第3章 神の国⑩
不安が頭をよぎり、茉莉は眠れなかった。朝早くの出立のため早めに寝ようとするほど目が冴える。夕食後に自分から翔斗に抱きついたことを思い出すと、恥ずかしさでドキドキが止まらない。さまざまな気持ちが入り混じり、ようやく眠りについたのは夜明け前だった。
夜明けとともに茉莉は寝不足の重い体を起こし、着替えた。頭がまだ朦朧としている。しっかり睡眠が取れなかったことに反省しつつ、翔斗からもらった髪紐で髪を高くまとめた。
「よし!」
茉莉は両手で頬を叩き、気合を入れる。不安は募るが、自分の力を信じてやるべきことをやろう。この国のために尽くすことを心に決め、部屋を後にした。
広場には既に大和が兵を率いて集まっていた。兵たちは白い武具を纏い、髪を高く束ねて凛々しい。大和は何やら翔斗と話をしている。翔斗に会えないかもしれないと思っていたので、嬉しくなり小走りで近づく。
「翔斗様!」
「茉莉、昨日はよく寝れたか?」
「いえ、緊張であまり眠れませんでした。」
本当は翔斗のことを考えて眠れなかったが、それは秘密にしておく。翔斗は優しく抱きしめて「そんなに緊張するな。茉莉ならできる」と囁いた。耳元での囁きに顔が赤くなるのを感じる。
大和がやれやれと呆れ顔で、「そろそろ出立の時間です」と声をかける。翔斗は茉莉の頭をぽんぽんと叩いてから離れた。
「では参りましょう。」
大和たちは虎の姿に変わった。何度見ても驚く光景だ。大和は他の虎より少し大きい。
「茉莉様は私の背中にお乗りください。」
翔斗の手を借りて茉莉は大和の背中に乗る。翔斗の背中よりもゴツゴツした広い背中だ。しっかりと捕まってから大和は身を起こした。
「それでは行って参ります。」
「茉莉を頼むぞ。」
虎たちは空へ駆け上がり、南の地へ向かった。翔斗は皆の姿が見えなくなるまで見送った。
茉莉の目の前には険しい山々が連なっていた。これらの山にも結界が張られ強化されているのだと、大和が説明してくれる。
「山に張られた結界は私にはよく見えず、分からないのですが・・・」
「南に着いたら朱雀様に指示を仰いでみてはいかがでしょうか?」
「そうですね。そうします。」
山の結界はまだ見えないことに、自分は未熟だと改めて実感する。
「間もなく南の地に着きますよ。」
眼下には街が広がっている。西の地とほとんど変わらない大きさだ。街はどんどん大きくなり、塀で囲まれた宮が現れた。広場に降り立つと、大和は茉莉を背中から降ろし、人の姿に戻った。そこにはすでに赤や黄色の武具をまとった者たちが集まっている。
「茉莉様、この度はご足労、誠にありがとうございます。」
丁寧に挨拶してきた男性は背が高く、細い目をしている。長い真っ赤な髪が揺れていた。
「わたくしがこの地を治めております朱雀の扇羽と申します。」
「茉莉と申します。お初にお目にかかります。」
「翔斗が溺愛している奥方様にこんな形でお会いできるとは思いませんでした。」
扇羽はにこにこと笑う。少しでも安心させようとの気遣いだ。
「ありがとうございます。」
「早速ですが、作業に取り掛かっていただいてもよろしいでしょうか?一番結界が薄い場所からお願いします。」
「分かりました。」
案内された先は、西の地と比べると酷い有様だった。厚みは半分以下で、穴が空いているところもある。
「これほどとは・・・」
大和の呟きに茉莉も「本当に・・・」と返す。これだけ脆ければ、侵入されてもおかしくない。穴が空いているところを優先して修復し始めた。周りの兵の視線が集中し、感嘆の声も聞こえた。
