7話 第一王子
歓迎の宴は神殿で行われた。
「ちょっと!そっち吹きこぼれてるよ!」
「エナ!皿が足りないよ!ちゃんと数えたのかい??!」
村共同の竈場では、女達が皇子一行の食事を用意するため声をはりあげている。王子達は王子、王子付きペーガソス、侍女六人、近衛兵十二人、護衛十二人の総勢三十二人でやってきた。この人数は王族の来訪で考えるとかなり少ない人数らしい。
「シュリ、ちょっとカイ呼んできてくれないかい」
花籠を運んできたところで、ジェットの母親に声をかけられた。
「すみません、カイの奴レタに頼まれて、昨日からメリリャ村に薬の買い出しに行ってるんですよ」
「なんだいこんな忙しい日にわざわざかい?!」
「ハハ…俺でよければ何でも言ってください」
「じゃあウォーターファング血抜きしたやつできてると思うからとってきて!」
「はい…。」
メリリャ村はアルルカン砂漠の向こう太陽の帝国の村である。境界の村ということで変わった品をよくそろえており時々買い出しにでかけている。
(血抜きしても重いんだよな…)
こめかみに血管を浮かせて料理する女達のすきまで仕事を探すのは神経を使う。ちらりとエダマメが何をしているのか見ると、竈の火吹きをしていた。もうそれは無心で。
(警備のほうが楽だわ…)
俺は調理場を抜け出せたことに少しほっとした。神殿の裏口では出し物をする村人たちが順番待ちをしていて落ち着かない。パイク達は王子たち一行を見て興奮した様子だ。
「見たが?王子様とお付きの女!」
「ああ、めちゃくちゃ綺麗だったな」
「そうか?病気みたいに白かったぞ?」
「馬鹿、高貴な人は俺らみたいに外で働かないんだよ!お城にいるんだから」
「すげえな~戦士もみんなすげえ装備つけてたな!」
「おう!手のとこの魔石みたか?サラマンダーの卵くらいあったよな!」
(誰が働いてるって?)
毎度のことだがパイク達は見てるだけでお気楽なものだ。俺は小さくため息をついた。神殿からはこの地特有の音楽が流れている。今頃サラは王子の隣でお酌をしていることだろう。サラは今日、特別にあしらえた水色の機織布に銀糸の刺繍を施した衣装を着ていた。
竜王族の色である水色の生地を用意したのは無論敬意を表すためであり、村一番の縫師による刺繍はこの領地が誇る交易品だ。こんな忙しい日に仰々しい衣装でお酌をするなんて本気で嫌だとサラは言っていたが、新しい衣装には目を輝かせていた。
「みそめられたりして」
炊事場の女達がキャーキャー言っていたのを思い出す。荒地の民の伝統衣装に身をつつんだサラはまさにお姫様という感じだった。
「アヒム様いかがされましたか?」
まだ幼さの残る竜王国第一王子アヒム・バルトル・ランスロットは、豪奢な布地が張られた椅子で足をくみ、用意された出し物を微動だにせず眺めていた。
「アンジェは椅子に座らないのか?」
豊満な肉体に肉厚の唇、すこし腫れぼったい二重瞼が美しいアンジェと呼ばれた女の侍従は王子を安心させるいつもの笑顔をもって答えた。
「ええ、この座り方がこの地の伝統ですので」
「伝統…私も床に座った方がいいのか?」
王子の質問に隣で水瓶を持つサラの手がこわばる。
「アヒム様は至高のお方、下賤の者にあわせるなどという発想はお捨てください」
アンジェの横に座っていた、黄緑色の長髪を一括りにした軍人が返事をした。
「そうか。そうだな!あ~君、…なんて名前だっけ」
「サラ・クリストフと申します」
「椅子に座りたくない?」
サラはちらりとアンジェと軍人の男に視線を送る。アンジェは首をふるかわりに視線を左右におくった。断れの意味だろう。
