13話 十一歳、最初の涸れの日(一)
カーンカーンカーン
鼻を焼くような血の匂いと同時にひどい頭痛で目をさました。空気が薄い。
「うっ 何だ?」
ヒューッヒューッ ヒヒーン
ごほっ げほっ
ヒヒーンッ ヒューッ
暗くてよく見えないがレタがせき込んでいる。見れば、馬たちも体をふるわせ、弱弱しい。
「母さん?!!馬たちがっ」
馬にさわると、手がぬるっとした。血だ。
「だっ大丈夫よ…」
レタは冷静に口と鼻を防ぎ、自分でヒールをする。しかし
ごほっ
治しても同じだ。空気中に何かが混ざっているのか、すぐにまた悪化してしまう。馬小屋の壁は穴や隙間だらけだ。
「壁のあるところにいかないと…」
レタの肩を抱き、領館の方へと向かう。
「げほっ 寝るなっ しっかりしろ 」
「苦しっ ごほっ」
「だっ だれか げほっげほっ」
馬小屋を出ると、暗闇の中村人の声が聞こえてきた。叫び声だ、みんな混乱し、道端で倒れている者もいる。生臭い動物の匂いに鼻と口を抑える。血の匂いは俺の周りの空気を薄めてしまう。
(村中がこうなのか?)
カーン カーン カーン
《みんな!冷静に!鼻と口を防いで領館へ!》
拡散魔法で声が届いたシュリの声だ。シュリは無事なようだ。俺も、毒は聞かないらしい。
「みんな…げほっ 冷静に―こどもや女から…」
領館の客間にはすでに人がいっぱいになっていた。恐怖と焦り、負の感情が場を満たしている。
「うっ…ぷ」
口から胃液が上がり、食べたものが逆流する。少しこぼしたが、ぐっとのみこむ。目からは生理的な涙が出てきた。レタの姿をみた村人たちが奥の居間へと俺達を誘導する。
「レタ、レタが来たぞ!」
「レタ、奥にひどい奴がいる」
居間に行くと、テーブルの上にはすでに何人か寝かされていた。足元にはポーションや解毒の空き瓶が転がっている。
「ムルチ!!」
サラが顔に布をまいてムルチに毒消しを飲ませていた。
「おう、カイ…」
ムルチはだいぶ血を吐いたのだろう。褐色の肌の上は血と油汗でぎらついていた。その顔は青白い。
「サラ、私がします」
レタが顔面蒼白になりながらムルチに近づいた。レタの手がほのかにひかり、ムルチへと流れていく。
「…俺より他のやつを…」
領館にはどんどん人が入ってくる。
「げっ えほっ たのむ…」
ロタが顔に布をまいて、ふらついた状態ではいってきた。肩に奥さんを担ぎ腕でジェットを抱えている。ジェットは白目で口と鼻から血と泡を吹きだしていた。
「…こっちへ!」
サラが顔に巻いている布からも血がにじんできた。鼻血を流しているのだろう、その服は自分者や他の誰かの血で汚れている。震える体を叱咤してサラの所へ向かう。
「サラ、俺が…」
「じゃあ子…げほっげほっ…」
目をあわせ頷く。こどもから優先に解毒薬をのませ、ポーションをのませていく。
「パイクんとこ…まだ来て…げほっ ヒュー ケホッ」
ロタが震える手で俺の腕をつかむ。そうだ、パイクの家は村のはずれだ、今はポールもいない。
「迎えに…」
「連れてきた!」
シュリがきた。見るとパイクや他の子供達を背中にかついでいる。村はずれから連れてきたらしい。
「でも、まだいるんだ。飛んでいこうとしたけど、上のほうがきついみたいで…」
シュリは汗をかき、茫然としている。
「シュリ…ッぷ、お前大丈夫なのか??」
「カイ、やばそうだな。大丈夫みたいだ」
「そうか、俺は、毒は…きいてない。おえ」
シュリの周りの血の匂いが一段とひどく、たまらず下をむき足元に唾液と胃液をこぼしてしまう。脂汗がわいてくる。領館の床は誰の者かわからない血や汚泥でまみれている。手分けして、回復魔法を施し回復できものが他の者を介抱していく。でも領館も完全に密室というわけじゃない。
