第4章 邪神②
夏の初め、暑さが日に日に厳しくなる頃、茉莉は翔斗に呼ばれ、先代とその妻に会いに行くことになった。元々、人身御供の儀式が本来は四神の妻になることだという事実を外界にどう伝えるかを相談するための予定だったが、それは彪人の計らいにより、すでに守護神を守る一族の当主に伝え済みだった。そのため、今回の先代夫妻への訪問は茉莉の挨拶が目的だ。それなのに、翔斗の乗り気でない顔をしている。覗き込んで、茉莉は尋ねた。
「どうなさったのですか、翔斗様。」
「あぁ、あの二人はめんどくさいから・・・まぁ、気にするな。」
そう言って二人は並んで宮の廊下を歩き出した。先代夫妻の部屋は宮の一番端にあり、茉莉たちの部屋からはかなりの距離がある。先代夫妻は誰にも邪魔されずにゆっくり余生を過ごしたいと望んだらしい。
「ここに来たばかりの時に、雪から部屋を案内していただきましたが、迷路みたいで迷いそうですね。」
「そうだな。でも、必要な部屋の場所だけ知っていれば問題ないだろう?先代たちの部屋は覚える必要はない。」
「そうですか・・・」
翔斗の少し冷たい態度が気になり、茉莉は翔斗の袖を掴んだ。
「茉莉、緊張しているのか?」
「いいえ、翔斗様がご両親のお話をするときに、ちょっと冷たいような気がして・・・」
「・・・あぁ・・・会えば分かる。」
二人で並んで歩きながら、茉莉はふと気づいた。以前の茉莉は思ったことを口にすることがほとんどなかった。言われたことだけをやり、自分の意思を表現しない人形のような存在だった。しかし、この国に来て、周りの人たちが優しくしてくれ、翔斗の大きな愛に包まれてからは、自分の思いを素直に口に出せるようになったのだ。行動も少し大胆になってきたように感じるのは気のせいだろうか。そんなことを考えながら、すっと翔斗の手を握った。
「どうした?」
「いえ、手を繋ぎたいな、と思いまして・・・」
「そ、そうか?いつでも繋いでいいぞ。」
翔斗はすこぶる機嫌が良くなった。茉莉には結婚の儀式までに自分のことを愛してもらいたいと思っていたが、最近の茉莉の態度や言動は翔斗のことを慕っているように感じる。それが嬉しくて仕方ない。思わず口角が上がる。
「着いたぞ。」
そう言って、扉に向かい「翔斗、参りました」と声をかける。中から「入れ」と太い声が聞こえ、入室の許可が出た。翔斗が扉を開けて部屋に入ると、茉莉もその後ろに続いた。
「茉莉ちゃん、待ってたわー!」
若い女性が足音を立ててやって来て、ぎゅっと抱きついてきた。
「あ、あの・・・」
「もうっ、会いたかったんだからー」
女性は茉莉の頭を撫でてきた。急な展開に驚きを隠せない茉莉は、翔斗を見る。
「はぁ・・・母だ。」
「何よー、そのつっけんどんな態度っ!」
頬を膨らませてプイッと横を向く。茉莉と同じか少し上にしか見えない女性、翔斗の母は茉莉に向かって自己紹介を始めた。
「茉莉ちゃん、初めまして。私、葵っていうの。葵ちゃんって呼んでちょうだいね。」
「えっ!?」
いきなり義理の母になる相手から名前で、しかもちゃん付けで呼んで欲しいと言われるとは・・・
「そのようにお名前で呼ぶなんて、お義母様に失礼では・・・」
「お義母さんって呼ばれたくないのよっ。」
なんか、圧がすごい・・・眩暈がして目がクラクラしてきた。
「その辺にしてください、母上。」
「えー!いいじゃない。こんな可愛い娘に名前で呼んでもらっても。」
「茉莉が困っていますよ・・・」
茉莉に目をやると、今にも倒れそうな表情をしているのに気づき、「あら、やだっ!ごめんなさい。」と言って、ようやく茉莉を解放した。
「ははは。相変わらずだなぁ、葵は。」
奥から太い声が聞こえ目を向けると、そこにはがっしりした体躯の美丈夫が座っていた。
「初めまして。私は先代白虎の凪だ。じゃあ私も『凪さん』とでも呼んでもらおうか?」
「父上まで!!」
「わっはっは、冗談だよ。」
豪快に笑う凪に茉莉は圧倒され目が点になる。なるほど、翔斗がめんどくさいと言っていたのがようやく理解できた。しかし、挨拶はきちんとせねばならない。気を取り直して挨拶をする。
「お初にお目にかかります。茉莉と申します。」
