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異世界転生したラスボス悪役令嬢ですが、弟と婚約者に溺愛されて困ってます~せっかく断罪回避したのに破滅フラグが消せません~

作者: 千賀つづら

「え、ちょっと……これ、私死ぬよね?」


 艶やかな銀色の髪は、雨の森を受け継ぐにふさわしい番人の色。

 瞳のダークパープルは、生来強い魔力を持ったものの証。

 そして胸元に輝く十一芒星のペンダントは、王族に与えられる勲章。


(え? わ、私って――確か会社で残業してて、そのまま……)


 鏡を覗き込みながら、ぺたぺたと己の顔や体を触っているのは、リトレスカ帝国第二王女であるタージア・レメネフ・リトレスカだ。

 高い魔力を有し、類い稀な才覚と――野心を隠し弟である皇帝を殺して操り人形にした悪女、通称『雨夜の森の魔女』。

 私がかつて――いや、生前? 死ぬほど好きで作者の先生にもファンレターを送ったファンタジー小説の、主人公たちに倒されるべきラスボスである。


「タージア、だよね? えっ、なんか小さいけど……あぁ、違うっ……! えーと、えーとぉ……」


 私の記憶は――正確に言えば、日本で冴えないブラック企業勤めの会社員として働いていた私の記憶は――ひどい頭痛の後で途絶えている。

 もしかして私はあの時死んだのだろうか。

 だとしたら運が悪い。だって私、あの時まだ三十歳だったし。


(いや……もっと運が悪いのは、私がタージアに転生してること……! い、今って何歳だっけ? えーと、原作だとタージアが弟のイドヤ皇子の魂を殺して、肉体を傀儡にしたのが十五歳の頃だったから……)


 ものすごい勢いで、過去の記憶を思い起こす。

 生まれ変わってしまったものは仕方がない。だが、このままだと私は権力欲に呑まれ、大事な弟を殺して――挙句の果てに主人公たちご一行に殺されるのだ。


「そ、そうだ……イドヤはまだ九歳……だったら、まだ間に合うんじゃ……」


 それこそ文庫版の背表紙が割れるくらい読みこんだ小説の世界では、イドヤ皇子は十二歳の誕生日に姉に魂を殺される。

 残った肉体は魔術的な措置を施され、タージアの思うがままに動く偽りの魂を入れる器にされるのだ。

 だが、今のイドヤ皇子は九歳。それならまだ間に合う。私が彼に手を下さなければ彼は死ぬことはないし、私自身が誰かに殺されることもない。


「あぁ、でも――確か『雨夜の森』で主人公たちとの最終決戦になるんだっけ……」


 王族直轄領である『雨夜の森』は、私が生まれた時に父王から譲られた土地だ。

 原作でその場所は、あらゆる毒草や魔術生物を放し飼いにしている危険なダンジョンとされていた。そこもなんとかしないと、うっかり何かの間違いでイドヤ皇子が死にました、となったら目も当てられない。


「……どうしよう。そもそもあの森があるからいけないんじゃない? ていうか、そもそも私が王族としての地位を降りれば……いや、まだイドヤは成人してないし、アムラーダ姉様はもうすぐ輿入れ……」


 第一王女である姉・アムラーダは、三月後に隣国の国王陛下との結婚を控えている。

 そんな状況で第二王女の私が王族としての地位を返上するのは些かまずい。特に最近、この国では国境間の小競り合いが頻発して王族の求心力が弱まっているのだ。


(原作だと、ターリアは眩惑の魔術で貴族たちの心も操ってた――でも、今の私がそんなことをするわけにはいかない……となると、お父様にはまだまだお元気でいてもらって、イドヤが立派な大人になるまで支えなくちゃ……)


 長編シリーズになった小説本編に外伝、他の作家による別世界線の話を描いたトリビュート作品――これらを徹底的に読み漁ってきた私だ。

 やろうと思えば、私自身が死ぬことなくイドヤを皇帝の座につけ、ひっそりと生きていくルートを選び取ることだってできるはず。


(こうなったら、やるしかない……!)


