第5章 絆⑤
仕事を終え、部屋に戻ると、茉莉がすでにいた。翔斗の部屋は二間続きで、手前の広い部屋には机と食事用の卓があり、奥には寝台が備えられている。「おかえりなさいませ」と茉莉に声をかけられ、驚いた。
「もう来てたのか・・・」
「あの・・・お邪魔でしたでしょうか?」
「いや、大丈夫だ!」
自分でも声が上擦っているのがわかる。二人分の食事がすでに運ばれており、香りが鼻をくすぐった。
「冷めないうちに食べようか?」
食事を取れば少しは心が落ち着くはずだと自分に言い聞かせ、茉莉に声をかける。茉莉は黙ったまま椅子に座った。
食事をし始めても二人の会話は途切れがちだった。翔斗は心臓がバクバク音を立てており、会話がうまくできない。沈黙を破ったのは茉莉だった。
「あの・・・お邪魔なようでしたら、部屋に戻ります。」
しゅんとした表情で俯く。いや、そうではないのだ。理性が保てるかどうかが心配なのだ、と茉莉に伝えたいがうまく言葉にできない。
「やっぱり、私、失礼します!」
ガタッと椅子から立ち上がり、部屋を出ようとする。「待ってくれ」と茉莉の腕を捕まえて言った。
「俺は、お前とずっと一緒にいたい。ひとときも離れたくないのだ。だから、行かないでくれ。」
「翔斗様・・・」
茉莉は瞳を潤ませていた。よほど居心地が悪かったに違いない。
「すまない。嫌な思いをさせたか?」
「いいえ・・・」
「そ、その・・・ずっと一緒にいるのが嬉しくて、少しよそよそしくなってしまった・・・」
茉莉の髪の毛をサラッと撫でた。まだ心臓の音がうるさい。だが茉莉を安心させようと言葉を続ける。
「冷めないうちに食べてしまわないか?」
「はい・・・」
茉莉の肩を抱き、食事の卓へ促す。ゆっくりと箸を進めながら、話をする。
「今日は何をしていた?」
「朝、日向さんからこの部屋に移るようにと言われて、少し荷物を運び込みました。」
「そ、そうか・・・」
部屋を見渡すと、茉莉の荷物がいくつか増えていた。
「荷物はこれだけか?」
「はい、もともとこちらにくる時は何も持ってきていませんし・・・」
「欲しいものがあればいつでも言ってくれ。」
あまりの荷物の少なさに翔斗は驚いた。半年ほど茉莉と一緒にいたが、私物がこれほど少ないとは思ってもみなかったのだ。
「今のところ、必要なものはありません。お気遣い、ありがとうございます。」
にっこりと微笑んだ茉莉は、嘘は言っていないようだ。
食後、湯殿に行き、汗を流した後は二人で長椅子に座り、お茶を飲みながらゆったりと話した。こんな時間も愛おしい。時間がゆっくりと流れていく。
「そろそろ休むか。」
翔斗は寝台のある部屋へ向かう。茉莉もその後に続いた。
「茉莉は寝台で寝てくれ。俺はここの長椅子で寝るから。」
長椅子にごろんと横になる。茉莉は驚いて翔斗の腕を引っ張り体を起こした。
「いけません!こんなところで寝たら疲れが取れませんよ?」
「だが、寝台は1台しかないから、一緒に寝るのは嫌だろう?」
「私は全くかまいません。」
そう言いながら、翔斗を寝台へと引っ張っていく。翔斗が先に布団に入ると茉莉もそっと足を入れた。お互い、背を向けるような形で横になった。明日の仕事に障るから早く寝ようと思っても、隣に茉莉がいると思うとなかなか寝付けない。寝返りも打ちたいが、我慢する。
「眠れないのですか?」
茉莉が声をかけてきた。
「お前もだろう?」
翔斗が返事をする。茉莉が翔斗の方に体をごろんと向けたのが分かった。
「早く寝てくださいね。明日もお仕事あるでしょうから・・・」
そう言いながら茉莉は翔斗の背中をさすった。すると、急に瞼が重くなって、深い眠りについたのだった。
朝、目覚めると、茉莉はすでに起きていて寝台は空っぽだった。翔斗は伸びをしてから寝台から降りる。おや?と体の変化に気づいた。いつもなら朝起きても疲れが残っていることが多いのだが、今日はいやに体がスッキリしている。肌もツヤツヤしているのが分かった。
茉莉がこの国に来てからも、以前より疲れが溜まりにくくなっていた。だがそれの比ではないほどの疲れの取れ方だ。
(もしやこれは、茉莉の能力のおかげか?)