「入りきらない…もとをきらないと…誰がこんな…」
誰がという言葉に俺は朝から感じていた妙な集団に思いあたる。朝からずっと感じていた異なる存在。俺は意識をそこへ飛ばす。その異質な存在達はじっと潜めていた動きを活発にしている。
「北だ…。北の山の麓に妙なやつらがいる。」
「カイ!」
レタが咎めるような目でこちらを見る。こんなことを言ったら怪しまれる、でも隠してる場合じゃない。
「っどこから ぇほっ…わかんのか?」
ムルチが、客間から倒れている人を担いで近づいてきた。満身創痍なのにその目はぎらぎらしている。俺は頷いた。ムルチは肩で息をしながらシュリを呼んだ。
「――リ、シュリ!」
「ムルチ!どうした??」
シュリは玄関から外にでようとしていた。
「あれ―っごほっ できっか?…竜巻――っ敵は…北らしぃ」
「わかんのか?!できるよ!でもどうやって?」
シュリは顔を輝かせた。ムルチは大きくむせた。
ゲホッ ヒューッ カッ
ぺっと口から血を吐く。
「ムルチ、もう…」
シュリがムルチを座らせようとした。ムルチはその手をふりはらって俺をみた。
「カイ!正確に、わかるか」
ムルチだけじゃない、エッボ、ヤム、ロタ、戦士達が俺を見据える。信じてもらえるのか。
「わかる」
「はあ?んでわかんだよ!」
シュリが驚愕の目で俺を見る。そうだよな、こんな時に場所がわかるなんて、しかも毒が聞かねえなんて裏切り者みたいだよな。
「ッるせえ!」
ムルチが一括した。
「カイはこんな時に嘘つく奴じゃねえ!シュリ!できるならやれ!お前ら追い風でいくぞ!来れるな!」
毒の浸食を感じさせないムルチの怒声に俺たちは震えた。
「まかせろや!っごほ」
「誰に言ってん…かはっ だっ!」
「げほっ エロがきがっ!あたりめーだ!」
戦士達が笑いながら怒号をかえす。
「カイ…ごめん。場所、教えてくれ」
シュリが近づいてきた。その顔は青ざめ、信じられないという瞳で俺を見つめる。
「ここからまっすぐ北に6km、北山の裾の平野だ…ウォーターファングの湿地。」
「わかった。ムルチ、一分後に巻き上げる、三十秒だ。息止めるように言って。」
そういうと、シュリは目をとじ、集中しはじめた。
《荒地の民よ、今から毒を返す。一分後に三十秒の上昇気流だ。その間は息を止めろ。戦士たちは追い風になったら敵を殲滅、生きてる奴は毒が消えたら領館へ》
風魔法で拡散されたムルチの声が、村に響き渡る。
「……」
シュリはゆっくりと目を開けた。その瞳は血のように赤かった。
「お前…その目」
シュリはすっと手をあげる。
「息とめろ!」
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
ヒュウウゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ
ブロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ
地鳴りのような音がした。これは、荒神祭の時の比じゃない。シュリのやつ村中の空気を巻き上げて北に返すつもりだ。閉じていた領館のドアがこじ開けられる。意識のある村人たちは驚きの目でシュリをみた。髪の毛が、服が、部屋の中にあるものが風に巻き上げられ外に飛び出していく。
ややしてムルチ達が立ち上がった。俺も立ち上がり、ムルチの傍に行く。場所がわかるのは俺だけだ。本当は俺一人でもいける。でも、俺ではできない。ムルチはにっと笑った。戦士たちは窓から外へ飛び出す。外の空気は薄い分、毒は和らいでいた。ムルチが窓枠に足をかけシュリに言った。
