天子
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。わりと有名な格言だ。言った人の、道に対する情熱の凄まじさを端的に表していて圧倒される。この人は日々、道を渇望して、心の底からそれを得ようとしていたんだな。すごいよ、尊敬に値する。だって、死んでもいいって言ってるんだよ。死んでもいいなんて、そうそう言い切れるものではない。覚悟が無いと言えない。ここで言う道、は、いわゆる地面にある道路とは少し違って、なんかこう、概念的なものだけど、真理、みたいなものなのかな。頭は相当に良かったはずでも、真理、その存在を察するには至ったが、最終的にそれを手にしたのだろうか。わからない。わからないが、彼が生きていたのは紀元前の話で、彼が残している言葉たちは書物を通して現代にも残っているのだから、彼は偉人に数えることができるだろう。でも、なんとなく、だけど、いや、彼の言葉は誰かが捏造したもので、現代において考えられた、彼は偉人ではない、なんて、呑気と言うか日和見主義というか、いい気なもんだ、現代人ってそもそもそんなに偉いのかね。歴史を無闇に否定してはいけないよ。オトナ気ないよ、たとえイノセンスから出た言葉でもね。まあその人にはその人の考え方がある、が、違う。歴史は静かに受け入れなければならない。断じて否定してはならない。無かったことに、なんて、所詮できないのだから。空想においてですら、歴史を改竄するのは断固として反対する。未判明の部分を脚色したり創作したりするのは良いが、改竄は絶対に駄目だ。そも、歴史を尊敬しているなら、空想においてですら、改竄しようなんて、ましてやそれを外部に表そうなんて、思わないものだよ。歴史を改竄するのは歴史を否定することであり、世界を冒涜する行為だ。それをする人は、歴史なんて紙の上に表されたただの事実だと思っていて、歴史の重さを認識していない。自分の両親の存在を、できるはずがないのに、否定するかい? それと同じさ。悪夢は起こる。世界中で起こる。何度でも蘇る。天子よ、あなたは、それを、全部終わらせることが、できるのか? できると言うのなら、私はあなたについて行く。共にがんばろう、なんて、言わない。なぜ? 天子よ、あなたは天子で、私は天子ではない。それが答だ。あなたの身分は天が与えた。天に愛されるあなたが天の国に入れず誰が入れるというのか。天子よ、あなたのおかげなのです。どうか、そのままでいて。