ありがたい、あとで茉莉にお礼を言わなければな、と思いながら着替えを済ませ、朝餐へと向かった。
朝餐を済ませ執務室に行くと、いつもより早く日向が来ていた。翔斗の顔色が良いことに気づき、ニヤニヤしながら話しかけてきた。
「あれー、翔斗さん、今日はいやにスッキリした顔してますねー?早速、肌、合わせちゃいました?」
朝からいつもの調子で冷やかしてきた。呆れながら恒例の拳骨を落とす。
「まだ理性は保っている。」
「でもいやに元気そうですよ?」
翔斗の顔を覗き込みながら聞いてきた。毎日顔を合わせている日向には良くわかるようだ。
「そうだな。今朝起きたら体が軽い感じがしたぞ。多分、茉莉のおかげだな。」
「えー、何してもらったの?」
「別に何もしてない。ただ、一緒に寝台で寝ただけだ。」
「本当にそれだけ?」
「ああ。だが背中に手を当ててくれていたかな。」
特に術を使っていたわけでもなさそうだ。触れられただけで朝には体の疲れが抜けていたのである。
「えー、俺も茉莉ちゃんと一緒に寝たい!一晩貸してー。」
「なんでお前に茉莉を貸さなきゃならんのだ。」
「いいじゃないですかー。最近疲れてヘトヘトなんですよー。」
大袈裟に疲れた様子を見せる。そんな側近の様子を見て、ふと思い出した。翔斗が体調が悪く死にかけていた時、茉莉に体を撫でられてすっかり良くなったことがあった。もしかしたら疲れも撫でるだけで取れるかもしれない。
「茉莉を貸し出すことはできないが、疲れは取れるかもしれんぞ?」
その日の仕事終わり、翔斗は日向を連れて部屋に戻った。出迎えた茉莉は日向を見て深々と礼をする。
「茉莉、昨日はありがとう。お前のおかげで今朝はすっかり疲れが取れたよ。」
「私は何もしていませんよ?」
「背中に手を当ててくれただろう?」
「お役に立てたならよかったです。」
茉莉はにこやかな笑顔を翔斗に向けた。
「それですまないんだが、こいつがひどく疲れているようでな。疲れをとってくれないか?」
「私でよければ・・・」
「やったー!!ありがとう茉莉ちゃん!」
抱きつく勢いの日向の首根っこを翔斗がつかみ、牙を剥き出した。ガルルと威嚇しながら日向に言う。
「いいか。お前は茉莉に指一本触れるなよ。抱きついたり、手を握ったり、口付けしようなんて思うな。」
「分かったよー。」
二人の様子は毛を逆立てた虎とそれに怯える子犬のようだ。それを見てくすくすと笑いながら、日向を長椅子に促した。
「それでは始めますね。」
茉莉は手に力を集め始めた。手のひらに光の玉が出来始める。その手で日向の背中を首から腰まで撫でた。
「ひえっ!!なんだこれ!!」
「体が軽くなったか?」
「はいっ!すごい!!ありがとう茉莉ちゃん。」
ガバッと抱きつこうとしたところ、翔斗に睨まれる。叱られた子犬のように、シュンとなった。
「用が済んだらとっとと帰れ!」
「わかりましたよー。」
「あら、せっかくだから一緒に夕飯どうですか?みんなで食べた方が美味しいですし。」
茉莉の提案に日向は満面の笑みとなる。一方、翔斗は口を尖らせたのだった。




