088 ディモルフォセカ03
「アルさ……、アルヴァリオスの?」
「そう。アル様の唯一にして無二の腹心。それがアタシ」
身構えようにもベッドの上だ。かろうじて上体を屈めるシスタノに、突然現れた白髪の女――エンダナは言う。
「こうしてお会いするのは初めてだったわね、シスタノさん」
「な、なんでわたしの名前をっ?」
「あなたのことは……、いえ、あなたたちのことはようく知っているわ」
すうっと目を細めるエンダナ。それはどこかシスタノを物として見ているような印象があった。
恐らく自分たちの気付かないところからずっと監視されていたのだろう。魔王の側近というのだからそのくらいのことは易いはずだ。その視線に魔王たるアル本人が気付かなかったというのはなんとも情けない話ではあるが。
それとも、と思う。それともアルはエンダナの監視に気付いていながら、ずっと知らない振りをしていたのだろうか。レインやシスタノ、そして人間たちの住まう街の情報をエンダナに流すために。
「…………」
いや、それは違う。シスタノはその考えを振り払う。
相手は仮にも魔王の側近だ。そんなまどろっこしいことをせずとも自ら出向けば済む話だし、何より情報を得なければならない理由がない。自分を含め人間が気に入らなければ魔法のひとつでも街に放てばいいだけのことだ。
では、何のために――
「『何で知ってるの?』って顔をしてるわね。それとも『何のために?』かしら」
無言のシスタノを見下ろしながら、エンダナは口の端を上げる。
心の内を見透かされているようで、シスタノはぎゅっと奥歯を噛みしめた。
「教えてあげてもいいけど、まあいずれ分かることだしね。そのときのお楽しみに取っておいた方が面白いと思うわよ。シスタノさん」
「……わたしが訊きたいのはそんなことじゃありません」
エンダナの思うように会話が進むのはなんだか癪だ。シスタノは首を振る。
「あなたはアルヴァリオスの腹心だと言いましたね。だったら主人である魔王とは行動を共にするはず……。何で彼と離れているんですか?」
「ふふん。それも内緒よ」
エンダナは顎を上げて意味ありげに笑う。ベッドに座ったまま動けないシスタノをさらに見下ろす形だ。
「でもまあ内緒ばかりじゃあ、わざわざアタシが姿を現した意味がないわね」
「…………」
「いいわ。特別にひとつだけ教えてあげる」
シスタノの目の前に顔を寄せるエンダナ。しかしシスタノはなぜか身動きが取れない。ほんの少し前、アルにかけられた束縛の魔法と同じだ。
目を細め、口を左右に大きく広げて笑うエンダナは、吐息がかかるほどの距離でシスタノを見つめている。それはまるで、獲物を狙う獰猛な肉食獣のようだった。
「シスタノさん。あなたがこの部屋に来るとき、転移魔法をくぐったでしょう?」
「……と、通りましたけど」
薄紫色の、人より少し大きな四角い光。自分が先にくぐり、その後からディモルがくぐってここに移動した。意識は朦朧としていたが、そのくらいは憶えている。
「あの魔法ってね、人間が使うとちょっと時間がかかっちゃうのよね」
「は? 何を言って……」
「体内の細胞を魔法の構造に合わせて分解し、移動先までその状態で運ぶのがあの魔法の仕組みなの。人間がそのままの形で移動するわけじゃなくて、人間が魔法に合わせた形に変化して移動するのよ。ここまでお分かり?」
「…………」
「人間は魔族のように細胞を自由に動かせるわけじゃないからね。あの魔法を使うにはそれなりの準備が必要ってわけ。そしてここからが本題――」
シスタノの反応を楽しむように、エンダナはゆっくりとした口調で告げる。
「あの魔法――転移魔法をくぐるとね、人間が細胞を再構築して活動できるようになるまで最低でも二週間から二十日はかかるのよ。……この意味、あなたに分かるかしら?」
「え……。ってことは……」
ここまで説明されて気付かないはずがない。シスタノは目を見開く。
エンダナの言葉が本当ならば、自分が丘の上でディモルと出会ってから、すでに二週間以上が経過しているということになる。
なんということだ。一刻を争う魔王討伐の旅だというのに、こんなところで無駄に時間を浪費してしまった。あまりの衝撃に、シスタノは声を発せない。
「ふふん。大変ねえ、シスタノさん。魔物の集団に襲われていたガローゼオの住民たちは今頃どうしてるのかしらねえ。心配よねえ」
「あ……、あ……」
「――そのくらいにしておきなさいね、えんちゃん」
その声はエンダナの後ろからかけられた。
いつからそこにいたのか――肩越しに振り返るエンダナの背後には、変わらない笑みを湛えたディモルがこちらを見つめていた。
「うふふ。あまりお客様を困らせちゃダメでしょう、えんちゃん」
「……そのようね」
ディモルの咎めに気分を害するかと思われたエンダナだったが、なぜか素直に身を引いた。魔族が人間に従うという本来ありえない状況に、しかしシスタノの焦燥はそれどころではない。自分の回復のためとはいえ、多くの時間を使ってしまったことに愕然として震えるばかりだ。
「わたしは……、わたしはなんということを……」
シスタノの頬を、いくつもの涙の粒が滴り落ちた。





