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カイと偉人と日元国  作者: ベガ爺
第一章 幕末編
26/55

026 激突!田原坂と西郷さんとの約束

前の世界で、9年後の1877年(明治10年)に起こった西南戦争とは、

近代化を進める明治政府が、前年の明治9年に出した、廃刀令と金禄債証発行条例という、

これまでの、旧武士たちに取っての最後の特権だった、帯刀と俸禄の支給を奪う法令に

反発して、旧武士たちが起こした内乱である。


その前にも、熊本{神風連の乱}や、福岡{秋月の乱}や山口{萩の乱}で、

武士の反乱が起こってはいたが、鹿児島を中心に起こった、この西南戦争は、

明治政府軍約7万人{戦死者約6400人}と、薩摩軍約3万人{戦死者約6800人}が

激突し、日元刀が集団戦で使われた最大にして、最後の戦いであった。


この戦いの悲しい所は、薩摩軍の指導者や指揮官に、西郷隆盛、篠原国幹、桐野利秋

{別名中村半次郎、今世では、すでに戦死している}、村田新八など、新政府の

重鎮だった者が多くいる一方で、派遣されて来た明治政府軍にも、総司令官の川村純義、

警視隊の司令長官の川路利良や後任の大山巌など薩摩出身の者が数多くいて、

結局は薩摩対薩摩の戦いのようになった所で、実際に激戦だった田原坂では、

父と子や友人同士が斬り合ったという言い伝えも残っているのだった。



(うーん、現代風に言うと、このままでは倒産しかねない大企業を立て直すために、

新しい経営陣が大規模なリストラを行い、それに反発した、社員たちが反乱を起こしたと考えればいいのかな)開は、江戸城地下の勝海舟先生の部屋で、壁にもたれながら、

勾玉内の海たちから、西南戦争のあらましを聞いていた。


(まあ、確かに、カルロス・ゴーンは、日産を立て直すのに、2万1千人をリストラ

してるし、ジャック・ウェルチは、GEを立て直すのに数万人を解雇したから、

その解釈で間違ってはいないと思うけど、彼らは、命までは取ってないからな)


(そうだよな、企業のリストラでは、職を解雇しただけで、命までは取ってないものな、それに対して、この戦いでは両軍合わせて、1万3千人の戦死者が出るんだよな・・。

うーん、どうすればいいんだろう)


(なあ、いっそのこと、熊さんや八さんに頼んで、模擬戦用の白墨を用意してもらって、

それが当たれば、模擬戦のように、「今の一撃で、あなたは死んだから降参しなさい」と、

説得するって言うのはどうかな?)

熊さんこと樋口熊吉と、八さんこと石山八男は、かつて、京都の巨椋池で

龍馬さんと開が、魔法を使っての剣術の練習した様子を目撃したことで、

開たちと懇意になり、今は、魔法将棋という、将棋の駒に見立てた兵士で組んだ、

新しい小隊が、訓練で使う、竹刀や魔法砲を作ってもらっている人物だ。


彼らが作った竹刀や魔法砲の弾は、斬られたり、撃たれたりすると、きちんと

白墨や赤墨で、痕が付くため、訓練の結果が確認しやすく好評なのだ。


ちなみに、最初は、竹刀の中に白墨を入れているだけだった竹刀も、

この半年でどんどん進化し、竹光{銀色に塗装してあるので、見た目は刀}の

刃の部分に魔法センサーが取り付けてあり、刀どうしや鎧や兜を斬りつけても

中の白墨は出ず、腕や首、あるいは鎧が砕けた後の身体を斬りつけた時のみ、

白墨が噴出して、斬った痕が残るようになっていた。


(いやいや、西郷さんが率いる、薩摩の精鋭軍に、白墨付けて、斬られたから

降伏しろって言っても、彼らは納得しないんじゃ・・、いやちょっとまてよ)


