009 怪物03
見間違えるはずがない。彼とは何度も刃を交え、そして共に魔王討伐の旅に出たのだから。
斧使いグタ――褐色の肌に逆立った黒髪。伸ばし放題のひげの奥ではいつも薄ら笑いを浮かべていた。三十代半ばの筋肉質な大男で、戦闘中の動きやすさを重視するあまり、鎧をほとんど装備していない。彼の背に担がれた巨大な戦斧は、魔王を討伐するために国王から授与された魔法の武具だ。
「なんでお前がここに……。ま、まさかお前、本当に魔王を倒したのかっ?」
グタの問いに、しかしレインは返答に詰まる。
自分のとなりで傍観しているのがそうだと言ったところで、はたして彼は信じてくれるのだろうか――いや、アルのためにもここは信じてもらわなくてはいけないのだが、それはせめて村の中に入ってからにしたい。もしもここで騒ぎになると、最悪、入村を拒否される恐れがあるからだ。
だからといって村の中でパニックが起きてもいいというわけではないが、互いの顔を突き合わせてじっくり話す機会さえあれば、きっとグタや村人たちも分かってくれるはずだ。
「いやまあ、なんていうか……」
「なんだ? もしかしてお前も逃げてきたってのか?」
「あはは。まあそんな感じかも」
ちょっと待ってろと言い残し、グタは姿を消した。恐らくこの村の長にレインの入村許可を取りに行ってくれたのだろう。その予想は的中し、やがて巨大な鉄扉は鈍い音を立てて外側にゆっくりと開くのだった。
村の内部にはグタと白髪の老人が立っていた。その奥からは数人の村人たちが、興味本位でこちらを遠目に覗き込んでいる。
「すぐに門を閉める。早く入られよ」
老人に促され、レインとアルはようやく村の中へと足を踏み入れたのだった。
「ようこそ、戦士たち。ここはイボンの村。魔王城にもっとも近い村じゃ。ご覧のとおり何もないところじゃが、せめてゆっくり休んでいきなさい」
「ど、どうも……」
長く伸びた眉とひげに隠れて表情は読み取れないが、その口振りからして恐らく歓迎されているのだろう。もともと拒絶さえされなければ存分に休んでいくつもりでいたので、レインはほっと安堵の息をついた。
「まさかお前まで逃げ出すとはな。魔王城までは行けたのか?」
眉間にしわを寄せ、グタは神妙な面持ちだ。魔王討伐は早々に音を上げた彼ではあったが、それでもその場に置いてきたレインのことを心配していたのだろう。
しかしレインとしては、こんなところでかつての仲間と再会するなどとは夢にも思わず、いい切り返しも言い訳もまるで思いつかない。何を訊かれても乾いた笑いを返すだけだった。
「俺たちもここに逃げ込んでな。今はいないが、オーギュスとヒルダもここで世話になっているんだ」
「そ、そっか。あの二人も無事だったのね。よかった」
「ところでそっちの兄ちゃんは誰だ? 魔王に捕まってたのか?」
いいえ、魔王本人です――とはなかなか言えない。
「ま、まあそんなところ。あはは……」
「すごいじゃないか! やっぱりお前、魔王城までは行ったんだな」
「うん、まあ……、そうね」
「おう兄ちゃん、助かってよかったな。ちゃんとレインシーに礼を言っておけよ。こいつは俺と肩を並べるくらい強いからな。機嫌を損ねちまったら、また魔王城に突き返されるぜ」
そう言ってグタは快活に笑う。
そんな彼を、アルは不思議そうに眺めていた。
「村の者たちに食事の準備をさせよう。それまでしばらく奥で休んでいなされ」
「あ、ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……」
老人に促されるまま村の奥へと踏み出したそのとき――
「村長、その必要はないぜ」
村人たちの向こう側から待ったがかかる。
誰からともなく道を開け、その奥から現れたのは、レインのよく知る一組の男女だった。
「オーギュス。ヒルダ」
剣士オーギュスと魔術師ヒルダ――グタと同様、レインと共にひと月ほど行動を共にした、旅の仲間である。パーティのリーダーであるオーギュスは二十代後半、ヒルダは二十代前半といったところか。二人は軽装ではあるものの、魔法の武器はしっかり手にしている。
「おい、レインシー。俺はお前に言ったはずだ。魔王を倒してこいってな」
「うんうん。その言葉、アタシもちゃんと聞いていたわよ」
不服を唱えるオーギュスに、となりのヒルダも頷いてみせる。
オーギュスはレインの前まで歩み寄ると、何を血迷ったのか、彼女の目の先へと刃を掲げてみせた。様子を見守っていた村人たちに動揺が走る。
「そんな……。だって貴方たちも逃げてきたじゃない」
「うるせえ。俺たちとお前とじゃ立場ってもんが違うんだよ」
レインの反論をオーギュスは一蹴する。取りつく島もないオーギュスに困り顔の彼女を眺め、ヒルダは楽しそうに笑っている。
「いいか、レインシー。年上の言うことは黙って聞いておくもんだぜ。ちびっ子のお前がこの討伐部隊で活躍できていたのは、部隊のリーダーである俺様が、お前をここに置いてやっていたからだ。まさかその恩を忘れたわけじゃねえよな?」
「そ、それは……」
「大体お前は最初っから生意気だったんだよ。ガキのくせに武闘大会なんかに出場しやがって。その歳から大金を欲しがるなんて、きっとろくな大人にならねえな」
レインが何も言い返さないのは、彼の言葉が刺さったからか。それとも――
「さあ、分かったらさっさと回れ右して魔王を倒してこい。なあに、お前なら絶対やれるさ。なんたってお前は『怪物』なんだからな」
怪物――その言葉に、レインの肩がびくりと上がる。
だが、その肩にそっと手を置き、彼女の前へと歩み出る者がいた。
「年上の言うことは聞くもの、か……。なるほど、そういえばオレもレインにそう言われたな」
「あん? 誰だてめえは?」
「オレも昔エンダナから聞いたことがある。人間には臨機応変という便利な言葉があると。その言葉を発すれば、どれだけ堅固な決まり事だって誰にも迷惑をかけることなく覆せてしまうという。だったら今ここでオレがそう動いても、別段問題はなかろう」
「ちょっとアンタ! オーギュスの質問が聞こえないのっ?」
「聞こえているさ」
彼の背を見上げるレインは何を思っているのだろう。
外套を翻し、そして彼は答える。
「オレはアル――三才だ」