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カイと偉人と日元国  作者: ベガ爺
第一章 幕末編
28/55

028 鉄道と文明開化、その二

開は五代友厚さんたちがいる、大坂の企業家のブロックに説明に回った。


「まずは、現在、国が大坂圏で計画している鉄道の路線を説明します」と

開が見せた大坂の地図には、前世では明治18年以降に行われる新淀川{守口―大阪湾}

の新設の計画図が示された上で、ほぼ、前世の東海道新幹線上を通るように、

真っ直ぐな線路が8路線{5m×8本=40mと側道15m×2本=30m}で

京都まで引かれていた。


また、大坂から神戸方面にも、真っ直ぐな8路線が引かれていたが、前世と違い、

灘駅が500m北側、山陽新幹線の新神戸駅が1km南側に計画されていて、

そのまま、神戸トンネルを通って明石に抜けるように描かれていた。


さらには、前世では明治28年に東周りの天王寺―大坂間が開業し、

環状線になるのは1961年まで待たなければならなかった、

大阪環状線がもうすでに複々線で計画されていたのだった。


そして、前世では、摂津鉄道により尼崎―福知山に引かれるはずの鉄道が、

大坂から途中まで山陽本線と山陽新幹線のルートを通りながらも、

真っ直ぐに宝塚方面に8路線で引かれていたのだ。


これはおそらく、福知山で京都から伸びてきた山陰本線{これも前世では私鉄}と

合流させ、山陰からの物資を宝塚経由で大坂へ、京都経由で名古屋、東京へ

輸送する路線を確保するためだと思われた。


なぜなら、福知山から鳥取までは、丹後山地の間を縫うようにして走る山陰本線なのだが、

山間部にもかかわらず、8路線で計画されていたからだ。

{出雲大社や伊勢神宮などでしか創れない最高級の魔法水晶を輸送する事は伏せられていた}


その地図を基に、後の関西の大手私鉄5社の路線が申請なされていったのだった。



**後の阪急電車**


前世と同じように、大阪駅の北側に梅田駅を計画し、そこから箕面や宝塚に路線を

敷く計画を立てていた阪急電車は、開{本当は勾玉内の海}のアドバイスを受けて、

宝塚線{川西まで6路線{5m×6本=30mと側道15m×2本=30m}で敷設}以外にも、

神戸線{6路線で施設}の合わせて12路線を北西に向かって、引くことと、

前世では、京阪電車が敷設するはずの、京都線{6路線で敷設}と千里線{複々線

{5m×4本=20mと側道15m×2本=30m}}が十三駅を経ずに、北東に向かって、

引かれることになった。


また、前世と違って、山陽本線が途中から、山陽新幹線の神戸トンネルの方に

直進する計画のため、 阪急神戸線が、途中でクロスして三ノ宮駅に入り、

そこから前世のJRの山陽本線を姫路まで引き継ぐような形になった。


川西駅まで6路線で、宝塚駅までは複々線で敷かれることになった宝塚線だが、

これも前世と違い、宝塚から有馬温泉まで延伸されたため、のちに、

箱根のゴールデンコースのように、大阪ー宝塚ー有馬温泉ー六甲山

(ロープウエー・ケーブルカー)ー神戸ー(プチクルージングで)大阪という

観光ルートが確立していくのだった。


千里線は、北千里までは、複々線で敷かれるのだが、のちに伸びる

彩都西(前世ではモノレール)へは、複線になった。


京都線は、桂まで6路線で敷かれ、そこから河原町までは、

京都の地下を複々線で繋ぐことになった。

{この時点では、前世の阪急の実質的創始者である小林一三は

まだ3歳(魔力保持者)なので、何の関わりも無かったのだが、

やはり天命なのか、成人すると阪急に入社し、鉄道路線の上に高速道路を建設して、

車と共栄したり、芦屋の豪邸街に引き込み線を設け、

貨車一つを丸々書斎や寝室に改造して、動く書斎、動く別荘として売り込み、

のちの日元国に、移動住宅という新しいマーケットを創造していくのだった}



**後の阪神電車**


阪神電車も、前世と同じく、大阪駅の南側に阪神梅田駅を建設する予定だったが、

同じく開のアドバイス{実際は海}で、そこから伸びる路線は前世の3倍の

6路線になった。


そして、前世と同様に三ノ宮からは、山陽電鉄{但し複々線}と神戸電鉄{但し複々線}と

直通運転を行うのだが、それだけでなく、明石海峡をトンネルで繋げ、

淡路島の東側を洲本まで進み、そこからは南淡を通って、再び鳴門海峡を

トンネルで繋げて徳島まで延伸するようにアドバイスを受けたのだった。


