第5章 絆③
(もうここに来て半年ほど経つのか・・・)
春に人身御供の儀式に参加し、恐怖に怯えながらここに来たのが遠い昔のようだ。ここに来る前は毎日、食事を作り、術の練習をするくらいしかしておらず、屋敷の外へ出ることもなかった。ここは宮の敷地が街ほどの大きさで、まだ隅々までは行けていない。
(今日は南西の庭に行ってみようかしら。)
外に出て空を見上げると、高い空にはすじ雲が見える。ひゅうっと風が通り抜ける。秋の風は湿気を含まず、爽やかだ。空気が澄んでいて、日差しが透き通って見える。
南西の庭には四季折々の草花が植えられていた。今の季節は菊や百合が咲いている。大きなラッパのような形をした百合の花が風に吹かれて揺れていた。百合を見て姉のことを思い出す。
「お姉様、お元気かしら・・・」
姉の百合もそろそろ結婚し、当主となっている頃だ。茉莉がこちらに来る前はまだ母の傍で見習いをしていたが、当主となれば、責任も重くなり、きっと大変な思いをしていることだろう。
姉のことを思い出すと、家族と会いたくなった。しかし茉莉は、この国から出ることは叶わない。百合を優しく撫でながら、家族に思いを馳せた。
その日の夕食時、翔斗に聞いてみた。
「私は外界には行けないですよね?」
突然の質問に翔斗は焦った。自分の元から去りたいと思っているのではないかと心配したからだ。
「な、なぜそんなことを聞く?」
「今日、南西の庭に行った時に、百合の花が咲いていまして。姉の名前が百合というもので、家族を思い出しただけです・・・」
そうだったのかと翔斗はホッとしたが、こちらに一人で来て、茉莉も寂しい思いをしているのだろうかと不安に思った。
「寂しいのか?」
「いえ、ここの皆さんは私によくしてくださいますし、翔斗様は素敵でお優しいですから寂しくはありません。」
「そうか・・・」
翔斗は顎に手をやり、何か良い方法はないかと考えた。翔斗が許可すれば行けなくはない。
「外界に行きたいのか?」
「いえ、外界に行きたいとは思っていません。ただ、姉がそろそろ結婚しているはずなので、お祝いを言いたいなと思っただけです。」
俯きながら茉莉は言った。確かに、白金家の当主は紫苑から百合に変わったばかりだった。最近は啓示を受けるのは百合だ。ならば・・・
「今度、啓示を伝えに行く時、茉莉も一緒に来るか?」
「いいのですか?」
「ああ。屋敷までは行けないが、森の中の社なら俺と一緒にお前の姉と会うことができると思うぞ。」
茉莉の表情がぱあっと明るくなった。外界から来た茉莉はこの国の食べ物を食べ続けているため、森の外へは出られない。出たとしても、外界の人間には見えないだろう。姿を見せられるのは、社のある森の中だけだ。
「ぜひお願いします。」
「では、ちょうど明日、啓示に行くから一緒に行こう。」
茉莉は姉に会えることを心待ちにした。
翌日、「今から下界へ行く」と翔斗が部屋に迎えに来た。住まいのある宮から少し離れたところに祠がある。その前で翔斗は転身した。
「俺は向こうではこの姿だが、問題ないか?」
「???」
茉莉が不思議そうに首を傾げた。
「いや、茉莉のお姉さんがこんな姿の俺に嫁ぐと知ると恐ろしく思われるかもしれないと思ってな・・・」
翔斗、否、白虎は耳を伏せて頬を赤く染めた。茉莉は翔斗の頬を撫でた。
「私が恐ろしいと思っていないから大丈夫ですよ。それに啓示の時はいつもこのお姿なのでしょう?」
「うん、確かにそうだな。」
「では行こうか」と翔斗に促され背中に乗る。猛スピードで翔斗が走り抜けると、あっという間に社に着いた。儀式の時に来た時はここが恐ろしい場所に感じたものだ。しかし今は、神の国と外界を結ぶ場所という認識に変わった。
「啓示が終わったら、声をかけるからここで待っててくれ。」
翔斗は神殿の前へ向かった。すでに百合が来ていたのだろう。翔斗の啓示の声が聞こえる。今回の啓示はすぐに終わったようで、声がかかった。ゆっくりと翔斗のいる方へ歩いて行くと、ひざまずき、頭を下げている姉の姿があった。
「お姉様・・・」
声をかけると顔を上げた百合は驚いた顔をしていた。
「茉莉・・・どうしてここに?」
「白虎様にお願いしてここに連れてきていただきました。」
横に座っている翔斗、否、白虎は嬉しそうに目を細め、尻尾をゆらゆらとさせている。
「お姉様、ご結婚されたのでしょう?おめでとうございます!当主のお仕事もお忙しそうで・・・」
百合は涙を浮かべ、うんうんと頷くだけだった。
「お父様やお母様、使用人の皆さんは元気ですか?」
「みんな元気にしているわ。白虎様のおかげでこの国は平和だもの。」
「よかった・・・」
その言葉を聞けただけで安心だ。百合も幸せそうで何よりだ。
「茉莉は、元気なの?」
「はい。白虎様がとても良くしてくださるので・・・」
茉莉は白虎の頭を撫でた。白虎は気持ちよさそうに茉莉に擦り寄ってくる。
「そう・・・あなたも、もう結婚したの?」
「いえ、私はまだ。もうすぐ白虎様の妻となります。」
その言葉を聞いて、百合は白虎を見る。白虎は得意げに尻尾をゆらゆらさせていた。茉莉は言葉を続ける。
「私のようなものでも、神の国でお役に立てるようです。白虎様と一緒にこの国を守ることを心に決めました。」
その言葉を聞き、百合は驚いた。以前の茉莉はこのように自分の思いを口にすることはなかったからだ。できるだけ静かに誰にも干渉されずにいたいという気持ちが伝わってくるほどだったのに。立派になったと涙が溢れてきた。
「そう・・・あなたと白虎様が守ってくれるなら心強いわね。」
「はい!」
茉莉は破顔した。翔斗に連れてきてもらえてよかった。家族も元気そうだし、国も平和なようだ。これほど嬉しいことはない。百合に別れの言葉を告げ、茉莉は翔斗と共に神の国へ戻った。




