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コンテンツ社会

1000文字エッセイシリーズ


コンテンツ社会


世界はただのコンテンツ社会になりつつあります。


仕事も人間関係も趣味もただのコンテンツなのです。


コンテンツは消費されれば終わりです。


そして、人は新鮮味のみを求めていく。


何が正しくて、何が間違っているのか分からない時代。


コンテンツ社会によって、消費されてカラカラになってしまった人で溢れかえっているのです。


変化のない時代などなかった。


もしかしたら、日本はかつてからただの消費文化だったのかもしれない。


人は消費物を求めていく。


そして、上手に踊らされて、消費されてしまうのだ。


コンテンツ社会が間違っているのかどうかは分からない。


元来、そういったものかもしれない。


しかし、僕は世界に何かを残さなければならないと思うのだ。


それが普遍のものなのかどうかは分からない。


ただ、消費する。消費されるだけの時代は、殺伐としたものだろう。


殺伐として無味乾燥としたものかもしれない。


ネット文化の発達で、人は簡単に様々なものを消費できるようになった。


便利になったし、それも進歩の過程なのかもしれない。


ただ、簡単に消費されてしまった人で溢れていく。


人生が百年あるのにそれでいいのだろうか。


何かを残すことも重要なのではないだろうか、僕はそう思うのだ。


理想を追い求めたものは、最後には大衆と呼ばれる神に焼かれて殺されていく。


バベルの塔は傾く運命なのかもしれない。


進歩をやめない人間はどこにいくのか。


最後には行き詰ってしまうのではと僕は思うのだ。


何かを残す世界でなければならない。


ただの消費物に終わらせるのは、やはり違うと思うのである。


しかし、世界はただのコンテンツ社会になりつつある。


人生は苦しみの連続である。苦しい、苦しいともがいても、なかなか死ねるものでもない。


何かを残すことも僕たちは考えないといけないと思うのである。


消費文化の名のもとに、労働者も道化も、何かも消費してしまっていいのだろうか。


人生は百年あるのである。


残すこと、成長させること、維持させていくことも考えないといけないと。


コンテンツ社会の中。僕は逆にそう思うのだ。


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