 こうして私――『雨夜の森の魔女』ことタージアは、自分が死なない未来のために東奔西走することとなった。


「お父様! お話がございますっ!」

「ど、どうしたタージア! そんなに急いで……」

「お父様より賜った『雨夜の森』を、恩賜という形で一般開放させていただくことはできませんでしょうか!?」


 まず私が取り掛かったのは、諸悪の根源である『雨夜の森』をどうするかだ。

 原作では、この森の中に足を踏み入れて魔物を倒したタージアが、自分の能力の高さに溺れてイドヤ皇子を排そうとしたことから物語が始まる。

 だが、この森――元々魔物はごっそりいるが、非常に薬効の高い薬草などの群生地でもある。


「頻発している戦いの中で、傷ついた兵士たちは多数おります。あの森を整備したうえで開放し、中で採れる薬草を兵士たちに与えたいのです――維持については、魔物からとれる毛皮や牙、残った薬草などを使って運用すれば問題がないと思われますが……いかがでしょう?」


 魔物の駆除というのは些か骨が折れるが、最悪そこは私がやってもいい。

 王族の直轄地を兵士のために開放するとなれば、それなりに彼らの士気を高めることだってできるだろう。


「初期投資は必要かと思いますが、雨夜の森は薬草が豊富にあります! まずは王宮から薬師を派遣し、仕事を求める寡婦たちに仕事を手伝ってもらうというのはいかがでしょう」


 悲しいかな、この国には戦いで夫を失った妻たちも多く存在する。

 そんな戦争はなくなった方が一番いいに決まっているのだが――国家間でのやり取りに、未だ王女の立場である私が口を出すことはできない。

 それでも――最善の手は打てないとしても、次善の手を打つことはできるはずだ。


「わ、私は構わんが……お前はそれでいいのか? あの森は、お前のための領地だろう」

「構いません! そ、その――それが今、この国に必要なことならば!」


 私は皇帝である父に懇願し、自らの領地である『雨夜の森』を一般に開放した。

『ウーラグラン恩賜記念薬草園』と名付けられたその場所は、兵士たちの傷を癒す療養所としての側面と、薬草研究における最先端を担う研究所としての側面を持つようになった。

 この薬草園からいくつかの魔法治癒薬が完成し、その売り上げと権利でもって、傾きかけていたリトレスカ帝国の財政も大幅に持ち直したのだった。


 そして――。


「イドヤ・レメネフ・ヴァン・リトレスカを、当代皇帝の後継たる皇太子に任ず」

「――謹んで拝命いたします、皇帝陛下」


 私が(タージア)として目覚めてから十年後。

 イドヤの十九歳の誕生日に、彼は皇太子となった。

 イドヤは鮮やかな金髪と、父と同じ赤銅色の瞳を持った――太陽の加護を得ると言われるリトレスカ帝国の次期皇帝にふさわしい、美しい青年へと育った。


「姉上っ! タージア姉上! お待ちくださいっ!」

「……イドヤ殿下、お久しぶりです」

「殿下だなんて、他人行儀な呼び方はやめてください……私は姉上の弟ですよ!? 昔のように、イドヤって呼んでくれればいいのに……」


 そして私は、二十三歳になった。

 弟の魂を殺すこともなく、直轄領を市民に開放した私は、王立図書館の名誉司書としての日々を過ごしていた。

 ――この国における女性の結婚適齢期は十七から十九歳のため、立派な行き遅れ……喪女である。


「最近は公務が忙しいからと、ろくに会ってもくれませんし……」

「それは……えぇと、殿下もお忙しいでしょう? ただでさえ皇太子の指名を受けたのですから、これからもどんどん忙しくなりますよ」

「わかっています。ですが……最近姉上は、図書館に籠りきりで……イドヤは寂しいですっ! 父上も、姉上には好きにさせておけというばかりで……」


 だが、一つの誤算があった。

 それはイドヤが、思いのほか私に懐いてしまったことだ。

 いや、私にとって彼はただ一人の弟なので、嫌われるよりは懐かれた方がいいに決まっている。

 けれど私は、彼の顔を見るたびに物語の結末を思い出す。姉に殺され、肉体を奪われた皇帝イドヤ――彼の生涯に幸せな瞬間はあったのかと、かつての私はいつも考えていた。


(顔を見る度思い出しちゃうから、図書館に引きこもってたけど……寂しいって言われたら流石に心が痛む……)


