最愛
魔王の剣が振られた瞬間、私は死を悟って、反射的に目を閉じた。
(リリアさん、キティさん……)
真っ先に二人の事が出て来たが、最後に頭の中に過ぎってきたのは、別の人達だった。
(お父さん……お母さん……!)
リリアさんやキティさんとは違う大事な人達。小さいときに亡くなって、もう二度と会えない人達。だから、最後の最後にやっぱり会いたいと願ってしまう。絶対に叶う事はないのに。
そこで私は、ある事に気が付く。いつまでも私の身体を魔王の剣が斬り裂かない事に。
「何だ、貴様は……?」
魔王の言葉が聞こえたと同時に私の身体が浮き上がり、ものすごい速さで移動していく。その際、何かに抱き抱えられている感触がした。
「な、何……?」
目を開けると、私の目の前に見覚えのある服が映った。
「え……」
自分が考えている事が正しいのかどうかを確認するために、恐る恐る顔を上に向ける。そして、私を抱えている人の顔を見た。
「おか……あ……さん……?」
私を抱いていたのは、死んだはずのお母さんだった。お母さんは、私が顔を上げた事に気が付き、微笑み掛けると地面に着地した。そして、ゆっくりと私を地面に降ろす。
全く状況に付いていけず、呆然としている私を見たお母さんは、いきなり私の頬を摘まんでぐりぐりと動かす。
「んぐ……うぐ……い、痛いよ!」
私は、お母さんの手を払いのけてそう訴える。
「あっははははは!! もう、相変わらず可愛いわね!」
お母さんはそう言って、私を力強く抱きしめた。
「大きくなったわね。見違えたわ。この可愛さと綺麗さは、私似ね。まぁ、胸まで私に似たのは、申し訳ないけど、これはこれで可愛いから良し!」
私を抱きしめて頭を撫でているお母さんは、やっぱり私が知っているお母さんと全く同じだった。
「どうして……」
「さぁ? ここがアイリスの夢の中だからじゃない? アイリスの願いが具現化したみたいな感じだと思うけど、私もよく分からないわ」
魔王の剣が迫ってきた時、私はお母さん達に会いたいと願った。私の夢の中だから、その願いが実際に現れたのかもしれないらしい。全く思うようにならなかった夢の中だけど、唯一これだけは叶ったみたい。
そこで、私は今置かれている状況を思い出す。
「そうだ! こんなのんびりしている場合じゃないんだよ! 魔王が!」
「大丈夫よ。今、お父さんが戦っているから」
「えっ!? じゃあ、加勢しないと!」
私はそう言って、魔王がいるであろう方向を見る。そこには、魔王の攻撃を盾で受け流し、手玉に取っているお父さんの姿があった。
「え……嘘……」
「本当よ。見た目と働きは地味だけど、防御に関してはお父さんの右に出る人はいないわ」
お母さんの言う通りだった。私を倒す前にお父さんを倒さないといけないと判断した魔王は、積極的に攻撃をしているのだけど、その悉くが受け流されている。
私が呆然と戦闘を見ていると、お母さんの視線が私の左手に注がれた。そこには、私の結婚指輪が付けられている。
「もう結婚したの? 私も結構早く結婚したつもりだけど、それよりも早いわね。えっ、ちゃんとした人と結婚したの? 不良に無理矢理結婚させられたとかじゃないわよね」
お母さんは、段々心配そうな表情になっていき、私に詰め寄ってきた。
「だ、大丈夫だよ! リリアさんもキティさんも良い人だから!」
「二人と結婚しているの!? しかも、名前から察すに、どちらも女性ね!?」
「そ、そうだけど……ちゃんと愛し合っているんだから、良いでしょ!」
「う~ん……まぁ、そうなんだけどねぇ……私達も会っておきたいけど、もう死んでいるから、それも無理なのよね……ああ! もう! もやもやする~!!」
お母さんは頭を掻き毟って叫んでいた。親として娘の結婚相手がどんな人間なのかが心配になってしまうのだと思う。
そんな風に話している私達に遠くからお父さんが声を掛けてくる。
「ちょっと! こっちも厳しくなってきているから、そろそろ手伝って欲しいんだけど!?」
「今、最愛の娘との再会で忙しいから、もう少し頑張って!」
「僕の娘でもあるんだけど!?」
お父さんはそう嘆きつつも、魔王の攻撃を危なげなく捌いている。
「全く……」
お母さんはそう呟くと、私の頭を優しく撫でる。
「取りあえず、アイリスが幸せなら、私も結婚を祝うわ。ただ、少しでも不幸だと感じるようだったら、離婚しなさい。良いわね?」
「う、うん。多分、そんな事ないと思うけど……」
私がそう言うと、お母さんはどこか嬉しそうに笑う。そして、さっきよりも力強く私を抱きしめる。