西の地より薄い結界が多く、茉莉の疲労はすぐに頂点に達した。春の終わりで少し暑くなってきている季節だが、汗がとめどなく流れる。側で護衛していた大和が声をかける。
「茉莉様、少し休まれてはいかがですか?体力が持ちませんよ。」
「そうですね。」
大和に連れられ、木陰でしばし休むことにする。風が吹き、汗ばんだ体を冷やしてくれる。心地よい風が茉莉の体を包み込む。もともと回復能力のある茉莉はすぐに体力を回復できた。
「骨が折れる作業が続きそうですね・・・」
腰を上げて修復作業に戻った。手が会いている兵たちもそれほどひどくない場所の結界を張るのを手伝ってくれるようになり、作業は順調に進んだ。5日が経ち、ようやく結界の修復が完了した。
「ようやく結界の修復が終わりましたね。」
大和は手のひらを返して『通』を出し、扇羽へ報告する。戻ってきた『通』からは次は山の結界を強化してほしいとのことだった。
「やはり、山の結界もお願いしたいとのことです。」
「そうですか。それでは行きましょう。」
大和は兵たちに山の結界の修復に向かうことを告げる。兵たちは次々に転身した。南の兵たちは朱鳥、帝の兵たちは黄竜、西の兵たちは虎だ。茉莉は転身した大和の背中に乗り、山の結界の修復に向かった。
山の結界修復は難易度が高い。今までの修復は近くで行えたが、山は広範囲で近づけないため、大和の背中に乗ったまま作業を行う。
「大和さん、辛くありませんか?」
「これしきなんてことありませんよ。」
大和もここ数日、結界修復作業を手伝ってくれていた。きっと疲れているだろうが、全くそんなそぶりを見せなかった。武官の意地だろうか。
「ありがとうございます。」
茉莉は今まで以上に大きな力を手に集め、山の結界を修復していく。山の修復作業はさらに1ヶ月を要した。
結界作業を完了し、西の地に戻った茉莉は自室の寝台に倒れ込んだ。自身の回復能力で体の疲れは取れているものの、精神的な疲労は溜まっていた。
「このまま寝てしまいたいけど、翔斗様にご挨拶しないと・・・」
疲れた体を奮い立たせ、扉に向かう。手をかけようとした瞬間、勢いよく扉が開き、人が飛び込んできた。
「茉莉!大丈夫だったか!!」
入ってきたのは翔斗だった。顔色が良くない。茉莉がいない間、懸命に仕事をこなしていたのか、それとも茉莉の回復能力がないせいで疲れが溜まっているのか。心配だったが、体が勝手に動いた。
「翔斗様っ!!」
茉莉は翔斗に駆け寄り抱きついた。ふわっと白檀の香りに包まれる。翔斗の顔を見て安心したのか、大粒の涙が目から溢れる。
「私、お役に立てたでしょうか?」
「ああ、よくやったよ、茉莉。おかえり。」
翔斗は茉莉の涙を拭い、ぎゅっと抱きしめた。まるで猫のように頭を擦り付ける翔斗に、茉莉は優しく頭を撫で、自分の唇をそっと当てる。
「翔斗様もお疲れの様子ですが、大丈夫ですか?」
「あぁ、茉莉のことが心配で・・・仕事も忙しかったしな。」
ふと顔をあげ、翔斗は言う。
「このまま抱きしめていてもいいか?」
翔斗は茉莉の目をじっと見つめた。見つめられるととても恥ずかしい。翔斗の瞳を見つめていると、胸が早鐘を打つのがわかった。それでも正直に自分の気持ちを伝えた。
「はい、私も翔斗様に会えなくて寂しかったので・・・」
茉莉は腕に力を入れて翔斗を抱きしめた。白檀の心地よい香りに包まれ、翔斗と触れ合う喜びを感じる。離れている間、翔斗のことばかり考えていた。会いたくて仕方なかった。翔斗のことを心から愛してしまったに違いない。
「もう二度と翔斗様と離れたくありません・・・」
「俺もだ・・・」
二人はお互いの体温を感じながら、幸せを噛み締めた。