 次期皇帝の指名を受けたとはいえ、かわいいイドヤはまだ十九歳。

 前世と合わせて五十年近く生きてきた私からすれば、彼はまだまだ子どもだ。


「姉上はアムラーダ姉上と違って、結婚なさらないし……ずっと私の側にいてくださると、思っていたんです。それなのに図書館にばかり……」

「そ、それはぁ……ごめん、ね? でも、ようやくこの国も平和になったし……学問を志す女性にも道を開いてあげたいの。もう少ししたら、王立の高等学院を作るっていう目標が叶うし……」


 実は先日、長らく小競り合いを続けていた近くの国と和平条約が結ばれた。

 戦場で指揮を執っていたヴァーシュミット公爵が敵国の国王に謁見し、多少なりともこちら側に有利な条約を結び付けてくれたのだ。

 戦いが続いてお互いの国が疲弊していたということもあるし、敵国に赴いたヴァーシュミット公爵というのが、これまたとんでもない戦績を持つ戦の鬼のような人だったというのもあるだろう。

 ともかく、この国にはようやく平和が訪れた。これから待ち受けるであろうイドヤの治世は、きっと晴れやかなものになるだろう。


(そのためにも、まずは官吏の登用を見直さなくちゃ……どこの省庁も人手不足だし……)


 戦時下において、若く健康な男性は大体軍部に取られてしまう。

 貴族の中でも、家を継がない次男以降が立身出世のために軍人になるという動きが活発だったのだが、戦いが長引いたせいで文官の方が手薄になってしまった。

 そこで私は、公費負担で通える王立高等学院を新設して官吏の養成ができないかと父に相談した。

 在野の研究者たちの力も借り、疲弊した国を建て直すために図書館に通い詰めていたのだが――どうやらイドヤには、酷く寂しい思いをさせていたらしい。


「わかっているんです。姉上がなさっていることが、この国にとって善きことだと……父上からも、先日叱責を受けました」


 しょんぼりと肩を落とすイドヤの頭を、そっと撫でてみる。

 戦後処理でやることが多い父と、図書館に籠りきりの姉――イドヤ自身もこのタイミングで立太子されたことで、プレッシャーも大きいだろう。


「う……姉上……」

「今はそばにいられなくてごめんなさい。でも、あなたが皇帝になったら、私はそばにいてあなたを支えるから……」

「っ~~……! ありがとうございます、姉上。その、みっともないことを言ってごめんなさい。姉上が側にいてくださるなら、私も頑張ります……」


 余程寂しかったのか、白い頬を赤らめてこくこくと頷くイドヤは姉としての欲目抜きにめちゃくちゃ可愛い。

 原作じゃとっくに死んでいたし、どんな人間かはよくわからなかった。

 政務も真面目に行い、国民からも慕われている――国の英雄と呼ばれるヴァーシュミット公爵が剣の師匠ということもあり、実力も折り紙付きだ。


(イドヤが無事に即位したら、私も死の危険はない……と思っていいかな?)


 戦争も終わったし、この後イドヤが可愛いお嫁さんをもらってくれたら、できるだけ無害な小姑として生きていこう。

 これまで死の未来を回避するために毎日爆走してきたので、それくらいのまったりした時間は許されるはずだ。


 ――と、思っていたのに。


「け、結婚のお申し出、ですか……?」

「ヴァーシュミット公爵からの申し出でな……先の戦役の褒章として、お前を妻に臨むと言い出してな」

「……ヴァーシュミット公爵から?」


 イドヤの立太子から数日、私と父である皇帝陛下に呼び出しを受けていた。

 内容は私の結婚について――正直、十九を過ぎたあたりで縁談もかなり少なくなってきたから安心だと思っていたのに。


「……その、私は些か――嫁ぐにあたっては……」


 年が行き過ぎている、と自分で言うのはなんだか切ないが、この国と私がかつて暮らしていた国をイコールで考えるのは無謀だ。この国は医療だって余程発達していないし、平均寿命も短い。

