第4章 邪神⑥
体を失ってから、力がめっきり弱くなった。元のような力を取り戻すには、体が必要だ。あの娘さえ手に入れば、体を取り戻すことができるだろう。その日が待ち遠しくて仕方がない。
「あいつはどうした?」
「はい、無事に例の者は北の廃坑から忍ばせました。」
「そうか。」
もうすぐだ。もうすぐ体が手に入る。体が手に入ったら、生きにくいこの世界を殲滅してやる。「ははは!」高らかな笑い声が響き渡った。
目を覚ますと、そこは真っ暗闇だった。
「こ、ここは・・・」
「ようやくお目覚めか。」
声がする方に目をやった。真っ暗闇だと思っていたのは真っ黒い霧だった。周りは薄暗く、様子はわからないが、手足には鎖が繋がれていた。霧の中から声がする。
「お前のおかげでわしはこのような姿よ。」
不気味な笑い声が響き渡る。
「お、お前は邪神か?!」
「よく分かったな。」
またもや不気味な笑い声が当たり一面に響き渡る。
「お前は死んだはず・・・」
「あぁ、危なかったよ。お前の一撃を受ける寸前で魂だけ抜け出して、この有様だ。」
邪神は霧をゆらゆらと揺らしてみせた。
「お前もわしの術で命を落としたがな。」
「・・・っ!では何故、私はここにいる?」
「お前を助けてやろうと思ってな。」
ねっとりとした声で言われ、背筋に寒気が走る。
「あぁそうだ、お前にいいものを見せてやろうか。」
目の前の霧の中に、人影が浮かび上がってきた。最初はぼんやりしていた人影は徐々にはっきりとしてきた。見覚えのある女性だ。
「茉莉!!」
その女性の姿こそ、自分の婚約者だった茉莉だった。茉莉の姿がはっきりしてきたところに、見知らぬ男が入り込んできた。茉莉はその男に見たこともないような笑顔を向けている。とても幸せそうな優しい微笑みだ。
「こ、これは・・・」
「お前の婚約者だろう?」
ヒヒヒと笑う黒い影、否、邪神。
「この娘はこの男と結婚するそうだよ。お前と結婚するはずだった頃に。」
「なっ!!」
「この娘を取り返したくはないか?黒水冬夜。」
霧は冬夜の周りをふわりと漂いながら言う。
「まぁ、ゆっくり考えておいてくれ。」
そう言い残すと邪神の霧は消えた。冬夜の心はざわついた。自分はもうこの世のものではない。だったら、茉莉の幸せを祝福すべきではないか?だが、今まで見たこともない優しい微笑みを茉莉から自分にも向けてもらいたいと望んでしまう。
「くそっ!!」
冬夜は強く拳を握り、歯軋りをした。
邪神からの提案を受けて数日間、冬夜は茉莉が別の男に向ける笑顔が脳裏から離れなかった。何故その相手が自分ではないのか。何故あの時、自分は邪神の術を受けて死んでしまったのか。悔やんでも悔やみきれない。本来であれば自分に向けられるはずの茉莉の微笑みや優しさ。胸の奥がギュッと締め付けられる。
「もう一度、茉莉に会いたい・・・」
ボソリと一人呟いた。茉莉は自分と再会したら、あの笑顔を見せてくれるだろうか?優しく接してくれるだろうか?会いたい気持ちがいっそう募る。
あれから邪神は姿を現さない。代わりに大鬼が度々やってきては冬夜の様子を見ていた。今日も大鬼がやってきて冬夜に話しかける。
「どうだ、あの娘を取り返しにいく決心はついたか?」
「・・・」
「娘を取り返した暁には、お前は元の世界に戻れるのだぞ?」
「・・・っ!それは本当か?!」
「あぁ、邪神様がお前の体に魂を戻してくださるそうだ。」
その言葉を聞いて冬夜の気持ちは大いに揺れた。今は魂だけの存在である。体は半透明なのだ。体が元通りになれば、茉莉と共に幸せに暮らせるかもしれないという淡い思いが募る。
「わ、分かった。やろう。」
冬夜は茉莉との幸せな未来を夢見て承諾した。
二日後、冬夜は玄武の守る北の地の結界側に大鬼に連れられてやってきた。そこには大鬼の手下の鬼たちが数名いた。大鬼から小さな袋を渡される。
「これを肌身離さず持っておけ。お前の気配を消すための術がかけてある。」
冬夜は渡された袋を懐にしまう。
「こいつらがお前の共をする。お前の役目はあの娘の側にいた男を殺し、娘をさらってくることだ。」
「連れ戻したら、すぐにも体を元に戻してもらえるのか?」
「いいや。邪神様の体を戻すのが先だ。邪神様の体が戻ればお前にあの娘を渡す。いいな。」
「分かった・・・」
大鬼は術を使い、目の前の大岩を動かした。その奥には暗い坑道が続いている。
「ここから娘のいる西の地に向かってもらう。こいつらが案内するから心配せずとも良い。」
冬夜は鬼たちと共に、西の地に向かった。
西の地に到着した冬夜は茉莉の所在を確かめるべく、街へ出た。冬夜や鬼たちの姿は街の者には見えないらしく、行動するのに効果的だった。とある商店の店主がお客さんに向かって話している声が聞こえる。
「白虎様は外界から美しい花嫁様を迎えられたそうだね。」
「それはもう、美しいそうだよ。早くお目にかかりたいもんだねぇ。」
「白虎様はよく街に出てこられるから、その時にご一緒されるかもしれないね?」
「その日が楽しみだ。」
店主と客はわっはっはと楽しそうに笑う。
「それはそうと、花嫁様は来て早々、南の結界を直しに行かれたそうだよ。」
「そりゃまたすごいね。四神様たちよりも強い力をお持ちなのかね?」
「そんなことはないだろう?」
外界からの花嫁とはおそらく茉莉のことだろう。今の話から推測すると、あの男は白虎様だったのか?冬夜は今になってとてつもないことを引き受けたものだと後悔した。だが、茉莉を取り戻したいという気持ちは嘘ではない。ひとまず、茉莉が白虎の元にいると分かったので、白虎の宮に向かった。
白虎の宮は高い塀に囲まれており、強い結界で守られていた。冬夜には結界を破る力はない。鬼たちも同じだろう。であれば茉莉が宮を出るまで待つしかなかった。冬夜は街に潜み、茉莉が宮から出るのを待つ。白虎と一緒に街に出てくるかもしれないという住人の言葉を思い出し、待つことにした。
「賑やかな街だな・・・」
冬夜は呟いた。自分がいた世界とはまるきり違う。みんなが笑顔で楽しそうに暮らしていた。人々が豊かに暮らしているのが見て取れる。自分の今の状況が嫌になり「はぁ」とため息を漏らした。
そんな時、周りが賑やかになってきた。人だかりができている。何事かと近づいてみると、「白虎様よ」とか「花嫁様かしら」という声も聞こえる。白虎と茉莉が宮から出てきたらしい。建物の影からそっと見ると、銀色の長い髪の男の側には、その男に微笑む茉莉の姿があった。仲睦まじく、手を繋いでいる。
「くそっ!!」
その男に殺意を覚える。あいつさえいなければ・・・その時、銀髪の男、白虎が冬夜の方へ振り向いた。目つきが鋭い。冬夜は慌てて物陰に隠れた。見られたか?だが白虎は目線を茉莉へ落とすと、大虎の姿に転身し、空へ駆け上がってしまった。
「気づかれたか?!」
せっかくの好機を逃してしまった。