「愛しているわ。もう直接会うことも触れる事も成長を見守る事も出来ないけど。それでも、アイリスの事を永遠に愛してる。あなたは、私達の自慢の娘よ」
お母さんの言葉が、私の心にストンと入り込む。それは、まるでぽっかりと空いた穴を綺麗に埋めるかのようだった。
自然と私の両目から涙が零れる。
「あらあら、泣き虫は治ってないのね」
お母さんはそう言いながら、私の手に握られている雪白を取る。
「ちょっと借りるわね」
「あ、うん。どちらかと言うと、私の方が借りている感じだけど」
私がそう言うと、お母さんはきょとんとして、雪白の柄を強く握って何かを確かめ始めた。
「そんな事ないわよ? この子は、もうアイリスを主人と認めているわ。アイリスが、ちゃんと自分のものだって意識したら、この子も応えてくれるわよ」
「?」
言っている事がよく分からず、首を傾げる。そんな私の額に軽くキスをすると、お母さんは私から離れた。
「ここは、私とお父さんに任せなさい」
「でも、私は、どうやったら起きられるのか分からないよ?」
そう言うと、お母さんがお父さんと魔王が戦っている方を指さす。二人が戦っている向こうに、白い光が差していた。
「あそこが出口よ。あそこを抜けたら起きる事が出来るはずだわ」
「いつの間に……」
どのタイミングで差し込んできたのかわからないので、何が要因で起きられるようになったのかも分からない。そもそも本当に起きる事が出来るのかも分からないけど、お母さんが言うのなら、その通りのはず。
「私とお父さんがあれを倒すから、脇を抜けて行くのよ」
「分かった」
私の返事を聞いたお母さんは、私に向かって微笑むと一瞬でお父さんの背後に移動する。速すぎて私の眼には残像すら移らなかったけど、お母さんの靴辺りが輝いているのが見えた。
「あれも【剣姫】の力の一つなのかな……?」
お母さんのスキルを完全に把握している訳では無いので、あれが私も出来る事なのかは分からない。
お母さんは、そのままお父さんの背後から跳び上がって魔王を上から襲う。
「人の娘に何してくれてるのよ!!」
お母さんの声は、離れている私のところまで、一言一句はっきりと聞こえてきた。マジギレのお母さんだ。
「『グロウ』!」
「くっ……『ナイトメア・エンチャント』!」
黒い光を纏った漆黒の剣で防御しようとした魔王だったけど、お母さんの方が力が上だったようで、漆黒の剣が弾かれて隙を露わにする。それを見逃すことなく、お母さんが踏み込んで雪白を振う。魔王は、ギリギリのところで上体を反らし、攻撃を避ける。
お母さんは流れで身体を動かし、魔王の腹に蹴りを打ち込む。魔王は、そのまま吹き飛ばされていった。出口である光とは、全く違う方向に。
「アイリス! 今だよ!」
お父さんが私に向かってそう言う。その声で我に返った私は、光に向かって駆け出す。その途中でお父さんの脇を通ると、お父さんが軽く頭を撫でてくれた。それだけで、お母さんと同じくらいの愛を感じた。
流れ出る涙を無視して、一心不乱に走り続ける。
「行かせるか!!」
魔王が私に向かってきているのを、背中で感じる。でも、私の後ろはお父さんが守っている。魔王の進路を阻み、私に近づけさせない。
さっきまでだったら、それだけだったけど、今はお母さんもいる。恐らく私の後ろでは、お母さんが魔王に斬り掛かっているだろう。二人が完全に抑えている間に、さっさと逃げる。出口である光に近づいて来た。これで現実に戻る事が出来る。
早く目を覚まさないといけないのに、私の足取りは、光に近づく程に重くなっていた。
この夢の中にはお母さんとお父さんがいる。もう二度と会うことは叶わないと思っていた。多分、この出口から出ていったら、本当に二度と会うことはないだろう。それは、私にとって大きな未練となっているのだ。
私は、光の目の前で立ち止まった。そして、お母さん達と一緒に光を潜れば、もしかしたら一緒に戻れるかもしれない。そんな馬鹿みたいな考えと共に後ろを振り返った。お母さん達に『一緒に帰ろう』と言うために口を開こうとすると、戦闘中のお母さん達が魔王を大きく吹き飛ばして、私の方に身体を向けた。私の考えが通じたのかもと思い、思わず口角が上がる。でも、そんな私の考えは、あっさりと裏切られた。お母さんとお父さんは、私に向かって笑いながら手を振った。一緒には行けない。暗にそう言われているのだ。
「…………」
私は、歯を食いしばる。さっき以上にボロボロと涙が零れていった。お母さん達にその気が無い以上、私からは何も言う事は出来ない。
