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2-4 沸騰する翡翠

黑稻相癸です。第四話。


今回は少し毛色の違う、本格的な戦闘シーン(?)です。

本来あるべきではないものが、そこにある不気味さ。


コラにとって初めての、理不尽で強大な敵。

彼女はどう立ち向かうのでしょうか。


どうぞ、お楽しみください。

 ほんの半刻も歩かないうちに、空気がおかしくなり始めた。


 温かく湿った気流が窪谷の方向から湧き上がり、強烈な硫黄の匂いを運んでくる。一般人にとってはやや鼻を突く程度かもしれないが、あたしにとってその匂いは、真っ赤に焼けた鉄針が直接鼻腔を突くようだった。


 だが硫黄に混じって、別の匂いがある。


 腐臭。動物が腐る臭いではない――あの匂いならもう十分馴染みがある。これはもっと深い、泥土そのものが爛れ落ちるような匂いで、一抹の甘ったるさを帯びている。花の蜜の甘さではなく、傷口が化膿した後に滲み出す黄色い体液のような、胃を猛烈に収縮させる甘生臭さだ。


「鼻を塞げ」亜倫が、いつ摘んだのかすっかり乾いた薄荷の葉を一枚渡してくれた。


「この先のものはお勧めできない代物だ」


            ◇


 最後の低い岩背を越すと、窪谷の全貌が見えた。そして一瞬、脚がすくんだ。


 そこはかつて小さなオアシスだった――残された痕跡から、もとの姿を復元できた。地熱温泉を取り囲む草地、数本の矮い木、温かい水蒸気が冷たい高山の空気の中で凝結して白い薄霧をなす。大自然に優しく庇護された、静謐な小世界。


 だが今、その世界は呑み込まれていた。


 無数の太い蔓が泉の周りの泥から突き出し、巨大な紫色の網のように窪谷全体を覆い尽くしている。一番太い主蔓はあたしの太腿ほどもあり、表面には磨りガラスの破片のような半透明の紫色の尖った刺がびっしりと生えている。それらは地面でゆっくりと蠢き、頭皮が痺れるような湿った摩擦音を立てる――暗闇の中で何か巨大なものが這いずっているかのように。


 そしてさらに毛がよだつのは、それらに絡め取られているものたちだ。


 一頭の岩塩羊が、三本の蔓に縛られて泉のほとりの岩に固定されていた。まだ生きている――胸郭が微弱に上下しているのが見えた。だがその体はすでに半分以上陥没し、毛皮の下の輪郭は平べったく弛んで、ゆっくりと空気を抜かれる革袋のようだった。蔓の尖刺がその皮肉に深く突き刺さり、刺の根元がくぐもった紫の光を放っている――その光はリズミカルに脈打ち、明滅を繰り返している。まるで呼吸をしているように。


 飲み込んでいるかのように。


 それは吸っているのだ。


 羊の目は見開かれていた。濁って焦点の合わない目をし、口を半開きにしているが、鳴き声を上げることすらできない。


 遠くの泉の水は本来なら澄んだ翡翠色のはずだが、今では薄められた血のように濁った暗赤色に変わっている。水面からは絶えず煮えたぎる蒸気が噴出し、その蒸気は白ではなく、奇妙な紫色を帯びている――蔓の尖刺の光と同じ色だ。


貪婪蔓(どんらんずる)。変異種だ」亜倫の声は極めて低かったが、呼吸が普段より僅かに速くなっているのがわかった。彼にしては、これが「緊張」なのだろう。


「動物を吸っているだけじゃない、大地を吸っている。地底の熱泉はもともとこの山脈の血管だ。こいつはその血管を突き破り、今この山の血を飲んでいる」


「どうやって片づけるの?」あたしに無駄口を叩く気分はなかった。あの羊の目が、ひどく胸くそ悪かった。


「こいつはたくさんの根部と、一つのコアを持っている」亜倫がしゃがみ込み、砕石の地面に指でさっと簡単な図を描いた。


「見ろ――主蔓が泉から外へ広がっていて、それぞれの主蔓の末端に一つの根部があり、土に突き刺さっている。根部はこいつの伝播のアンカーだ。だがこいつを本当に生かしているのは、泉のど真ん中にあるコアだ――あそこの魔力密度が一番高い。こいつはそこに根を下ろし、地脈のエネルギーを直接吸い上げている」


