11話 王城
今回はシュリ君は出てきません。伯爵サイドの回です。
快晴の空、緑がかった青色の海。透明な水面の下色鮮やかな魚達が泳いでいる。この時期、火山列島をとりまく地域は湿潤な風がふく。マストを膨らませる風は頬にやさしい。モンテ・クリストフ伯爵は甲板に立ち、燦然と輝く魔の海を見ていた。
(――王城へゆくのは十二年ぶりか)
荒地の領主に任命された日、カマルという荒地の民としての名を捨てモンテ・クリストフ伯爵として生きることになった。あの頃捕虜だったメドゥーサを正妃にするという事に騒然としていた竜王国で、貴族の反対を一蹴し、自分にあの地を任せることに決めたのは時の皇帝、先帝であった。
(覇王…)
古竜様が生きており、戦争が始まる前のこと。部族長の次男であった伯爵はわけあってアグニを含めた何人かの部下と竜王国に奉公にでていた。魔物の傭兵どもと蔑まれる事を覚悟して入城した幼い日、想像していた通り貴族からの侮蔑と暴力に見舞われた。しかし、その貴族を斬って捨てた人がいた。
私の刃に手出ししたのだ、斬られても文句はあるまい?
そういって笑いながら剣の血をはらった彼は、まだ十五歳だった。
「伝文が来た。やはり先帝陛下に謁見するのは難しいらしい――」
アグニが肩に鷹をのせ、届いたばかりなのだろう手紙を持ってきた。それを受け取り内容を確認する。
「いまだ寝所も出られぬというのは本当だったか…」
公正な実力主義と、圧倒的な力で竜王国を牽引した覇王は正妃の不義が発覚した十一年前から、心を病んでしまい寝所から出られぬという。
「フィバナの処刑から何年もたつというのに…。何者かに諮られているのではないか。」
アグニが、正妃の旧名を呟く。
「…誰が聞いておるかもわからぬ。迂闊なことを口にするな」
「しかし、先帝陛下に嘆願できぬとあっては…皇帝陛下だけではヒュッター家の圧力には叶わんぞ」
伯爵は、手紙を握りつぶす。アグニは王都に精鋭を何人かはなっている。彼らには王族についての情報を調査するよう言いつけてあった。ヒュッター家を中心とする貴族連中が辺境地に強い興味をしめしているという話は聞いていた。
辺境地は荒地ではあるが、太陽の帝国との貿易中継地点としての利用価値が見えてきた。現状太陽の帝国との貿易権限は、皇后クラーラの一派が独占している。側妃エリーザの実家であるヒュッター家を中心とする貴族連中は、辺境地を手にいれ貿易競争に参戦したいのだろう。今回の事件も発端はハーゲンという竜王族の騎士だった。表向きは皇后の主導に見えるが、裏で糸を引いているのは側妃側の人間かもしれない。
「…イニ・ルベンにご同席いただくか」
「宰相殿にか、彼はわれわれ魔族の側に立ってはくれまい。」
「あの件からな…。しかしそれ以前はあのお方こそ、先帝陛下の理念を実現することに邁進していらっしたのだ。」
宰相であるイニ・ルペンの地盤は交易品の中心である魔具の開発をしている錬金術集団「星の使徒」だ。おそらく必要以上に側妃側の肩を持つこともないだろう。それに
(私の見立てが本当なら、アレの存在は先帝陛下にとっては朗報なのではないか)
先帝は自分の息子とイグニスが結ばれれば、竜王国は自分の願う国の姿に近づけるはずだと信じていた。先帝の理想を継ぐイニ・ルベンなら、アレを上手く役立ててはくれまいか。
「そう、伯爵の騎士としての仕事には問題なかったというの」
別宮、ガラスの温室で側妃エリーザは薔薇の選定を行っていた。手にはドワーフの国ノイマンから輸入した見事な金細工の枝切り鋏が握られ、王宮で女中をしているミレッタが、今朝のモンテ・クリストフ伯爵の謁見の様子を話してくれている。
「はい。皇后さまはグリフォンを討伐する際の指揮に問題があったと追及されていましたが、ヴィ・アンジェと王子付近衛兵団、護衛騎士までがついていた中、伯爵にはアヒム様をお守りする義務はあっても、責任は王子付近衛兵団長のハーゲン様の方が重いというのがイニ・ルベンのお見立てでした」
「まあ、それではお姉さまは…?」
「皇后陛下は取り乱されて…ハーゲン様をヴィ・アンジェと同じ処遇にすると」
「それはそうね…それで領地はどう?」
「伯爵に領地を下賜されたのは先帝陛下ですので、それを覆すにはもう少し手順が必要だとか。ただ今回のことでグリフォンが凶悪な魔物であったことがよくわかりましたし、それを長年放置していたことは領地の管理者として不適切、ゆくゆくはより適任な者に領地を委任するという事でした」
「適任ねえ…」
星の使徒にお願いして品種改良してもらったこの薔薇達は金粉のような花粉を放つものや、ベルベットのような花びらを持つものなど、どれも高価で希少な品種だがその分手間がかかる。
「辺境伯は何と?」
「なにも、王子がいらした時のことを報告され、皇后陛下からのお達しがあったことを説明された以外は言動を控えていらっしゃいました。」
薔薇を上から覗き見るがしっくりこない、部屋には自分とミレッタそしてペーガソスのラルフだけ。少々不作法になるが気心のしれた者しかいない。かがんで薔薇の木と視点をあわせ、再度注意深く見る。
エリーザ様!こちらにいらっしゃると聞いた!!エリーザ様!!