「シュリ、お前はここを守れ」
「カイは俺の隣にこい」
ムルチの側にいたエッボに言われ、エッボの隣で下肢を馬に変える。
――二十七、馬人の戦士たちは普段腰に掛けている銜を加える。鷹人の戦士たちは踵を馬人の背に食い込ませ、手綱を握る。
―二十八、戦士達はバキバキと体を変えていく。狂化と呼ばれるその変化は、いつもの変態とは異なり、目は真に魔物とよばれるそれに、皮膚をやじりを通さない頑丈なものに変えていく。
―二十九、骨が膨張し、鷹人達は鳥のそれに、馬人達は四肢を馬の姿へ。変化した神経を確かめるかのようにぶるりと肩を震わせる。
―三十。
ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
ドルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル
荒れ狂う暴風が、意志を持って北へむかう。馬人達は、最初はゆっくりと、そして徐々に四肢を駆けさせ、追い風に乗って北山の麓、ウォーターファングの湿地へ走る。道には何匹もの魔獣が転がっており、空飛ぶ鳥たちも落ちてきたようで地面に転がっている。死体を蹴り上げ、北へむかう。
ものの2分程で、前方に小さくまたたく灯りが見えた。鷹人達は馬人の背の上、向かい風の中で翼を滑空の構えと広げる。猛禽類の瞳をしたムルチと目があった。その口には鷹笛が加えられている。
(あれか)
間違いない。魔族でも、精霊でもない異質な魔力が流れてる。おれはこくりと頷く。
ムルチは鷹笛を低くふいた。ヤムやロタ、鷹人の戦士達が音もなく馬人の戦士達の肩を離れる。勢いに乗ったそれは通常の飛び出しの倍以上のスピードにのっている。馬人の戦士たちは、鷹人達が離れると徐々にスピードを落とし、足音を消していく。
ぎゃあああああ
うわあああ
どうしてここに!!
ムルチ達鷹人の戦士が前衛に出ていた敵兵たちの奇襲に成功した。同時に血の匂いがあたりに漂い、俺は眩暈に襲われる。
「竜王国の魔法使いだ!杖をねらえ!」
杖をふり毒魔法をかけようとしてくる竜人達、竜人達には効かない毒のようだ。戦士達を狙う杖に電撃を落とす。
メア・ファイ〔火炎放射・中級〕!
メア・エレック〔電撃・中級〕!
魔法使いたちは叫び声か呪文の詠唱かわからないが無茶苦茶に攻撃を仕掛けてくる。鷹人の戦士達は風魔法で襲い掛かる炎を巻き返し、電撃魔法に耐え湾刀でその首を狩っていく。追いついた馬人の戦士達がもたもたしている魔法使いの足を土魔法で固定し、槍で突き刺していく。
「シャッ!シャーr」
言葉の途中で魔法使いたちは息耐えていく。彼らは杖を持たないと攻撃魔法は使えないらしく、杖を失った魔法使いたちは頭を抱えてかがみこんだり、逃げの一方だ。だが
「エクニトゥン・ブレア〔毒の息吹〕!!」
魔法使いの数は多い、百人くらいだろうか?ここにこれた戦士達は二十人。
「ひああああああ」
「ぐはっ」
「ばけものめっ」
ムルチは一人で十人くらいを相手にしている。その翼は血で真っ黒だ。
「げえっ」
我慢していた胃酸が口から出る。這いつくばって土魔法を使うことしかできていない。正直立っているのもろくにできずさっきから四つん這いでいる。隣には魔法使いたちの死体。戦士達の鉤爪や槍にえぐられた体からは肉がわれ、内臓がはみ出し、電撃で焼き焦げた体の一部が血を吸った湿地に墜ちていた。
「おえええええ」