 彼は顔を上げてあたしを見た。


「俺がコアを処理する。おまえは外周の根部を頼む。いいか――全部切り落とさなきゃならない。一つでも根を残せば、数ヶ月後にはそこからまた生えてくる」


「あの刺は?」あたしは蔓の上の半透明の紫の突起を凝視した。


「刺されるな」亜倫の語調が異常にシリアスになった。


「あの刺には生命力を抜き取る毒がある。触れられた瞬間、全身の力が吸い取られ、骨の髄まで吸い出されたように感じるはずだ。一刺しで力抜け、三刺しで昏倒、五刺しで――」


「気をつける」あたしは匕首を抜き放った。手の中は汗びっしょりだ。


 亜倫は編み上げた霊鹿毛の結び目をあたしに四つ分けてくれた。


「根を切り落としたら、その切り口にこの毛の結び目を突っ込め。霊鹿毛が残留する生命力を中和し、粗塩が傷口を塞いで再生できなくする。急げ」


 彼は立ち上がり、窪谷の中央で暗赤色の泥の漿が煮えたぎる泉へ視線を投じた。一番太い主蔓がすべてそこに集中し、巨大な紫色の手のひらのように、泉をきつく握りしめている。


「亜倫」あたしは彼を呼び止めた。


 彼が振り返る。


「あんたも、気をつけて」


 彼の口角が微かに動いた。笑みはなく、ただ頷いただけ。そして歩みを進め、その紫色の地獄の中へと入っていった。


            ◇


 根部を見つけるのは想像以上に困難だった。


 蔓はただの植物じゃない。それは意識を持っているかのようだった。


 あたしが最初の一本の主蔓の末端に近づいた時、だらしなく蠢いていた蔓が突然ピンと張り詰め、尻尾を踏まれた蛇のように、猛烈な勢いであたしに向かって鞭打ってきた。


 横に転がって躱すと、蔓は全身の紫の尖刺をばらまきながら耳元をかすめ飛び、刺が空気を切り裂く音が布を裂くように響いた。


「あたしが何をするつもりか分かってる!」あたしは心の中で毒づいた。


 こいつは自分の根を守っている。


 身を低くし、岩陰を利用して迂回を試みる。耳を絶えず動かし、蔓の移動音を追跡する――その湿った、重苦しい這いずり音は、砕石の上ではっきり聞き取れた。


 見つけた。


 最初の根部は、砕けた灰色の岩板の下に隠れていた。主蔓よりずっと細く、せいぜい手首ほどの太さで、表面は滑らかで湿り気を帯び、泥から引っこ抜かれたばかりの粘液まみれのミミズみたいだった。紫の末端が泥土深く突き刺さり、リズミカルに収縮している――泉のほとりにいたあの羊に刺さった刺と同じリズムで。


 あたしは歯を食いしばり、両手で匕首を握り締め、一気に振り下ろした。


 匕首が根部に食い込む感触――それは植物を切っているというより、弾力のある生肉を切っているようだった。紫色の液体が切り口から勢いよく噴き出し、ツンとくる酸鼻な悪臭を放った。


 根部が切断された瞬間、周囲の蔓が激痛を感じたかのように猛烈に痙攣した。あたしはその隙を突き、霊鹿毛の結び目を素早く切り口にねじ込んだ。


 白い霊鹿毛が紫色の液体に触れた途端、微かな「シューッ」という音がした。残留していた紫の光が急激に退き、切り口の縁が急速に干からびて灰色に変わる。


 一つ。


 あたしは休むことなく、二つ目の根部へと走った。


 二つ目の根部は窪谷の東側、すでに立ち枯れた矮い木に絡みついていた。今度の蔓はさらに凶暴だ――二本の蔓が同時にあたしを狙って振るわれた。


 一本目は飛び越えたが、二本目の速度はあたしの予測を超えていた。


 一本の尖刺が、左の前腕を掠めた。


 その瞬間、雷に打たれたかと思った。


 痛みではない。骨の中から外へ滲み出すような、極度の虚脱感。誰かがあたしの体内のあらゆる力を鷲掴みにし、荒っぽく外へ引きずり出したかのようだ。膝が一瞬で崩れそうになり、視界の縁が暗く染まり始めた。


「倒れてたまるか!」あたしは思い切り舌の先を噛み破り、血の味と痛みで強引に意識を繋ぎ止めた。


 まだ動ける。手はまだ刀を握れる。


 ただ掠めただけだ。たった一刺し。


 これがまともに三本刺さったらどうなるのか、想像すらしたくなかった。


 二太刀目を振り下ろし、二つ目の毛の結び目を押し込む。


 左腕は掠められた箇所から痺れが広がり、手先の動きが明らかに鈍くなっている。


 三つ目の根部。四つ目の根部。


 回を重ねるごとに死線は近づく。蔓の反応はどんどん速くなり、まるで深い眠りから完全に目覚めつつある怪物のようだ。四つ目の根部に向かう頃には、あたしの体には尖刺に掠められた傷がさらに三つ増えていた――左腕、右肩、脇腹。全身が氷水に浸かったように冷え切り、一歩踏み出すたびに砂を詰めた両の脚を引きずるような重さだ。