大声で泣き叫びたいという感情を押し殺して、笑って手を振る。それでも涙も悲しみも抑えきれないから、多分凄く歪な笑顔になっていたと思う。そんな私を見て、お母さんとお父さんが、苦笑いしていた。そして、二人の口が同時に、そして同じように動いた。
『頑張れ』
二人の言葉は、短くそれだけだった。その後は、また向かってきた魔王を倒すために、私に背を向けてしまった。いつまでも向き合っていたら、私の未練をより大きくさせてしまうからかもしれない。私は、顔を伏せて涙を拭い、もう一度二人の姿を目に焼き付ける。
そして、光の中へと脚を踏み入れた。
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「うっ……」
ゆっくりと瞼を開けると、日の光が目に差し込んできた。今まで真っ暗な空間に居たから、殊更明るく感じる。軽く手を握ると、硬い感触がした。
「雪白? 私、寝ながら握っていたって事? だから、夢にも出て来たのかな」
上体を起こして、雪白を持ち上げる。
「ありがとう。それと、これからよろしくね」
私が雪白にそう語りかけると、雪白が光輝いて縮小していき、ベッドの横にある棚の上に置かれた天燐と弓のブレスレットに吸い込まれていった。その結果、ブレスレットに剣のアクセサリーが追加された。つまり、雪白が宝級武器になったという事だ。お母さんが言っていた応えてくれるというのは、こういうことなのかもしれない。
私は、雪白達のブレスレットを手に付ける。そして、その横に置かれていた宝箱から手に入れた指輪を右手に付けた。
「今は、どういう状況なんだろう? てか、何で病室に私の私物が大量に置かれているんだろう?」
雪白や天燐だけじゃなくて、絵を描くために買った筆や絵の具、溜めていた小物など、凄く取っ散らかっている。私が少し混乱しながら、ベッドから降りるために脚を床に降ろすと、背後から何かが割れる音がした。
突然の音にビクッとして背後を振り返ると、目を見開いているリリアさんの姿があった。その足元に花瓶の破片と花が落ちているので、音の正体はそれだろう。
「えっと……おはようございます?」
取りあえず起きた時の挨拶は必要だろうと思いそう言うと、リリアさんは涙を流しながら、私の元に歩いてくる。そして、一発重い拳を脳天に叩きつけられた。
「痛い!」
リリアさんから食らった事の無いような一撃で、思わず頭を押えて蹲る。
「取りあえず、私とキティを心配させた罰ね」
「うぅ……はい……」
確かに、心配を掛けたのは本当の事なので、この罰は受け入れる。
次にリリアさんは、私の事を力一杯抱きしめた。
「本当に心配したんだから……」
「ごめんなさい」
リリアさんの背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめる。そのまま三十秒程すると、リリアさんの方から身体を離した。リリアさんの表情は、さっきまでと打って変わり暗い感じになっていた。
「実はね。今、ちょっと危ない状況なんだ」
「危ない状況?」
「うん。スルーニアに向けて、魔族が侵攻してきたんだ。キティ達が迎撃に向かっているんだけど、その中にドラゴンもいるって」
思っていたよりも状況は悪いみたい。
「ただ、アイリスちゃんが寝ている間に、勇者が現れてね。アルビオ殿下やガルシアさん達と一緒にその人達も戦いに向かったから、多分大丈夫だと思うんだけど……」
「なるほど……もしかして、その戦いにキティさんも?」
私がそう訊くと、リリアさんがこくりと頷いた。そうなのであれば、こんなところで座っている場合じゃ無い。
「一旦、家に戻らないと」
今の格好でも、動けないことは無いけど、戦闘するには心許なさ過ぎる。防具だけは取りに行かないといけない。そう考えていると、リリアさんが近くの鞄を漁り始めた。
「もしかして、防具を取りに行こうって思ってる? 家に戻らなくても、ここに置いてあるよ」
リリアさんはそう言って、鞄の中から防具を取りだして、私に渡してくれた。
「ありがとうございます……」
てっきり戦場に行くことを反対されると思っていた私は、少し驚きながらお礼を言う。
「今更反対はしないよ。キティが戦場にいるって聞いたら、絶対に自分も行くって聞かないと思っていたからね」
私の思考は、リリアさんに筒抜けだった。何度も同じようなやり取りをしたから、その分読みやすくなっているのかも。
「その代わり、絶対に二人揃って帰ってきてよ?」
「はい。約束です」
何度目かの約束を交わすと、私は、防具を装備していった。その間、リリアさんは、私が寝ていたベッドの上で何か探していた。
