044 台湾島と緑色水晶と日元神道
明治32年(1899)、開たちは、日清戦争の報償の一つとして
イギリスの策略で押しつけられた、台湾島を走り回っていた。
中央を横切る北回帰線を挟んで、北が亜熱帯、南が熱帯地域の台湾島には、
2000年前からマレー・ポリネシア系の人々が住んでいたが、
各部族ごとに、渡って来た時期や場所が違うため、
部族間で言葉も風習も違い、統一国家というものが存在していなかった。
つまり、1624年にオランダが台南に上陸し、ぜーランディア城をつくり南部を支配したり、
1626年にスペインが、基隆にサン・サルバドル城を造ったり、
1661年に鄭成功が台湾に攻め入り、オランダ人を追い出して反清復明の基地にしたり、
1683年に清朝がその鄭一族を打ち破って、文官を派遣した後、
敵対勢力の根拠地にさせないために大陸から台湾への渡航を禁止したりしていたが、
どこも、台湾島全てを、統一した国は存在していないのだった。
そんな、島といっても、九州の8割ほどの大きさがあり、
人口も200万人を抱える巨大な地域を、何とか統一させるべく、
開たちは、走り回っていたのだった。
去年、アメリカがスペインに戦争で勝利し、その戦利品として、
フィリピンがスペインの植民地から、アメリカの植民地になっていた。
日清戦争に破れた清国は、眠れる獅子というメッキが剥がれ、
新たな疎開地の設置を欧米に迫られ、カモにされはじめていた。
もはや地球上に有色人種で独立している国は、日元国とハワイ王国以外には、
存在していないと言ってよい状況になっていたのだ。
{イギリスとフランスの植民地に挟まれたタイが、微妙なバランスで
かろうじて独立している}
そんな、白人が有色人種を支配する世界の体制を終わらせるには、
日元国一国が、どんなに、話し合いをしましょうと呼びかけても、
応じる国など、あるはずはなかった。
結局、最終的には、話し合いでは済まずに、戦争になるだろう。
その時が来たら、前世の第二次大戦のように、ドイツやイタリアと組むのではなく、
同じ有色人種の国と同盟を組み、一緒に戦いたいと考えていた。
そのためには台湾も、平和裏に統一さしてもらい、力をつけてもらって、
出来るだけ早く、独立国としてハワイ王国と並ぶ、日元国の同盟国になってもらう
というのが、開たちがイギリスに台湾を押しつけられた後に
考えられた台湾への戦略だった。
それには、インフラの整備、教育の充実、医療の充実、産業の発展
そして、宗教改革が必要になってくるのだ。
そのためのインフラの整備では、上下水道の整備はもちろん、
人やモノの迅速な移動を行えるよう、ハワイや沖縄のようなモノレール主体ではなく、
日元国のように鉄道主体で、ローカル線をモノレールで繋ぐ計画を立て、
現在、西側路線、高雄から台南、台中、を通り台北までの路線工事を始めていた。
また、小学校や、診療所の設置も同時並行で進められており
さらには、魔力水晶を使っての農業改革も進み始めていた。
そして極めつきが、台湾独自の魔力水晶の発見であった。
ハワイ島では、キラウエア火山の溶岩から、魔法で少し青い
サファイアか、アクアマリンのような水晶の生成に成功していたが、
台湾島では、玉山山脈や中央山脈から、サファイヤのような
緑色水晶が発見されたのだ。
そして、その緑色水晶は、開の偶然の行為で、特殊な効用が
発見されることになったのだった。
***
「児玉閣下が倒れられたと聞きました」
開たちが、台湾総督府の総督室に入ると、
民政長官の後藤新平が待っていた。
「おお、開殿、お待ちしていました、こちらです」
寝室に通されると、高熱で意識がもうろうとしている、
児玉源太郎が横たわっていた。
児玉源太郎は、16歳で少年兵として、上野で戦い、西南戦争等で
実績を上げ、25歳で、熊本鎮台の参謀に抜擢された実践肌の天才で、
日元軍が、ドイツ陸軍参謀少佐のメッケルを招聘した頃には、
すでに参謀本部第1局長兼、陸軍大学校の校長になっていた人物である。
その、児玉の天才ぶりを示す逸話として、日元国での全ての予定が終わり、
帰国する折に、メッケル少佐に、日元国で教えた生徒のなかで、
これはと思った人物はいるかと関係者が問うと、
「生徒と言えるか分からないが、間違いなくコダマだ」と答えたという。
児玉は、性格が陽気で屈託がなく、さらには無欲で、政治的才能も
あったため、その後、台湾総督府の総督に抜擢されていたのだった。
「マラリアですね・・しかも熱帯熱型。すぐ治療に入ります」
マラリアは、熱帯や亜熱帯地域で、蚊を媒介によるマラリア原虫の
感染によって起こる熱病で、三日熱、四日熱、卵型、そして熱帯熱型の
4種類があり、どれも赤血球に寄生するやっかいな病気であり、
開のいた世界でもまだワクチンが開発されていない難病だった。
特に今回の熱帯熱型は、肝臓や脳の障害を併発させるため、致命率が高いのだ。
さらに、感染症のため、ヘタに治癒魔法で、破壊された赤血球を戻すと、
マラリア原虫まで戻してしまうことになるのだ。
なので、開は、赤血球内に寄生している、マラリア原虫のみを
取り去るイメージで魔法を掛けていくのだが、このイメージが難しく、
大阪や沖縄の帝都大学医学部を卒業した、医師免許をもつ魔法使いでも
現在はまだ、10人に満たない者しか治療ができないのだ。
(まずいな、原虫が広がりすぎている。こんなペースで原虫を駆除してたら
間に合わないぞ、どうすればいい?・・そうだ!
