第5話 過去の交通事故
梨央奈が、万知が結婚しない理由に自分が関係しているのでは、と心配するのも。
好きな色や夢の内容が変わったことを話すことで、万知に心配をかけるのでは、と不安になるのも。
”前の私の好きな色”と言う聞き方をしたのも。
万知が定期検診に行ってるか梨央奈に確認したのも。
共通の理由があった。
全ては、8年前。
梨央奈が29歳の時に起きた交通事故が理由だ。
歩道を歩いていた梨央奈に、トラックが突っ込んできたのだ。
事故の原因は、運転手の居眠り運転だった。
他の通行人は無事で、梨央奈は避けきれずに跳ねられたらしい。
”らしい”というのは、梨央奈は事故当時のことを覚えていないからだ。
気がついた時には手術も終わり、東京都内の病院のベッドの上だった。
ベッドの傍らでは、梨央奈の父と母、兄と妹、親友の万知がいて泣いていた。
梨央奈は、交通事故のことは家族と万知から聞いた。
家族は警察と病院から連絡を受け、事故を知り実家がある他県から駆けつけた。
万知は梨央奈と待ち合わせをしていたため、なかなかこない梨央奈を心配して梨央奈の家へ向かう途中で事故を知った。
事故当時の梨央奈の病状は、頭を強く打ったことによる損傷、全身の打撲と擦り傷や切り傷、さらに、左腕と左足の損傷が特にひどく、手術と普通に動かせるようになるまでにリハビリが必要なほどだった。
また、精神的なショックと頭を強く打ったことにより記憶障害がみられ、主に、事故当時の記憶が欠落していた。他にも、過去の記憶の一部に欠落が見られ、その影響なのか部分的な記憶の齟齬がみられた。
幸いだったのは、言語や社会性などに関わる記憶に影響が無かったこと。
日常生活に必要な記憶は無くしていなかった。
家族のことも、万知のことも、忘れることはなく覚えていた。そのことが家族や万知を少しだけ安堵させた。
事故当時の記憶の欠落は大きいが、辛い記憶が無いことは幸いにも思えた。
過去の記憶の一部欠落、部分的な記憶の齟齬は確かに深刻だが、診断をすめるにつれて大枠の記憶に影響が少ないことがわかっていった。
大枠の記憶とは、自分や家族のこと、幼少期のこと、卒業した幼稚園から大学までの学校のこと、就職した会社、学んだことなどだ。
自分や家族のことも覚えていたし、学校や会社の名前も覚えていた。
大学で学んだデザインのことも覚えていた。
ただ、日常生活にあった細かい出来事の話になると一部欠落しているようだった。
記憶の齟齬も欠落した記憶を埋めるために、補おうと無意識に働いた結果、事実と異なる記憶が形成されているのではないかという診断だった。
健康な人間でも過去の記憶は薄れていく。
日常の細かい出来事ならば、なおさらだろう。
しかも、人間は思い違いや記憶違いもおこす。
梨央奈の状態は、それに近い状態のように思えた。
とは言え、事故のショックと怪我の影響で起きていること、治せるものなら治したい。
まずは、心身の治療とリハビリをし、経過観察をしながら記憶の治療も行っていくことに決まった。
心身の治療とリハビリには、1年ほど時間がかかった。
梨央奈の家族は、他県に住んでいるため何度か転院も検討されたが、治療に必要な環境が揃わなかったため、転院はせずに進められた。
入院を終え、退院することになり、通院へと切り替わる段階で、家族からは実家へ帰ってきなさいと話があったが梨央奈は迷っていた。
病院の先生からの話を聞くかぎり、治療を続けるには今通っている病院の方が良さそうだし、無くした記憶を取り戻すには、記憶を無くす前と近い環境で生活するほうが戻る気がしていたからだ。
記憶が欠落していることは、梨央奈はやはり不安だった。
出来れば記憶を取り戻したいと思っていた。
だが、踏み切れないのは、やはり1人だと不安だったからだ。
そんな梨央奈の背中を押し、梨央奈と家族に安心を与えてくれたのが、親友の万知だった。
「私の住んでるアパートの隣の部屋がちょうど空いたから、引っ越してきたら? 一緒に住むわけじゃないけど、隣の部屋なら私もサポートできるし。私にできることがあるなら協力するよ」
ある日お見舞いに来てくれた万知が言ってくれたのだ。
梨央奈は嬉しくて泣いた。
「やるだけやってみて駄目なら、その時やり方を変えればいい。まずは、チャレンジしてみようよ」
万知はそう言いながら、笑顔で梨央奈の手を優しく握ってくれた。
梨央奈も家族も、最初は万知に申し訳ないと遠慮したが、万知はからからと豪快に笑いながら、大丈夫だと言ってくれた。
最終的には、万知の善意に甘えることになった。
引っ越しを終えた梨央奈は、就職活動を始めた。
実は、勤めていたデザイン会社は退職していたからだ。
家計的には苦しかったが、働いていた時に少なからず貯蓄をしていたのが役に立った。
梨央奈は興味があった、IT業界にチャレンジすることに決めた。
デザインの仕事を通しインターネットやWEBサイト、アプリ開発の重要性を感じていたからだ。
幸運なことに職業訓練で、インターネット、WEBサイト、アプリ開発、プログラム言語、サーバーについても学ぶことができた。
雇用保険の受給期間は、原則として離職日の翌日から1年となっているが、怪我などのために引き続き30日以上働くことができない場合には、ハローワークで所定の手続きをとることで最長で3年間、受給期間を延長することができることになっている。
梨央奈は、デザイン会社の退職から時間は経っていたが、交通事故の怪我で働けない状態だったため適用されたのだ。
職業訓練を終え、無事に今勤めている会社に就職が決まったのは、31歳の時。
交通事故から、2年近くの年月が経っていた。
就職が決まった時に梨央奈は泣いて喜んだ。
すぐに家族に電話をして報告し、喜びを分かち合い、隣に住む万知とは、抱き合って喜び祝杯をあげた。
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