開は、何かをひらめいた様子で、あわてて西の丸にいる、天照さまの所に向かった。

そして、ちょうどそこに、中国大陸の情勢報告に来ていた、妲己さんも連れて、

天照さまの瞬間移動魔法で、今は、横須賀に併設されている、魔法弾製造所で働いている

徐福さんを訪ねたのだった。



****



「訓練用の魔法砲の弾や刀に装着する白墨に、当たった相手を動けなくするために、

妲己さんの魔法を掛けるのですか・・・。理論的には可能ですが、その・・」

徐福さんが過去のトラウマを思い出したのか、口ごもりながら開の質問に答えてくれた。


「なんと、3万人の日元男児を動けなくするための魔法弾や刀をつくるのですか、

すばらしいですわ!開殿、その役割、是非、私にやらせてくださいませ。

私の魔法なら、一晩は動けなくなりますわよ。それと、開殿、動けなくなった殿方を

一晩、野原に放置しておくのも可哀想ですので、そちらの保護も、是非、

私にお任せくださいませ!」妲己がやる気満々で答えてくる。


「あ、ありがとう・・・」開は妲己にそう告げると、小声で徐福に

「妲己さんは、なんで、あんなにやる気なの?」と問う。


「・・あの魔法は、確かに、体が動かなくなるのですが、その、下半身は元気なのです。

・・動けない体で、下半身だけ、元気にさせられて、一晩中、精気を吸い取られる・・

うう、すみません、これ以上は思い出したくありません・・」そう言うと、過去を思い出したのか、徐福さんがわなわなと震えだした。


「ふふふ、3万人の日元男児の精気・・。くくく」妲己が何やら独り言を呟いていた。


その様子をジト目で見る、天照さま。

結局は妲己の計画は失敗に終わる事になった。

後日、田原坂の激戦で、多くの若者が動けなくなり、同行した妲己がその男達を魔法で、

1カ所に集め終わったところで、天照大神さまが、東京に連れ戻し、多くの男たちの貞静は

守られたという・・。


****


それから1ヶ月後、前の世界と同じように、西郷隆盛を大将とした3万の薩摩軍は、

鹿児島にある陸軍の武器弾薬を奪い{当時のスナイドル銃の弾薬は薩摩藩でしか、

量産されていなかったので、自分達が造ったものを使うだけという理論}、

加治木・人吉をへて、熊本に向けて北上をはじめた。


対する、明治政府軍は、前世と違い、わずか1個旅団{5000人}を長崎経由で、

大牟田に上陸させた。


そして、これも、前世と同様に、熊本城を攻めきれず、包囲して兵糧攻めにする兵を

残した薩摩軍は、2万の兵で、博多に向けて北上し、前世に導かれるように、

田原坂で政府軍と激突することになったのだった。


****


「なあ、開君。西郷が鍛え上げた2万の元現流使いの精鋭軍に、本当に我が軍は、

わずか5千で、しかも模擬専用の刀と魔法砲で挑むのか?せめてこちらも、

真剣と実弾を使いたいのだが・・」第一軍{1000人}の大隊長に任命された、

斎藤一大佐が聞いてくる。


「厳しい条件だと言うのは解ってます。でも若者の命を戦で失うのは、

もういやなんです・・。

斎藤さんたちの鎧には、現時点での最高の防御魔法を掛けてあります。

なので、大砲の弾を防ぐのは難しいですが、スナイドル銃なら防げます。

先鋒は、僕と龍馬さんが務めますので、どうかお願いします」


開が苦悩しながら答えると、斎藤も上野の山での戦いの事を思い出したのか、

「わかった」と一言だけ呟いた。


田原坂は、加藤清正が馬で、熊本城へ入るために整備したとされる高低差60m、

