第1章 突然の別れ⑧
婚約まであと3日。
茉莉は使用人とともに、黒水家に移るための準備をしていた。
忘れ物がないか確認していると、急に使用人の一人が部屋に入ってきた。
「茉莉お嬢様、大変です!東の結界が破られ、戦が始まったとのことです!」
ぞくり。
背筋に冷や汗が流れるのを感じる。
「それで、冬夜さんは・・・」
「はい、すぐに東に向かって第一線で戦われると黒水家より伝令がありました。」
胸のざわめきが止まらない。
きっと大丈夫だと自分に言い聞かせるが、手の震えが止まらない。
とにかく、母の元へ行き、詳しく話を聞こうと執務室へ向かう。
「お母様、茉莉です。」
声が震える。
立っているのがやっとだが、なんとか気持ちを奮い立たせて母の執務室前まで行き、声をかけた。
「お入りなさい。」
母から入室の許可を得て、執務室へと足を踏み入れた。
「お母様・・・」
「使用人から話を聞いたのでしょう?」
「はい・・・」
きっと顔色が悪いのだろう。
母が心配そうに見つめている。
「このところ、どこの守護神様も結界が弱くなっているようで・・・今回は東の青龍様の結界の綻びが大きくなっていて、破られたみたいね。」
「そう・・・なんですね・・・」
「ええ。多くの妖が侵入したと聞いています。」
冬夜が最前線で戦っていると聞き、不安でたまらない。
彼はきっと勝つに決まっている、そう信じている。
だけど心の中がざわつく。
北の黒水家率いる武人たちは肉体強化の能力が高いと聞く。
妖の呪いも跳ね除ける術も身につけているとか。
今までも結界の綻びから妖の侵入があったのを知っていた。
その度に冬夜は最前線で戦い、怪我一つなく帰ってきたのだ。
今回もきっといつものように元気に帰ってくる。
なのにこの不安はなんだろうか・・・
「もし、この戦が長引いたら婚約の時期が伸びるかもしれないからそのつもりでいなさい。冬夜様はきっと大丈夫だから。」
そう母に告げられ、執務室を後にしたのだった。
足取り重く、茉莉は裏庭の桃の木まで来ていた。
体の震えが止まらない。
自分の体を抱きしめて震えを止めようとするが、不安は募るばかりで震えは全く止まらなかった。
そこへ、どこからともなく猫がやってきた。
いつも顔馴染みの銀色の毛並みの猫である。
震える茉莉を見上げて心配そうな顔をしている。
猫が来たことに気づいた茉莉は、しゃがみ込んだ。
「東の結界が破られて、戦が始まったみたいなの・・・」
猫は茉莉を慰めるように擦り寄り、「にゃぁ」と一声鳴いたかと思うと、スタスタと早足で森の方へ行ってしまった。
猫が去った後、茉莉は一人不安に苛まれながら桃の木の下で冬夜の無事を祈るのだった。