 だが、四つの根部はすべて片づいた。


 あたしは砕石の地面に跪いて荒い息を吐きながら、泉の中央を見上げた。


 亜倫が、あそこにいた。


 彼はすでに主蔓が最も密集する区域のど真ん中に踏み込んでいた。あたしの位置から見ると、彼はまるで巨大な紫色のニシキヘビの群れに包囲されているようだった――五、六本もの主蔓が四方八方から彼に絡みつき、尖った刺が雨あられと彼の全身を狙って突き出されている。


 そして彼は――まともにそれを受けていた。


 避けない。避けたくないのではない――あそこには避ける空間など最初から無いのだ。彼の外套はすでに刺し貫かれ、中の布のシャツは紫色の刺によって蜂の巣のように穴だらけになっている。腕や胴体に少なくとも十か所以上の刺創があり、紫の液体が血と混ざって流れ落ちているのが見えた。


 それほどの刺し傷なら、彼の説明によれば、とっくに昏倒するかそれ以上に酷い状態になっていて然るべきはずだ。


 だが彼は、まだ動いている。


 動いているどころか、その動作に明らかな鈍りすらない。彼は小刀で太い主蔓に一刀また一刀と切り込んでいく。紫の汁液が顔じゅうに噴きかかっても、瞬き一つしない。


 どうやって持ちこたえている?


 違う――彼が「持ちこたえている」んじゃない。彼はそもそも、その毒素の影響を微塵も受けていないのだ。


 一刺しであたしの意識を刈り取りかけたあの毒が、彼にはまったく効いていないかのようだった。


 ある考えがあたしの脳裏をよぎったが、深く思索する時間はない。


「見つけた」その紫色の密林の中から、亜倫の声が響いた。嗄れているが、はっきりと。


 彼は最後の霊鹿毛の結び目――最も大きく、粗塩を一番多く巻きつけたそれ――を、泉のど真ん中の泥の漿に力任せに押し込んだ。


 ドォン――


 大地が一瞬、揺れた。


 地震のような激しい横揺れではない。足元から突き上げてくるような、くぐもった重い脈動。長い間詰まっていた何かが、ついに貫通したかのような。


 窪谷全体を覆っていた紫の蔓が、一斉に蠢きを止めた。


 そして――それらは枯れ始めた。


 泉の中央から外に向かって、目に見えない炎の輪がその巨大な紫の網を焼き尽くしていくかのように。蔓の表面は急速に光沢を失って灰黒色に変わり、尖刺は砕けて剥がれ落ち、主蔓は骨抜きになった縄のように地面にへたり込んだ。微かに「パラパラ」と乾いた音を立てて灰色の粉末に崩れ去っていく。


 縛りつけられていたあの羊は――もう動かなかった。手遅れだった。


 だが泉の水は変わった。


 暗赤色の混濁がゆっくりと沈殿していき、誰かが水底に光の筋を注ぎ込んだかのように。澄み切った翡翠色の泉水が再び泉の底から湧き上がり、温かい水蒸気が冷たい山風の中で白い薄霧へと結ばれていく。


 あの吐き気を催す腐った甘臭さは空気から消え失せた。代わりに、清浄なミネラルの温泉の香りが立ち込めている。


            ◇


 亜倫が廃墟と化した枯れ蔓の山から歩み出てきた時、あたしは彼だと見分けがつかないところだった。


 彼は満身創痍だった。布のシャツは紫の汁液と血にまみれ、左半身の生地はもはや原形を留めていない。腕にも、肩にも、脇腹にも――至る所に尖刺が突き刺さった紫色の穴が開き、その縁は不健康な灰白色を帯びていた。


 歩く時も左足を引きずり、右手は力なく垂れ下がり、小刀はどこかに落としてきたらしかった。


 だが彼の目は明るかった。


「終わった」彼の声は喉の奥から絞り出されたように、ほとんど聞き取れないほど嗄れていた。


 そして両膝を折り、再び澄み渡った温泉の浅瀬にどさりと腰を下ろした。


「亜倫!」あたしは痺れる両脚を引きずるように駆け寄り、そのまま水に滑り込んだ。生ぬるい湯が腰まで浸かると――その時、奇妙な現象が起きた。


 腕の、尖刺に掠められた傷口がむず痒くなり始めたのだ。痛みではない。肉が重新生えてくるような痒み。紫色の鬱血が引きはじめ、痺れていた指先に徐々に感覚が戻ってくる。抜き取られたようなあの虚脱感が、潮が引くように少しずつ体から消えていく。


