アメアガリ
ぴょん。とたたたた。ぴょん。
雨上がりの道を楽しそうに走る背の小さな友人の後ろ姿を、僕はのんびりと歩きながら眺めていた。
「危ないから、交差点なんかは飛び出しちゃ駄目だよ」
さっきよりもちょっとだけ遠くに行った彼女に向かって僕が言うと、彼女が「はーい!」と返した。今の感じだと、彼女はこっちの気なんて知ったこっちゃないのだろう。
どんどんと離れていく彼女は、いつもよりも随分と元気そうだ。
どうして雨上がりなのにあれだけ元気に走り回れるのかな。
チラと空を見上げれば、まだ灰色の雲が多くかかっている。
視線を彼女に戻すと、もうさっきよりもずっと遠くに居る。
何がそんなに楽しいのか、僕にはさっぱり分からないけれど、彼女が楽しいのならそれで良い。
彼女はいつも雨上がりに走り回る。楽しそうに、元気よく。そうして、疲れるとしゃがみこんで僕の方を向くんだ。
今日だってほら、彼女はしゃがみこんでこっちを見ている。そうして彼女はいつものように言う。
「ねえ!疲れた!おんぶして!」
彼女はいつも走り回って疲れると、僕の事を乗り物にしようとする。
「そんなに疲れるなら、走り回らなければいいじゃないか」
ほんの少しだけ歩みを早めて、彼女との差を縮める。
彼女は、プクリと頬を膨らませた。
「嫌よ。だって楽しいんだもの」
小さな子供みたいな事を平然と言う。
「僕は楽しくないよ。」
「嘘は言っちゃ駄目よ。笑ってるじゃない」
楽しい、楽しくない。嘘は駄目。いつもと変わらないやり取り。
悪くない。彼女とのこのやり取りは、僕も楽しい。
「そうだね、笑ってるよ」
「そうよ、笑ってるの」
小さな彼女を背に乗せて、のんびりと歩き始める。
「さあ、危なくないように行くのよ。私を家に連れて行くの」
「はいはい。分かりましたよ、お嬢様」
幼馴染みの君と僕は、きっと変わらない。
◇◇◇
ぴょん。とたたたた。ぴょん。
あの頃よりも少しだけ背の伸びた彼女が、今日も雨上がりの道を駆けていく。
「危ないから気をつけるんだよ。」
何度も何度も言っているからなのか、彼女は声も出さずに手をひらひらとさせるだけだ。きっと、雨上がりを楽しみたいのだろう。
僕を置いてどんどんと先に進んで彼女は、長く伸びた黒い髪を揺らして水溜まりをまた一つ飛び越した。
空はいつもよりももっと多くの雲が掛かっている。もう一雨来そうだ。
遠くまで行った彼女が、ゆっくりと立ち止まって、こちらを見ている。
「ねえ、遅いよ。もっと早く行こ。」
少しだけ変わった僕らの関係。彼女はもう、僕を乗り物にしようとしない。
足早に彼女の元に近寄って、ゆっくりと二人で歩き出す。
「疲れてないかい?」
「大丈夫。昔みたいな事はしないよ。」
「そっか。」
それが悲しくて、でも、ちょっとだけ嬉しい。
「だって、”彼氏君”に申し訳なくなるもの。」
「そうだね。僕も、君を負ぶったなんて”親友”に申し訳なくなるよ。」
差の縮まらなかった背の高さ分、彼女の事を見下ろしながら、のんびりと歩く。
「さあ、早く帰りましょ。また雨が降りそうだもの。」
彼女はあの頃から変わった。けれど、僕は今も変われない。
彼女の小さな背が、僕よりも大きなものに見えた。
「幸せになってね。」
「当たり前よ。”彼氏君”が幸せにしてくれるもの。」
変わってしまった二人の関係。僕らはきっと、もう元の関係には戻れない。
◇◇◇
雨が降っていた。ザアザアと音を立てながら、世界を濡らしていく。
二人で歩いたいつもの道を、真っ黒な服を着た僕が歩く。傘も差さずに、ゆっくりと歩く。濡れた服は、酷く重たい。
ふと、足を止めて空を見上げた。黒い雲が空を隠していた。
「君は、幸せになってくれるんじゃなかったのかい。」
雨の中、呟いた。
僕の親友と幼馴染みは、死んでしまった。生まれたばかりの子供を残して。
「幸せは、どこに合ったんだい?君たちの娘は、幸せになれるのかい?」
誰にも届かない言葉を、空に向かって言い放つ。
涙が止まらない。どうしても、どうやっても、君たちがいなくなった事実を、受け止めきれない。
吐きそうだ。でも、吐き出せないんだ。吐き出すモノも、君たちがいなくなった日から受け付けないんだ。
前に進めなくなった僕を見て、君たちは笑うだろうか?
