「ドラコス」
木の枝に足をかけ,蝙蝠のようにぶら下がりながら,腕を組み考える.シャリアピンステーキを作るならば,牛肉が絶対条件だ.しかし,森には牛はいない.そうこう考えているうちに頭に血が上ってきたので,木の枝の上で軽い蹲踞の姿勢を取った.山々に囲まれた盆地を眺めながら図鑑に載っていたモンスターの生息分布の記憶をたどる.確か隣山にはウシ科のウグロという一本角のモンスターならいるはずだ.だが,今いるエルグの森には生息しておらず,より東へ行く必要がある.山脈を構成するエルグ岳にあるエルグの森より東には,未だ行ったことがない.加えて,ウグロの危険度はホーンボアの一つ上のE程度であり,狩りに行くにはトータルの危険性が上がる.うーん...考えに考えた挙句,私はウグロを狩りに行くことにした.
高脅威度のモンスターに出くわさないために素早く,尚且つ静かに森を駆ける.すると遠から前世において嫌ほど聞いたサイレンの音が響いてきた.私は反射的に姿勢を低くし空を見上げた.けれども見渡す限りの快晴の空があるだけだった.少し警戒した後に再度歩みを進めた.
より小さい草原が目の前にあるところまで来た.草陰から草原を覗くとウグロの群れが草を食む様子が見て取れた.彼らはちょうど草原の真ん中,自身のいる場所から約300 m程度離れた場所におり,考えなしに突っ込むと確実に逃げられそうだ.警戒されずに近づき,確実に一匹を仕留められる方法は無いものかと考えていると,ちょうど左手あたりに細い低木が生えていた.その木を見つめながら弓を作ることを思いついた.
父からもらったお古のナイフホルダーからナイフを取り出し,素早くできるだけ音を立てず木を切り倒し,枝を切り取った原木に仕立て上げた.中心部分は少し太めで端は細くしていき,弦を掛ける部分として深めに溝を掘っておいた.しかし,今回の冒険には縄は持ってきていないため自身の髪の毛を結び一本の弦を作り,弓に掛けた.また,矢の方は原木を作成する際に出た枝で形が良いものを2本選び,弦を掛けやすいように枝端に溝を入れ,先端はナイフで尖らせることで弓矢を作成した.
矢羽根が無く,矢の形も完全に成形できていないが20分程度で作製したにしては及第点だと自画自賛し,一人で頷いていた.弓矢を作成しながら群れを観察してはいたが最初にいた位置から動く様子もなく,のどかに草を食べていた.私は弓を構え幼牛程度の大きさのウグロ一頭に目を付け,殺気が出ないように狙いを研ぎ澄ました.弓は大きくたわみミシミシという振動が矢を持っている指先から伝わってくる.狙った一頭が草を食んだ後に頭を上げた.その瞬間を逃さずに弓を放った.弓は放物線など描かず,一直線にウグロの頭に命中した.射貫かれたウグロは倒れ,残る力で起き上がろうと胴体と足を動かす.それに驚いた周りのウグロたちは森の中へと逃げていった.私は,その射貫いたウグロの血抜きをしようと近づいて行った.腰からナイフを取り出し,首元を深めに割き,血抜きをした.今回は初めて訪れた場所であり,周辺モンスターの危険度がどれほどかわからないため血抜きのタイミングでドラゴンの糞を乾燥させた「ドラコス」というモンスター除けアイテムを周辺においておいた.この「ドラコス」はC級以下の危険度を持つモンスターであれば近寄ってこないかもしれないというアイテムである.正直,これはかなりくっさいので個人的には密閉革袋から取り出したくない.
かれこれ血抜きの待ち時間のために空を眺めている.日々の退屈に何か刺激が欲しいと思い,じっと天を見つめる.何かの拍子に魔法が出るのではないかと期待し,空に手を伸ばし力んでみるが音沙汰はなしだ.視線を掌にあてぐっと握りしめ,深くため息をつく.私はまだ魔法はあきらめきれていない.少し目を閉じ起き上がった.かれこれ3時間程度たった.そろそろ大丈夫かなと,ウグロの解体に取り掛かった.
ドラコスのおかげか周辺にモンスターの気配はなく,集中して解体作業を始めることができた.まず四本の足を切り取り,獲物の肛門付近から腹にかけてナイフを入れていき,ナイフを持った指の感覚を頼りに内臓を傷つけないように首まで裂き,内臓を取り出し,横に置いた.そして次に皮を剥ぎ,胴を縦横に切断したときだった.
突然の悪寒を感じ,瞬時に4分割した1ピースを抱え込み後ろに跳んだ.その刹那,自身の視界に宙を浮く黒い影が入った.このとき,隣の山へ踏み込んだ時の回想をした.確かに,今思い出すとおかしいほどの快晴だった.鳥が一匹たりとも飛んでおらず,生物の気配すらしなかったことや遠くのサイレンはこういう事情だったのかと納得できた.「竜」,食物連鎖の頂点の一角を担うモンスターだ.この堂々たる風格をいざ目にすると動けない.体の震えすら起きない.竜が地面に降り立ち,右足で私が狩ったウグロをつかみこちらを睨みつけている.私は目線を逸らさず,竜の目をじっと見る.竜は私から視線を逸らし食事に集中し始めた.私は,この竜の気が変わる前にその場を離れた.
隣山を下り,玉ねぎを収穫するための帰路の途中で,私は腕を組みながら悩んだ.血抜き途中などに肉食系のモンスターが襲ってこなかったのは,竜がいたからなのかドラコスがあったからなのか...これは今後の私の課題となった.