弱者は見捨てろと言われたのであなたとの婚約は破棄します。
短編です。
「ジョアン、明日はヒースランド商会の頭取が私の屋敷に来る。お前も婚約者として紹介するつもりだから予定を開けておけ」
カールが執務机から声をかけると、書類の整理をしていたジョアンは手を止めて向き直った。
「申し訳ありません、カール様。ですが明日は以前から述べている通り養護院へ訪問する予定を入れていますので同席することはできません」
恭しく頭を下げ長い茶髪をハーフアップでまとめた後頭部を見せるジョアンに対し、カールは眉間に皺を寄せて不満を露わにした。
「そんなもの、適当な理由をつけて断れば良かろう」
だがジョアンは少し困ったような顔で頭を振る。
「子供達が私に会うことを楽しみにしていますので。その後は院長や町の皆様との打ち合わせもありますし、商会への挨拶はまた別の日に予定を組んで頂ければ…」
どん、とカールが机を拳で叩いた。
「ヒースランド商会は我がバーンズ公爵家が支援する国内でも有数の商会だぞ!その頭取の挨拶よりガキどもを優先して良いわけがないだろう!」
「ですが…」
「口ごたえをするなっ」
ジョアンは口を閉じると、目を細めたまま小さく身じろぎした。
そんな彼女を睨みつけたままカールは続ける。
「ジョアン、先日開催されたブレナー公爵令嬢の茶会も友人の見舞いだかを優先して欠席したらしいな。聞けばその友人とはゴドフリー家の嫡男だというじゃないか。私の目を盗んで齢の近い男と密会するとは何事だ」
「密会だなんて…ミゲルは私の幼馴染で家族のようなものですし、見舞いに行ったのも命が危ういと聞いたから……」
「口ごたえをするなと言ったばかりだろう!」
カールが再び机を叩くとジョアンは押し黙った。
持病を抱えるミゲルを見舞いに行きたくとも、カールがこういう反応をするとわかっていたからこれまで控えていた。
「聞けばウチの騎士団の詰め所にも度々足を運んで雑用を手伝ったりしているようだな。ジョアン、お前は近く私の妻として我がバーンズ家の一員になるのだ。いい加減に自覚して相応の立ち居振る舞いを弁えろ」
ではまだ妻にさえなっていない私を秘書みたいに扱うのもやめてほしいのですが、と喉元まで出かかった言葉を呑み込んで、代わりに尋ねる。
「ではカール様は私にどうしろと?」
カールは待っていた、とばかりに言った。
「いい加減、お前の聖人ごっこは目に余っていたんだ。ちょっと目を離せば病人を見舞ったり、貧乏人に施しを与えたり…いいか、今日を限りに弱者とばかり馴れ合いになるのは止めろ。力のない者に情けをかけたところでつけ上がるだけだ。弱い者を甘やかしたところで意味などない」
ジョアンはしばし逡巡するように黙りこくっていたが、やがて小さく、だが明瞭な声で「…わかりました」と答えた。
「カール様がそこまで仰るのであれば私もその通りに致します」
もう少し反論されるかと息巻いていたカールは些か拍子抜けな気分を味わいつつも、だが彼女の答えにひとまず満足して「わかればいいんだ」と言った。
「では私はこの後行かなければならないところがあるので本日はこれで失礼させて頂きます」
再び頭を下げて部屋を出るジョアンの姿を見送ったカールは、手応えを感じて顎を擦った。
才女と謳われるマクローリン侯爵家の長女を婚約者にできたことは当初こそ喜ばしかったものの、すぐに思ったより厄介な女だと思い直した。
一見ほんわかした母性に満ちた雰囲気に惑わされるが、あれでジョアンは中々芯のある女だ。
正式な夫婦となる前にどこかで主導権がどちらにあるのかをはっきりさせねばなるまいと思っていた。
「あいつもこれで誰が手綱を握っているか身に沁みただろう」
この後、自らに降りかかる不幸を夢にも思わぬカールであった。