 この泉水が――あたしを治癒している。


 あたしは慌てて亜倫を見た。彼は目を閉じ、体の半分以上を水に沈め、ただ頭だけを岸の石にもたせ掛けていた。あの恐ろしい無数の紫色の創口が――癒着していた。あたしの傷よりはるかに速い。泉水が彼の傷口を流れ、紫の毒素が墨汁のように水流に洗い流されると、その下からはきれいな、猛烈な勢いで瘡蓋を作っていく真新しい肉が露わになる。


 速すぎる。


 その速度は異常だ。ただの温泉の効能として説明がつく代物ではない。


 だがあたしは疲れ果てていた。問いや追求をする気力は一欠片も残っていない。ただ彼のもたれ掛かる岩の隣に寄りかかり、温かな泉水を肩までかぶって、灰色の空を呆然と見上げていた。


 どれくらい経ったか、亜倫が目を開けた。


「あの羊は、」彼の声は少し持ち直していたが、依然として嗄れていた。


「救えなかった」


「……うん」彼が何を指しているのかわかっていた。


「だが泉は生きた」彼は再び翠緑を取り戻した水面を見つめ、口角にごく淡い笑みを浮かべた。


「あの馬鹿な羊どもも、これからはまた塩を舐めに来られる」


            ◇


 あたしたちは温泉のほとりで丸一日休養した。


 亜倫の傷は、翌朝にはもうほぼ完全に治っていた――不合理なほどに。昨日まで痛々しかった腕の傷は、今では数週間前の古傷のような薄いピンク色の傷痕を残すのみだ。


 彼もあたしの視線に気づいたが、ただ淡々と言っただけだった。


「翡翠温泉の効能は実に凄まじいな」


 あたしは反論しなかった。だがその疑問を胸の奥深くに静かにしまい込んだ。


 この貴重な休養日を利用して、あたしは窪谷で手に入る限りの食料をかき集めた。貪婪蔓は多くの動物を殺したが、吸い空にされた屍の傍からは、灰の養分を吸って新鮮な柔らかい草が顔を出していた――中には食べられる高山野芹も見つかった。


 亜倫はあの死んだ岩塩羊のまだ使える部位を切り出し、干し肉を作った。水分の大部分は吸い取られていたが、筋肉の繊維は残っている。粗塩で漬け込めば、少なくとも数日は持つだろう。


「行くぞ」翌る日の明け方、行嚢を整えた亜倫は、再び白い水蒸気を上げる翡翠温泉を一瞥した。


「これからの道はもっと冷え込む」


            ◇


 彼は嘘をついていなかった。


 温泉の窪谷を出た後、標高の上がるペースが明らかに早まった。初日はただ風が冷たくなり、吐く息が白い霧を結ぶようになっただけだったが、二日目には地表の砕石の隙間に薄い霜が降り始めた。


 三日目、雪が落ちた。


 視界を埋め尽くすような吹雪ではなく、紙吹雪のような細かな雪粒が風に斜めに煽られて舞っている。あたしの毛皮に落ちると一秒足らずで溶けて、ほんのちっぽけな冷たい湿り気だけを残す。


 だがここからが本番だとわかっていた。


「山岳地帯に入る」亜倫は、これまでに何度継ぎ接ぎされたか知れないその古い外套をしっかりと引締め合わせた。


「ここからオレス要塞まで、最低でも三つの主稜線を越える必要がある。どれもここより高く、寒い」


 あたしは首元をすぼめ、外套の襟をぐっと引き上げた。猫の毛皮は彼ら人間の皮膚よりは保温性が高いが、この刺すような乾寒風は毛の隙間から骨の髄へと容赦なく潜り込んでくる。


 さらに二日歩いたところで、食料が再び深刻な問題になった。


 干し肉は食べ尽くした。この標高では生きた動物どころか、死骸を残すはずの腐肉食の食物連鎖すら存在しない。時おり灰色の小鳥が岩の間を掠めて飛んでいくが、その輪郭を確認する間も与えないほどの猛スピードだ。


 今夜もすきっ腹を抱えて眠るしかないのかと諦めかけた時、亜倫がある山壁の前で足を止めた。


「ちょっと入って見てみよう」


 それは見落としそうなほど目立たない裂け目だ――気を抜けばただの岩の模様だと思い過ごしていただろう。横向きにならなければ潜り込めないほどの隙間で、中は真っ暗で何も見えない。だが奥から吹き出してくる風は――温かかった。


