急がば回れ.
私は気味の悪い干物を置き,地底湖へと身体を沈めた.冷たい水が私をより一層冷静にさせた.水に浮かび,光る天井を眺める.私は勝ったのだ.魔力量においては圧倒的な差があったが,素早さと思考力によって,その差を埋めることができた.今は干物となってしまった得体のしれない魔物だが,対面したときは,その禍々しさゆえに死の恐怖さえ感じさせていた.しかし私は冷静さを欠かさず,次の一手を確実に決めていき,この格上ともいえる魔物を屠ったのだ.たった一つのミスで私は死んでいただろうし,手足の一つは失う可能性だってあった.それに今回は相手が理性的な生き物ではなかったということも幸運だった.手足を失ってしまっても必ず生きて親と再会しなければならない.それが,無責任に飛びだしてきた私の筋というものだ.
『生きてサーディンへ行く.』
思わず口に出してしまった.
地下水特有の冷たさで,戦いのほとぼりだけではなく身体も冷やされすぎたようだ.寒い.身体を温めようと火をつけ,暖を取った.こんな時は熱い茶でも啜りながら一服がしたい.あぁ,熱い茶が恋しい.茶葉など当然持っているわけがなく,湖の水を汲み煮沸させた白湯で代用した.金属のカップに口を付けた.やけどをしないようにゆっくりと飲んだ.先ほどの戦いで強く実感させられたことがある.それは,魔力がやはり必要だということだ.課題を再認識したところで,身体も温まってきた.それに伴い眠気が強くなってきたので,その眠気に逆らわずに寝ることにした.
私の額が何かで小突かれた気がした.
『んが.』
目を開けると,そこには人影が写っていた.私が気配を感じられないとすると目の前にいるのはあの人だろう.
『どうかしましたかアドラーさん.』
「久しぶりね.大丈夫か様子を見に来たのよぉ.」
『ご心配に及びませんよ.この通り,五体満足で元気にしています.』
アドラーは声を出して笑った.
「この死骸は,貴方が殺ったのかしらぁ?」
隣の干物を指さしながら私に尋ねた.
『この干物のことですか?ええそうですよ.なかなか強かったですが.』
「ふふ.詳しく話を聞こうかしらぁ.」
私は,フロアボスのゴーレムに勝つために取った戦略,その過程で起きてしまった崩落と
etc…をアドラーへ伝えた.その話を聞いたアドラーは再び笑った.
「このダンジョンのフロアボスはC級下位程度,そして貴方が討伐したこの下級悪魔もC級下位の強さを持つわ.魔力なしによく喧嘩を売ったわねぇ.」
『フロアボスに関しては,腕試しでしたが,その下級悪魔に関しては完全なとばっちりでしたね.一歩間違えれば死ぬところでしたが...』
「どちらにせよ魔力なしで勝つなんて流石ねぇ.」
アドラーは私を優しく撫でた.そして,ペンギンもどき達のことも撫で始めた.
『そのペンギンもどきのような魔物は使い魔ですか?』
「使い魔ではないわ.知り合いよ.この子たちは,ラビドゥスアビスという魔物で,C級上位に位置するのよ.それに水中では格上の水龍をも襲うほどの戦闘狂なの.もし,戦いを挑んでいたら貴方と言えど楽には勝てないんじゃないかしらぁ.」
アドラーはそういうが,絶対に負けていただろうなと私は予想した.なぜなら,彼らにはヤスデを瞬殺するほどの戦闘力と人間の言葉を理解する知能があるからだ.食料だと思って戦闘を仕掛けなくてよかったと胸をなでおろした.
「ありがとうね.この子を守ってくれてぇ.」
アドラーがペンギンもどきに語りかけると,
「クァ」
と喜びが混じった返事をした.
「さて,この下級悪魔が召喚された場所まで案内してもらおうかしらぁ」
『わかりました.少しあれな順路ですが案内します.』
そう言いながら,私は先頭に立ちヤスデの巣へと入って行った.ヤスデの巣の中は,奴らの糞が焼けたことで,臭いも幾分かましになっていた.しかし,染みついた臭いが焦げた匂いと交わり,ひどい臭いには違いなかった.
「ひどい臭いねぇ.」
『元はもっと凄かったですよ.』
そう言うとアドラーは笑っていた.洞窟に入る前から思っていたが,やはり,よく笑う人だ.
ヤスデの巣の奥地である崩落場所に着き,これより下は二酸化炭素の濃度が高く非常に危険だとアドラーへ注意を促した.
「大丈夫よ.ダンジョンは古代遺跡なの.通常の洞窟とは異なり,独自の換気システムが備わっているわぁ.だから自然には時間がかかってしまうけれど,いずれ気体の偏りもなくなるわぁ.」
そう言うとアドラーは杖で地面を強めに叩いた.すると,強風が私の身体をすり抜けていった.
「これで大丈夫よぉ.」
アドラーは私よりも先に崩落した場所へと降りて行ってしまった.私が後を追うとアドラーが,奴を生み出した場所へと先にたどり着いており,しゃがんで土を触っていた.
「確かに,この場所は低級悪魔を召喚するための条件がそろっているわねぇ.光が届かない場所,淀んだ質の悪い空気,魔物血と大量の魔物がここで死んだであろう魔力の残り香.良くないわねぇ.」
立ち上がると今度は詠唱を行い,杖が発光し,太陽のような神聖な光があたりを包んだ.一種の浄化魔法だったのだろうか,当たりの雰囲気がましになったように感じた.このことによって,空気のよどみがなくなり,さらに奥からの空気の流れを感じることができた.肥えた土と草の匂いがする.しかもペルエルの大森林とは違う匂いだ.
『アドラーさん.すぐ戻るので,この先に行ってきます.』
私はアドラーの返事を聞く間もなく,トップスピードでこの空気を運んできている通気口を目指した.1時間くらい走っただろうか.僅かに光が見える.興奮した私はさらに加速した.そして,穴から飛び出した.黄金色の草がそよ風にあてられて靡き,その姿を夕焼けが照らしているといった絵にかいたような平原の風景が私の目に飛び込んできた.ここは,カムピス平原に間違いない.ということは,プルククラ山脈を登らずして,サーディンへたどり着けそうだ.私は地図に無い近道を見つけてしまったのだ.運命とは何があるかわからない.胸の高鳴りに素直になりながら,黄金に色づく平原を眺めていた.