客間から雑音が聞こえる。あの声はハーゲン…かしら?下の名前は忘れちゃった。どうでもいいことを考えていたら、よくない枝を見つけた。他の枝を傷つけないようにそっと鋏を通す。
パチン
「ラルフ、ヴィ・アンジェの後任は決まったの?」
「んー皇后のやり方が怖くてみんなひいちゃってるんだよねえ。あんなわがまま王子、アンジェみたいなお人よしじゃなきゃ誰も相手したくねーし」
「そういわずに、あなたのお友達を紹介してあげたら?」
王子に愛情を注いでいたペガーソスは皇后の逆鱗にふれ極刑にされた。皇后は王子の右腕が腐り落ちた日から一度も王子を訪ねていない。最愛の側近を失いふさぎ込んでいる気の毒なアヒム殿下。
パチン パチン
上手に不要な枝を落とせば春には大輪の花が咲く。楽しみなこと。
伯爵は勇者の礼拝堂に立ち尽くしていた。今朝の謁見はおおむね予想通りだった。伯爵は最後の望みをかけ皇帝と宰相に密会を願い出た。
許された者しか入ることができない礼拝堂には入り口の他、王の更衣室につながる扉がある。しばらくすると重い木の扉が開かれ、待ち人がやって来た。伯爵は王族に対する礼ととる。
「陛下、イニ・ルベン。この度は貴重なお時間を…」
皇帝の隣にはいつものヴィ・ハンスではなく、宰相であるイニ・ルベンが控えていた。月夜に光る雪のような白髪に灰色の瞳の麗人は、杖を突き足を引きずっているが、姿勢は良い。イニ・ルベンは先帝の父親によって、その生を王族に捧げること、王族にけしてはむかわないよう奴隷紋が施されている。彼の姿はこの四十年一つも変わらない。
「この城は耳が多すぎる、内密の話であればこのようにするしかあるまい」
皇帝はヴィ・ハンスにするようにイニ・ルベンの腰に手を回す。イニ・ルベンは銀縁の眼鏡の奥で睫毛一つ動かさない。
「手短に話せ」
「はは…陛下。ご報告したき事があるのですが。イニ・ルベンはアレの事はご存知でしょうか?」
伯爵は皇帝の足元を見つめ、礼を崩さず話をする。
「アレとは何の事か?」
皇帝の声音は愉快そうである。
「二年前にサニス島で御靴を汚した奴隷のことです」
「ああ、あの黒髪の娘か。よいぞ、面をあげよ。」
顔をあげると、やはり王は微笑をうかべ伯爵を見ていた。
「あれの事はルベンには話しておらん。しかしかまわんぞ言ってみろ」
(やはりそうか…)
ちらりとイニ・ルベンを見る。凍てつくような瞳の宰相は怪訝な様子である。
「何の話です」
「黒髪の奴隷は…十一年前、光の塔で産まれ、皇帝陛下の命でわが領地に来ました」
「光の塔だと」
そこは正妃イグニスが捕虜であった時代から幽閉されていた場所である。
「…私とアグニ、そしてダンは皇帝陛下からこの赤子は故イグニス様がお産みになられた、奴隷として育てよとお伺いしておりました。」
「――――イグニスにこどもがいたと?」
租借するよう、ゆっくりとイニ・ルベンは呟いた。
「はい、かの者が不実を働いたのは小姓、馬丁、召使、料理人等、周囲に侍らせていた魔族や竜人達。たとえ薬を用いたとしても誇り高き竜王種の方々がメドゥーサと交わることなど…ありえないと、当時そのように判決をなされたのは、貴殿だったと…伺っております」
正妃イグニスの部屋で不義の痕跡がみつかった後、判決を行ったのは法務官だったイニ・ルベンだった。
「ありえん。あの女は牢の中でも牢番や囚人から嬲られ…交わっていた」
それは一方的な暴力であった。あのような状態でこどもの出産などできるわけがない。
「しかし、産まれたものは産まれた。」
皇帝の顔はいっそひややかだ。
「それであの奴隷がどうしたのだ」
「あの者ですが…先日のグリフォン討伐の際、 ダラン・スペクルム[竜の鏡]を放ったのです。」