深々と挨拶をする。長椅子を勧められ、翔斗と二人並んで座った。目の前の先代夫妻はピッタリ寄り添い、仲睦まじいのがよく分かる。凪と翔斗は顔立ちがよく似ていた。親子だというのがすぐに分かる。葵は艶のある黒髪を長くたらし、大きな目と小さな唇が美しい。見た目は落ち着いた雰囲気なのに、あの言動なのだから差が激しすぎる。侍女からお茶を出してもらったところで、葵が口を開いた。
「茉莉ちゃんは例の儀式でこっちに来たのでしょう?最初は怖くなかった?」
「はい、白虎様に食べられるかもしれないと思っていました・・・」
「分かるわ!私もそうだったから。でもね・・・」
そう言いながら凪の方をうっとりとした表情で見つめる。
「凪様が本当に素敵な方で、私、一目惚れしちゃったのよー。」
「お義父様、素敵ですものね。」
「そうなのよー。」
葵は凪の方にしなだれた。凪は満更でもないという表情でニコニコしている。
「茉莉ちゃん、翔斗はどう?ちゃんと茉莉ちゃんのこと、大切にしてる?」
「はい、それはもう。よくしていただいています。」
茉莉がちらっと翔斗を見ると、頬が少し赤らんでいるのが分かった。
「そりゃそうよねー。翔斗は小さい頃から茉莉ちゃんのことが大好きだったもの。」
「母上、もうその辺で勘弁してください・・・」
恥ずかしさからか、項垂れている。そんな翔斗を可愛いと思ってしまった。
「でもね。茉莉ちゃんには感謝しているのよ。だって、体が弱かった翔斗をここまで健常な体にしてくれたんだから。」
昔のことを思い出したのか、葵は目を潤ませながら頭を下げた。
「本当にその通りだ。茉莉さん、感謝するよ。」
凪も深々と頭を下げる。
「そ、そんなっ!私は何も・・・ただ、翔斗様をいつも撫でていただけですから・・・」
「茉莉ちゃんの回復能力のおかげで翔斗は助かったんですもの。命の恩人だわ。」
先代夫婦は大切な息子を助けられたと、感謝してもしきれない様子だ。
「翔斗が体が弱かったのは、私が何も能力がなかったからなの・・・」
俯きながら葵が話し出した。翔斗は白虎の後取りとして満足な体として生まれなかったのだそうだ。下手したら幼いうちに死に至ることもあると言われたほど。ほとんど毎日を寝台の上で過ごし、体調の優れる日は、体力をつけるために宮の周りへと散歩に出ていたらしい。それほど体が弱かったのだが、いつもより体調が良かったある日に、父の許可を得て外界まで足を伸ばした。初めて外界から帰ってきたら顔色が良くなっていることに驚いたのだという。話を聞けば、回復能力のある茉莉に出会った、とのことだった。
「翔斗は茉莉ちゃんに一目惚れだったのよ。」
ふふふ、と葵は楽しそうに笑った。そんなこと言われると茉莉は恥ずかしくなってしまったが、翔斗の顔を見ると、茉莉よりもさらに恥ずかしそうな顔をしていた。こんな可愛い翔斗を見るのは初めてかもしれない。思わず「ふふっ」と微笑んでしまった。
それから一刻ほどの間、葵から翔斗がどれだけ茉莉のことを愛しているのか、ということを延々と聞かされた。だが茉莉はそれが一つも嫌だと思わなかった。自分が知らない間にこんなに愛されていたなんて、幸せなことだと嬉しく思った。
翔斗いじりが一段落した時、茉莉は葵に対する疑問を投げかけた。
「あの、お義母様。お義母様は前回の儀式でこちらにいらしたのですよね?」
「そうよー。茉莉ちゃんの一族の傍系だけどね。」
「ということは、50年前にいらしたということで間違い無いですよね・・・」
「そうだけど、なんで?」
「いえ、とてもお若くいらっしゃるので・・・」
凪が「あぁ・・」と呟き、「それは私から説明しよう」と言った。
「外界とここでは年の取り方が違うのだよ。」
「そ、そんなことがあるのですか?」
「そうだな。ここでは子は元服するまでは外界と同じ速さで成長するのだが、その後は外界の半分の速さで年を重ねる。だから、私も若いだろう?」
そう言うと、わっはっは、と豪快に笑う。確かに凪は翔斗より年上であるが、年の離れた兄と言われても違和感がない。
「父上はこう見えて、外界の年齢だと100歳は超えてらっしゃるからな。」
「白虎は特に長生きだからなぁ」と凪は豪快に笑った。
凪の話を聞いて、最初は信じられない気持ちだったが、今までいた世界とは全く違う別次元だと思うとすんなりと納得できたのだった。