「私はこの座り方に慣れておりますので…ありがとうございます。」
「そうか…私のアンジェ、こっちへ来て!この椅子は肘が落ち着かない。」
王子にそうよばれると、アンジェはすっと立ち上がり、ゆらめくように光を放つ。女の型をしていたそれは、蜃気楼のように形をくずすと、光の粒になり、流体となり、銀色の翼をはやした白金の雌馬、否、ペーガソスに変化した。サラは産まれて初めてみるペーガソスという存在に息をのむ。
ペーガソスは優雅な動きで王子の右隣へとゆく。王子は座ったままペーガソスにもたれ右肘をその背につくと鬣に顔をうずめる。
「ペーガソスを見るのははじめてか?」
「はい…王子様」
サラはこくりと頷く。
「美しいだろう!私のアンジェは」
「はい…ほんとうに」
ヴィ・アンジェだけではない、第一王子アヒム自身も隣にいるのが恥ずかしいほど美しかった。普段砂埃にまみれているサラにとって、しっとりとした繊細な青白い肌も、絹のような細いアッシュブロンドの巻き毛も、白魚のような指にのった貝殻のような爪も、まさに絵の中の登場人物の様に見えた。十歳ということは、シュリの一つ下のはずであるが、芋と宝石ほどの差がある。
王子付きの侍女や護衛兵、近衛兵が辺境地に到着した時、王子とペーガソスの姿はそこになかった。
「王子殿下はペーガソスと共に転移してこられるだろう」
サラはそう聞いていたので、動揺することなく伯爵たちと共に先頭にいた軍人の男の前で少し空間をあけてかしずいた。すると、少しの間をあけて
「アヒム様、到着いたしましたよ。」
「ここか!モンテ・クリストフ伯爵とその家族だな??面をあげよ!」
仰ぎ見ると、つきささる視線を感じた。
「これはこれは、いと高き存在であらせられる殿下をお迎えすることができ、我ら一同恐悦至極にございます。これは娘のサラと申します。サラ、こちらに来てご挨拶を」
サラは立ち上がり、手を前で組み王族に対する礼をとる。
「モンテ・クリストフ伯爵の一人娘、サラ・クリストフと申します。この度は殿下のお酌を務めさせていただきます。」
挨拶をし、ちらりと王子を見る。王子は眉間をよせサラを凝視していたが、すぐに笑顔になられた。
「そ、今日はよろしくね!」
(あの時、何か思われていたようだけど…)
自分の礼儀作法に何か間違いがあったのでは…サラは気が気ではなかった。
パチパチパチ…
王子はアンジェの背に肘をのせたままゆったりと拍手をおくる。出し物は娘たちの踊りから戦士達の踊りへと項目を移していた。王子は村人たちの出し物を見て、最初に一言興味深いと述べてから特に何の感想も言わなかった。
その様子は気だるげで、サラはちらりと王子専用の食卓に並べられた色とりどりの料理を見る。次から次へと運ばれてきていたそれらは一口か二口食べたられたのち、忘れられたようにそこにある。
《娘、アヒム殿下に珈琲を》
「―――はいっ」
突然頭の中で声が聞こえ、サラは声を裏返しそうになる。ちらりとアンジェの方を見ると、ペーガソスは長い睫毛の隙間からその琥珀色の瞳でこちらを静止していた。サラは後方に控えている者に目をやり飾りのついた小鍋にお湯を沸かしてもらう。
煮えた湯のはいった小鍋を受け取ると慎重に珈琲をそそいでいく。王子のために太陽の帝国からとりよせた華美な茶器を両手でかかげ、王子の隣のクッションに腰かけている毒見役の侍女に渡す。侍女はカップに口をつけ、頷くと王子にささげる。王子は珈琲の入った茶器を少し眺め、一口飲んだ。
「おお!これは旨いな。」
はじめてのおいしいという言葉にサラはほっとする。
「そこの」
「はい、何でございましょうか」
「君達は暑いの?」
「へ…?」