 更に世継ぎを残す必要がある貴族という立場を考えると、子を産むなら若い方がいいというのは割と当たり前の風潮だ。


「ヴァーシュミット公爵が、それでもいいというのだ。……タージア、お前の直轄領であった『雨夜の森』を市民に開放したことがあっただろう。公爵はその件で、部下を多く救われていると言っていた」

「部下、を……」


 イドヤの剣術師範であるヴァーシュミット公爵とは、何回かお目にかかったことがある。

 寡黙だが体格に優れ、理論で戦いを制するようなお方だったと思うが――今より若い頃は、戦地で多くの部下を亡くしてきたらしい。


「彼はこの国の英雄だ。王家とのつながりも深い……正直、ここでお前とヴァーシュミット公爵が結婚すれば、王家にとっても実りは多いのだが……」


 かつてほどではないにしろ、王家の求心力が下がっているという事実は変わらない。

 だが、そこで『戦禍の英雄』であるヴァーシュミット公爵と王家が繋がりを持てば、失った求心力は回復し、更に軍部とのつながりも強化できる。


「……わかりました。父上」


 ――この結婚は、王家にとって必要不可欠なもの。

 イドヤが死なずに成人を迎え、私も死のルートを回避することができそうだ。

 公爵夫人になったら破滅の未来も綺麗さっぱり消えてなくなり、イドヤも私も幸せに生きられるかもしれない。


「ヴァーシュミット公爵からの求婚、是非お受けしますとお伝えください」

「わかった。では、そのように返事をしておこう――」


 そうして私は、降嫁という形でヴァーシュミット公爵と結婚することが決まった。

 それから少しして、顔合わせという名目でヴァーシュミット公爵が私の元を尋ねてきたのだが――彼はどうやら、先の戦役で左目を怪我してしまったらしい。

 本来切れ長の目があるであろう場所には、黒い眼帯がつけられていた。

 軍人らしくしっかりと切りそろえられた黒髪と眼帯はよく似合っていたが、正装である軍服も相まって迫力が凄まじい。


「う……」

「見苦しいものをお見せしてしまい、申し訳ございません」

「そんな……その傷は戦いでできたもの。ひいては民を守るためについた傷です……どうかそのようなことはおっしゃらないで。――その、傷はまだ痛みますか?」


 公爵という立場で、指揮官という地位にあるにもかかわらず、彼は自ら剣を持って戦うのだという。

 その眼帯の奥にあるのは、より多くの人を守るために戦場に立ち、そうしてついた傷であるはず――それを見苦しいなどとは言わないでほしかった。


(原作にもほとんど出てこないキャラだから、公爵の考えはよくわからないけど……)


 きっと、原作では早い段階でタージアに粛清されたのだろう。

 王家に仕える忠実な剣――その忠誠心は、偽りの王を抱く本編のタージアにとっては邪魔なはずだ。


「……いえ、それほど。たまに熱を持つときがありますが――」

「そうですか……で、では、その熱を持った時は……この薬草をお使いください。傷の炎症を静めるもので……ほてりを取ってくれるかと」

「あぁ、戦地ではよく世話になりました。もちろん俺以外にも……タージア様が薬草園を解放してくれたおかげで、戦地でも安価で魔法治癒薬を買えました」


 ヴァーシュミット公爵の言葉に、胸の中がじわろと温かくなった。

 そうか――あの森を解放したことで、傷ついた人々を死なせずに済んだ。

 私は『死にたくない』と思って行動しただけだったけど、それで実際に生き延びた人の言葉を聞くのは初めてだった。


「よかった……」

「え?」

「い、いえ――その、あの薬草園がお役に立てたみたいで……」

「役に立つどころの話ではありません。タージア様のおかげで、俺の部下も何人も救われて――戦場で、あなたは兵士たちから女神のように慕われていたんですよ」


 柔らかな表情を浮かべてそんなことを教えてくれる公爵に、胸が柔らかく締め付けられたような気がした。


「ヴァーシュミット公爵――」

「どうか、ユーリーと……名を呼んでください」

「あ、ぇっ……ユーリー、さま」


 そう口に出してみたはいいものの、なんだかとても恥ずかしい。

 ……前世も男の人と付き合ったことなんてなかったし、今生でも喪女街道まっしぐらで生きてきたのだ。

 がっしりした人がタイプだし、こんな風に言われたらコロッといってしまう。


(だめだめ……これはあくまで政略結婚なんだし、しっかりしないと。イドヤが皇太子になってから、ちょっとたるんでるぞ、私……)


