047 紫禁城のたそがれと、それぞれの思惑
バリバリバリ、
ドドーン
大音響がして、開の放った、特大の雷が太和門に落ち、扉の部分が破壊される。
「よし、突入」
柴五郎中佐を中心に日元軍陸戦隊24名、日元義勇隊32名、
多国籍軍150名の連合軍が、
1420年に明の洪武帝が遷都した時に造営され、約500年に渡り、
歴代皇帝の宮城とされた紫禁城に、南の天安門を通り、太和門から突入した。
激戦が予想されたのだが、開がさらに、雷撃魔法を、数発打ち込むと、
清国軍は浮き足立ちはじめ、太和殿、中和殿、保和殿を制圧したところで、
一斉に逃げ出してしまい、あっけなく、紫禁城を占領してしまった。
{西太后たちは、前世同様、宣戦布告の後、すぐに逃げ出していた}
「ケガ人はこれで全部ですか」
開は治癒魔法を日元人や連合軍兵士だけでなく、捕虜になった
清国軍の兵士にもかけながら尋ねた。
前世では、日元軍陸戦隊、義勇隊から、8名の戦死者が出ていた
紫禁城の攻防戦だが、今世では、幸い怪我だけで済み、戦死者はでていない。
ただ、清国側には、多くの戦死者が出ており、
開はやるせない想いでいっぱいだった。
(日元でも昔、長州藩が、イギリスに戦争をしかけたことがあるし、
外国人を打ち払いたいという気持ちは、わかるけど、
これは大変なことになるぞ・・)
そう思いながら、たそがれていく紫禁城を後にした。
そして、程なく、列強諸国は、清国から賠償金をむしり取るための会議を行い、
{北京議定書}が結ばれることになった。
その内容は、開が心配していたとおり、清国には壮絶なもので、
なんと4億5千万両もの損害賠償を課せられたのだった。
それは、当時の清国の財政収入1億1千万両の、4倍以上の金額で、
清国は、これから39年の分割払いで、列強諸国にその賠償金を
払い続けることになったのだった。
***
「本当に日元政府は、清国に賠償金を請求しないのかい」
実業家の梅屋庄吉に資金援助をしてもらいながら、
日元国で革命活動をする、孫文が、東京に戻ってきた開のもとを訪れ、
質問してくる。
「ええ、公使館も魔法結界で覆っていたので、無傷でしたし、
匿ったお礼として、連合した国々から、かなりの礼金をいただいたので、
それを被災民の食費や、店舗を壊された在清日元人への見舞金に回せたので
なんとかなりました」
「かたじけない。いや、しかし、よく考えてみると、清国から金をむしり取って、
それを、私達の革命資金に回してもらってもよかったんじゃないかな」
「・・・孫文さんは、いったいどっちの味方なんです?」
「開くんはまだ、よく分かってないみたいだね。我々の外国人追放運動には、
欧米人以前に、満州人の追放運動でもあるんだよ」
日元人には、わかりにくいが、清朝廷は、満州人が明を倒して建てた国で、
漢人にとっては、外国人に300年間占領されているようなものなのだ。
(そういえば、親父たちにレクチャーを受けてたっけ)
「そうでした・・・、ところでそちらの女性は?」
孫文の横には、女学生のような美少女が座っていたのだ。
「薫さんは、その・・私の婚約者だ」
「はあ?孫文さんってシナに妻と子供がいませんでした?」
詳しく聞くと、大月薫さんは、横浜高等女学校に通う、14歳の女学生で、
伊勢佐木町の自宅が火事になり、父親の知人の温炳臣の家に間借りしていた所、
孫文が一目惚れして、求婚したのだという。
薫の両親は大反対したが、地元の妻とは離婚するということで、
梅屋さんたちが、間に入り婚約にいたったのだという。
{薫さんが、2年後16歳になった時に盛大な結婚式が開かれる}
(36歳と14歳って、犯罪だろ!いやこの時代ならいいのか、
うー、でも、なんか悔しい!)
勾玉内の海がわめいていた。
「英雄、色を好むっていうでしょ」
(自分で言うなー、ロリコンやろー、開、こんなヤツにもう援助するな)
海が怒り狂っていた。
(いや、援助してるのは、梅屋さんたちで、僕はほとんどなにもしてないよ)
「・・そうですか、どうぞ、お幸せに・・」
そう言いながら、孫文の横で顔を赤らめる、美少女を見る。
「ありがとう、それで、開君に相談なんだが、今、庄吉さんに、
私と薫さんのショートムービーを撮ってもらっているんだが、
ラストシーンに、空中を飛びながら、抱き合い、接吻するシーンを
入れたいと思っているんだ。ぜひ、君の魔法で協力してほしいんだが・・」
「え、孫文さま、接吻ですか・・」聞いてなかったようで、
薫さんがさらに顔を赤らめている。
(なにそのリア充!開、絶対協力なんかするな!)
「はあ、そのぐらいの協力なら・・」
海の反対をよそに、孫文と薫さんのショートムービーは完成し、
大きな月をバックに夜空に浮かんで、キスするシーンは、
{開がガラスの舞台ごと飛行魔法で持ち上げた}
のちに、世界中の恋人達のあこがれのシーンとなった。
そして透明なガラス舞台{魔力水晶をコーティングして補強済み}と、
望遠レンズ付きムービーカメラが、世界中の写真屋さんに売れまくり、
庄吉の経営する活動写真会社や、開の世界でも有名だった
カメラメーカーの躍進に大きく貢献したのだった。
また、孫文と日元国との友好関係もアピールされ、
今回の義和団事件で、一切、賠償請求をしなかった日元国政府の
対応と愛和して、日元国の好感度が上がったのだった。
そんな、好感度の上がった日元国を利用しようとする国が現れた。
そう、イギリスである。
イギリスは、ロシアが満州の地を実質的に占領していることに
いらだちを感じていた。
それは、別に清国に同情している訳では無く、
自分も満州で利益を得たいからだった。
そこで、イギリス公使は、清国の首相である袁世凱に、
「今回のイギリスへの賠償金は、満州での鉄道利益で構わない。
ただ、イギリスは満州の鉄道建設や運営まで手が回らない。
そこで、日元国へ建設と運営をお願いしては、いかがだろうか
そして運営利益の5割を清国、3割を日元国、イギリスは2割を
いただければよい」と提案したのだった。
ロシアの傍若無人な満州への実質侵略に苦しんでいた袁世凱は
その話しに飛びつく。
また、万里の長城の以北の地は、シナの土地では無い、
そして、満州の地は満州人の土地であるから、このさいできれば
満州人に清国から出て行ってもらいたいと思っている、孫文も、
そのイギリスの提案に乗り気で、薫さんと二人で
満州を旅行するムービーを撮りまくり、
世界中にアピールするのだった。
その結果、イギリスの提案が既成事項のようになり、
開たちの反対をよそに、満州地方の鉄道建設と運営権が、
日元国に渡されたのだった。
(うー、イギリスの戦略を止められなかった・・
まずいぞこれは、ロシアは絶対に頭に来てるだろ?)
開たちの予想通り、ロシアは激怒していた。
李氏朝鮮を属国にしていた、ロシアは、釜山から京城、平城を通って、
満州を縦断し、モスクワまで続くシベリア鉄道を建設中だったのだ。
そこにフタをするように日元国が立ちふさがることになったのだから・・・
「サル共が、調子に乗るなよ」
ロシア皇帝、ニコライ2世は、露都ペテルブルグの宮殿で、一言呟いた。
その瞬間に、歴史は前世と同様に日露戦争への道を歩く始めたのだった。




