第1話:宗教
十字マークを掲げた教会で、低音と高音が調和した賛美歌が響いている。
神父様が会衆を見渡していると、若い青年が目につく。彼は下を向き、不安定に立っていた。賛美歌が終わると、周りが彼を優しく起こす。
「お疲れのようですね」
神父様の目尻にシワが寄る。長身の男性は眉間を押さえ、金髪の女性は首を左右に振る。
教会を出たところで両親が眉をひそめてこちらを睨んでいた。首元にある十字のステンレス製ネックレスが、太陽光を反射して目を閉じさせる。
「礼拝中に居眠りなんて、どういうつもりだ!」
父親が声を荒げる。
「ロバート、貴方には失望したわ。罰として今日は歩いて帰りなさい。聖書も再読ね」
磨きがかっている白い車に両親は乗り込んで走り去ってしまった。
「またか…何回目だろう、暗記してきちゃったよ」
肩を落として歩き出したとき、後ろから声をかけられる。
「7回目じゃない?」
振り返ると、いつも教会で見る女の子がいた。
「前も寝て怒られてたでしょ。いい加減懲りなさいよ」
「わざわざ数えてくれて感謝するよ。君は?」
信徒が続々と教会から出ていく。
「私はメアリー。貴方ロバートでしょ?問題児」
「神父様が言ってたろ?俺は疲れてるんだ」
踵を返して再び歩き出した。
「そんな調子じゃいつか痛い目見るわよ!」
神様なんて、本当にいるのだろうか。
聖書を読む度にいつも思う。
太陽は沈み、とっくに夜が更けていた。
夕食は最悪の雰囲気で過ごすことになった。
「神よ…」
食事の前にする、神様への感謝の儀礼。それが終わった途端に両親からの叱責。
食べ終わり、再び儀礼をしても叱責は止まらなかった。
「7/7までに聖書の再読を終えなさい」
期限を設けられてしまった。この人は正気か?階段を駆け上がって部屋に戻る。
目覚まし時計の記す日付は7/1。今日を含め、7日後までに聖書を1から読み直さなければならない。不可能に近い。それに加え、俺は夏休み中にも関わらず学校の補直がある。
机で見開きを開け、陳列された文字を頭にねじ込んでいく。幾度も集中力が切れ瞼が落ちてくるが、頬をつねり耐え抜いた。
時計は6:29am。手を構え、目覚ましが鳴るのを許さない。不快音が耳に届くことはなかった。不意に目に入った枕に顔をうずめる。
「ロバート!!」
心拍が跳ね上がる。父親の荒い声が、瞼をこじ開けた。時計が7:46amに変わっている。背筋が冷たい。
ドアでネクタイを整える父親は蔑む目で俺をとらえ、無言でその場を去ってしまった。
8:00amまでに学校に着いていなければならない。不格好のまま家を飛び出た。
7/6、11:49pm。
結局初日は遅刻したものの、その後は完璧に補修も聖書もこなすことに成功した。登下校やランチなどの時間を再読に費やした。期限に間に合いそうだ。安堵で眠ってしまいそうになり、歩き回る。久々に鏡を見ると、目の下にクマができていた。
7/7、7:02am。
ようやくこの日々を終えることができる。
ベッドに飛び込んで、最後の1行は読み上げて区切りをつけることにした。
7:03am。
「アーメン」
そのとき、水が入ったように耳がこもり、ページのベージュ色が白さを増した。視界を覆うほどに眩い、何も見えない、何も聞こえない。
階段の下から声が聞こえる、呼ばれている。まだ視界に白さが残っているが、早く起きないと、またあの目で見られてしまう。
拙い足取りで階段を降り、食卓へ着く。
母と目が合う。聖書を読み終わったか聞かれたら、自信満々で答えてやろう、驚愕の表情が目に浮かぶ。
「何を笑ってるの?早く座って」
あれ?もしかして、忘れてるのか?俺の努力は一体…
「母さん忘れたの?罰の聖書の再読、ちゃんと1週間で成し遂げたよ」
3人で丸い机を囲う。
「なによそれ」
目の前にある朝食に腹が鳴ることなく、困惑に囚われた。
「もう一回言ってくれ、なんて言った?」
父が新聞をしまう。
「聖書だよ!聖書!2人大好きだろ?」
2人の顔を交互に見る。怪訝な表情を浮かべている。
「だから、なによそれ。またなにかに影響されてるの?勉強しなさいっていつも言ってるでしょ!本当にあなたは」
「早く食べよう」
母のヒステリックを父が遮ってくれた。
困惑は解消されないまま流れに任せると、2人は変わらず、いつもの礼拝のとおりに、胸の前で両手を組み、目を閉じた。
なんだ、いつも通りじゃないか。
「命よ…」
思わず目を開けてしまった。いつもの礼拝の文じゃない。やっぱりおかしい。
「父さん、ふざけてるの?そういうの、一番嫌いそうなのに」
両親は目を開けることなく、ふざけた礼拝の文を唱え続けた。2人の首元で何かが光り、俺の視線は釘付けになった。ネックレスのシンボルが、十字じゃない。それは横倒しにした8の数字、永遠のマーク。
気づけば礼拝は終わり、父がゆっくりと目を開き、俺をまた、あの目で見た。
「どうして礼拝を途中でやめ、私たちまで遮り、邪魔をした?」
喉の筋肉が強張り、声が出なくなった。
「お前に食う資格はない!!」
水の入ったコップを顔に投げつけられ、顔から服、床が冷たくなった。プラスチックのコップは割れることなく、跳ねて転がっていった。
着替えて床を拭き、無言で家を出る。
しばらく歩き、夢を疑い始めたところで、普段礼拝しにいく教会が目に入った。
屋根に掲げているシンボルが、またしても、永遠のマークに変わっていた。
途端に、強い恐怖に駆られた。なぜ十字マークじゃないんだ?崇拝している神様はどこにやったんだ?かけられた水は確かに冷たかった、夢ではない。冷や汗が、こめかみから顎にかけて滴る。
学校に着き、友達の両肩をつかんで迫った。
「オリバー!キリスト教ってわかるよな?どうなっちまったんだ?教会が、あの十字マークじゃなくて永遠のマークになってて」
「なんだよロブ、落ち着けって、怒ってるのか?」
肩を揺らされてもヘラヘラしている。
「で、キリスト教ってなに?」
その上がった口角のまま言われたのは、疑いたくなる言葉。掴んでいた腕が滑り落ち、膝が地面についた。
「おいおいどうした?体調でも悪いのか?」
「神は分かるか?」
屈んだオリバーに問う。
「カミ?さっきから何の話してるんだよ、まさか、映画のネタバレとかよしてくれよ?」
聖書の存在、親のネックレス、礼拝の言葉、教会のシンボル、今の問いの答え…
つまり、この世には、神がいないらしい。




