人の温かみに触れる
ペルエルの大森林の目の前に立った時,一定間隔で並べられている看板が目に入ってきた.看板群は,ツタが絡まり,苔が生い茂っているため何が書いてあるか判別が不可能だった.また,その看板へ日の光が当たり,右側に影を落としているほど時間が経っていたので今日は森へは入らずに周辺で野宿でもしようと思っていた.野宿に適した木を探すために川沿いの道を歩いた.この道は,前に買い出しに出た町と商業都市とを繋ぐ道の一つであるゆえに役人,商人,冒険者や冒険者まがいのヒッピーなどが通っていく.そのため舗装こそされていないが,対岸の道と同様に綺麗に整備されている.また,この街道は川に沿って湾曲しているため先々が見通せないようになっている.少し歩いた道の先から何やら人の声が聞こえてきたので,その場所へ向かってみた.
旅というものに出会いはつきものである.道が少し広がった場所に商人風の男女が2人とその使用人が1人と護衛が4人の計7人ほどで野営の準備を始めている場面に出くわした.少し会釈を交わし素通りしようとしたところ,商人の中年女性に呼び止められてしまった.
「おひとり?」
『ええ.』
愛想のない返事をしてしまった.
「これからどこへ向かわれるのかしら?」
『ひとまず今日はもう遅いのでどこかで休もうかと思っています.』
「もしよろしければ一緒に暖でも取られませんか?」
『ご迷惑でなければご一緒させてください.』
有難く隅の方にちょこんと座らせてもらった.
「お名前をお聞きしても?」
『リリアと言います.』
「今はおいくつなんですか?」
私が今最も聞かれると困る質問をされてしまった.
『今は12歳です.』
とっさに12歳であると嘘をついてしまった.親の許可があれば12歳からギルドに登録することが可能であることに加え,ギルドの依頼も親同伴で受けることができるからだ.
「今日は何をされていたんですか?」
『今日は,次の依頼のために一人で訓練をしていました.』
「まだお若いのにご立派ですね.」
荷車の整理が終わったのか中年の恰幅の良い男性が話に入ってきた.
「初めまして,ウィリアム・ロームバートと言います.こっちは妻のアンナです.リリアさんでよろしかったですかな?失礼ながら作業の最中に話を聞いておりました.」
『いえいえ,とんでもないです.』
「突然で申し訳ないんですが,一つ小話を聞いていただけませんかね.」
『ぜひ,聞かせてください.』
私は笑顔で対応した.
「私たちの息子もリリアさんくらいの年に初めて仕事に一緒に連れ出したんですよ.普段であればこの街道は過ぎてこの先にある町で一泊するんですがね.息子のためにゆっくりと外の景色を楽しみながら町へ向かっていると日暮れまでに町へ着かなかったんですよ.そのためにちょうどこの街道のこの場所で一泊しまして,そういう思い出の場所なんですよ.ここは.突然,妻から声をかけられて驚かれたでしょう.かつての息子と同じ年くらいのあなたを見て少し懐かしがっていたんだと思います.すでに息子は家を出まして,一端の商人になっていますがね.」
『そうなんですね.』
彼は彼の妻を見つめた後に少し遠い目をしていた.この話を聞いて,人には人の歴史があることをしみじみと感じた.そして私は,気になったことを一つ質問してみた.
『失礼を承知でお聞きしますが,どこからこちらへ向かってこられたのでしょうか?』
「サーディンですよ.」
話を聞いていて,まさかとは思ったがこの返事には驚かされた.こちらは訊きたいことが山ほどある.しかし,訓練中と言ってしまったからには,そこまで詳しくは訊きずらい.
『それはすごいですね.都会だ.私も成人したらぜひサーディンへ行きたいと思っています.サーディンへ入るためには何か手続きなどはいりますか?』
私は食い入るように質問してしまった.
「とくには無いですね.身分証明書の提示程度でしょうか.サーディンは商業都市なので帝都のように厳重な入管管理をしてしまうと通商に支障をきたしてしまうためある程度簡略化されているんですよ.その反対に治安維持対策にサーディン内では結構な頻度で衛兵の巡回を見ますがね.」
『ありがとうございます.身分証に関しては親に聞いておきます.』
入管に関して,非常に有益な情報を得た私は道中の闇市のなどで偽造身分証明書を作成しようと考えた.
夕食の準備ができたそうなので,使用人が商人の夫婦から順番に食事を配っている.私の番になり,温かいスープとパンを頂いた.皆に料理がいきわたり,夫婦を筆頭に食事前のお祈りを済ませ,まずはスープに手を付けた.野外での生活では,スープは定番メニューだが非常にありがたい存在だ.体温を高く保てるだけでなく脱水の対策にもなる.主な味付けはシンプルに塩だが芋,ニンジンや玉ねぎなどの野菜がしっかりと出汁を出しており,素朴で美味い.また,パンの方だが配られたパンをつかんだ時,少し固めのパンであることがわかっていた.皆はスープに浸して食べていたが私は,何もつけない状態が好きなので半分程度そのまま齧る.前世の部下たちには賛同してもらえなかったが,パンは柔らかいより硬いほうが良い.その方が噛み応えがあるし,噛んでいる最中に小麦の香りが鼻を抜ける感じが非常に好きなのだ.残りの半分は周りと合わせ,スープに浸しながら食べた.
「私たちはそろそろ寝ようと思いますので,お先に失礼しますね.」
『はい.おやすみなさい.私は,明日は日の出とともに森へ入ろうと思うので恐らく,お別れの挨拶はできないと思います.今日は本当にありがとうございました.』
「いえいえ,良いんですよ.何かあったら大人を頼ると良いと思いますよ.お元気で.では,お休みなさい.」
就寝と別れの挨拶を済ませ,ポシェットを枕代わりにして床に就いた.
日が昇りかかり,肌寒く,奇妙な鳴き声が聞こえる.私は商人たちよりも早く起き,出発することにしていたので昨日に別れの挨拶は済ませておいたから心残りは無い.しかし,私が森へ向かおうとするとするとき,ウィリアムが私を引き留めた.振り向くと商人の二人が立っていた.私を見送るために起きてきてくれたのだ.ウィリアムが私に訊いてきた.
「リリアさん.なにか困っていることはありますかな?」
『森の中では,魔針コンパスが手に入りにくいことですかね.』
私は,冗談交じりで言葉を返した.
「私のお古で良ければ差し上げますよ.」
そういうとウィリアムは,荷車から少し味のある魔針コンパスを取り出してきた.
『いくらですか.』
「出世払いで良いですよ.この世界は広いと思われがちですが,実際人間が住む場所など狭いものですから貴方のように冒険者家業を続けていたら必ずどこかでまた出会いますよ.」
「わかりました.ありがとうございます.今度会った際には.必ず,お支払いします.」
恐らく,これは彼らなりの選別なのだろうとありがたくもらっておくことにした.再度,会うことがあればしっかりと定価の値段を支払わせてもらおうと思う.手を振る二人を背に暗い森の中へと踏み入った.