第2章 人身御供⑨
白虎の言葉が、悪夢のように茉莉の脳裏をよぎる。「安心して私の元に来るがいい」その声は、何度も何度も反芻され、思考を支配していく。儀式の日は刻一刻と迫り、不安が募るばかり。何もできない無力感に苛まれ、茉莉は母から白虎について書かれた書物を借りて読み始めた。
書物によれば、白虎は勇気、決断力、正義の象徴であり、邪気を払い、金運をもたらすという。変化と行動力を司る神でもある。確かに、この国は民が豊かに暮らす恵まれた国であり、人々は優れた行動力で国を支えている。危機に直面しても、民は団結し、迅速に行動することで困難を乗り越えてきた。
強さと優しさを兼ね備えた白虎神が人を喰らうなど、到底考えられない。そう信じたい気持ちが茉莉を支える。
書物を読み終えた頃、襖の外から母の呼び声が聞こえる。
「茉莉、ちょっと良いかしら?」
母に招かれ、茉莉は書物を閉じて部屋を出ていく。
「書物は役に立ったかしら?」
母の優しい声に、茉莉は顔を伏せる。
「はい、知らなかったことばかりでした。」
無知を恥じ、茉莉は言葉を絞り出す。
「ごめんなさいね、茉莉。」
母は茉莉を優しく抱き締める。久しぶりの母の温もり、懐かしい母の香り。
「あなたを儀式に参加させたくなくて、白虎様や白金家の儀式について話さなかったのよ。」
母の言葉に、茉莉は複雑な心境になる。
「そうだったんですね・・・」
「あなたを他家に嫁に出せば儀式に参加させることができなくなるから、小さい頃から厳しく接していたの。本当に申し訳なかったと思っているわ。」
「これっぽっちも恨んではいません、お母様。だって、お母様が厳しく躾けてくださったおかげで、私は作法を覚えたし、料理も上手くなりました。そして術もできるようになったのですから。」
母の謝罪に、茉莉は真っ直ぐな言葉を返す。
「それに、この儀式は必ずやらなければならないでしょう?この国や白金家のためにも、胸を張って儀式に臨みます。」
そう言い、母に笑顔を向けた。母には心配させたくない。きっと私よりも母の方が心を痛めているだろうから・・・
「そういえば、この前、白虎様の夢を見ました。」
茉莉は白虎の夢のことを打ち明ける。
「白虎様が?!」
驚きの声と共に、母は大きく目を見開く。茉莉には啓示を受ける能力は受け継がれていないはずだったからだ。
「そ、それで白虎様はなんとおっしゃっていたの?」
「それが、『お前を喰らうことはない。安心して私の元に来るがいい。』と仰ったの。だから少しでも白虎様のことを知りたくて、お母様から書物をお借りしたんです。」
茉莉は正直に夢の内容を話す。
「そう・・・」
母は言葉を失い、複雑な表情を浮かべる。
「きっと、私が儀式に対して不安に思っているから、そんな夢を見たのかもしれませんね・・・」
不安が再び押し寄せ、茉莉は肩を落とす。
「でもなんで白虎様はそのようなことをおっしゃったのでしょうね・・・」
母もまた、白虎の言葉に疑問を抱く。
「あっ!」
茉莉は人身御供の儀式に参加することが決まったと告げられた後、こっそり母の執務室に入って儀式の文献を読んだことを白状する。覚悟していた叱責は来ず、代わりに母は優しく微笑む。
「人身御供になると言われたら、誰だって怖くて仕方ないと思うわ。でも、白虎様が夢に出てきてそう仰ったのであれば、怖がることは何もなくてよ。」
母の言葉に、茉莉の心は温かい光に包まれる。
「そうでしょうか・・・」
「ええ。白虎様は心優しい獣神ですから。きっとそのお言葉に嘘はないはずです。」
白虎からの啓示を信じる母の言葉に、茉莉は勇気を取り戻す。まだ不安は完全に消えていないものの、母を信じて前に進むことを決意した。




