前夜
翌朝、フィエルが目を覚ますとルミナにキスをされていることに気付いた。
「……? えっ、ルミナ……?」
「おはようございます、フィエルさま」
「うん、おはよう……」
何が起こったのか分からないといった感じで脳内に疑問符を浮かべるフィエルに対して、ルミナはどこか浮かれたような表情を見せていた。
「何をしていたの、ルミナ……?」
「……好きな人には、キスするもの、ですよね……?」
「それはまぁ、そう……かもしれないけど」
「……全部言わせるつもりですか? フィエルさま?」
フィエルの中になんとも言えない感情がこみ上げてくる。そうしているうちに昨日のことが鮮明に思い返されてきて、自分が何を口走ったのかをようやく理解してしまった。
「……ルミナ、その昨日のことは」
「私も同じです」
「……えっ?」
「……好きじゃなかったら、こんなことしませんから」
そう言い残すと、ルミナはそそくさと朝食の準備を始めにいってしまった。その表情には少しだけ恥ずかしさが残っているようだった。が、先のキスの衝撃でフィエルはルミナの顔をまともに見ることができていない。フィエルは、ただぽかんと中空を眺めるだけだった。
そうして朝食を食べ終えた後、ついにルミナとフィエルは王都襲撃の計画を立て始めた。机の上には王都の地図が置かれており、ルミナの持つ情報を書き記していくごとにそれはどんどん濃密なものへと変わっていく。
「……全体的に警備が強いわね。転移魔術を利用したほうがいいかしら」
「それはダメ……です。転移魔術を使うとすぐにバレる……から」
「となると堂々と正面からってことになる、けど……」
「……あっ」
悩むフィエルに対して、ルミナは既に襲撃案が思い浮かんでいるようだ。ルミナは嬉々とした声色でその計画を話す。
「まず王都の全方位から魔獣の集団をけしかけましょう。王都の壁は頑丈ですけど、兵士たちは魔獣に気を取られて混乱に陥るはずです。その間に透明化した私が王都に侵入して転移魔術のポータルを開きます」
「侵入って……そんなことできるの? 魔獣を召喚するだけでもかなり魔力を使うわよ?」
「……それはそう、ですけど」
「それならここに魔獣を集結させるべきね。フィルたちなら足止めぐらいはできるでしょう?それに人手がそちらに流れる分、この門からならすぐに入れるかも」
「でも、そうなるとフィエルさまは……」
「これは私たちの復讐。でも、いちばん王都を滅ぼしたいと思っているのはルミナ……貴女でしょう?」
フィエルが悪戯な笑みを浮かべる。ルミナの残虐性が開花して以降、ルミナに押されることの多いフィエルであったが、ここぞというときに最も怖いのはそのような場数を踏み慣れている方だ。フィエルは、何が人々に恐怖を与えるのかということを知り尽くしているからである。
「ルミナ、貴女が殺りたいのは誰?」
「……家族、王族の人間、私を軽蔑した人……王国そのもの……!」
「なら悉く殺し尽くしましょう。そして私たちは生きて凱旋するのよ」
「……はい、フィエルさま」
それから二人は、用意周到な計画を練った。魔獣たちの連携や、どのように人々を殺害するか、その全てのシナリオをルミナとフィエルの二人で練り上げた。二人はそれが正しいことなどとは思ってなどいない。だが、それを間違いだと弾劾する人間をおいそれと生かしておくほど優しくもないのだ。
そうして準備すること二週間。いよいよ決行の日を迎えようという日の夜だった。
「フィエルさま……明日、いよいよですね」
「そうね。私とルミナなら必ずできるわよ」
少しだけ甘えたさそうにしていたルミナの頭をフィエルが優しく撫でる。まるで姉妹かのように安息のひとときを過ごしていたが、ふと思い立ったようにフィエルがルミナを呼び寄せた。
「……ルミナ、これを受け取ってほしいの」
「これは、指輪……ですか?」
「ええ。もしも何かあった時のお守りとして、それに……互いのことを結びつける証としてね」
そう軽々と言ってのけるフィエルだったが、その内心は穏やかでないという感じだった。好きな人に指輪を贈る意味をフィエルはとてもよく知っている。そして、ルミナもまたその意味を重々に理解していた。
「……その、私、プレゼントとか貰うのはじめてで……」
「ごめんなさいっ、やっぱり迷惑だったかしら……?」
「いえ、とっても嬉しいです。でも、やっぱり……」
「やっぱり?」
「……こういうのは、フィエルさまにつけてほしいな、と……」
「ルミナってそういうの大事にするタイプなのね」
フィエルは軽く笑うと、持っていた指輪を手に取る。そしてルミナの左手をそっと掴むと、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。ルミナはぼんやりとフィエルのことを見ていたが、ふと思い立ったかのように呟いた。
「……フィエルさまの目、とっても綺麗です。私の全部を吸い込んでしまいそうなくらい真っ黒で、まるで夜の空みたい……」
「……恥ずかしいわ」
「でも、そういうフィエルさまが私は好きなんです。フィエルさまは……私のこと、好き……ですか?」
フィエルの思考に諮詢などない。ルミナのその質問に対してフィエルは即答する。
「大好きよ。貴女と出会えたこと、とっても感謝しているわ。だから……」
漆黒のリングをルミナの薬指にはめ込む。そして、屈託のない笑顔で言い切った。
「生きましょう。私たち二人で」
「……はい、フィエルさま」
二人の唇は自然と重なり合っていた。
そして決行の日を迎え、王都を臨む平原で二人は目の前の白壁を睨み付けていた。既に周囲は真っ暗になってしまっているというのに、まるで二人を威圧するかのように王都の絶壁が待ち構えている。その高さは並の人間の数十倍に及ぶほどであり、物理耐性、魔術耐性ともにトップクラス。それは生半可な攻撃では崩れ去ることのない、まさに王都を護る者にふさわしい存在だろう。
「……忌々しい」
「落ち着きなさいルミナ。……少なくとも侵入するまでは、ね」
フィエルの言葉に促されるように、殺気立つルミナのオーラが落ち着きを取り戻す。それでも、早く奴らを殺したいという気持ちだけは変わらずに灰色の瞳の向こうで見え隠れしていた。
時間は深夜。守衛の兵士以外は寝静まったであろう時間である。だが、それをつんざくかのように魔獣の咆哮が轟いた。数十匹の群れを成すそれのトップには、フィルが猛々しい身体を翻している。
「行きましょう、ルミナ」
「はい、フィエルさま」
二人の指に光る漆黒のリングから魔力が迸る。瞬間に魔獣たちの目の色が変わり、狂ったかのように王都の絶壁へとその身体を突き動かす。
この日、二人の復讐の夜が、王都にとって絶望の夜が、幕を開けたのだった。