情けない。なんで俺はこうなんだ。今日だって朝からおかしなことに気が付いてたのに。せめて立ち上がろうとするが膝が震えて力が入らない。涙がにじむ。怖い。負の感情が流れ込んでくる。ここは怖い。恐ろしい。死にたくない。殺せ。体を刺せ。血祭にしろ。皮膚を切れ。嫌だ。死にたくない。逃げたい。隠れたい。追われる。追いつかれる。殺される。死にたくない。胸をさせ。恐ろしい。叫び声と動物の体液の匂い、生臭い血の匂いとともに、精神が侵されそうになる。
「メア・ファイ〔火炎放射・中級〕!!」
死に際の咆哮とともに、炎がふりかかる。やばい、土壁でふさがないと。土魔法を操作しようとしたが間に合わないかもしれない。しかし
ドドドどどっ
土の盾を作り上げたサムが俺の横に立ちふさがった。そのまま槍で魔法使いを突き刺した。
「カイ、立て!」
「う…」
槍からしたたり落ちるものが怖くて、足がふるえる。もう吐くものもないけど吐きながら立つ。足から小水がこぼれた。情けなさ過ぎて涙が出る。シュリならこんな事にはならないだろう。
「カイ、敵の大将がどこにいるかわかるか?」
サムの背にかくまわれながら、敵をけちらしていくムルチ達を追う。
「わからない…なんというか、そんなに強い奴はいなさそうなんだけど…」
見たことがない、感じたことがないような力の存在がある。でかい魔石?このもどかしさをどう伝えたらいいのか、いっそムルチと一緒にそこへ行けばいいのか?でもそれだど。悩んでいた時だった。
ドゴンッ
「えっ」
前方で戦っていたヤムの翼を、何かが貫いた。
シュウウウウウ バババババババアアアアン
それは雷のように幾人かの翼を打ち貫き、後方で魔法使いたちを巻き込んで盛大に爆発炎上した。
ドゴンッ シュウウウウウ バババババババアアアアン
ドゴンッ シュウウウウウ バババババババアアアアン
ドゴンッ シュウウウウウ バババババババアアアアン
次々と降りかかるようになったそれ。肉片が、断末魔が、敵の者なのか味方の者なのかわからない。
「なんつーもん出してきやがる」
暗闇の中、猛禽類の目をもつロタには、その形が見えているのだろう。
「魔砲だな…」
魔工具。他の魔族達のように魔力を多く持たない竜人や、人間のように全く魔力を使えない者達が魔法を使うため、竜王国が開発している道具だ。
「あの先だ…」
あの先から、異質なエネルギーの塊を感じる。
「一台じゃねえな、エッボ達は塹壕を掘って隠れろ!あれを叩くぞ!」
(そんな、この状態で飛んで大丈夫か?)
俺がみんなをつれていけばいいんだ、言わなきゃ
「ムっ」
飛び出そうとしたムルチ達の所に無数の小さな弾が飛んでくる。
ダダダダダダダダダダッ
ダダダダダダダダダダッ
ダダダダダダダダダダッ
翼を弾に打ち抜かれても、ムルチ達はひるまない。毒も抜けてない、血を体から滴らせて、それでも闘気を崩さない。
「なんだ、カイ」
「おれがっ」
その時だった。上空を無数の流星のようなものが過ぎていった。しかしそれはあまりにも禍々しくて。
ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンンンンンン
星は領館のあたりに吸い込まれるように落ち、鼓膜を破るような音とともに地平を明滅させた。まさか。
「カイ、お前が」
ムルチが、死に物狂いで襲い掛かってくる魔法使いたちを払い
ダダダダダダダダダダッ
銃弾を風でけちらし、
「荒地の民なら」
ダダダダダダダダダダッ
「弟を」
ダダダダダダダダダダッ
「守れ」
ドゴンッ
俺をおいて、戦士達は飛び立った。
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