 あたしの鼻がひくついた。


 温かく湿気を帯びていて、キノコとピートの匂いが混じっている。微かな水流の音。この死に絶えた山にあって、それは際立って鮮明だ。


 そして――虫の匂い。大量の虫。


 あたしたちは体を横にして裂け目に潜り込んだ。


 二十歩ほど入ったところで、空間が突然大きく開けた。暗闇に目が慣れてくると、そこに思いがけない世界が現れた。


 そこは天然に形成された洞穴で、部族の議事堂くらいの広さがある。天井には半透明の鍾乳石が垂れ下がり、岩の隙間から滲み出た地下水が壁を伝い、洞底の浅い水溜まりへと流れ込んでいる。


 そして何よりあたしを驚かせたのは――洞穴の壁面全体が、淡い青の微光を放つ苔で覆われていたことだ。光こそ弱いものの、完全な暗闇の中でその空間全体を照らし出し、すべてを幽い青の光輪で包み込むには十分だった。


蛍光苔(けいこうごけ)」あたしはその正体を知っていた――マングローブの深部にもあるからだ。向こうの蛍光苔は緑色だったが。


「高山亜種だな」亜倫の語調には珍しく一抹の安堵が滲んでいた。


「地熱と地下水のおかげで、この洞穴は外よりもずっと高い温度を保っている。天然の避難所だ」


 洞穴には苔だけではなかった。青白い光の下、石壁の窪みに数多の昆虫が蠢いているのが見えた。名前のわからない半透明な甲殻の虫や、水溜まりの縁に群がる白い太った芋虫――殻を剥かれたカタツムリのような代物だ。


「これ、食べられる?」あたしにとって今一番切実な問いだった。


 亜倫が一匹の白い太虫をつまみ上げ、指先でしげしげと観察した。


「焼けば食える。味はおそらく……塩気のないむき海老だな。タンパク源になる」


 その夜、あたしたちは洞穴の奥で小さな焚火を焚いた。虫を焼いた味は確かにかなり妙だった――まずくはないが美味くもなく、ただ温かく噛みごたえのある物体として、空っぽの虚無の胃袋を満たし、冷え切った体をようやく温めてくれた。


 外では風が吹き荒れているが、洞穴の中は穏やかで暖かかった。幽い青光苔の反射に、焚火に照らされた二つの影が石壁に揺らぐ――まるで踊る二つの幽霊のように。


「亜倫」あたしは焚火のそばに縮こまり、尻尾で足先をぐるぐると包み込んだ。


「前にあんたが言ってたドワーフたち……あいつらの住処もこんなに寒いの?」


「これよりずっと寒いぞ」亜倫は石壁にもたれかかり、どこからか拾ってきた新しい木の棒を無意識にくるくると回している。


「だがドワーフの都市は山の中にある。山を丸ごと一つくり抜いてあって、内部は地熱と鍛冶炉でむしろ温かいんだ」


「山を丸ごとくり抜く?」あたしはその情景を想像しようとした。


「いったい何人のドワーフが結集したらそんな真似ができるっていうの?」


「大勢だ。そして途方もない歳月をかけた」亜倫の口角がわずかに上がった。


「着けばわかるさ」


 あたしはそれ以上追求しなかった。ただ外套の中にさらに深く体を丸め、外の風の音と内側の水滴の木霊を聞きながら、ゆっくりとまぶたを閉じた。


 前にはまだ越えねばならない三つの主稜線が待ち構えている。


 だが少なくとも今夜、あたしたちには火があり、食べ物がある――それが虫けらであろうとも。それに、風の吹き込まない洞穴もある。


 この果てしなく長い旅程の中で、これだけでも十分に贅沢な夜だった。

お読みいただきありがとうございます。


極寒の雪山を避けて、コラと亜倫は地下の洞穴へと足を踏み入れました。

外の世界が凍りつくような寒さだからこそ、温かくて湿った地下はまさに「天然の避難所」。


……でも、ちょっと想像してみてください。


光一つない、暗くてじめじめとした閉鎖空間。

温かく、水もあり、虫たちが繁殖するには絶好の環境。

だとしたら、その「豊かな餌」を狙って、もっと大きくて、もっと恐ろしい「何か」が棲み着いていてもおかしくないですよね?


暗闇の先、松明の光が届かない場所で、何かが静かにこちらを見ているかもしれない。

そんな想像をしながら、次の話を待っていただけると嬉しいです。


——次回、第五節「石腹」

坑道の奥で響く、不気味な音。二人が暗闇で遭遇するものとは……?


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