ようやくの月曜日
ようやく。
「それではここに! 第一回! 軽音部! 円卓会議を開催する!」
週が明けた月曜日。昨日の雨と打って変わった晴空がオレンジ色に変わる頃、僕らの軽音部の部室に馬鹿の声が響き渡る。
「イ、イミカちゃん。これは円卓じゃ無いよ」
申し訳無さそうに四角い机を指差して、律儀に突っ込んでくれるのは石川 織守さん。イミカと同じクラスで、軽音部の幽霊その1だ。赤茶けたくせ毛がぴょこぴょこ跳ねて、それを恥ずかしそうに手で押さえる仕草が気の弱い猫を想わせる。イミカによると気弱で律儀な優しい子、らしい。ちなみに、名前を忘れていたのは秘密だ。
「ええんやないの。この机もよう見たら角が丸なっとるし、円と言えんこともないで」
そしてさらに、突っ込みに突っ込みを入れるのは京都弁の川端 桐音さん。得意技は流し目で、腰あたりまで伸ばした黒髪をポニーテールにしたサムライ系女子で、軽音部の幽霊その2だ。何となくで、どうでもいいんだけどこの子は狐に似ていると思う。ちなみに、この子はイミカによると飄々として、気ままな子らしい。あと、この子の名前も忘れてた。
「んな事はどうでもいいのである! それじゃあ、アイタン進行はよろしく!」
言ってイミカはビシッと僕を指差す。
「仕切らねーなら、偉そうに仕切るなよ。……まあいいや、それじゃあとりあえず現状の状況をざっと説明するからみんなよく聞いてね」
投げつけられたバトンをしょうがなく受け取って、とりあえずの状況を説明する事にする。一応、イミカは無論の事、石川さんも川端さんも、それなりに状況を分かった上でここに来てるんだろうけど、昨日の宮沢さんとのやりとりで決まった事や、その他諸々に行き通ってない事はあるだろう。なので、情報をフラットにする為に現状の把握は欠かせない。なので、イミカに任せるより僕がやった方が確実だ。
「僕ら軽音部は色々あって、文化祭で劇をする事になりました。使える時間は大体、30分。演目、配役は未定で、それをとりあえず今決めたいと思います。あ、でもその前に確認、石川さんと川端さんは本当に劇に協力してくれるの?」
「は、はい。一応、私も軽音部なので」
「まあ、嫌やったらここには来てへんな」
2人は心なし嬉しげにそう答える。
何だ。イミカの奴、いい友達がいるじゃないか。僕はまた、嫌がる子たちを無理やり連れて来たんじゃないかと結構疑ってたんだが、笑顔で手伝ってくれるなら僕から言う事はない。
「そう、ならいいんだ」
「あったりまえだろー、アイタン! 私の友達なんだぜー! ちょっと位のわがままには付き合ってくれるよー」
うーん、能天気。別にいいけど。
「それじゃ改めて、何かやりたい劇の演目ある人いる?」
「…………」
「ぱっとは思い浮かばんなぁ」
それはまあ、そうだろう。ここで、ぱっと思い浮かぶような奴はそも軽音部には入らないだろう。まあ、僕みたいな例外は除いて。
「はい! はーい! 私に提案がありまーす!」
隣に座るイミカが元気よく手をあげる。……そういえば部長からして例外だったな、うちの軽音部は。
「はい、じゃあイミカさん」
どうせろくなアイディアじゃないが、聞かないと終わらないのでとりあえず聞いておく。
「はい! アイタンが書けばいいと思います!」
ほらダメだ。
「却下だ」
「いいじゃん。いいじゃん。これを機にスランプ脱去を図ろうぜー」
書けるようになるには書くしかない。書けないなら別のものを書けばいい。師匠の教えには反するが、確かにそれはもっともだ。でも、それはもっと余裕のある時の意見だ。今はそんな悠長な事をしている場合じゃない。時間も余裕も、何より僕の気概が足りない。
「時間が足りねーんだよ」
「そう言えば坂口くんは小説を書かはるんやて。イミカちゃんが良く言ってはあるわ」
イミカの奴はどこでも僕の事を喋ってるのか? 別にいいんだけど、なんか気になるな。
「まあ、書くだけだけどね。それに今は調子が良くないし」
「でもまだ文化祭まで時間は二週間程あるんやし書いてみたらええやん」
なんかこの子グイグイくるな。僕に書かせたい理由でも有るのか?