*****
「カール様、先ほどヒースランド商会から使者が来ました。急を要する事態が生じたため、頭取は本日ここに来られなくなったそうです」
「何?」
ヒースランド商会はバーンズ公爵家が後ろ盾になって設立、支援するお抱えの商人だ。相当な額を出資する見返りとして利益の一部を受け取っており、バーンズ家の大きな財源である。
そんなわけで商会がパトロンであるバーンズ家の訪問をドタキャンすることなどこれまでなかったというのに。
「急を要する事態とやらが何かは聞いたか?」
場合によっては金なり兵士なり貸してやろうというつもりで尋ねた。
「はい、どうやら商会に商品を卸していた業者や下請けの工房、デザイナーなどに至るまでが一斉に他所へ引き抜かれたとかで…」
「ヒースランド商会に喧嘩を売る商会がいたのか。どこの馬鹿商会だ?」
すると、使用人が躊躇いがちに「…ウォルポルト商会だと聞きました」と言った。
その名を聞いたカールが顔をしかめる。
ウォルポルト商会といえば新興ながらここ数年で画期的な商品開発や独自の海路を用い、破竹の勢いで発展を遂げている商会だ。
これまでヒースランド一強だった国内市場で徐々に勢力を広げ、あと五年で逆転するのではないかと言われているほどである。
そしてそのウォルポルト商会は、先日ジョアンが嫡男の見舞いに行ったというゴドフリー公爵家の支援を受けていた。
「糞、忌々しい…!」
歯噛みするカールは、だが使用人がまだ何か言いたそうに口をパクパクさせていることに気づいて「まだ何かあるのか」と尋ねた。
「その、ぶ、ブレナー公爵が今朝未明、収賄と造反の疑いで捕縛されたそうです」
「な、何だと…!?」
思わず目を瞠り、大きな声が出てしまった。
無理もない。
ブレナー公爵はカールの父と古くから昵懇の仲であり、公私ともに関係の深い人物だ。カールの姉もブレナー家の嫡男に嫁いでいる。
無論、収賄と造反については気付いていながら見て見ぬふりをしてきた。何なら前者についてはバーンズ家も一枚噛んでいる。
「まずい、まずいぞ…!」
現在バーンズ公爵家の家長である父は遠方に出張しており運営を任されているのはカールだ。ここでの対応を間違えれば同一視され処罰される可能性もある。
ここははっきりとブレナー家と袂を分かつ必要がある。
幸い、向こうの内部事情には詳しい。
造反に加担していた他の家についてカールも知っていた。
カールは扉に向かいながら、使用人に指示を出した。
「私の馬を用意しろ!すぐにブレナー家の残党の討伐に向かうっ」
*****
自家で擁する騎士団に緊急招集をかけたのにも関わらず待てど暮らせど誰一人来ない。
しびれを切らしたカールは彼らの詰め所を訪れた。
人影が疎らなことに不審感を抱きつつ、騎士団長の姿を求めて辺りを見回した。
「おい、マーカスはどこだ!?」
近くにいた初老の騎士を呼ぶ。
気だるそうな目をした髭面の男が答えた。
「隊長…いえ、マーカス・ホルト元隊長であれば昨日付けで騎士団長の職を辞して出ていきましたが?」
「何だと!?」
「騎士団長だけではありません。副団長も参謀も…主だった面子はそのほとんどが辞めました。私も引き継ぎの書類をまとめるために残っていますが終わり次第、新たな雇い主のもとへ馳せ参じるつもりです」
「き、貴様ぁ!」
カールは思わずそう述べる初老の騎士の胸ぐらに掴みかかるが、腐っても騎士だ、彼が布を引っ張ったところで騎士の体はびくともしない。
「…そういうところですよ、カール様」
騎士の静かな迫力に気圧されたカールは腕を引っ込めると「新たな雇い主とはどこのどいつだ…」と尋ねた。
騎士からの答えに彼は驚愕と憤怒を露わにした。
*****
「ジョアン、これはどういうことだ!?」