確か、前の月本国の世界では、緑色魔力は、調和系で、体内のバランスを整える
効果もあるから、癌や感染症にも効果があるって、舞が言ってなかったっけ)
開は玉山山脈で、発見してきたばかりの、緑色水晶に魔力を通して、
児玉の体に当ててみた。
すると、おもしろいように、マラリア原虫が消えていくのだ。
(すごい・・)
(おそらく、体内のバランスを元に戻すため、マラリア原虫の遺伝子を
分解して、無力化しているんだろう、しかしすごい威力だな、前の世界の
緑色系魔力のレベル6か7に匹敵する魔力だぞ!)
勾玉内でも、驚きの声が上がっていた。
結局、魔力水晶の威力もあり、それから10分ほどで、全ての赤血球内から、
マラリア原虫を取り去ると、ようやく児玉総督も意識を取り戻したのだった。
開たちが、後藤新平たちと打ち合わせしていると、
元気になった児玉総督が入って来た。
「総督、まだ休まれていた方が」
「いや、魔法治療ベッドで、あれから休ませてもらったから、もう大丈夫だよ。
それより開殿には、また世話になったな。本当にありがとうよ」
今年47歳になる児玉源太郎は、すっかりいつもの、飄々とした明るさを取り戻していた。
開は、数ヶ月前にも、児玉たちが、集団でアメーバー赤痢に感染したときに
治療を行っていた事があったのだ。
「いえ、ご無事でなによりです。でも正直今回は、この緑色水晶がなければ、
危なかったと思います。総督、この緑色水晶をしばらく研究してみたいのですが」
「わかった、若手の魔法使いも随分育ってきているし、台湾の開発は
しばらくそちらに任せよう」
明治維新から32年が経ち、生まれつき魔力を持った日元人が続々と生まれ、
最年長組はすでに32歳となり、国全体が変わりつつあったのだった。
開たちは、この3年間、そんな若手の魔法使い達と{見かけは20歳にしか見えない
開の方が若手に見えるが}村ごとに部族が違って対立しているような地域を回り、
小学校や診療所などを建設しては、交流を深めていたのだ。
***
その後の研究により、緑色水晶は、やはり調和系の魔力放出に優れていて、
医療で使うと、今回のように、病原菌を無害にしたり、癌細胞の暴走を止める
効果が絶大であることが分かった。
また、農業で使うと、害虫の発生が防げ、無農薬栽培に効果が発揮するだけでなく、
ブレスレットやネックレスにして身に付けると、蚊や虻などの虫除けにも
効くことが分かったのだった。
さらには、牡蠣やアコヤ貝の養殖にも効果を発揮し、伊勢志摩で、
真珠の養殖事業に力を注ぐ、御木本幸吉たちにも、恩恵をもたらすことになった。
もちろん、魔力水晶が産出されても、魔力を注入しなければ、
ただの緑色水晶であり、魔力を注入できるのは、32歳以下の日元国民か、
ハワイで、日布神道を信仰し、日布神社で祈願を受けて、
天照さまや開、そしてカイウラニ王女や山階宮定麿親王から
チャクラキレートを受けた人々だけだった。
そのため、特に宗教の無かった台湾島の住民
{オランダ人の支配時に少しキリスト教が入っていたが、
ほとんどの人々は、素朴な先祖崇拝や、アミニズム信仰だった}は
日元神道に入信すれば、魔法が使えると知るや、台北や高雄などに建設された
日元神社に続々と参拝に来る状況になっていた。
{この頃には、伊勢神宮をはじめ、いくつかの神社で多くの巫女が育ち、
天照大神さまや開だけでなく、チャクラキレートができるようになっていて、
1ヶ月~2ヶ月単位で出張してもらっていた}
そして、日元神社の巫女たちに不思議な力を授けられた人々は、
天照大神信仰の元、世界が驚くほど急速に、対立が収まり、
歴史上初めて、台湾島が統一されていくのだった。
それは、天照大神さまを祭る、太陽信仰が、民族神信仰から、世界宗教へ
踏み出す、第一歩となる出来事だった。