{やがて明治の後半になり、魔力保持者が増えると、この路線も実現することになり、

同様に魔力トンネルで、淡路島を結び、西側の五色や西淡を通って徳島や高松に

向かう路線を開通させた国鉄と、互いにサービスを競い合うようになるのだった}



**後の京阪電車**


前世では、淀川左岸の村々をつなぎながらの敷設だったため、カーブだらけの

京阪電車だったが、今世では、開のアドバイス{本当は海}で、前世より少し南を

通るルートを、京橋から伏見までを6路線で、ほぼ直線で結び、伏見からも

出町柳{前世の再開発後を先取りして地下}まで複々線で開業する事になった。


さらに前世と異なり、京都市の依頼{京都市と京阪電車の半々の出資}で、

今出川通を西に進み、北野天満宮の手前で南下、山陰本線の二条駅{京阪の二条は

地下駅}を通って京都駅に向かう、京都環状線を構築したのだった。


京都環状線は地下鉄だが、魔法資材で作られたトンネルは、極めて浅いところに

掘られているため、階段が少なく、しかも200mおきに作られた駅はほとんど、

バスの停留のような感覚で、800mごとに止まる快速電車{複々線なので駅での

追い抜きはない}と共に、長く京都市民に愛される路線になるのだった。


そして、もう一つ前世とは違う、大事件がそれから数十年後に起こった。

それは、関西鉄道{今回の申請には来ず、二回目に参加}の吸収合併だった。


前世と同じように片町から木津川や伊賀上野、亀山などを経由して名古屋に

路線(全て6路線)を引き、国鉄とサービス合戦を繰り広げた関西鉄道は、

前世と違い、時間短縮を狙い、大東市から木津川に真っ直ぐトンネルを掘ったのだ。


そのトンネルのおかげで、計画通り30分も時間短縮ができ、国鉄には

圧勝できたのだが、新たに後の近鉄が参入したため、業績が悪化、

単年度の売上は上がっているのだが、借入金が返せないという、

いわゆる黒字倒産の危機に陥り、健全な営業を行なっていた京阪電車の

傘下に入ったのだ。


それを機に、京橋{前世では天満橋}止まりで、都心部への延伸を考えていた

京阪電車は、合併した、関西鉄道の片町駅を地下化した上で、合流し、

前世のJR東西線の北新地駅に13面もの巨大ターミナル駅を建設したのだった。



**後の近畿日元鉄道**


前世では、多くの私鉄を合併し、500kmを超える営業路線を誇る

後の近畿日本鉄道が前世と同様に上本町から奈良への路線申請をして来た。


開{実際には勾玉内の海}は、将来の生駒山トンネルの建設を考慮して、

布施駅までは10路線{5m×10本=50mと側道15m×2本=30m}と、

そこから橿原までも6路線分の土地の確保を勧めたのだった。

{路線の半分と側道は国が無償で譲渡}


最初は資金面から、その勧めに難色を示した近鉄だが、将来、生駒山を貫く

複々線の奈良線や青山峠を貫く複々線の伊勢線

{のちに名古屋側の伊勢電鉄を合併して名古屋まで繋がり大阪線と改名}などを作れば、

十分採算が取れる事や、トンネル切削にも、国が協力する旨を伝えると、

素直に受け入れ、やがて前世と同様に、純粋な私鉄としては、

日元国最長の路線を持つ鉄道会社へと成長していくのだった。


{ちなみに当時は別の私鉄、大坂鉄道が申請した南大阪線は、天王寺から

6路線で松原―藤井寺―羽曳野に真っ直ぐ路線が引かれ、そこから複々線で

太子に向かいトンネルで尺土駅に抜けるルートに変更された。

また同様に別の私鉄の名古屋線も津まで6路線で鳥羽まで複々線になり、

後に大坂-名古屋の短縮線として、青山峠から久井方面にも複々線の路線が

敷かれることになるのだった}



**後の南海電車**


前世と同様に、難波と堺を結ぶ路線の申請をしに来た、後の南海電車だったが、

これも開{実際には勾玉内の海}のアドバイスで、堺まで10路線で、堺から、

和歌山方面に6路線、高野山方面{前世では高野線は東堺から別の私鉄が

建設していた}に複々線の路線を建設することになった。


その後は、和泉山脈の麓から大量に土砂を運び出し、前世の関西空港{二期工事済}と

同程度の大きさの人工島を10島も造成して、リゾート地として売り出し、

その海側に第二南海線を敷き、はしごのように繋げてた交通網を一手に引き受けて、

大発展していくのだった。



次に開は、中部圏の企業家のブースに回り、相談に乗った。


開が見せた、名古屋圏の地図には、前世と同様に名古屋駅が、