一瞬だったが、伯爵とアグニはシュリが放った範囲守備魔法の魔方陣を見ていた。あれは一定領域の攻撃を物理、魔法に関わらず跳ね返す、竜王種のみが使うことができる特別魔法だ。
「またあの者は九歳の時に、村の祭りでグリフォン・ゾラ〔荒神の怒り〕もはなっています。」
そもそも、竜人というのは全属性の魔法がつかえるとはいっても使えるだけで、その魔力はろうそくに火を灯す程度の力しかないのだ。だからこそ、竜王国の兵士や魔法使いは魔具を、詠唱魔法という独自の魔法を研究して魔法をつかう。
メドゥーサが使える魔法も水魔法や呪術のみ。豊富な魔力量を持つ竜王種なら魔具に頼らずとも魔法を使えるが、気候を変えるほどの魔法は普通の魔族は使えない。シュリの魔法は、竜王種としても異常だ。
「あれがそれらの魔法をどのように知ったのかは定かではありませんが…その魔力量…は竜王族の方々の中でも一部の方しかもちえない、才能。」
伯爵は息をつめる。
「かの者の父親は…高貴な方なのではないですか?」
そう、例えば目の前に立つ男のような。伯爵はちらりと皇帝を見る。皇帝は目を見開いていた。そしてゆっくりと口を開き、宰相の白い衣の袖をひく。
「それほどの力…。―――ルベン?」
「―――」
イニ・ルベンの表情は変わらなかった。不可能だと否定した瞬間から固まったようだった。
「くくくっ」
皇帝は額を指で押さえ、乾いた笑い声をあげる。もう一方の手は自分を守るように額にあてた手の肘を抱いてている。
「くっくっくっ」
その肩はこきざみに揺れ始めた。
「あっはっはっはっはっはっはっは は あ ひゃっっひゃっつひゃっひゃっひゃっ はっはっはっはっはっ っはっはっはっはっはっはっはっはっはっ あっはっはっはっはっはっはっは ひゃっつひゃっひゃっひゃっ ひ あ はっ はっ はっ はあ はっはっはっ っはっはっはっはっはっはっ」
常軌を逸した笑い。二年前にシュリを蹴り飛ばしていた時よりもさらに気が狂ったように皇帝は笑った。
その目はどこを見ているのか、宙を見ているようだが、焦点はあっておらず、口の端には唾液がこぼれおちている。伯爵は到底理解できない突然の狂笑に慄然とした。
勇者の石像が祀られている礼拝堂に、王の笑い声だけが響いた。王は気のすむまで笑うと、息を整えながら伯爵に伝えた。
「私はこれまで騙されていたのだな。今日は下がれ、後日礼をやる。」
翌日、伯爵は控えの間の前に居た。扉の向こうには皇帝陛下がいると聞いている。
(私の選択は正解だったのか?)
シュリの魔法の才能は不自然だった。その力は精鋭として鍛えれば鍛えるほど異常な伸びをみせた。
「大丈夫か。」
扉の前で固まる自分の肩を、アグニが叩く。
「ああ…、大丈夫だ。」
やはりシュリは皇帝とイグニスの子だったのだ。アグニともそうではないかとこれまで言葉に出さずとも視線を合わせてきた。そうであれば、イグニスには多少の恩赦が産まれるかもしれないし、真の第一王子はシュリだ。シュリを匿っていた辺境伯にも大なり小なり恩恵があってよいのではないか。
「陛下は礼を下さるとおっしゃっていたのだろう?」
「そうだ。礼を下さるとおっしゃった」
控室の扉は、四十九年前、初めて王城へ来た日と変わらない。重い木製の扉にほられた勇者の荘厳なレリーフを前に、自分は昔と同じように萎縮してしまっているのだろう。
(頼むぞ…。俺は帰らなくてはならない)
あの地を守るためにこれまで裏切り者の汚名を被り、魔物と蔑まれながら生きてきた。サラの顔を思い浮かべながら、伯爵は汗の滲む手で重い扉に手をかけた。
この回書くのしんどかった…
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