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カイと偉人と日元国  作者: ベガ爺
第一章 幕末編
23/55

023 廃藩置県と西郷さんと新海兵隊

「人間は、3回連続で成功すると、慢心してしまうさかい、3回に1回は

失敗したほうが、ええんやないかと思いますわ」現パナソニックの創立者、

故松下幸之助の名言である。


開は、明治天皇の救出や、小栗忠順さんの救出、そして金山の再生成功なんどで

いつの間にか、自分が慢心していたことに、ようやく気がついたのだ。


明治天皇の謁見の後、旧江戸城の会議室で、勝海舟さんから詳しく聞いた、

この2週間の世の動きに、自らの脇の甘さを痛感していた。


まず、日元国中に噂が流れたのだそうだ、その噂を要約すると、

薩摩の大久保と西郷が中心になって、廃藩置県を行おうとしている。

その真の目的は、豪商への借金の帳消しで、各大名や幕府の借金を

100分の1、薩摩藩に関しては、250分の1にするということと、

さらには、大坂と江戸の銀経済と金経済を今後は、江戸の金経済に統合

するという事だった。


この噂の否定の難しさは、これが完全に嘘とは言えない事だった。

金経済に一本化する事も、廃藩置県を行う時に、大名の借金を

政府が肩代わりし、造船所や鉄道の権利を渡すことで

ある程度の減額をお願いすることを考えていた事も事実だったからだ。


開としては、大坂の豪商たちと話し合い、3年から、5年ぐらいかけて、

ゆるやかに彼らの事業を、イノベーションしていく予定だったのだが、

この情報が漏れた場合の大坂の豪商たちの動きの予測が甘かったのだ。


しかもちょうどタイミング良く、串木野金山から戻った五代たちを

接待した豪商たちは、言質は取れなかったが、そのそぶりや、今後、

大坂に造幣局を建設し、そこで銀貨ではなく、金貨を造幣する事を聞き出し、

新政府が、金経済への移行を行うことを確信したのだった。


ぐずぐずしていれば、廃藩置県で自分達の借用書は紙くずになってしまう事。


それどころか、金経済に一本化されれば、銀と金を両替して

生業を立てている自分達の仕事そのものが、消滅してしまうのだ。

大坂の豪商たちの危機感は、最高点に達したのだった。

そこからの、豪商たちの動きは早かった。


まずは、廃藩置県の計画立案者と言われる、大久保利通を暗殺して、

少しでも廃藩置県の実施を遅らせる計画を実行してしまったのだ。

{大久保利通も、会津を中心とする旧幕府陣営と和解が成立しており、

油断していた所を襲われた。この大久保の暗殺は史実より

10年以上早まってしまった}


そのため、前世では、西郷隆盛や木戸孝允とタッグを組んで、廃藩置県を行い、

岩倉卿たちと海外視察を行った上で、日元国の近代化政策を次々と計画、

実行した、天才政治家、大久保利通が、今世では、廃藩置県を行う前に、

消されてしまったのだ。


(小栗さんたちを助けたから、歴史の揺り戻しで、大久保さんが

殺されたのか・・、僕のせいだ、僕が歴史をひっかき回してしまったから)