「なんでみんな裸なの?」
舞台では、上半身をむき出しにした戦士達が剣舞を踊っている。その足は鈴をつけているが靴ははいていない。踵に鉤爪がある鷹人は基本サンダルだ。今日は歓迎の宴ということもあり、皆特別な飾り紐や装飾品を身に着けている。けして裸ではない。
「それは…」
サラは返答に窮した。
「それは、彼らが戦の時にすぐ姿をかえ御身をお守りするためですよ」
返答に困っていたサラのかわりに、軍人の男が答える。
「?アンジェも変身するけど服は着てるけど?」
王子は不思議そうに伯爵に尋ねる。サラの隣に座っていた伯爵は身を低くして答えた。
「触れているものの理をかえ姿を移ろわすことができるのはペーガソスのみでございます。」
王子は驚きながらペーガソスの方をみる。
《誠でございますよ。服ごと姿をかえられるのは私たちのみでございます》
王子は息をのみ、サラ達を見た。
「魔族は…服もきれないのか。」
サラの心になにかざらりと嫌な感覚がわいた。
「へえ…すごい」
王子はすっと手をあげる。すると踊っていた戦士達と楽団はぴたりと動きをとめ、膝をつく。
「我はおまえたちの真の姿がみてみたい。私の母はホウルを祭る太陽の帝国から来た異国の姫、他の竜王国の貴族達のようにせまい心はもってないぞ、お前たちの本当の姿を見せてくれ!」
(本当の姿?)
サラ達は両翼を腕に変えることができる。ご飯を食べる時や刺繍をする時は腕をつかうが、空を飛んで移動したい時や舞う時、風魔法を使う時は翼をつかう。二つの姿は自然に変化させるものであり、どちらが本来の姿かなど考えたこともない。
「なんと慈悲ぶかきお言葉でしょう」
「ほんとうに、殿下は皇后さまに似てお心が優しくていらっしゃる」
侍女や護衛達は口々に王子の言葉をほめそやす。舞台上の戦士たちは目をあわせ、鷹人のものは腕を翼に、馬賊の者達は下肢を馬にかえて踊りを舞い始めた。腕を翼に変えた戦士達は剣舞をすることはできないので、剣を腰におさめ空中を舞う踊りにきりかえる。楽団もそれに続いた。
「ははっ、そういうこと!」
王子はぎこちなく踊りをかえる戦士達をみると、愉快そうに笑い、身をのりだして舞台を見始めたた。伯爵とダンは微妙な表情だったが一旦は楽しそうな王子をみて嘆息した。
「娘!」
「はいっ」
「お前はどうする?」
「…私はこの姿でおります。お茶をおつぎする役目がございますので…」
なんというのが正解かわからなかったが、この王子の前で変態するのはなぜか抵抗があった。
「ふーん、そっか。」
すると王子はアンジェと目をあわせる。しばらくすると、アンジェに指示されたのだろう侍女が何か包みをもってやってきた。包みをサラの前におく。
《アヒム殿下からの贈り物です》
「なんと、もったいなきことを。ありがたき幸せでございます」
突然用意された贈り物に、伯爵とサラは恐縮する。
「よいぞ!開けてみよ!」
「はい…」
包みの中は竜王国貴族が着る長袖のドレスとハイヒールだった。
「今一番流行ってるやつだ。人として頑張るなら、布ではなくて服を着たほうがいいよ」
天使のような王子の笑顔に側近たちが感嘆のため息をつく。
「――光栄でございます、殿下…。」
荒地の民の民族衣装は一枚の布をワンショルダーで巻きつける形式をしている。サラはかしずいた指先が震えるのを隠すためぎゅっと手を握りこんだ。
普段おバカな悪役が好きすぎて、この王子をむかつく奴にかけてるのかがよくわかりません…。
※太陽の帝国の神様の名前修正しました。
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