「いやいや二週間しかないんだぜ? たとえ僕が一週間で書き上げたとしても残り一週間。その一週間で台本を覚えて、演技の練習なんて無理だろ?」
「た、確かにちょっと厳しい、かもです」
正面に座る石川さんも髪の毛を抑えながら同意してくれる。しかし、見通しが甘い。厳しいでは無く無理なんだ。
「いやいやいや、織守ちゃん。アイタンが無理して一週間で書き上げてくれるって言うんだから、私達も頑張らないとダメでしょ! その為にここに来たんでしょ!」
「あ! た、確かに。すみません、坂口くん。私覚悟が足りてませんでした」
いや、ペコリと頭を下げられても。うーん、やっぱりイミカの友達なんだなー。類は友を呼ぶつーか、別の種類のバカさ加減を感じる。
「いやいや、僕は書くなんて一言も言ってないから。おい、イミカ。お前変な誘導するなよな。アホ毛引っこ抜くぞ」
「できるのか? アイタンに」
「いやだから、僕は初めから出来ないって言ってるんだ。人の話を聞け。聞いた上で考えて言葉にしろ」
「だ、大丈夫です。坂口くん、私頑張りますから」
あー、駄目だ。話が進まない。ただでさえ時間が無いんだ。こんなところでうだうだやってる余裕は無いんだ。僕は、僕ならどうにだってできるけど、そんな事じゃあ意味が無い。上手く進めるには、上手く話さないと。いや、話し合わないと駄目だ。
「なぁ、坂口くん。あんたもしかして怖いんか? 」
そこでピシャリと、川端さんの一言が場を切り裂く。流し目でこちらを見るその姿は僕を測るようでいて、面白がっているようでもある。
「……川端さんは僕が何を怖がっているように見えるの?」
僕は川端さんの目を真っ直ぐ見返して、そう問い返す。怖がっている。その言葉はあながち間違いでは無い。でもだからって、そんなものは僕の真では無い。だから、僕が目を逸らす理由なんて何も無い。
「何を言われてもウチにはわからんけど、少なくともウチには目を背けてるように見えるで」
書くことから、か。書く事で、か。後者なら僕は本当に救い難い。救いなんて僕は別にいらないけど。まあ、でもそれとこれとは別の話だ。今の論題はそこじゃない。やるかやらないかより、できるか否かだ。
「川端さんは面白い見方をするね。でも今見るべきはそこじゃない。僕が何を見ているかより、僕にできるかどうか、だ」
「ウチからしたらそういう考え方が、もう逃げとる思うんやけどなぁ」
「別に川端さんがどう思うかなんて、どうだっていいよ。僕は、僕には荷が重いって思うから言ってるんだ。意見があるならせめて、僕の荷物を軽くできるような事を言ってくれ」
無いなら黙れ。
「言い回しを捻っても、本質は変えられへんで。どれだけ荷物が重かろうが、先ずは一歩進まなどこにも行けへんで? まあ、どこにも行きたない言うんやったら、そりゃあ仕方ないけどな」
できるかどうかより、やるかやらないか。
真っ直ぐだけど狡い考え方だ。できないと分かっていて、やり続ける。いつか出来ると信じて走り続ける。見方は違えど、両方とも地獄なのは変わりない。だから、逃げてる? そりゃあ、逃げるさ。無論、逃げた先が地獄なのは言うまでもないが、それでも僕は逃げる。逃げる方にしか僕の道は無い。
「ふ、二人とも喧嘩はだめだよぉ」
ヘラヘラした顔で睨み合う僕と川端さんに、おっかなびっくりとした声で、石川さんが止めに入る。
「いや、織守ちゃん。これは喧嘩じゃないよ! 熱い魂のぶつかり合いだ! いいぜ、アイタンに桐音ちゃん! もっと熱く青春しようぜ!」
さらにそれをイミカが、大声で止める。
「しねーつってんだよ。バカイミカ」
「なんや、やっぱり逃げんのか」
「だ、だから喧嘩は……」
「いけー、アイタン! 負けるな桐音ちゃん!」
会議は踊る、されど進まず。
時間は進む、されど戻らず。
当たり前に、当たり前ではあるけど終着点の見えない会議は終わらない。だから、僕は最初に今日は演目と配役を決める、と言った。しかし、このままわーきゃー言ってたら、時間だけが過ぎる。ここは誰かが折れねばならない。そして、多分それは……。
「あー、もう、分かったよ。分かった、分かった。僕が書けばいいんだろ?」
僕が折れるほか無いのである。
