第01話 脱☆社畜ですか?
向田 穣は社畜である。
大学を卒業して地元の医療機器メーカーに就職したが、そこはとんでもないブラック企業だった。
今日も今日とて深夜残業に勤しむ彼は真っ暗なオフィスのデスクで、エナジードリンクを飲み干した。
デスクの上には1日の摂取限界量を明らかに超えているエナジードリンクの空き缶が山のように積み上がっており、今しがた飲み干した空き缶がカランと音を立てて転がった。
その音に数名の同僚がピクリと動き、シャクリとりんごを齧る音が続く。
誰が始めたのかは不明だが、この職場ではカフェインはエナジードリンク、カロリーはりんご丸かじりという都会的、かつ野生的なスタイルが流行っている。
穣のりんごはとうの昔に芯だけになっており、いまや頼れるのはカフェインのみの状態だ。
そんな深夜残業もあと1つ見積もりを作成すれば終わりという段階にさしかかり、パソコンのキーボードを叩く指が忙しなさを増していく。
「あと少しで寝れる…あと少しで寝れるんだ…」
うわ言のように呟きながら最後の商品名を入力し、金額を入力しようとするも連日の深夜残業による疲労と過剰に摂取したカフェインがそれを許さなかった。
ぷつん、と電源が切れるように穣の意識が遠のく。
「保存…!見積もり保存しなきゃ…!」
声にならない悲痛な叫びは虚しく、穣の意識は深い闇の底へ落ちていった。
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目が覚めたとき、既に周囲は明るくなっていた。
しかし、先程まで一緒にオフィスにいた同僚、あるいは部下がしっかりと仕事をしているかどうかを始発で欠かさずチェックしに来る課長の姿はそこにはなかった。
さらに言えば、そこはオフィスですらなかった。
ゴツゴツとした石で作られた壁に覆われた視界は一面灰色で、特徴的なものは無機質な鉄格子だけである。
どうやら過剰に摂取したカフェインの影響で、頭がハッピーセットになってしまったらしい。
たがこんなところで寝ぼけている場合ではない。まだ俺にはやらねばならぬ使命が残っているのだ。記憶が確かなら、保存せずに落ちてしまったはずだ。
無事ていてくれよ、俺の見積もり…!
靄のかかった思考を引きずりながら鉄格子に近づき、扉に手をかける。
が、扉はびくともしない。鍵がかかっている様子はないのになぜか扉が開かないのだ。
「あるぇ?じゃあ俺どうやって入ったの?」
などと、間抜けな声を出した刹那。
大地を引き裂くかのような轟音が耳をつんざいた。
まるで獣の咆哮。地獄の底から響くような轟音はすぐ隣の部屋から聞こえており、寝ぼけていた穣は一気に正気に戻された。
どう考えてもおかしい。目が覚めたらいきなり独房のような場所にいて、この世のものとは思えない獣の咆哮が聞こえるなんて。
(これは、もしやあれですか?最近流行りの異世界転生ですか?あいや、死んでないから異世界転移?脱☆社畜ですか?)
(だったら俺にもチートなスキルみたいなものが付与されてるんじゃないですかね?)
轟音に命の危険を感じた穣は、獣の咆哮がする方向に向けて、右手を突き出し叫んでみた。ヤケクソである。
「何でもいいから出ろっ!化物ごと吹っ飛ばせ!」
かくして穣の望み通り、彼の権能が発動する。
視界の先にぽとり、と人参が一つだけ落ちてきた。