長さ1500m程の比較的緩やかな坂道である。

しかし前世では、その緩やかな坂道で、1日に60万発もの弾丸が撃ち合われて、

1ヶ月にも渡る激戦が繰り返され、両軍合わせて、4千人以上の命が

散っていったのだった。



3月初旬の早朝、開たち政府軍は田原坂まで、1000mの所まで来ていた。


「おお、薩摩軍でびっしりじゃのう」赤い魔法鎧の龍馬さんが感嘆の声を上げる。

龍馬さんは背中に、ゴルフバッグのようなものが、クロスに2本、背負っていて、

そこには、訓練用の刀が15本づつ、合計30本入っていた。


1本に10回分のしびれ魔法が付与された、白墨が付いているので、

龍馬さんだけで、300人をしびれさせ、戦闘不能にさせることができる計算だ。


その後ろに、白い魔法鎧の開が、15本の刀を入れた筒を背負って立っていて、

そのすぐ後ろに、斎藤一が、青い鎧に30本の刀を背負って立っていた。


「あのー、斎藤さんは、大隊長ですよね。なぜ此所に?もっと後ろで

指示を出したほうがいいのでは?」開が呟くと


「草原での、合戦ならいざ知らず、坂道を登るだけじゃからな、

各小隊長には、すでに指示は出してあるし、儂が前に出てもかまわんだろう?」

模擬専用の刀を楽しそうに振りながら、斎藤が答える。


「そうですか・・」

(なんで、元新撰組の人はみんな戦キチなんだろう・・)


「開君、明るくなってきたしそろそろ行くか?」龍馬さんが問うてくる。


「は、はい、ではよろしくお願いします」


「野郎共、いくぞ、目標は、坂の上の敵本陣。まずは魔法砲隊、構え、テー」


**薩摩側**


ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、政府軍側から砲撃音が聞こえる。


「江戸モンが、怖おうなって、もう撃ってきよったがか?そんな遠くから

当たる分けなかろうが、こっちは、引きつけてから撃つぞな」

薩摩軍がもっているスナイドル銃の射程距離は900m、それまでは我慢し、

できれば800mぐらいまで引きつけて撃つ作戦だ。


「ぐへ」「ぐは」「ぐわ」・・


「なんじゃと、この距離であたるがか?」


坂の正面に陣取っていた鉄砲隊がバタバタと倒れていく。


薩摩兵が立て直そうと、倒れた兵に駆け寄ると、そこにはすでに、

1000mの距離を一気に詰めて、赤、白、青の鎧の侍が突入してきた。


「速すぎる、なんじゃ奴らは」


「と、止めろ。入れるな」


「があっ」、「ぐへっ」数名があっという間に斬り倒されると、

疾風のように駆け抜けて行く。


薩摩軍はなんとか体制を立て直そうとするが、赤白青の侍が開けた穴に、

10人ずつの小隊が、角役が先頭、続いて飛車役の順に飛び込み、

次々に第一陣が突破されていった。


「おい、一の坂の、一陣の方が騒がしいぞ、何があった、があっ」

二の坂に陣取る第二陣の兵たちが、疑問を抱きはじめた頃には、

もうすでに、龍馬さんたちは二の坂に到着していた。


「出会え、敵が、がはっ」「ぐは」

第一陣がそんなに簡単に抜かれるはずがない。

抜かれたとしても、その前に、危ないと伝令が来るはずだ。

と、思い込んでいた第二陣に、龍馬さんたちが切り込んでいく。


龍馬さんと斎藤さんは、すでに10本以上の刀を使い、それぞれ100人以上を

斬り倒していた{しびれさせているだけで、殺してはいない}。


(なんなんだ、この二人は?)