マクローリン侯爵家の屋敷にあるジョアンの部屋に入ってくるなりカールが怒号を発した。
「申し訳ありません、お嬢様。止める間もなく…」
後から入ってきたメイドが頭を下げる。
カールに押しのけられたのだろう、ドレスの裾が土埃で汚れていた。
「構いません。それよりミンディ、怪我はありませんか?」
「は、はい!ご心配には及びません!」
ミンディ、と呼ばれたメイドがさらに深く頭を下げる。
後で手当を弾んでやろう、といつもの柔和な笑みを浮かべてながらジョアンは心に留めた。
「さて…」
ジョアンが闖入者に目を向けると、彼は部屋の中を見回して当惑した表情を浮かべていた。
「な、何故こいつらがここにいる!」
彼の視線の先にいる人物。
その一人はミゲル・ゴドフリー。
ジョアンの幼馴染であり、ゴドフリー公爵家の嫡男である。持病持ちで線の細い青年だが、知恵者で政治経済に通じており、公爵家が擁する独自の情報網を駆使して国内外で暗躍しているという。
ウォルポルト商会を設立したのも彼だともっぱらの噂だ。
ここ最近は持病が悪化して一時は命の危険に晒されていたというが、どうやら持ち直したらしく頬に赤みが差している。
カールにとっては憎い商売敵である。
そしてもう一人はマーカス・ホルト。
昨日までバーンズ公爵家直属の騎士団で団長を務めていた人物で、齢四十を過ぎた今でも槍を握らせれば右に出る者はないと謳われる筋骨隆々の武人である。戦場では鬼の如き形相で敵を震わせるというが、普段は頼りがいのある兄貴分といった人付き合いの良い人物で、その人柄は目元に傷跡を刻みながら親しみの持てる顔に表れている。
以前であればカールにとっても頼れる家臣だったが、今は裏切り者以外の何者でもない。
「答えろ、ジョアン!何故この二人がここにいる!」
声を荒げるカールに対し、癇癪を起こした幼児を見るような目を向けていたジョアンはやがて「ああ」と声を出した。
「どうやら婚約破棄の書状をお読みになっていないようですね」
「こ、こんやくはき…!?」
このような場で耳にすると思っていなかった言葉の意味を理解するのにしばし時間を要した。
「婚約破棄とは何のことだ、ジョアン!」
「婚約破棄は婚約破棄です。私と父の連名で昼には届くよう手配したつもりだったのですが入れ違いになってしまったみたいです」
「ふざけるな!私は認めんぞっ。それより説明しろ、ウォルポルト商会の騒動やブレナー公爵の逮捕にはお前も関わっているのか!?」
すると「いやだなあ」とジョアンに熱っぽい視線を注いでいたミゲルがカールに冷ややかな目を向けて言った。
「まるでジョアンが一連の出来事を引き起こしたかのような物言いはよしてくれ、バーンズ。今起こっていることは全て起こるべくして起こったことだ。彼女はむしろこれまでそれを食い止めていたんだ」
「何だと…っ!?」
「バーンズ家の庇護下という立場を濫用して好き勝手やっていたヒースランド商会の業態改善のため小売や職人とやり取りしていたのも彼女。ブレナー家の収賄と造反の動きをいち早く掴んでバーンズ家が巻き込まれない形で処理しようと尽力していたのも彼女だ」
「それについてはミゲルにも色々とお世話になりました」
ジョアンが感謝を口にするとミゲルは「いいさ」と手を振った。
「こっちもジョアンを騙して呼ぶような真似をしたからね」
ミゲルは自家の名を使ってブレナー家を告発するに当たり、どうしても秘密裏で口裏を合わせる必要が出てきたので危篤と騙してジョアンを呼んだのだが、婚約者が出来てから遠慮して滅多に会いに来てくれなくなった幼馴染を結婚前の姿でもう一度だけ見たいという願望もあった。
かつては病のため諦めたが今なら、とはここにいる彼の秘めたる思いである。
「騎士団の待遇改善にも尽力してもらいましたからなあ」と、マーカスも同調する。