過去にすがりつくばかりの僕を、君たちは叱ってくれるだろうか?
君たちがいない未来に、僕は……。
◇◇◇
ぴょん。とたたたた。ぴょん。バシャッ。
彼女によく似た少女が水溜まりを飛び越え損ねた。水が撥ねて空に舞う。
「あーあ……飛び越えられないかもしれないからダメだよって言ったのに。」
彼女によく似た容姿で、僕の親友の性格にそっくりな少女が少しだけ泣きそうな顔でこっちを見ている。
少しだけ早足で少女の元に寄って、少女の目線に合わせてしゃがみ込む。
「雨上がりが楽しいのは分かるけど、あんまりはしゃいじゃダメだって言ったよね?」
僕の言葉に少女は「うん」と頷いた。話を聞いてくれなかった彼女と違って、少女は僕の話をきちんと聞いてくれる。そう言うところが、親友にそっくりなんだ。
彼女たちが亡くなってからもう六年。彼女たちの娘は、大きく育った。
彼女によく似た黒い髪。親友によく似た大きくてまん丸な瞳。どこからどう見ても、君たち二人の子供だ。
「君は本当にお母さんにそっくりだ。雨上がりにはしゃいだり、でも、ちょっとした事でしゅんとするところはお父さんにそっくりだけどね。」
ちょっとだけ泣きそうな少女の頭を撫でて、抱き上げる。少女は驚いたように目を見開いて、僕の顔を見ている。その顔がおかしくて、僕は笑ってしまった。
「どうしてわらうの?」
少女は少しだけ頬を膨らませながら言った。
「ああ、いや。なんでもないんだ。ただちょっと、君のお母さんの事を思いだしてね。」
少女を落とさない様にしっかりと抱きかかえて、ゆっくりと歩く。
「そうだ。家に帰り着くまで、君のお母さんとお父さんの話でもしようか。」
「ほんと!?わたし、おとうさんたちのこと、もっとしりたいの!」
嬉しそうに手を空に向かって突き上げた少女が落ちそうになって、僕と少女は二人揃って慌てた。おっちょこちょいな所なんかは、やっぱり彼女そっくりだ。
「それじゃあ、君のお母さんが君と同じくらいの歳だった頃の話でもしようか」
雨上がりの青空の下に、僕の声と少女の楽しそうな笑い声が響いた。
僕は、君たちの忘れ形見のおかげで前に進めたよ。どうしようもなくなった僕を救ってくれたのは、結局、君たちだった。
君たち二人の声は、もう思い出せない。過去を忘れた訳じゃない。ただ、少しだけ今を生きる覚悟が出来ただけ。それだけの事だ。
過去にしがみつくだけだった僕は、明日を求められなかった僕は、もう何処にもいない。
これからの僕は、きっといつかの僕と同じように変わらない。
雨上がりとは思えない程の青空の下。僕は一つ、水溜まりを飛び越えた。
ありがとうございました。
大体二年前に書いた作品を書き直してみました。