 ようやく自分と弟の死亡フラグを回避したのだから、浮かれたい気持ちはある。

 だけどなぜか――本当になぜか、ここで浮かれてはいけないような気がするのだ。


「そうだ、タージア様。ともに中庭を散歩いたしませんか? 花など似合わぬむさくるしい男だとお思いでしょうが、その……あなたと、もっとお話がしたくて」

「えぇ、是非……! その、ユーリー様が嫌でなければ、もっと……先の戦いのお話を教えてください。あの頃は私も幼く、あまり詳細なお話を聞かせてはもらえなかったので……」


 もしかしたら、彼とは結構話ができるかもしれない。

 これまで家族以外の異性とはほとんど話したことがなかったが、ユーリー様と話すのは緊張もしないし、むしろ楽しいくらいだ。

 浮かれすぎるのはいけないけど、多少気を休めてもいいんじゃないか――そう思って、彼が差し出した手を取ろうとした瞬間。

 バァンッ! ととんでもない音を立てて部屋の扉が開いた。


「あ、あね、あっ……姉上ェっ!」

「な――イドヤ?」

「どういうことですか姉上っ! 父上から聞きましたよ――ヴァーシュミット公爵と結婚すると!」


 秀麗な顔を歪ませたイドヤが、猪もかくやの勢いで部屋の中に飛び込んできたのだ。


「そっ、そんなこと僕に一度も放してはくれなかったではありませんか! 僕は! あなたの! 弟なのに!」

「っと、イドヤ様――」

「イドヤ、ちょっと落ち着いて……」

「しかも相手はよりによってこのっ……八つも年上の男にっ……!」


 ギチッ、と奥歯を噛みしめ、鬼の形相でまくしたてる弟の姿に、私ひたすらぽかんとした表情を浮かべることしかできなかった。

 イドヤは普段、あまり自分の感情を表に出さない子だ。

 幼いころから次期皇帝として育てられており、周囲の大人に甘える機会も少なかった。

 とはいえ、私は彼が死なない未来――ひいては私が破滅を迎えない未来のためにこれまで頑張ってきたのだ。私にとっても、もうイドヤは可愛い弟そのものだ。


「お、お父様から聞いたのなら、理由はわかっているでしょう?」

「公爵があなたを妻に所望したという話なら聞きました! えぇ、聞きましたとも! でも姉上は――ど、どこにもいかないと思って、っ……」


 白皙の美青年――そんな言葉がよく似合うイドヤが、白い頬を真っ赤に染めて鼻を鳴らした。

 ……なんとなく、こうなる気がしなかったから私からイドヤには婚約の話をしていなかったのだ。


「ど、どうおしてユーリーなんですっ……! 姉上にふさわしい男ならば、私がいくらでも見繕ってきますからっ!」

「――殿下のお眼鏡にかなう男なんて、この国には一人もいないじゃありませんか」

「なにっ!?」


 声を荒げるイドヤの言葉を遮ったのは、ユーリー様だった。

 ふぅ、と小さく息を吐いた彼は、淡々と事情を説明してくれる。


「今回の結婚は、確かに俺から陛下に所望したものです。そして、陛下とタージア様はこの結婚を了承してくださった――皇帝陛下の決定に、皇太子であるあなた様が異議を唱えるおつもりですか?」