「部下の中には彼女がバーンズ家に輿入れするなら、と離脱を踏みとどまってくれた者も多かったんですが…昨日、高待遇でマクローリン家に移らないかと言われたもので」
「ヒースランド商会との不当な契約を解除するため知恵を貸して職人たちをウォルポルトに連れてきたのも彼女なら、昨晩僕のもとを訪れてブレナー家を告発する書状をまとめたのも彼女だよ」
マーカスとミゲルの顔を見比べたカールはジョアンの方へ向き直る。
「ジョアン、何故だ…何故このようなことを…?」
問われた彼女は。
「あなたの仰る通り、弱者と馴れ合うのをやめただけですが?」
「ふ…」とカールは肩を震わせた。
「ふざけるな!私は関係を断てと言ったのだ!これでは真逆、むしろ以前より近づいているではないか!」
するとくつくつとミゲルが笑って「まだわかってないんですね」と言った。
「弱者というのはあなたですよ、カール・バーンズ」
「な…っ!」
立ち上がったジョアンがカールの目の前まで歩を進めると「カール様」と言った。
「我々貴族は農民の育てた作物を糧とし、お針子の仕立てた衣服に身を包み、騎士にこの身を守っていただいているのです。彼らが困窮した時に私達が報いることは当たり前のこと。一時弱ってしまうことは誰にでもあることで、彼らは弱者ではありません。誰かが辛い思いをしている時に、ただ寄り添うだけでもそれは無意味なことではないのです。いずれ巡り、自分達にも返ってきます。そのことを忘れて身分にあぐらをかけば些細なことでたちまち生きていくことさえできなくなる…我々貴族こそ、真の弱者なのですよ?」
いつもの柔和な笑みは鳴りを潜め、毅然とした面持ちのジョアン。
カールは彼女を愕然と見るしかなかった。
「僕の病が良くなったのもジョアンのおかげさ」
ミゲルが言うと、ジョアンの顔にいつもの笑顔が戻る。
「いえ、私が手紙で記したおとぎ話から着想を得て持病を治す薬を調達するべくウォルポルト商会を設立したのはミゲル様ですから」
「それもそうだけど…」
ミゲルは苦笑した。
*****
病で若くして命を落とすかもしれない。
医者にそう言われて幼馴染との婚約まで破談にせざるを得なかった際、一時は人生に対して投げやりな気持ちになった。
だがその後、密かに届けられた手紙を通して彼女を再び感じたことで、彼は生きる活力を取り戻した。
もう想いを伝えることはできないとしても、もう一度彼女と会いたい。
そう願い、今日まで生きてきた。
結果、病は完治し、憧れの幼馴染も今…。
だがまあ、その辺りはこれからゆっくり詰めればいいだろう。
事情を察しているらしいマーカスだけが笑いを堪えて外套を揺すっていた。
*****
その後、バーンズ公爵家はブレナー公爵家との関係を疑われ、逮捕こそされなかったものの、多大な罰金を徴収されることとなった。風評被害を払拭するためにもだいぶ散財したという。
頼りだったヒースランド商会も商人や職人に逃げられた後は瞬く間に経営が傾き、間もなくウォルポルト商会に買収された。経営陣を追放し、抜本的な立て直しが図られた結果、少しずつ客足が戻り始めたという。
ブレナー公爵との癒着が疑われた当主が隠居したことで新たに家督を継いだカールだが、ややあって同じ派閥からの逆恨みを受けて宮中で孤立し、最後はロクな兵も揃えられぬまま遠征を命じられ命を落とした。
一時は没落を危ぶまれたバーンズ家だったが、聡明な次女がマクローリン侯爵家から養子を迎えることで存続させるに至った。
ジョアン・マクローリン・ゴドフリーはその後もウォルポルト商会などを通じて国の発展を後押しした。
その功績を認められ、齢四十の時に女性として初めて建国王の名を冠した勲章を授与するに至る。




