087 ディモルフォセカ02
「ごめんなさいね、しーちゃん。あたしが回復魔法を使えれば良かったんだけど、使う機会がないから覚えてないのよ」
「いえ、それでもこうして魔封石で回復させてもらえたんですから、すごく助かりました。ありがとうございます、ディモルさん」
どういたしまして、と間延びした調子でディモル――ディモルフォセカは笑う。彼女と出会わなければ、今頃シスタノは丘の上で力尽き、魔物たちの餌食になっていたことだろう。そう思うとディモルへは感謝の念しかない。
「貰い物だったけど残しておいて良かったわ。魔封石って可愛くないけど役に立つことがあるのねえ」
冒険者であれば魔封石ほど広く活用されている魔道具はないだろう。特に魔法を使えない近接戦闘職は、攻撃や回復、補助などひと通りの魔法を魔封石に封入し、様々な戦闘で状況に合わせて使用している。魔法があるとないとでは、大きな差が如実に現れるのだ。
ディモルが普段魔封石を使用しないということは、きっと彼女が冒険者ではないからだろう。そう予想するのも馬鹿らしくなるほど、彼女はどう見ても戦闘向きの性格ではない。
「しばらくここで静養するといいわ。うんとご馳走するわよ」
「……申し訳ありませんが、わたしには行かなきゃいけないところがあるんです」
東の魔王討伐。そして西の魔王――アルヴァリオスの討伐。
特に前者は早急に成さなければ、ガローゼオの民はずっと苦しむことになる。
「本当にありがとうござい……」
椅子から立ち上がろうとして、突然の目眩に思わずテーブルに手をつく。後頭部がふわりと浮くような感覚とともに視界が暗転したのだ。
無理もない。怪我が回復したとはいえ、失った大量の血液は戻らないのだから。
「あらあら。大丈夫、しーちゃん?」
「だ、大丈夫、です……」
身体を前傾にして、頭の高さを心臓と並べると、ゆっくりと視界が戻ってくる。今度は慌てず、慎重に頭を持ち上げる。
「わたしには、やらなきゃ……」
「うーん。大丈夫じゃないみたいねえ。やっぱり少し休んでいきなさい」
ディモルが人差し指を立て、シスタノの額を軽くつつく。
途端――今度こそシスタノは意識を手放した。
目覚めると、そこはベッドの上だった。どこまでも身体が沈んでいくような感覚に驚いたが、慣れてしまえばただただ気持ちのよいものだ。頭だけ動かして部屋の中を確認すると、どうやら誰もいないようだった。
ディモルは席を外しているようだ。シスタノはベッドから起き上がり、少しの間ぼうっと座った姿勢を保つ。まだふらつくが、先ほどまでのひどさはない。眠ったことで多少なりと回復したようだ。
「……立てるかな」
ゆっくりと腰を上げてみるが、思ったように足に力が入らない。すぐに息切れを起こしてベッドに戻ってしまった。
「はあ……。まだ動けないか」
こんなところでのんびり寝ている時間はないというのに、自分はなんと無力なのだろう。ディモルが脱がせてくれたのであろう、テーブルの脇に置かれた自分の剣と鎧を見ながら大きく息を吐く。
所々に傷の入った装備は誇りと自信でもあった。それは自分がそれだけの経験を積んできたという証――強く成長したという証なのだから。
だがそんな安っぽい誇りも自信も、たった一人になった途端、大きな音を立てて崩れ去ってしまった。魔王討伐を志す者が、道中の魔物にさえ勝てないなんて。
「……これからどうすればいいんだろう、わたし」
このまま――いや、全快を待って旅に戻ったとしても、自分はきっと先程と同じ失敗を辿るだろう。次もディモルが助けてくれるとは限らないし、そもそも彼女は戦士じゃない。可愛いものに囲まれて暮らす、ただのお嬢様だ。そんな彼女を危険な旅に連れていくなんてできるわけがない。
「レインさん……」
ベッドに座った姿勢で項垂れ、かつての仲間である少女剣士の名を呟いた。
幼少時代から他の同年代たちより何歩も先を行く剣の達人だったという彼女は、周りから恐怖と侮蔑の意味を込めて『怪物』などと呼ばれていたらしい。それでもレインはそんな不名誉なあだ名などまるで気にせず頂上まで登り詰めた。
それはきっと、彼女に夢や志があったからだ。目指す姿があったからだ。
「それに比べてわたしは何もないなあ……」
強くなりたいと思ったのも、レインに憧れたからだ。レインと出会わなければ、自分は今も母と二人でひっそりと――いや、出会っていないのであればシスタノは今頃ひとりだ。なぜなら医者も匙を投げだした大病の母を救ってくれたのは他でもない、レインとアルだったのだから。
「……わたしが間違っていたのかなあ」
一人きりで考え込んでいると、どうしても弱音ばかりが溢れてくる。
そういえば、レインとアルは何か大事なことを自分に伝えようとしていたような気がする。どうせアル――魔王アルヴァリオスを倒していない事への薄汚い言い訳だろうと思って聞く耳を貸さなかったが、あの人たちは自分に何を伝えようとしていたのだろうか。
「でも今さら聞いたって遅いよね。わたしも散々嫌なこと言っちゃったし……」
「――そうかしら?」
反論は突然、背後から投げかけられた。
慌てて振り返ると、そこにいたのはディモルではなく、別の女だった。
右側だけ長い、すべての色を拒んでいるかのような白髪。切れ長の双眸に整った鼻筋。ぷっくりと厚い唇は、今は笑みの形に引き上げられている。身体をすっぽりと覆う黒い外套から片腕だけ出して、小さな丸い石のようなものを指先で転がしている。
「えっと……。あ、あなたは?」
「そうね。まずは名乗るところから始めましょうか」
そして女は口にする。その呪われた名前を。
「アタシはエンダナ――魔王アル様の腹心よ」





