後悔
「あははははっ! 見てくださいフィエルさまっ!」
「……すごいわ」
ルミナが振るった黒い大鎌が一瞬にして木々を薙ぎ払う。ルミナが拾われてから二ヶ月。ルミナの力はフィエルの想像していた以上に成長し、もはやフィエルが教えることなど何もないという領域に達しつつあった。振るった大鎌はルミナの魔術によって生成されたもので、それも当然の如く無詠唱魔術によるもの。最近では魔獣を自らの力で懐柔させた上に、強化魔術を施してファルのような魔獣の軍団を作り上げるほどだ。
「どうですか? これであいつらをぶっ殺せますよね!?」
「そうね……今のルミナなら並の兵士を集めても太刀打ちできないでしょう」
その言葉を聞くと、ルミナは嬉しそうな表情を見せながらフィエルに抱きつく。それを嬉しいとも悲しいとも言えない表情で受け止めるフィエル。復讐というその一心のためだけに人外に等しい力を自らの力で手に入れてしまったルミナには感心せざるを得ない。そろそろ腹を括るべきだとフィエルは観念する。灰色の瞳は輝きを取り戻しているが、その視線はフィエルではないどこかを向いているようだった。
その日の夜、フィエルはルミナに一つの提案を行う。普段から一緒のベッドで眠っているルミナとフィエルであるが、横になって眠りにつこうという間際になってぽつりとフィエルが呟いた。
「……ルミナ、ここから先は貴女の好きにしていいわ」
「……フィエルさま? それは、どういう……」
「もう私には教えることはないってことよ。これから先は貴女が判断すべきだわ」
既に部屋の照明は落とされ、暗がりの中で二人の表情を窺い知ることは難しい。だが、フィエルの震えるような声からは悲壮な決意があるようだった。
「……その。フィエルさまは、どうして王国を憎んでいるのですか? 王国が憎いから、私なんかのために力を貸してくださってたんですよね……?」
「そうね。正直今でも王国のことは憎いし滅んでしまえって思ってるわ。それでも、今はそれ以上に大切なものができてしまったから……。それでも、ルミナは知りたいの……?」
「……」
ルミナは少しだけ口をつぐむ。そして自分への戒めかのようにぽつぽつと言葉を紡ぎはじめた。
「……フィエルさまは、私なんかに優しくしてくれた初めての人でした。王国の奴らはみんな……みんな、私のことを『エメラリアの出来損ない』とか『灰被り』とか……そういう風にしか見てこなかった。私のことを真っ直ぐに見てくれる人なんて誰もいなかった。親も学院の人も、街の人も誰も彼もが私を見てくれなかったんです」
「……ルミナ」
「でもっ、フィエルさまは違いました。フィエルさまは悪魔のはずなのに、私にしてみれば天使さまそのものなんです。だから私も……こんな日が続けばいいなって思う時も……ないって言ったら、ウソになっちゃうのかな……」
フィエルの声が優しいものに変わりかける。だが、その声は途端に熱を失って徐々に冷酷なものへ変貌していく。
「それでも私はあいつらのことが許せない。フィエルさまの優しさを知ったからこそ、尚更です。悪魔ですら、こんなに優しいのに……っ! だから私はあいつらを殺します。殺して、殺して、あいつらのやったことを死の淵まで弾劾してやるんです……っ!」
「……ルミナ、その先はどうするつもりなの? 王国の人々を一人残らず殺戮した先に……貴女は一体何を見ているの?」
「フィエルさまと暮らします。いっそあのクソ王国、私たちの国にでもしちゃいましょうか? 私、フィエルさまのおかげで新しい魔術がいっぱい使えるようになったんですよ! だから心配しないでください。私、フィエルさまのこと大好きですから!」
屈託のない声で恐ろしい計画をつらつらと並べ立てるルミナに、フィエルは根源的な恐怖を覚えた。だが、それ以上にルミナが好きだと言ってくれたことへの嬉しさが勝る。その好きがフィエルの思う好きとは違っていたとしても、自分への偏愛を独占できていることにフィエルは満足感を覚えていた。
「ごめんなさい、自分のこと喋りすぎて」
「構わないわ。それで……あぁ、私が王国を憎む理由の話ね。これは私の出生にも関わる話なのだけれど……私、人間とサキュバスのハーフなのよ」
「……えっ、そうなのですか……? てっきり悪魔だと」
「それでも魔族寄りなのは変わらないわ。尻尾は魔術で見えなくすることはできるけど……私の身体にサキュバスの血が流れていることには変わりない。だから……なんとなく分かるでしょう? 私が王国を憎むわけ」
「……悪魔狩り、ですか?」
ルミナの声が深刻なものになる。それは、かつてポラール王国の上層に近い場所にいたからこそ理解できる王国の暗部とも言えるものだった。
「ええ。私の両親はそれで殺されたわ。母はサキュバスであること、父はそれを匿った罪でね。それでも両親は私だけを逃がそうとしてくれた。急ごしらえの転移魔術で飛ばされたのがここってわけ」
「……だから私の名前、聞いたときに……」
「エメラリア家は悪魔狩りで地位を上げたと言われているものね。まぁ、もうずっと前の話だから今はどうなっているか分からないけど……」
「……何も変わってないです。人間の根幹は、何も変わってない……と思います」
「そうね……そんなことだろうと思った」
罪のない少女を流刑に処す程に今のポラール王国は腐敗していた。その腐敗は、かつてフィエルが家族と慎ましく暮らしていた時代から何も変わってなどいない。それを理解してしまったフィエルは少しだけ悲痛を交えたような声で呟く。
「……それでも私には力がなかった。フィルみたいな魔獣がいても、それだけじゃ絶対に太刀打ちできない。だから貴女は……ルミナは私の最後の希望」
「……フィエルさま?」
「最後の希望、だったのに……なんで、なんで……っ! なんで私、ルミナのことが好きになってしまったのよ……っ!」
それがフィエルが生涯の中で最初で最後の後悔だった。