「なっ……あ、相手が悪いと言っているんだ! 姉上はもっとこう、高貴で理性的なだな――」

「これでも俺は公爵家の当主をしておりますが、それではご不満ですか? それとも、殿下はタージア様を他国の王族に嫁がせるおつもりで?」

「そんなわけがないだろう! 姉上はずっとこの国で暮らすんだ!」


 ――なんと、舌戦ではユーリー様の方が数段格上だ。

 元々は自分の剣術師範だったこともあり、イドヤは精神的にもなかなかユーリー様に立ち向かえない様子。

 だけど、今回の件で間違っているのはイドヤの方だ。

 ユーリー様からの申し出があり、お父様が決定した今回の結婚に異議を唱えたとなれば、これは捉えようによっては立派な反逆罪である。


「イドヤ、お願いだから落ち着いて――」

「っ……わ、わかりました。姉上がそうおっしゃるなら……私にも考えがあります」

「考え?」


 神妙な表情を浮かべたイドヤは、キッと私に視線を向けるとひときわよく通る声でとんでもない宣言をした。


「姉上がこのまま結婚されるというのなら、僕は皇太子として使える手段をすべて使います」

「は、はぁっ!?」

「私が皇帝になったあかつきには、姉上には皇帝直轄領に転居いただき、そこで暮らしていただく――父上にはさっさと生前退位していただきましょう。戦が終わったから休みたいと前々からボヤいていらっしゃったので」


 手筈はできるだけ早く整える、と宣言したイドヤに、私もユーリー様も思わず絶句してしまった。

 皇帝の生前退位を皇太子が進言するなんて前代未聞すぎる。


「だって、姉上がいったんですよ? 私が皇帝になったら、側で支えてくれるって」

「そ、それは……」

「おっと、困りますね殿下――こちらも、正式な手順を踏んでタージア様に求婚しているわけで」


 じっとりと湿度を孕んだ視線でこちらを見つめてくるイドヤに、思わずゾッとする。

 だが、ユーリー様が私をかばうように前へと進み出てくれた。


「私が皇帝になれば、いくらでもお前と姉上の結婚など破棄できるんだぞ。あまり大口を叩かないことだな」

「おや、お忘れですか? 殿下は一度も、俺との手合わせで勝てたことがないということを――」

「なんだ、正々堂々謀反の申し入れか? 受けてたとうじゃないか」


 バチバチバチッ、と二人の間に激しい火花が飛び散る。

 ――が、私本人は正直状況に置き去りにされていた。

 いや、待って。これってこの国にとっては結構ヤバい……というより、またしても破滅フラグビンビンに立ってない……?


「正直に言います。俺は、この国の兵士たちを守ってくれたタージア様に求婚する――それだけを考えて戦場を生き抜いてきました。手に入らないのなら、俺は今一度剣を抜くのみ」

「そうか。ではこの場で私自ら葬ってやる……お前は救国の英雄ではなく、皇帝に刃を向けた反逆者として歴史に名を残すことになるだろう!

「ま、待って二人とも!」


 カチャ、と剣の柄に手をかける音が聞こえて、慌てて私は二人の間に割って入った。

 イドヤもユーリー様も動きを止めたけれど、まだまだピリピリとした雰囲気は消えない。


「わ、私にとってイドヤは大切な弟だしっ……! ユーリー様との結婚は既にお父様に了承をしてしまったことだしっ……そ、そうだ! イドヤが必要なら、結婚してもちゃんと王宮に顔出すから! ユーリー様も、それならいいですよね……?」


 あぁ、どうしてこうなっちゃったんだろう。

 死なないように死なないようにって頑張って立ち回ってきたのに――まさかこんな未来が待ち受けているなんて。


「あ、姉上が私のために、王宮に……?」

「……まぁ、結婚をしてくださるというのなら――」


 追い詰められた私が発した言葉は、なんとか二人の殺気を押しとどめることには成功したらしい。

 だけど、これじゃ根本的な解決にはならない。


(このままいくと、イドヤとユーリー様が正面衝突して、内乱→国が滅ぶ→ついでに私も死ぬ、の三点セットじゃない!?)


 冷たい汗が、つぅっと背中を流れていく。

 また、どうにかして新しい手を考えなくちゃ。

 私が死なないためにも、大切な人たちが傷つかないためにも。

 途端に機嫌がよくなった二人に挟まれながら、私は疲労感でがっくりと肩を落としたのだった。

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