全知のアドラー
玄関に入れはしたが銀髪の女が立ちふさがり,そのままでは上がり框を越えることすら許されなかった.
「お風呂を用意するわ.少し待ってなさいよぉ.」
森の魔女は,そう言葉を残しどこかへ行った.数分すると竹で編まれた籠と麻でできた大きな布一枚を持ってきた.
「汚れた服はそこに入れて,これを羽織るといいわぁ.」
するとまたどこかへ向かった.恐らく,今から私が裸になることへの気遣いであろうと思う.また数分経って戻ってきた女はなぜか薄着になっていた.まさかとは思っていたが脱衣所まで案内され,隣でシャツを脱ぎだしたことで確信に変わった.この人は私と一緒に風呂に入るつもりではないのかと.驚いた私は思わず声を出してしまった.
『えっ一緒に入るんですか?』
「そのつもりよ.だって子供が水場に一人は危ないでしょぉ」
ちょっと待て,これはおかしい.なぜなら二足で立てるようになってから家で井戸の水汲みの仕事をやっても親には何も言われなかったぞ.いや,冷静に考えると水汲みに関しては両親がおかしいかもしれない...しかし,見た目は恐らく12~14歳程度に見えているはずだ.普通なら一人で風呂に入れる年ごろのはずだ.そう自問自答していると魔女が声をかけてきた.
「だめかしらぁ.」
人差し指を口元に当てたままぐいぐい顔を近づいてきて圧力をかけられ,私は屈してしまった.美人のお姉さんにこんなお願いをされては断れないっ...!
『大丈夫です...』
扉を開け風呂場へ入ると湯けむりがこちらへ吹き抜けてきた.その蒸気に一瞬視界を奪われたが,目の前の風呂場の設備に興奮した.
「すごい,湯舟があるんですね.」
『そうよ.あるのよ.ここには貴族顔負けの良い湯舟がねぇ.』
私の家にも風呂場と呼ぶ場所はあったにせよ,ここまで近代的な風呂場はなかなかお目にかかれない.以前町に出たときの宿屋には風呂場すらついていなかった.ひょっとすると,この魔女はただモノではないのかもしれない.そう考えていると魔女から指示を受けた.
「まずは体を洗ってからだね.そこへ座りなさいなぁ.」
座るとすぐに湯船に溜まっているお湯を頭にかけられた.温かく非常に心地が良い湯加減だ.
「頭は洗ってあげるから体は自分で洗いなさいよぉ.」
魔女は桶に湯を入れてくれた.その湯で体に着き乾きかけた泥を湿らせ柔らかくし,こすりながら取っていった.頭の方はというと優しい手つきで洗ってくれている.特性ハーブ入りのシャンプーだろうか清涼感のある香りがする.
『ハーブ入りのシャンプーですか?』
「そうね.虫よけの薬草入りねぇ.」
『えっもしかしてペリエルの大森林って虫系モンスターが出るんですか?』
「少ないけど出るわねぇ.」
「...」
小さい虫は食してきたことも多々あるし,苦手ではないのだが,人くらいの大きさになるとどうかと言われれば遭遇してみないと答えは出ないかもしれない.
再度勢いよくお湯を3度ほどかけられた.これで準備は整った.いざ湯船へ.
「ふぅ.」
『ふう.』
オルフェス家へ泊りに行って以降,初めてまともな湯船につかった.贅沢だ.非常に贅沢だ.木製の風呂釜は味があり落ち着いているし,なにより雨の中で雨音を聞きながら水にずぶ濡れになる感覚は何か背徳感があってすごく良い.
「そういえば,あなた名前はぁ?」
『リリア・フローリアと言います.』
「ふーん.フローリア家ねぇ.」
『なにかありますか?』
「いや,フローリア家の屋敷はここからかなり離れているでしょ.よく無事にここまでたどり着けたわねぇ.」
『あっ多分私は分家とかだと思います.』
「無粋だけど.父親の名前はぁ?」
『メルゼ・フローリアです.』
「メルゼね.なら納得だわ.あの堅物にこんなかわいらしい娘がいたなんてねぇ.」
『父をご存じなんですね.なぜ納得なんですか?』
かなり昔に父が兄弟との跡継ぎ抗争を嫌い家を出たことは本人から直接聞いて知っているが,もう少し込み入った事情を知りたかったので知らないふりをしてみた.
「言ってもいいけど,私から言ったとかは言わないでよぉ.」
『はい.約束します.』
魔女は私を腕で囲むようにし,語りだした.
『あの堅物はね.頭もキレるし,剣の腕も立つから,フローリア家の次期当主候補になってしまったの.しかし,基本的に貴族や準貴族の代々の当主は長男と決まっているわ.そこで,フローリア家の中で長男派と次男派で別れてしまった.身内と闘争などを行いたくなかったあいつは自ら家を去ったと聞いてはいるけど,実際は闘争の際に自分についてくる人たちの大事を思ってのことでしょうねぇ.』
『そうだったんですね.』
その返事の後にアオリで魔女の方を向く.そうすると魔女は,微笑で答えた.
『そういえば,魔女さんのことはなんとお呼びしたら良いでしょうか?』
魔女は勢いよく立ち上がり右手を胸に置き,生き生きと話し出した.
「人は,私を全知のアドラーと呼ぶ.だからアドラーで良いわよぉ.」
『アドラーさん.私そろそろのぼせそうなので上がっても良いでしょうか.』
「ごめんなさいね.あがりましょうかぁ.」
手渡された純白のタオルを顔へ当てる.ふわりと柔らかく,かなり上質だとわかる.なぜこうも高級品と思われるものが数多く揃っているのだろと疑問ではあったが,深入りはしないことにした.気持ちの良いタオルで体を拭き終わると魔女が私を椅子に座らせた.背後から頭に温風がかかる.ドライヤーにしては音が無さ過ぎると思い振り返るとタオルを首にかけたアドラーが片手で風を生成しているではないか.魔法とはこんな使い方もあるのかと唖然とした.そして,その私の表情を見た魔女の方は得意げに微笑を浮かべていた.




