリと立ち上がると、すぐにまどかとリリスの姿は見つかった。――が、


「ね、姉ちゃん!」


 まどかは行き交う人々のなか、キョロキョロと視線を巡らせていた。彼女もフタバと佐々波を捜しているのだろう――その背後で、リリスが至極嬉しそうに笑って手のひらを掲げていた。あの、麻薬だと言った黒い粉をまどかにも浴びせる気なのだ。


「危ない姉ちゃん!」


 叫ぶも、市場の活気の声でかき消される。人々の波に阻まれ、まどかに近付く事も出来ない。


(なんでみんなあのリリスって人に気づかないんだよー! ね、姉ちゃんが……!)


 人ごみで揉まれるフタバの視線の先で、ついにリリスが手のひらを広げた――黒い粉がまどかの頭上で開放される――。妖しく笑うリリスと目が合った。まどかに麻薬が降り注ごうとした、その瞬間だった。


「――あっ!」


 驚愕の声を上げたのはフタバとリリス、同時だった。

 その声にようやく背後のリリスに気がついたのか、まどかが動揺し始める。そして背後の“もうひとり”の人物にも気がついた。


「佐々波さんっ?」


 まどかは状況を理解してないようだが、フタバはその光景をしっかりと見てしまった。

 まどかにリリスの麻薬が降りかかる瞬間――人の波から突然現れた佐々波が、まどかの背を庇って代わりに黒い粉を大量に浴びてしまったのだ。


「――まどかさん、無事か?」

「えっ……あ、はい。」


 掠れた声で佐々波がまどかの安否を確認する。佐々波の様子は平常通りに見えるが……。

 そして、標的のまどかに麻薬をかけられなかったリリスが怒りの色を示した。


「ちょっと! 邪魔しないでよねー! アタシが狙ったのは井上まどかなんだからー! もうムカつく! やる気なくしたから帰るわ!」


 そう乱暴に言い放つと、リリスは煙の如く消えた。それに驚く暇もなく、フタバはどうにか人ごみを分けて、佐々波とまどかの元に近寄る。


「さっ、佐々波さん……大丈夫……?」


 口元を押さえ、地面の一点を見つめたまま微動だにしない佐々波。白い団服はリリスに浴びせられた麻薬で黒く粉に覆われている。まどかを庇って、相当の量の麻薬を浴びたはずだ。麻薬というのだから、害があるものだろう。


「俺は、大丈夫だから――、早く、帰って……団長…に……グッ!」

「きゃあ!」

「佐々波さんっ!」


 呻き声と共に、佐々波が口を抑えていた手の隙間から血が溢れるようにして滴った。すると佐々波は意識が途切れたのか、仰のいて倒れていく。開かれた口からは、呪いの言葉の代わりに、毒々しいまでに紅い血が流れている。


「ねねねね姉ちゃん! 佐々波さん死んじゃったの!?」

「おおおお落ち着いてフタバくん! ととととにかく病院に! きゅ、救急車を! 911に連絡ををを!」


 二人して混乱しながらも病院を目指すために、商店の人に病院の場所を聞く。――が、ここは市場が栄える街で病院は隣街とのこと。


「教団に戻ったほうが早いわ! 二人で佐々波さんを背負っていきましょう!」

「う……うんっ」


 姉に言われるがまま、佐々波の身体を起こすフタバ。血を吐いた男性が倒れているというのに、周りの人々はリリスの時と同じく、何も気付いていないようだった。

 まどかが佐々波を背負った。女性が年上の男性を背負って歩くのは重労働だ。しかも佐々波は刀を所持しているため、重さもある。フタバも佐々波の身体を持ち上げ、まどかの援助をする。


(佐々波さん……死んじゃったら嫌だよ……)


 佐々波の顔を見ると、顔面蒼白だった。いつも飄々と笑っている青年なものだから、死人のような表情はひどく恐ろしかった。口からの血は止まっている。息もあるようだが、団服の前が真っ赤に染まっている。この血が街の人々には見えないというのか。

 姉を庇って傷ついたのだ――どうにかしてでも、教団に連れて帰ろうと思った。


(あのリリスって人――ただの黒い粉だけで……大の大人をこんなにさせるなんて……何者なんだ?)


 すると佐々波の言葉を思い出した。


『まさかあんた、黒の国の…!?』


 黒の国。そう言っていた。リリスという女性はこの国の人間じゃないのだ。しかも、白の教団のことを知っていた。そして自分と姉を殺そうとしていた――。


(黒の国って、一体……?)


 答えが分かるはずもなく。フタバはきつく顔を歪めた。教団までは遠い。必死で佐々波を背負うまどかを助けながら、懸命に先を目指した。



<第十三話 「黒」・終>












 

 




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