僕も曲がりなりにも協力すると言ったんだ。だったら周りの足並みを乱すわけにはいかない。仕方ないから、妥協くらいはしてやろう。ただ、やっぱり真っ直ぐ向き合うには、まだまだ覚悟が足りない。というか、こいつら分かってるのか? 一週間で演劇の脚本を書き上げる事がどれだけ大変か。学校だって有るってのに。言ったからにはやるが、だとしても……いや、言ったからにはやるだけだ。
「おお! やってくれるかアイタン!」
「ああ。やってやるよ」
「さすが、男らしくてかっこええなぁ」
「川端さん、白々しい」
「本心やのに」
「だったら尚更だ」
という訳でめでたく、おめでたく僕が書く事になったはいいが、それでもまだまだやるべき事は有る。肩の力を抜くにはまだ早い。
「それで僕が書くのはもう決まったとして、せめて題材の取っ掛かりくらいはみんなの意見が欲しいんだけど」
「だ、題材の取っ掛かり? それってどういう意味?」
「まあ、単純にテーマとかそんな感じのものかな。ラブストーリーとかSFとか、そんなんでもいいし、愛と勇気とかそういうんでもいい。派手なのとか手間や金がかかるのは出来ないけど、何かしら取っ掛かりがあった方が書きやすいんだよ」
「はい! 夢と魔法のファンタジー!」
ビシッと人の話を聞かずに手をあげる馬鹿。派手なのは出来ないって言ってるだろ。
「ウチは時代劇がええかなぁ」
おっと、川端さんも話を聞いてない。
「わ、私は冒険活劇がいいです」
そして、やっぱり石川さんも話を聞いてない。なんだこいつら示し合わせんやってるのか?
「あー。後からで悪いけど条件を出させて貰うと、演者は多くて2人、時間は30分以内。演出も音響も衣装も最低限で、できれば会話劇にして欲しい。だから、ファンタジーも時代劇も冒険活劇も無理だ。というか、先に聞きいておきたいんだけど演者やりたい人居る?」
「ふむ。まっ、その辺は仕方ないよね。よしっ! じゃあとりあえず、私が主役を演じたいです!」
意外な物分かりの良さを発揮して、またしてもイミカの手が上がる。
「いいんちゃう、部長やしなイミカは。それやったらもう1人は、織守ちゃんでええんとちゃう。中学の頃は演劇部やったやろ?」
そして、意外な事実。なんだ、即戦力がいたんじゃないか。
「なんだよ、石川さん。それならそうと言ってくれれば良かったのに」
「わ、私は別にそんな大層な事はやってなくて、ただ、人数が足りないから入ってくれって頼まれただけだから。その、下手に言って期待されても……」
申し訳なさそうにシュンとする。なんだかんだでみんな苦労してるんだなー。当たり前ではあるけれど、人は苦労せずには生きられないって事だな。わざわざ買わなくても、苦労なんてそこら中に落ちてるもんだ。
「せやけど中学の時、何回か劇やってたやん」
「よし!それじゃあ! 演者は私と織守ちゃんに決定!」
「イミカ無理やりは良くないぞ」
「い、いえ、その、上手くできるか分からないけど……私やります!」
僕のように長々とごねる事なく、石川さんは決断する。うーん。なんとなく僕の器が知れるなー。
「じゃあ決定ね。つーことは後は僕と川端さんで音響、照明、後、必要なら語り部を回すって事で問題ない?」
「あらへんよ。そんくらいお茶の子さいさいや」
川端さんのニヤリとした同意を得てようやく、意外と早く全員の役割が決まる。後は僕の頑張り次第だ。正直に言うと、いや口には出さないけど、自信が無い。やるか、やらないか。これはもうやるしかない。できるか、できないか。これも、そこまで難しい話じゃない。適当に演劇の台本を幾つか集めて、それっぽいモノ創るだけなら一週間も有れば充分に可能だ。僕ならそれくらいはやってみせる。でも、僕が納得できるものを書けるか。これは如何ともしがたい。もう僕は自分の真っ白な作品を見たくは無いんだ。
「どーしたんだよ、アイタン。ボー、としてさ? あ、もしかしてもう劇の台本考えてたの?」
イミカの声に意識を引っ張り上げられる。少し、深みにはまってしまっていた。まだ、訊いてもおきたい事は幾らかある。
「ん、まあ。そんなところ。あー、それで結局みんななんか無いの? 作品に対する要望。一応言っておくけど、さっき言った条件を鑑みて、ね」
「うーん。そう言われてもなー。でも、やっぱり見てれる人には感動して欲しいよね!」