さらに豪商たちは、廃藩置県という政策で、全ての藩が消滅し、

藩主やそれに仕える武士たちは、無一文で放り出されるだけでなく、

今までの借金は、そのまま藩主や家禄をもらっていた武士たちが

返済しなければならなくなるという噂も流したのだった。


それに敏感に反応したのが、莫大な借金を抱える、薩摩藩の藩主、島津久光であった。

すぐに西郷を呼び戻し、噂の真偽を問いただすが、それに沈黙で答える西郷。


怒った久光は、西郷に江戸に戻ることを許さず、薩摩藩内での謹慎を

申しつけたのだった。


そこに、若い頃から西郷を慕っていた、士族たちが集まって来たのだ。

それからは、前世の西南戦争と似たような状況になり、西郷さんが、

反乱軍の頭首に祭り上げられたのだった。


****


開が戻って、一週間後の江戸城に薩摩に潜入していた、陸奥さんが、

西郷さんからの手紙を持って戻って来た。


その手紙を要約すると、


薩摩軍は、これより、二手に別れて、熊本城を目指して北上する候。


各地で、不満士族たちを集め、熊本城の占領後は、また二手に別れて

それぞれ、博多と別府から、江戸{東京}に向かう候。


是非、新政府の海兵隊と一戦交えたき候。


とのことだった。


「まずいですね。熊本に鎮台を置いて、九州を監視するという

勝海舟さんの案はまだ、計画を練っている段階です、

今、薩摩軍に攻められると、簡単に抜かれてしまいますよ」


「しかし、作戦目標や、進軍経路まで教えてくれるとは、

いったいこれは?罠ですかね」


「いや罠じゃねえな、おそらく西郷は、死ぬ気なんだろう。

ほら、開君がこの間話してくれたじゃないか、前世では、不満士族たちが、

佐賀の乱(1874)、萩の乱(1876)、秋月の乱(1876)、神風の乱(1876)と

立て続けに乱を起こしたと、たぶん西郷は、そんな彼らも取り込んで、

自分の命と一緒に、あの世に持っていくつもりなんだろう」と勝さんが呟く。


「そんな・・西郷さん・・」


「儂も勝先生の言うとおりじゃと思うな、それに海兵隊と一戦交えたきと

わざわざ書いてある。おそらく、政府の新たな軍隊が、旧士族の軍に

圧勝する様子を世間に知らしめて、これ以上の内乱を止めさせる意図も

あるんじゃろう」龍馬さんも同意する。


「海兵隊の圧勝を世間に見せつけるのですか・・」


旧幕府軍の艦艇を接収した明治政府は、当時世界最強だったイギリス海軍の

組織や制度を参考にして、近代海軍の創設に邁進していた。


そのイギリスは、世界各地の植民地での反乱を、効率よく鎮圧するために、

水陸両用作戦を展開できる海兵隊を組織していたのだった。


それに見習い、今世の日元国も、前世と同様に海兵隊を組織していたのだが、

今世の海兵隊は前世とは、かなり違った形になっていた。


前世の海兵隊は、歩兵隊と砲兵隊とを合わせて編成されていて、西南戦争後も

各地の内戦に派遣して陸戦にあたらせており、日露戦争では、重砲を使って

旅順要塞を砲撃したこともあった。


そして、第一次上海事件(1932)後には、海兵隊から、陸戦隊へと名を変えた上、

強力な小火器を装備した兵力に加え、装甲車や軽戦車まで保有する

精鋭部隊になっていったのだが、

今世では、やがて全員が魔法使いになり、しかも各自の個性によって

得意な魔法が違ってくるという開の情報により、歩兵と砲兵の単純な編成ではなく

歩兵、抜きの将棋のような、個性ある人員構成で小隊を編成していたのだった。


では、小隊がなぜ、歩兵、抜きの将棋のような個性あるメンバーになったのか?


それは、半年前の夜中に、京都の巨椋池で龍馬さんと開が、

剣術の練習した様子を熊さんと八さんが目撃したことに遡るのだった。



その熊さんこと、樋口熊吉は、なんと土佐藩出身で、土佐に大石神影流を伝え、

さらに竹刀や防具の改良を行った、樋口真吉の曾孫だったのだ。


そして、八さんこと、石山八男は、その熊さんの親友であり、竹刀や防具を作る

職人になるため、京の老舗の武具製作所で技術を学び、このたびのれん分けで、

ちょうど大坂に工房を構える予定だったのだそうだ。


さらに、龍馬さんの実家の才谷屋を通して、熊さんは龍馬さんとも

多少面識があったこともわかり、夜中の剣術練習を目撃した数日後には、

開も熊さん八さんと話すようになり、

やがて、八さんたちが、竹刀作りの職人さんであることから、

新政府軍の訓練用の武具などについても、相談するようになっていたのだった。



もともと開のいた月本国には、隊長のもと、

魔法砲{バズーカ砲のようなもの}を抱える兵士と、

魔法ライフル銃を抱える兵士、さらに機関魔法銃等を抱える兵士など、

10名ほどの兵士が小隊を組んで動いていたことを思い出し、

こちらでも魔法を使える人がこれから増えてくるのだから、

それを参考に小隊を組むことを提案したのだった。


そして、その時に八さんたちから、兵士たちに理解しやすいように、

将棋の駒を参考に武器を持たす事を提案してきたのだった。


つまり、

将棋の駒の王将を、小隊長として、

飛車に値する兵士には、バズーカ砲のような魔法砲などを持たせ、

角行に値する兵士には、重機関魔法銃など、

金将、銀将に値する4人の兵士には、機関魔法銃など、

桂馬に値する2人の兵士には、長刀や太刀など、

香車に値する2人の兵士には、槍や大鉈など、

そして、回復魔法と補給を担当する兵士の計12人で、小隊としたのである。


さらに、その訓練用に、竹の中に白墨と赤墨を仕込んでおいて、

切りつけると、相手に色が付いて斬られたことが解る竹刀や、

当たると、白墨が付いて、撃たれたことが解る魔法砲の弾を作ったのが、

八さんこと石山八男だったのだ。


{この八さんが作った、特製の竹刀や魔法砲を使っての集団模擬戦が、

斬られたり、撃たれたりしたことが解りやすく、大けがも少ない事から、

兵士たちの間で大人気になり、やがて、50m×100mのフィールドで、

回復魔法士を除く、11人同士が、攻守を入れ替えながら9回の裏まで、

せめぎ合うサッカーと野球を合わせたような格闘スポーツになり、

全国に広がる事になるのだった}



そんな海兵隊の訓練には、帰国寸前まで、西郷さん自身も携わっており、

あの手紙の文は、暗に、自らが鍛えた、新しい兵力で、旧体制の士族を

滅ぼせという、重たいメッセージを含んでいることを、ここにいる開たちは

全員、感じ取っていたのだった。


(訓練用の布玉で、気絶させながら戦うか?

いや相手は元現流の使い手集団で、それを西郷さんが率いているんだ、

手加減なんてしていれば、こっちが全滅してしまう・・)


開はこの事態にどう対応してよいか、結論が出ず、躊躇していた。


見かねた海舟さんが、

「開君、君は江戸に残りなさい、薩摩には、私と龍馬と益次郎殿で行って

来るよ」と、震える開に声を掛けた。


「い、いえ、僕も行かせてください。西郷さんと、きちんと

別れの挨拶をしたいので・・」と開は震えを押さえて、なんとか

絞り出すように呟いた。




前世よりも、5年早く、西南戦争が始まろうとしていた。



少し、短いのですが、話が重たくなったので、ここで止めました。

次回は、閉話です。

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