開も横から飛び込んでくる兵を切り倒してはいるが、

今はツートップになっている二人が凄すぎて、

あまりこちらには、襲いかかってくる薩摩藩士がいないのだ。


「二陣を抜けたぞ、開君。つぎが正念場だが、このまま突っ込むぞ」


「は、はい」


三の坂。ここには、示現流の精鋭300人が配置されているのだ。


右足を少し前に出し、バットを構えるように刀を立て、

「チェストー」という独特のかけ声と共に切り込んでくる。


最初の一撃に、魂の全てを乗せてくるような、凄まじい迫力なのだが、

龍馬さんは、それを受けること無く、飛行魔法で3mほど飛び上がり、そのまま

70m後方の陣の真後ろに飛び、くるっと振り向くと、後ろから斬り倒しはじめた。


前からは、青い鎧の斎藤さんが、鋭い突きで、一撃で倒しながら、進んでいく。

幅3m弱の切り通しの坂道を守っていた、100人程の侍たちが、あっという間に

前後から斬り倒されていく。


開は斎藤さん後ろを、斎藤さんをすり抜けて来る薩摩藩士に備えて、

構えながら進んだが、結局、斎藤さんと龍馬さんが出会うまで、

一人もすり抜けて来なかった。


「これで後は、本陣に乗り込むだけじゃな。斎藤さん、ここは任せてもかまわんな」

倒したのは、まだ100人程で、もうすぐ残りの200人が、両翼の陣営から、

ここに向かっているはず。


その薩摩藩士たちを、この切り通しの坂で、政府軍が登って来て合流するか、

開たちが本陣を落とすまでの間、食い止めるのだ。


「おう、まかせておけと言いたいんじゃが、刀を少し使いすぎた。

何本か分けてもらえないだろうか」


「こ、これを使ってください」開も背中に15本もの刀を持ってきていたが、

龍馬さんと斎藤さんが凄すぎて、まだ2本しか使っておらず、

13本の予備があったのだ。

そのうち、10本を斎藤さんに渡すと、龍馬さんと2人で、本陣に向かった。



「政府軍は、バカ正直に一の坂に攻撃をしかけてきたようじゃな」


「まことでごわすか、なら、心配なか、あそこには、鉄砲隊を3隊も置いておる。

もうじき伝令が、撃退したと報告に来るじゃろう」


本陣内で、西郷さんたちが会話をしていると、外が騒がしくなった。


「なにごとじゃ」様子を見に幕の外に出た藩士がそのまま吹っ飛ばされて戻ってきた。

死んではいないが、しびれて動けない様子だった。

そして、その横には、赤い鎧と白い鎧の侍が立っていた。


「開殿に、坂本兄か」西郷隆盛が静かに問う。


開はゆっくりと頷くと、

「西郷さん、降伏してもらえませんか」と静かに返答した。

側近たちは、龍馬さんの手で、瞬く間に戦闘不能にされていく。


「・・・わかった。この戦の責任は儂の首のみで許してもらえるだろうか」


「いえ切腹されては困ります、西郷さんには、政府に戻ってもらい、

日元国のために、死ぬまで働いてもらいますから」


「しかし、それでは、この戦いで散っていった若者たちに顔向け出来ん・・」


「大丈夫です。田原坂では、まだ一人も死んでいませんから」


「なんと・・」この返答には西郷も驚いた様子だった。


その後、西郷さんんの声を魔法で、薩摩軍全体に届かせたため、

田原坂での戦闘事態は、1時間あまりで終了したが、西郷さんの自害をを説得して

やめさせて、さらに納得がいかない薩摩藩士を説得するのに{納得がいかず、斎藤さんや龍馬さんに模擬戦を挑む薩摩藩士が200名を超え、斎藤さんたちは、楽しそうに瞬殺{しびれさせるだけ}していた}丸一日かかった。


結局、前世では、1万3千人もの戦死者を出した西南戦争は、今世では、

熊本城包囲作戦時に数十名の怪我人{戦死者0人}を出しただけで終わった。


その後、西郷さんは、約束通り、明治政府に戻り、廃藩置県の責任者として活躍した。


そして、残念ながらというか、史実通り、大坂の両替商は、没落していったのだった。



ごめんなさい。写真で見ると、田原坂は、一の坂の方が切り通しで、道の両脇が壁のようになっていましたが、話しの都合上、三の坂の方を壁にしました。

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