「あれ? ベッドの上に雪白を置いておいたんだけど……」
リリアさんが探していたのは、雪白だった。私の準備を手伝うために探していたみたい。
「雪白は、ここにありますよ」
私は、ブレスレットを指してそう言う。
「えっ!? 雪白って宝級武器だったっけ!?」
「いえ、違いましたよ。でも、お母さんが私にくれたものだって意識したら、こうなりました。もしかしたら、お母さんが持っていた時は、宝級武器だったのかもしれないです」
「へ、へぇ~……」
あまりこの分野に詳しくないリリアさんは、ぽかんとしていた。正直、私も宝級武器になった理由はちゃんと理解していない。でも、お母さんの言葉があったから、すんなりと受け入れることが出来た。
「それじゃあ、行ってきます」
「うん。いってらっしゃい」
リリアさんを一度ぎゅっと抱きしめた後に、病室を出て行く。かなりの緊急事態だから、病院内で走るのを許して欲しい。人にぶつからないように走っていると、アンジュさんとすれ違った。
「アイリスちゃん!?」
アンジュさんは、突然起きて走り出している私を見て、かなり驚いていた。色々と話しておきたいところだけど、そんな時間はない。
「ごめんなさい!」
説明出来ないことと病院内で走っている事を謝り、先を目指す。防具を装備している間に、戦場となっている場所は聞かされているので、迷わずに移動出来る。その途中でギルドの前を通ると、ちょうどカルメアさんが扉から出て来た。
「アイリス!?」
アンジュさんと同様に私を見たカルメアさんは驚いていた。でも、すぐに我に返って街の東側を指さした。
「この先に馬がいるわ! 乗って行きなさい!」
「え!? あ、はい!」
カルメアさんは、全力で走っている私を見て、目的を察してくれたらしい。だから、すぐに移動手段を教えてくれたんだ。
(馬……馬かぁ……乗馬の授業は受けたけど、得意ってわけじゃないんだよね……頑張ろう……)
全力で駆けていくと、門が見え始める。その傍に沢山の馬が留めているのが見えた。
「すみません! 馬を一頭お借りしたいんですけど!」
「え……アイリス!?」
「サリア!?」
城門にサリアがいた。多分、実力不足でここの防衛になったんだと思う。確かに、私が思っているような状況だったら、サリアは足手まといになってしまう。ガルシアさんの半断は正しい。
「戦場に行くって事!?」
「そう!」
私がそう返事をした瞬間、サリアの行動は速かった。鞍の準備などが整っている馬の手綱を取って、道の中央に誘導した。
「おい! 何をしている!?」
事情を理解していない冒険者の一人がサリアに詰め寄る。その時には、もう私は馬に乗っていた。
「ありがとう! サリア!」
「死なないでよ!」
「分かってる!」
サリアから手綱を受け取って、馬を走らせる。その時になって、私の顔を見た冒険者が固まった。沢山の人の前で倒れただろうから、色々と伝わっているのかもしれない。後ろから聞こえる声は、『生きていたのか』とか『一人で行かせて良いのか』とかだった。
多分、サリアがどうにかするだろう。そう信じて、私は馬を走らせた。
「このまま移動しても間に合うか分からない……加速出来るような何か……」
馬でもかなり移動速度が上がっているけど、もっと速く移動しないといけない気がする。
「使えるかな……?」
私はブレスレットから白い弓を具現化する。
「そういえば、名前を決めてなかった。えっと……星雲にしよう。魔力弓は初めて使うけど、キティさんの使い方を見ていたし、【弓姫】のスキルも一応あるからいけるはず!」
スキル【弓姫】。弓による攻撃の精度、威力を大幅に上昇させる。弓系最上位スキルの一つ。
私は、馬の上で両手を離し、星雲を構える。
「風の抵抗を抑える!」
星雲を引き絞ると同時に、星雲に刻まれた風の魔力を引き出す。それを魔力矢に変換し、まっすぐ前に向かって放つ。放たれた矢は、正面から吹き付けてくる風を割る。風の抵抗がなくなった事で、馬の走る速度が上がる。
「気休めにしかならないと思ったけど、これはこれで正解の行動だったかも。これを繰り返して、移動しようっ……っと……!」
手綱から両手を離して、脚だけでバランスを取っていたため、馬の上から落ちそうになった。慌てて手綱を掴んで、無理矢理体勢を整えられたからギリギリで落ちずに済んだ。
「あっぶな……もう少し気を付けていこう」
私は、戦闘が起こっているであろう場所を睨んで馬を走らせていく。
「キティさん……無事でいて……」