「いればいいな見てくれる人」
「意地悪言うなよー。アイタン」
実際、軽音部の完全素人演劇を観てくれる人なんて居るんだろうか? ただでさえ、軽音部が演劇なんてわけわかんねーのに、台本も演者も練習期間も知れてる。そんなものに、わざわざ時間を割こうなんて僕なら思わない。……まあ、そこはなるようにしかならないか。最悪、誰見てくれなくてもやるだけやればいい。観客の居ない劇なんて、考えてみると意外と愉快なもんだ。
「まあでもいいんじゃね。感動ね。一応、考慮するよ。2人はなんかないの?」
「そういうんでもええんやったら、ウチは死別かな」
「は? 死別って死と別れるって書く死別か?」
「ん? せやけど、あかんのか?」
川端さんはなんだ、よく分からん。
まあ、感動要素ってのは何かしらの別れが一番分かりやすいが、ぱっと出てこねーだろ死別なんて言葉。この人こえーわ。発想か思考回路が化け物の領域だよ。
「いや、まあ、参考にはさせて貰うよ。あと石川さんだけどなんかある?」
「え、えっとそれじゃあ友情とかダメですか?」
おー、普通。淪落とか絶佳とか言われたらどうしようかと思った。この子は普通で良かった。友情。うん。分かりやすくていい。
「いや大丈夫問題ない」
「はい! じゃあ私も!」
「いいぞ。さっさと言えよ」
「うおっ。アイタンが突っ込まない、だと」
「いいんだよ。こういうのは多くて損は無いんだから。だから、さっさと言えよ」
「よし! それじゃあ。愛と勇気と青春と恋と人生と戦争と平和と平等と……」
「多い。三つに纏めろ」
ズシッとイミカの頭に突っ込みを入れる。
「多い方がいいって言ったのはアイタンじゃん!」
「限度があるんだよ。限度が。だいたいお前、今自分が何個言ったか覚えてるのか?」
「うぐっ、分かりません」
「だろ? 弁えて慎みを持て」
「えーい」
うーん。と頭を悩ますイミカから目を逸らし、窓の外の空を見上げると秋の茜が深みを増している。もうそろそろ、下校時間だな。これからやる事が目白押しだ。なんかいつもそんな事を言ってる気がするが、それが青春ってものなのだろう。もしくは僕が停滞しているだけか。或いは、どこへ行こうと本質は変わらないのか。……馬鹿馬鹿しい。そんな事は考えるまでも無い。全部同じ事だ。同じく変わらないものだ。
「よし! じゃあ、最後にみんな一つずつ言って今日は終わりにしよう! 私はラブレター!」
不意に響くその言葉に、僕の心臓がどきりとした。
「ん? ダメなのアイタン」
動揺を顔に出したつもりは無かったが、流石は長い付き合い。僕の僅かな表情の変化を、的確に掴んでくる。しかし、それでもそれだけだ。気づいただけで何も分かっちゃいない。
「いいよ。問題ない」
今度はいたって平然と僅かな変化も無く、僕はそう答える。
「そう? じゃあ次は桐音ちゃん」
「そやったらウチは殺害予告かな」
川端さんはニヤリとした顔でこちらを見ながらそう言う。僕は、それに努めて冷静に微笑み返す。
「いいんじゃない。じゃあ最後に石川さんお願い」
「う、うーん。じゃ、じゃあ約束で」
あー、うん。やっぱり石川さんは普通だ。
「じゃあ纏めると感動、死別、友情、ラブレターに殺害予告に約束。まあ、全部使うか分からないけど、参考にはさせて貰うよ」
はーい。と言うみんなの返事を最後にようやく解散となる。なんとなく不思議な気分だった。浮ついているようで、沈み込みそうな不安がある。海中から太陽を見上げるような、おぼろげで曖昧な感情。
絡みついて、引き摺り込もうとする不安。ただ、でもそれは、所詮それだけの事。感情なんていつでも曖昧で、不安なんて日々感じている。だから、いちいち気にするような事じゃ無い。
「私はお前を許さない」
不意にそんな声が響いた気がした。
はっと、して周りを見渡すと教室の出口でイミカ達が早く来いよー、と手を振っている。僕はそれにおー、とか適当に返事をして早足に向かう。今の言葉は誰が言ったのか、それとも単なる幻聴か、何にせよ僕は早足でその場を去ることにした。
許さない。
殺人予告にも書かれていたその文言。誰が言っても関係ない。気にする必要もない。だって、そんな事は当たり前の事なんだから。
うんうん。