市街地の西の外れにポツンと作られ、そこを起点に三重方面に向かう

関西本線{前世では関西鉄道を国有化してできる路線であり、今世では

京阪電鉄と合併してしまうので、さらに別路線として、名阪自動車道のルートを

通って、亀山まで繫がっていた}が8路線で分岐していくのと、

金山駅から北東側に8路線の中央本線が分岐して行くのは、

路線数が増えただけで大きく変わらなかったが、

大曽根駅から左に曲がり、志賀本通りを進み、康生通り栄生駅から

名古屋に戻る、複々線の環状線が引かれていたのだ。


そして、開のアドバイスと、このときの路線増や路線の計画が良すぎたために、

前世では名古屋鉄道に統一されるはずの私鉄が、今世では三社程、

残ることになったのだった。



**後の名古屋鉄道**


まず前世の尾西鉄道だが、国の東海道線が岐阜を通らず、東海道新幹線のルートを

8路線で走っていたため、名古屋―岐阜―大垣の、前世の東海道線は支線となり、

複々線{5m×4本=20mと側道15m×2本=30m}で繋がれる事になったので、

6路線{5m×6本=30mと側道15m×2本=30m}で走ることになった名岐線

{名鉄名古屋本線}の方が太くなった。

{名鉄名古屋本線は国府宮駅から少し北西に向かい、尾西から木曽川を渡って、

瑞穂から、樽見鉄道に繫がる路線と竹鼻線を経由して岐阜に向かう二線に変わっていた}


また、津島線、尾西線、各務原線{前世より1km程北側}は複々線に増線され

犬山線は江南まで6路線で、江南から複々線の犬山線と分かれ、真っ直ぐ北上し

蘇原に向かう路線も敷かれた。


その一方で、名鉄小牧線は、国が高山線の名古屋支線として複々線で敷いたため、

国鉄となった。ちなみに、高山線の名古屋支線は鵜沼で高山線と合流し、

名古屋側は新たに出来た名古屋環状線の平安駅を経て大曽根駅が始発駅になった。



**瀬戸鉄道**


前世では名鉄に吸収される瀬戸鉄道は、今世では、最初から栄を始発駅とし、

複々線の地下路線で、東大手駅―大曽根まで結んだ後、前世の瀬戸線を複々線で

建設する以外に、矢田駅から斜めに今世のゆとりーとラインをなぞるように

高蔵寺まで複々線を建設、さらに、大曽根駅からゆとりーとラインのナゴヤドーム

前矢田から東に進み、国道363号を1km程南に走るように愛知環状鉄道の瀬戸口駅まで

複々線の路線を引いたのだった。

瀬戸鉄道はこの、田んぼだらけだった三路線にほどよく駅を造り、

後にトヨタ自動車と共同で移動住宅を販売することによって、

名鉄に吸収合併されることなく優良企業として存続していくのだった。



**愛知鉄道**



前世では、熱田神宮前から南や東に路線を敷いた愛知鉄道も開のアドバイス

{本当は海}で、名鉄に吸収されること無く生き延びることになった。


まず前世で、中部国際空港セントレアに繫がる常滑線は、今世では、

空港から常滑駅までは複線だが、常滑からは複々線で、河和線{富貴まで複々線}と

合流した、太田川駅から6路線で熱田銀宮の西を通り、

金山から名古屋まで地下路線で繫がっていた。

{後に名古屋駅で名鉄と相互乗り入れするようになる}


そして、栄を起点に金山で一旦常滑線と合流した、豊橋線は、前世と違って、

高辻方面まで真っ直ぐに伸び、そこから前世の地下鉄鶴舞をなぞりながら豊田まで

繫がる豊田線{複々線}と、それ以降も東海道線から、2km以上内陸を岡崎まで

6路線、岡崎からも複々線で、豊橋まで結ぶ豊橋線が建設されたのだった。


国鉄の東海道線は8路線あると言っても、4路線は貨物専用で、実際は複々線なので、

6路線の中で特急専用路線を快走する愛知鉄道の特急電車は、新幹線が出来るまで、

ずっと国鉄を圧倒し続けたのだった。


また、知立から碧南に向かう三河線、新安城から西尾に向かう西尾線、浦郡線なども

できるだけ直線で、しかも複々線で建設されることになり、早くて、安くて便利な

移動手段として認識され、前世と違って東海地方も、関西と並ぶ私鉄王国に、

なっていくのだった。


鉄道マニアの方からすれば、そこは違うだろうという意見も多々おありだと思いますが、とりあえず複々線、できれば複々々線ぐらいにしてもらえれば、通勤が楽になるだろうなと思って描きました。本当は

他の都市も描きたかったのですが、東海圏で力尽きてしまいました。すみません・・。

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